7話
お腹辺りまで伸ばした白い髭を撫でながら、現教皇リドルは皇太子に会わせろと子犬の如く吠えるイデリーナを揶揄った。
「して、お主はわしを知らんと」
「当り前よ! あんたみたいな年寄りの顔なんて覚えるわけ……」
「そうかそうか。わしこれでも教皇なんだがの」
「え……」
大教会の頂点を知らないと大声で啖呵を切ったイデリーナは相手が教皇だと知らされ顔を青褪めた。周囲は平民ですら教皇を知っているのに貴族の令嬢が知らないのはどうしてかと好奇の視線を浴びせた。羞恥心で顔を真っ赤に染め、小刻みに震えるイデリーナをどうしようか神官達は教皇の指示を仰いだ。
髭を撫でながら応接室へ案内しろと指示を出されるとさっきまではとは別人のように大人しくなったイデリーナは神官と向かった。
残った神官に後を任せた教皇が隠れているリナリア達の許へやって来た。
「ヘヴンズゲート侯爵令嬢」
「も、申し訳ありません……」
イデリーナの代わりに同じ家の者としてリナリアが謝ると軽快に笑われた。
「元気な異母妹を持ったな。あれなら性根を叩き直す甲斐があるというものじゃ」
「どういう意味ですか?」
「後日話すが聖女はわし預かりとして大教会にいさせる。折角目覚めた聖女の能力を下らん事で消滅させるのは痛い」
「マジかよ……」
げんなりとした声で呟いたのはユナン。
「なんじゃユナン。文句があるのか」
「純粋培養の性悪を叩き直すのは骨が折れるのでは」
「誰もお前がやれとは言わん。わし直々に叩き直すつもりだ」
「というか、なんで彼女に? 普通、聖女は清らかな心を持つ女性限定だった筈」
「神の人選ミスだろう」
「最悪……」
歴代の聖女についてユナンから話を聞かされたリナリアも疑問には感じていたが、何でもないように教皇が言うのでそういうものなのかと納得してしまいそうになった。
「教皇」
ラシュエルが前に出た。
「皇太子殿下。お体の具合は如何かな?」
「見ての通りだ」
「して、今日はどの様なご用件かな?」
「先にそこの神官から聞いた。聖女の能力について教皇に訊ねたかったんだ」
教皇の意見も聞いたらいいと言うユナンの助言に従い、聖女の能力について訊ねた。ふむ、と髭を撫でる教皇は真面目な声色でユナンの言う通りだと肯定した。
「イデリーナ嬢が皇太子殿下を治せたのはわしもユナンと同意見。また、能力を使えなくなっている件についてもだ」
「そうか……」
「欲が出たのだろうな」
自分が聖女の能力に目覚め完治させた事により、皇太子妃候補筆頭のリナリアが不在の今ごり押しすれば皇太子妃になれるという欲が。ヘヴンズゲート家もリナリアではなく、イデリーナが皇太子妃になっても長年の夢が叶う。寧ろ、愛娘が皇太子妃になれるなら本望だろう。
「時に皇太子殿下。クローバー侯爵家に色々と掛け合っているようだが」
「リナリアをクローバー侯爵の養女として迎える手筈を整えている最中です」
「その件も含めて、わしに任せてもらえんか?」
「教皇に?」
「今回の件について、クローバー侯爵も先代侯爵も怒髪天を衝いて抑えるのに大変でな。帝国から出て行かれれば、大教会だけではなく帝国側も困るであろう?」
慈善活動に熱心で、製品の流通においても強い影響力を持つクローバー家。隣国の大商会とも親しくしており、その気になれば隣国に移住するのだって簡単だ。
「分かりました。教皇にお任せします」
少し考えた後ラシュエルはこの件について教皇に託した。
「殿下。次にクローバー侯爵と会う日は決まっていますか?」
「明日だがどうした」
「私もご一緒させてほしいのです」
「いいよ。リナリアも一緒に行こう」
断られずホッとすると遠くからイデリーナの騒ぐ声が届く。大人しくしていられたのは短かった。届く声の内容からして聖女に対して無礼だの、ラシュエルを連れて来てほしいというもの。
「はは! 無礼か。能力に目覚めたばかりか、能力を失い掛けているのに無礼か。賑やかでいいね」
噴き出し笑いを隠す気のないユナンは至極楽しそうで、教皇が窘めても同じ。
「ユナン。行ってこい」
「俺がですか……」
「皇太子殿下が行っても、ヘヴンズゲート侯爵令嬢が行っても声量が大きくなるだけなら、お前が行って帰っていただけ」
「はいはい」
面倒くさそうにしながらもイデリーナが案内された応接室へと向かった。
「私が行った方がいいのでは」
「リナリアが行ったら、イデリーナは何を言うか分からない。それなら私が」
「二人どちらが行っても一緒じゃよ」
どうしても気になるなら隣の部屋で話を聞くか? と提案され、二人は同意し、応接室の隣室へ案内された。部屋に近付くにつれイデリーナの声は大きくなっており、応接室に到着したユナンが既に相手をしているが声量は小さくならない。
「お父様に言い付けてやるんだから!」
「大教会に帝国法は通用しない。独自の法があるんだ。君の父である侯爵だろうが皇帝だろうが一切手出しは出来ないよ」
「な、え、そんなの知らない……」
家庭教師から散々聞かされたイデリーナは優秀という言葉は何だったのか。父や後妻も、何なら使用人達もリナリアよりイデリーナが優秀だと言い続けた。家庭教師までもそう言うなら、そうなのだろうと思っていた。
何とも言えない表情のリナリアを心配そうに見つめるラシュエル。リナリアに会いにヘヴンズゲート家を訪れると必ず我先にとイデリーナが迎えた。ラシュエルが会いたいのは常にリナリアで、例外はなかった。イデリーナが来ても礼儀的な対応をするのみで使用人にリナリアを呼びに行かせた。
茶の席にまで同席する厚かましさはなかったものの、リナリアへ向ける目は嫉妬に濡れていて。警戒しないとならなかったのにイデリーナ達の言葉を一時期でも信じそうになった自分が嫌になる。
「ま、迎えは来させるよ。こっちが送って下手に手を出されただの何だのと騒がれるのは御免だから」
「わたしがそんな嘘をつくと!?」
「嘘つきだろう? 昨日どんな目に遭ったか忘れた?」
「っ」
隣室に入らなくても内容が聞こえるから部屋に入らず入り口前に三人は佇む。イデリーナは言い返せないのか、急に静かになった。
「……よ、何よ……わたしとお母様がこれまでどれだけ大変で惨めな思いをしてきたか、知りもしないでっ。愛人の子ってだけで虐められて、ずっと貴族として育ったお姉様を妬んで何が悪いのっ」
震える涙声にリナリアは考えるよりも先に応接室に入った。
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