3話
亡き母の生家と言えば、帝国で暮らす貴族の中で最も領民の幸福度が高いとされ、大教会に多額の寄付をし、尚且つ侯爵家で孤児院や修道院を経営する慈善活動に特化した家だ。領地で生産されるワインは品質が良く、国内外からの買い手が後を絶たない。また、豊富な宝石が取れる鉱山を複数所有しているのが大きい。特に魔石が取れる鉱山を持つのは帝国でも母方の生家のみ。父方祖父が母との婚約を整えたのは、才色兼備と名高い他に家の力に目を付けたのも大きい。
どうにかすると言って一旦帰ったラシュエルにホッとした。帰る間際、またキスをされるとは思いもしなかった。原作の彼と現実の彼の違いがあまりに大きくて、ここは本当に前世読んだ小説の世界かと疑ってしまう。
涙ながらに訴えるリナリアを退け、見捨てたラシュエル。異母妹イデリーナと盛大な結婚式を挙げ、幸せになったと本編は終わる。やはり重要なのは番外編か、と額に手を当てた。
「読んでおけば良かった……」
読む前に交通事故で亡くなったのだ、今更嘆いても仕方ない。
こんな事なら、友人からのネタバレを解禁するべきだった。
ただ、友人曰くある意味ハッピーエンドだと語っていた。誰もが拍手を送る幸福な終わりではないが、当人達にとったら幸福な終わりなのだとか。
「メリバって事よね。リナリアがメリバか……」
リナリアになった今、バッドエンドも嫌だがメリバも嫌だ。誰もが羨むハッピーエンドとまでは言わないから、普通に幸せになって終わりたい。
●○●○●○
お昼前になるとユナンがやって来た。手にはハムとチーズがサンドされたパンが四つ載ったトレーを持ち、もう片方の手には湯気が立つマグカップが二個載るトレーを。
パンが載っているトレーを受け取り、テーブルに置いて向かい合う形で座った。
「お昼ご飯。一緒に食べようリア」
「ええ」
マグカップにはスープが入れられており、野菜の旨味がたっぷりと出た味に安堵する。具は細かく刻んだキャベツとニンジン、更にベーコンが入っている。
「今頃、リア以外のヘヴンズゲート家の面々は震えている最中じゃないかな」
「え」
「昨日、俺や皇太子が皇帝にリアやヘヴンズゲート家の嘘、更に聖女の話をしてから風向きが変わったろう? 嘘偽りに濡れたヘヴンズゲート家は今君を必死になって探してるよ」
病に蝕まれ、苦しむラシュエルに長年側にいたリナリアは他の男の許へと走ったと嘘を囁き続け、聖女に覚醒したイデリーナがラシュエルの病を癒すとイデリーナを婚約者にするよう皇帝に求めた。何の能力もないリナリアより、聖女に目覚めたイデリーナの方が皇太子妃になる価値は高いと初めは判断した皇帝も、嘘偽りに塗れた聖女は力を低下させ軈て能力を失うと聞けば考えを変えるのは道理。
また、リナリアの咲かせた祈りの花が黄金で、あらゆる傷病を癒す万能薬だと話すと目の色を変えた。渡せと要求されるのは目に見えていたから、嘘だと知りながらヘヴンズゲート侯爵の言う通りイデリーナを婚約者にした皇帝を大教会側は信用しないと突き放した。
皇帝と言えど、そう簡単に大教会に意見は出来ない。
「ありがとうユナン」
「どういたしまして。俺としても、黄金の花を皇帝に渡すのは嫌なんでね。万が一ってある」
「うん」
「後、クローバー侯爵家への信用の為にもね」
クローバー侯爵家とはリナリアの母の生家。既にクローバー侯爵家にも今回の事態は知らされており、現在クローバー侯爵がリナリアの親権を寄越せとヘヴンズゲート家に要求しているとか。
「そんな事になっていたの?」
「ああ。皇太子が動いた」
ラシュエルの何とかすると言っていたのは事実だった。
「大教会としても皇太子には協力する。クローバー侯爵家は大事な資金提供者だからさ」
「でも……良いのかしら? お母様方の生家とは、殆ど交流のない私を助けてもメリットがない気がするの」
「利益無利益の話じゃないさ。クローバー家は何度も君を渡してくれとヘヴンズゲート侯爵に頼んでいたみたいだよ。皇太子妃候補筆頭になってからは止めたみたいだけど」
ヘヴンズゲート家から皇太子妃を輩出するのが夢の父を知っているなら、母方生家が黙ってしまうのも頷ける。こうなれば何を言っても無駄だと悟ったのだ。
