4話
——ぜ、全然離れられない……
前の一組が店内に案内され、やっと次の番まで回ってきた。変装魔法でお互い容姿を変えているから、仮に貴族や知人に見られてもリナリアやラシュエルとは気付かれない。
お昼をリストランテに決めた時からラシュエルの手が腰に回って距離を取ろうにも取れない。さり気無く離れようとしてもラシュエルの手は頑なにリナリアを離そうとしない。
時折、好奇な視線を注がれ居た堪れなくなる。ラシュエルから好意を寄せられているのは分かった。それはいい。原作のラシュエルと今此処にいるラシュエルは取り敢えず違うのだと自分を納得させた。
が、如何せん距離が近すぎる。もう少し離れても良いのにラシュエルから解放される気配が全然ない。
——病のせいで性格が変わったとか……?
前世の記憶が蘇ってもリナリアとしての記憶は全て残っており、その後の記憶を探ってもラシュエルとは一定の距離感を保って常に接していた。手を繋ぐくらいはあっても、こうして体を寄せ合うのは無かった。
それを考えるとあんなキスをされるとも予想にしない。
「リナリア」
「へ?」
「どうしたの? 顔が赤いけど」
「気のせいですわ」
「そう?」
納得してほしいと念じて強く頷くと願いは届きラシュエルはそれ以上聞いてこなかった。
顔が赤いのは本当。キスを思い出して恥ずかしくなった。
今のリナリアが目指すのはバッドでもメリバでもない、ハッピーエンドでなくても平穏に暮らせるエンドだ。その為にラシュエルとの結婚が不可欠なら回避するのは諦めるしかない。
が、このままラシュエルといたら必ず壁が立ちはだかる。現在の壁は異母妹イデリーナを筆頭にしたヘヴンズゲート侯爵家。実の父親であろうとリナリアを道具としか思っていない父に情けは無用。
順番待ちをしている最中の会話は何を食べようか、だったり、客層がカップルや家族連れが多い、などとありきたりな会話ばかり。
「あ」
不意にラシュエルが声を漏らし、ある方向に視線がいっておりリナリアも気になって見てみた。お忍びらしく服は平民服を着ているが容姿はそのままの知り合いが派手な見目の女性を伴って歩いていた。
「ソルト」
ソルト=リリーシュ公爵令息はラシュエルの友人で、側近として有名だ。女性好きなのか、パーティに参加する際はいつも違う令嬢をエスコートしている。
リナリア自身あまり接点はないが夜会や茶会で会うと必ず声を掛けられた。親友の婚約者候補筆頭だから気になる程度なのだろう、と何気なくラシュエルに話した。ら。
「……それ本当?」
一段低くなった声で問われ間違えたと悟った。
「何を話すの?」
「挨拶をして世間話を少々するくらいでした。込み入った話は一度もしていません」
「ソルトは美しい令嬢が好きなんだ。よく、リナリアとイデリーナ嬢どちらが綺麗かと聞かれた」
「リリーシュ公爵令息はイデリーナを選んでいそうですね」
「リナリアはソルトが気になる?」
当たり障りがないよう気を付けているのにも関わらず、悉くラシュエルの地雷を踏みまくってしまう。
「ち、違いますよ。ただ、リリーシュ公爵令息がよく側に置いている令嬢は皆派手な見目の方ばかりですから、私よりイデリーナを選びそうだと」
「そうだね。ソルトに君は勿体ない」
……腰を抱く手に力が込められた気がしても気のせい、気のせいと気付かない振り。ソルトと女性の姿は既になく、給仕に声を掛けられ店内に案内された。偶々出る客が続き、案内される組が連続した。窓際の席に案内されたリナリアはラシュエルに引かれた椅子に座った瞬間声を上げ掛け、口を手で覆った。
「どうしたの?」と首を傾げるラシュエルにそっと指を向けた。その方向を見たラシュエルは少々残念そうに眉を八の字にした。
「よりにもよって……」
「変装魔法で姿を変えているからバレないとは思いますが……」
「なるべく、貴族の話題は出さないようにしよう」
「はい」
ソルト達もリストランテに入っていた。姿がなかったのは最後尾に並んだからだろう。運悪く会計を済ませる客が続き、案内する組が続いたせいだ。両者の席は近い。変装魔法のお陰で正体がバレずに済んでいる。
「ソルト様のお気に入りに連れてきてもらってルーナ嬉しい」
「ルーナが喜んでくれて良かった」
「皇太子殿下とも来たことがあるのですか?」
「あいつは今それどころじゃないよ。今頃、イデリーナ嬢といるんじゃないか」
……目の前にいるラシュエルの機嫌が悪くなっていく。お願いだからそれ以上話題に出さないでほしいと願うリナリアだが、そんな願いは届かない。
「聖女の能力に目覚めたイデリーナ様が殿下の病を癒して婚約だなんて御伽噺みたいですわ。ふふ、リナリア様可哀想」
全然可哀想に思っていない楽し気な口調だ。
「早くヘヴンズゲート侯爵が返事をくれないかと催促中なんだ」
「何の話です?」
リナリアも同感だった。嫌な予感がする。ラシュエルのいるこの場で聞くのは大変拙い、と脳が警鐘を鳴らす。
「ラシュエルとイデリーナ嬢が婚約すると聞いた時、すぐにリナリア嬢と婚約させてほしいとヘヴンズゲート侯爵に送ったんだ」
声が出ないよう咄嗟に口を手で押さえて良かった。但し、目の前に座るラシュエルから発せられる不機嫌オーラがどす黒く、次逆鱗に触れる発言をしたらソルト達の方へ行きかねない。
これ以上はお願いだから何も言わないでほしいと心の中で念じても、何も知らないソルトは続けた。
「ソルト様はリナリア様が好きだったのですか?」
「物静かで従順そうだろう? こうやって君や他の女性と遊べなくなるのは嫌なんでね、そう考えたら婚約者候補から落とされたリナリア嬢を公爵夫人として迎えるなら喜んで差し出してくれると思ってね」
自己主張はほぼなく、大人しいのはリナリアが出しゃばったり、イデリーナより優秀さを見せつけると父や後妻、イデリーナがうるさいから。結婚しても女遊びを続けたいからリナリアを婚約者として迎えたいと包み隠さず話すソルトに呆れながら、皇太子の婚約者候補筆頭から落ちたらリナリア自身の価値も同じように落ちる。
聖域に籠ってユナンとお喋りをして過ごすつもりで、貴族の世界に戻る気は更々無かった為考えもしなかった。
ソルト達にはヘヴンズゲート家が嘘偽りをラシュエルに囁き続け、結果イデリーナが聖女の能力を低下させ最後に失うまでは知らない。
後日行われる話し合いが終わり次第、他の貴族家の耳にも入る様になるだろう。
近くを通りかかった給仕を呼んでラシュエルの意識をソルト達から逸らしたいリナリアはメニュー表を広げた。
「せ、折角来たのですからお昼を頂きましょう」
「……ああ。リリは何を食べたい?」
リリ? と疑問にする前に本名を呼んだらソルト達に気付かれる恐れがある。咄嗟に偽名で呼んだラシュエルに倣いリナリアもラシュエルを偽名で呼ぶことにした。
「チョコレートクリームのコルネットにします。ラ……エルは何にしますか」
ラシュエルと呼びそうになり、咄嗟にエルと言い換えただけなのに急に恥ずかしくなった。チラッとラシュエルを盗み見たら、ポカンとなっていたが——大層嬉し気に笑みを見せた。
「リリと同じのがいいな」
——……その笑顔は反則ですよ、殿下。
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