6話
近くの席に座るソルトとルーナのせいで機嫌が悪くなっていくラシュエルにハラハラしつつも、運ばれたコルネットを見て目を輝かせたリナリアはその美味しさに夢中になった。蕩けそうな甘い瞳でずっと見つめるラシュエルに恥ずかしさを覚えつつも、人間美味しい食べ物の欲には抗えない。ラシュエルの分が運ばれると漸くリナリア観察を止めて食事を始めた。
給仕の運んだタイミングに感謝しながら、時折ソルト達を気にしつつ、無事に昼食は終わった。
食べ終えるとすぐに店を出ようと言うラシュエルに異論はない。自分の分は払うとお金を出そうとしたらラシュエルに困った顔をされてしまい、あまりに困ったと訴えられリナリアは財布をそっと仕舞った。
まだソルト達はお喋りに夢中で出る気配はない。
一度もバレずにリストランテを出た。
「ありがとうございます、ラシュエル」
「これくらいいいよ。大教会に戻る?」
「そう、ですね。お昼は頂きましたし、寄りたい場所もないので」
「じゃあ、戻ろう」
差し出された手を握り、隣同士歩いて大教会に戻った。
戻る最中も他愛ない話をしながら歩いた。話題にヘヴンズゲート侯爵家は一切上がらない。リナリアが咲かせた“祈りの花”は今教皇が保管しているとラシュエルに話された。
「陛下は回収したがっていたがヘヴンズゲート侯爵家の話が嘘だと知っていながら“祈りの花”だけ回収する傲慢者って、あの神官が教皇の言伝をそのまま言ってくれたおかげで今朝から周囲に当たり散らして最悪だよ」
大教会に帝国の法律は一切通用しない。独自の司法が存在する為、皇帝であっても大教会の決定を簡単には退けられない。
「黄金の花を咲かせるとあらゆる傷病を癒すと文献にありました。万が一の為にも、陛下は回収しておきたかったのでは」
「違うよ」
ここだけの話、とラシュエルは声量を小さくして皇帝が病に罹っていると話す。すぐに症状が悪くものじゃないが、時間を掛けてじわじわと体を蝕む病で治療の手立てがないらしく、あらゆる傷病を癒す黄金の花を回収したがったのは自分に使いたいからだと予想している。
ふと、聖女に目覚めたイデリーナが頭に浮かんだ。ラシュエルの病すら完治させたイデリーナなら、皇帝の病も完治させられるのでは? と。
「陛下も同じ事を思った筈だよ。だが私の病を治すと体力を大幅に消耗したからとイデリーナは聖女の能力を今は使っていない」
「教皇様はイデリーナが聖女の能力に目覚めたのは知っているのですか?」
「知っている筈だよ」
大教会が見えて来た辺りで二人は足を止めた。
「正面から入るとなると変装魔法を解かないといけませんから、裏口に回りましょう」
「そうだね。……ん?」
リナリアの提案を肯定したラシュエルが不意に声を漏らした。どうしたのか、と問うと大教会の表が妙に騒がしい。変装魔法のまま、近付いて見てみるとリナリアは顔を両手で覆った。
「だから! ラシュエル様が此処にいるのは分かってるのよ! だって姉様がいるもの!」
「ですから、殿下もリナリア様もいません。何度も言ってるじゃないですか」
「何よその口の利き方! わたしを誰だと思ってるの!?」
ラシュエルに会いたいイデリーナが来ているとは……。リナリアが戻り、自分達がラシュエルに語っていた物語が全て嘘だと知られラシュエルに軽蔑され城に行っても追い返される始末。リナリアは大教会にいる確率が高いとこうして突撃したようだ。
「二人とも、こっちにおいで」
横からひょっこりと顔を出したユナンに二人驚く。変装魔法で姿を変えているのにユナンはリナリアとラシュエルだと見抜いた。
イデリーナを気にしつつ、ユナンの後を付いて行った。
大教会の裏口から建物内に入り、普段神官が食事を摂る食堂に案内された。今は時間ではないので誰もいず、席を勧められ座った。
「イデリーナは何時来たの?」