「リアは会いたくないの?」
「勿論、会えるなら会いたい。お父様達と暮らすより、お母様の実家で暮らす方がきっとまだマシ」
「だろうね」
実家にはリナリアを嫌う人しかいない。
ホットミルクを飲み、お昼ご飯のサンドパンを早速食べようと手を伸ばしたところに別の神官がやって来た。
「皇太子殿下がヘヴンズゲート侯爵令嬢に会いに来られています」
「え」
朝来たばかりなのに? と顔に出ていたのか、来てほしそうな表情をする神官に断れずリナリアは席を立った。サンドパンは戻ってから食べるとユナンに告げると——
「多分、戻れないんじゃないかな」
「どうして?」
「君が思っている以上に、皇太子はリアが好きみたいだよ」
そう、なのだろう。あんなキスをしてくるくらいだ。好きではない相手にしたのなら、逆に軽蔑する。
「君をリアと呼んだら、毎回怖い目で見てたくらいだ。此処に君をいさせたくないんだ」
「ユナンの気のせいじゃ……」
「まあ、行ってみたら分かるよ」
行っておいでと手を振られれば行くしかない。サンドパンが食べたかったと少しだけ引き摺りながらも、リナリアはラシュエルが待つ部屋に向かった。
中に入るとすぐにラシュエルが来て抱き締められた。突然過ぎて「殿下っ」と背を叩くがラシュエルは離れようとしない。
「会いたかった、リナリア」
「あ、あの、人がいますから離れてほしいです」
「誰もいない」
言われてみると案内してくれた神官はいつの間にか消えていた。心の中で恨めしい言葉を出しつつ、少しだけ体を離してくれたラシュエルを見上げた。
「昼食に誘いんだ来たんだ」
「態々、殿下が来られなくても使いの方を寄越してくれれば」
「私が早くリナリアに会いたかったんだ。ひょっとして、もう食べた?」
「いえ、まだです」
ユナンと食べる直前だったとは伏せておいた。口にしたら、ただ昼食を食べるだけでは済まなくなりそうで。
ラシュエルは嬉し気に「そうか」とまたリナリアを引き寄せた。
「折角だ、街で食べよう」
「殿下の護衛の方が——」
「リナリア、もう忘れた? ラシュエルと呼んでって言っただろう」
「ラシュエルの護衛の方が……」
「遠くからちゃんと見ているんだ、何処で食べたって同じさ」
同じじゃない気がするも何も言わなかった。ラシュエルと呼ぶだけで上機嫌になるくらいだ、やっぱり彼はリナリアが好きなのだと知る。が、そう考えると頭を過るのは原作だ。
自分というイレギュラーがリナリアに転生してしまった為に違いが生じているとしたら、説明がつく。
母を亡くし、長らく囲っていた愛人と娘を本邸に住まわせた父に絶望した本物のリナリアは死んでしまったと、話したところで誰も信じない。
ラシュエルを救う黄金の花を咲かせた時、誰かがありがとうと言った。きっとあれは本物のリナリアの声だったのだ。
リナリアの為を思うなら、ラシュエルと一緒になるしかない。
「食べたい物はある?」
何でもと言うと大抵の人は表面には出さなくても困る。リナリアは少し考えた後、大教会付近にあるリストランテに行こうと提案した。お昼時で席があるかは微妙だが、品数が多くどれも美味しいと評判のお店だ。
「聖域にいた頃、平民にとても人気だってユナンが……」
あ、と思った時既に遅かった。
「……あの神官と随分親しくなったね」
「え、ええ。聖域にはユナン以外、誰もいなかったので」
「大教会に属する神官でも、聖域に入れるのはあの神官と教皇だけみたいだよ。入る事自体稀なら、急な訪問者でも歓迎はするか……リナリア、聖域にいた時の話を私にして。いい?」
「は、はい」
濁りを見せだした黄金の瞳は一言了承しただけで消え、元の綺麗な黄金の瞳に戻った。
部屋を出る前ユナンに言われた言葉が蘇った。
『君が思っている以上に、皇太子はリアが好きみたいだよ』
半分冗談、揶揄っていると信じなかった自分を殴りたい。
ラシュエルに腰を抱かれ、二人は大教会の外に出た。
目当てのリストランテは予想より並んでいる人は少なく、これならすぐに入れるとなって最後尾に立った。
読んで頂きありがとうございます。