19話
大教会に到着したリナリアとラシュエルは、正門付近で二人を待っていたユナンに手を振られ、こっちだと裏側から建物内に入った。
「イデリーナは何と言っているの?」
「詳しい話を聞き出したら、リリーシュ家の坊ちゃんにお飾りの妻になれと迫られ、皇太子殿下の婚約者になれないのも聖女の能力が使えなくなったのも俺とリアのせいだと怒鳴り込んで来たんだ」
全て自分達が齎した末の結果だというのに、まだ破滅の道へ突き進むのかと呆れを通り越した先の感情の名前が何かと現実逃避をしてしまう。
「神官達に怪我は?」とラシュエルに訊ねられ、誰一人怪我はしていないとユナンは返した。
「皆、多少の荒事には慣れていますから。お二人ともイデリーナ嬢と会いますか?」
「ええ。お父様にはこの事を報せてあるの?」
「報せはしたが身柄は此方で預かると教皇直筆の手紙で届けさせた。侯爵が抗議しようがイデリーナ嬢をヘヴンズゲート家に渡す気は更々ない」
当初の予定通りイデリーナを修道院送りにする。性根の悪さを叩き直すのに何年かかるか、とユナンがぼやいても教皇の方は何年かかっても駄目なら聖女の能力はその間に消滅するとしている。
リナリアには一つ不安があった。
魔女の呪いに罹ったラシュエルを聖女の能力に目覚めたイデリーナが癒し、二人は婚約したと大々的に発表されてしまっている。近隣諸国にも伝わっている。ラシュエルとイデリーナの婚約が白紙になったと表に出せば、聖女を欲する他国が手を伸ばすのではないかと。
これについてはラシュエルが答えを持っていた。
「リナリア。私の母が友好国の王女なのは知っているな」
「クローバー家とも親交の深い国ですよね」
「ああ。母はクローバー侯爵家や陛下に恩を売る絶好の機会だからと裏から手を回していた」
清廉で誠実、正しい心を持たないといけないのに、嘘偽りに塗れたから聖女の能力を失いかけているのが原因で婚約白紙となった。のではなく、皇太子の病を癒した経緯を理由により多くの人々を救う為と神への理解を深める為に自ら修道院行を決意したイデリーナから白紙を求めたという事にし、王国には事実を記しながら婚約の白紙についてはそのほうに広めてほしいとした。
婚約者筆頭候補であったリナリアは歴史上数件の記録しかないあらゆる傷病を癒す黄金の“祈りの花”を咲かせ、既に完治したと言えど皇太子を救うべく祈りを捧げたことから皇太子妃になるのはリナリアだという印象付けも忘れていない。長期間同じ願いを同じ気持ちで祈らなければ“祈りの花”が開花しないのは近隣諸国で知っている者も多い。特に神に仕える教会関係者なら尚更。
「聖女の件を黙ってもらう代わりに、帝国は以前から王国が主張していた山を一つ渡すことに決まった」
「山を?」
「豊富な魔石や豊かな土地を王国側は欲していたらしくてね。陛下が黄金の“祈りの花”を個人的理由で回収しようとした理由の病を治療する特効薬が王国で開発されていたんだ」
特効薬を皇后の手腕で通常より安く仕入れる代わりに山を渡すことが条件ともされた。
皇帝は自身の病を癒す特効薬まで出されるとは想像しておらず、イデリーナの件があっても反対していたが山の譲渡に合意した。
「私とリナリアが正式な婚約者になろうと反対する者はいない。それに、もうじき君はクローバー侯爵令嬢になるのだから尚更」
「皇后様が動いていたなんて知りませんでした」
「帝国に嫁いでくる前から、母自身もクローバー家とは交流があったからね。アンジェラ様と親しかったと言っていたから、二人を蔑ろにし続けたヘヴンズゲート侯爵を絶対に許せなかったんだ。勿論私も」
「次に皇后様に会う機会があれば、お礼を言わせてください」
「両国に利益があると見て動いただけだよ。リナリアがそう言うなら母に言ってみるよ」
「ありがとうございます」
話している内にイデリーナを拘束している尋問部屋の前に到着した。入る前に伝言鳩で知った内容で一つ気になっている点がリナリアにはあった。
「ねえ、ユナン。イデリーナはユナンを見るなり攻撃魔法を仕掛けたとあったけど、私はともかくどうしてユナンまで?」
「俺がリアを帝都に連れ帰ったからさ」
黄金の“祈りの花”を咲かせたところでイデリーナによってラシュエルの病は完治し、二人は婚約したからと帝都に戻る気はなく聖域にいるつもりだったリナリアを説得したのがユナン。ユナンが余計な事をしなければリナリアは帝都に戻らず、ラシュエルの婚約者となっていたのは自分だったとイデリーナは語っていたとか。