「ほんの少し前だよ。皇太子殿下に会わせろといきなり啖呵を切ってね。いないと神官が説明してもリアが此処にいるなら皇太子殿下もいるだろうと引き下がってくれなくてね。今ヘヴンズゲート侯爵を教皇権限で呼び出してる最中だから、もう少ししたら静かになるよ」
「ごめんなさい……」
リナリアが謝ることじゃないと苦笑されても異母妹とは言え身内。身内がやらかしているなら謝罪するのが筋だ。
「この後、教皇に会わせてほしい」とラシュエル。
「なら、正面出入口に行こう。外へ出なければ、イデリーナ嬢には見つからない」
「分かった」
親し気に話しかけるユナンを見る目はきついがその他は変わりなく、違う意味でハラハラするリナリアは教皇に会う理由を訊いてみた。
「“祈りの花”の件ですか?」
「いや。教皇に聖女について聞きたい事があるんだ」
「俺で良ければお教えしましょうか?」
「イデリーナは私の病を治療するのに体力を大幅に削ったと言って二度目に聖女の能力を使っていない。回復にはどの程度の期間が必要か教えてほしい」
「聖女の能力を必要とする理由をお聞きしても?」
少し考えた後ラシュエルは皇帝がラシュエルとは別の病に長年罹っており、治す方法がリナリアが咲かせた黄金の花かイデリーナの聖女の能力しかないと話した。黄金の花は大教会が預かっているので持ち出せず。最後の希望であるイデリーナは能力を使いたがらない。
話を聞いたユナンは一笑して理由を語った。
「皇太子殿下の時は、イデリーナ嬢が聖女の能力に目覚めてすぐに治療したと聞いております」
「その通りだ」
「その時は皇太子殿下を救いたい一心と清い心を持って能力を使ったから、魔女の呪いとも呼ばれる殿下の病を治したのです。ですがその後は殿下の婚約者になれると舞い上がり、リアが聖域に行って不在なのを良い事に殿下や皇帝、周囲にあることないこと吹聴し続けたせいで心は薄汚れ能力は弱まった。そうなれば能力を使いたいタイミングで使えなくなるのも当然なんですよ」
「……つまり、イデリーナは疲れているからしないのではなくて、もう使えなくなっていると?」
「俺も見て吃驚しましたよ。あんな嘘偽り塗れで自分の欲望に忠実で欲深い女性が聖女になるなんて。というか、よく聖女の能力が目覚めたなと」
「……」
聖女の目覚めに身分は関係ない。
何時何処で誕生するは大教会側も把握不可能。
「私欲にまみれた聖女が他にいなかった訳ではありませんがイデリーナ嬢は一級の性悪だ。殿下やクローバー家が動かなくても勝手に自滅しそうな程に」
だが聖女の存在は国にとって大きく、隣国への影響も計り知れない。折角現れた聖女をみすみす手放す真似をするだろうか。ユナンはそれで良いのかとリナリアは問うた。
「良いって?」
「大教会もイデリーナが聖女の能力を失うのは嫌でしょう?」
「それを考えるのは教皇さ」
言葉通りユナン自身は大層に考えてないらしく、決定権のある教皇の判断に任せるとした。
「そろそろ移動しよう。教皇も着いている頃だよ」
ユナンの言葉に従い、三人は移動をした。
正面出入口まで行くと騒ぎ声が聞こえてくる。高い声を上げているのはイデリーナ。渋い声でイデリーナをからかっているのが教皇。
リナリア達の姿が見えないギリギリまで近付いて様子を窺った。
「誰よ、こんな年寄りを呼んだのは!!」
「イデリーナ……」
教皇を年寄り呼ばわりしたイデリーナに今度は両手で顔を覆うだけじゃなくその場に座り込んでしまった。教皇の顔を知らない筈がないのにあんまりな言葉にショックを受けた。
イデリーナの勉強評価は毎日飽きる程聞かされ、自分の家庭教師にも絶賛されていたからとても優秀だと思っていた。
何とも言えない顔でリナリアの肩に手を置いて慰めるラシュエル。ユナンは手で口を押さえ噴き出すのを堪えていた。
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