思えばヘヴンズゲート家のボロが出始めたのはリナリアが帝都に戻ってから。向こうにしてみれば、リナリアは不幸を引き起こした疫病神的扱い。
「リア一人だけだったら騙し通せたかもしれないが、一緒に聖域にいた俺が付いていたから皇太子殿下や周りを騙せられなかった。はあ、リリーシュ家の坊ちゃんももう少し言動に気を付けてほしい」
被害を被るのはこっちなのに、と溜め息と同時に吐き出したユナンに同意したくなる。リリーシュ公爵は教皇からの連絡をそのままソルトに伝えてある。同じヘヴンズゲート家の娘がいいならイデリーナでも構わないと公爵は判断した。
ソルトが欲しているのは、結婚後も女性関係を続けても口を出さない従順で大人しい女性。イデリーナだと反対だ。
「考えようによってはリリーシュ公爵夫人の座はイデリーナにとっても悪い話ではないのでは?」とラシュエル。
「その辺りは直接イデリーナ嬢に聞いた方が早いかと」
入ろう、と促され尋問部屋の扉が開けられた。
室内には椅子に座った状態で拘束具を体に巻き付けられたイデリーナと聴取をしている神官と書き取りをしている神官の三名がいた。ラシュエルを見るなり助けを求めたイデリーナを金色の瞳は冷たく見下ろす。
「状況は此方の神官から聞いた。神に仕える神官を私的理由で襲うとは……イデリーナ、聖女の能力が消滅しかけているという自覚がまだないのか」
「ラシュエル様! 考えてみてください! 私がこんな目に遭っているのはお姉様とそこの神官のせいなのです!」
「と、言うのは?」
「聖域にいるつもりだったお姉様をそこの神官が帝都に連れ帰ったのが抑々の原因! 二人が帝都に来なければ、私は聖女の能力を失われずに済みました、ラシュエル様の婚約者にだってなれていたんですっ」
「……」
修道院へ行ったところでイデリーナの性格は果たして矯正されるのか。誰もが抱いた疑問。ラシュエルの前に立ったリナリアは、途端憎々し気に自分を見上げるイデリーナへ溜め息を吐いた。
「きっと、私が帝都に戻らなくても貴女は聖女の能力を失っていたわよ」
「何ですって!?」
「考えてもみて。皇太子殿下からの返事を私が送らないのは、私が殿下を捨てて他の殿方の許へ走ったからだとイデリーナもお父様も口々に言っていたでしょう? まず、その時点で嘘。仮に殿下の婚約者になっていたとしても、イデリーナ、貴女はその後も嘘偽りに塗れ続け、何れ聖女の能力は消えていたわ」
「……」
途中反論しようと口を開き掛けたイデリーナだが、淡々と述べるリナリアの指摘に結局何も言えなかった。
リナリアの言う通り、リナリアが聖域に籠ったまま帝都に戻らず、ラシュエルの婚約者になれたとしても嘘偽りによって得た地位は軈て聖女の能力消滅という代償によって失われていた。時間の問題に過ぎなかった。
「イデリーナ。ユナンに謝罪して」
「……」
「イデリーナ」
「いいよ、リア」とユナン。最初からイデリーナからの謝罪に期待しておらず、唇を噛み締めているのを見る辺り反省の色はない。
「イデリーナ嬢。君のこれからについて言っておこう。以前にも言ったように、大教会に帝国法は通用しない。君やヘヴンズゲート侯爵が幾ら喚こうが今後君は侯爵家へは戻れない」
「なっ」
「教皇は君の性根の悪さを叩き直す好い機会だと言っていてね。戒律に厳しい修道院に君を送る」
「嫌よ!! 私は修道院へは行かない! そんなところに行くくらいなら、リリーシュ公爵夫人になる方がよっぽどマシよ!!」
「俺が言ったのをもう忘れた? いくら喚こうと意味がないって」
帝国法は大教会に通用しない――。
漸く言葉の意味を解したイデリーナの表情は絶望に染まり、勢いをなくした口からは何も言葉が出なかった。
尋問部屋を後にした三人は食堂へ行こうと言うユナンの言葉に従い後を付いて行く。適当な席に座るとユナンが大きな息を零した。
「修道院へ行って聖女の能力が回復するなら見直せるかもね」
「逆に申し訳なくなってくるわ」
今後イデリーナの世話をする修道院の院長達に。
「問題ないさ。向こうは問題児の扱いに慣れてる。イデリーナ嬢くらいの活きの良さなら、却ってやる気を見せてくれるかもな」
後は修道院にお任せだ。
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