14話
昨日ラシュエルと別れた際に感じた胸騒ぎは杞憂ではなかった。
次の日の朝、朝食を食べようとリナリアを訪ねたラシュエルと共に街のリストランテに行った。モーニングセットを注文し、二人飲み物は紅茶にした際、昨日リリーシュ公爵邸での話を聞いたリナリアは吃驚すると同時にイデリーナやソルトへの落胆が発生した。
「イデリーナがすぐに反省するとは思っていませんでしたがリリーシュ公爵令息と手を組むなんて……イデリーナが企んで公爵令息が話に乗ったとか……?」
「どうだろう。案外、ソルトの方からイデリーナを唆したんじゃないか」
何時まで経っても婚約の打診についての返事を寄越さないヘヴンズゲート家に痺れを切らしたソルトが直接屋敷へ行き、侯爵夫妻ではなくイデリーナが対応して双方の利害が一致したから手を組んだ可能性が高い。
「昨日大教会に戻った時、教皇様がリリーシュ公爵に公爵令息が大教会へ来ないよう話はつけてくださいました」
「なら、取り敢えずは安心しよう。外に出る時は必ず誰かと一緒にいてくれ。私がずっと側にいてやりたいがそうもいかない。癪だがあの神官が打ってつけか」
「ユナンですか」
聖域には滅多に人は入って来れないからこそ、入ってこれたリナリアを歓迎し世話を焼いてくれたユナン。互いにあるのは親愛だとラシュエルは解っているがそれはあくまでも表面上のみ。内心は嫌なようで。
リナリアの見ていた皇太子は何時だって冷静沈着で感情をあまり表に出さない人だった。これを言うならリナリアもそう。お互い一定の距離感を保っていた為、必要以上に感情を出すことはなかった。
つい笑みを零すとラシュエルに首を傾げられた。
「どうしたの」
「あ、いえ。ラシュエルの色んな表情が見られて嬉しいなって」
「それを言うなら私もさ」
照れているのか若干頬が赤い。リナリアもだと言われると頬に手を当てた。実際熱い。
このままだと恥ずかしさで会話が続かない。リナリアは話題を元に戻した。
「お酒を飲んだとこのことですがお体の調子は?」
「一口飲んだだけじゃどうということはない。酒と共に薬を仕込まれていたら、さすがにどうなっていたか」
「リリーシュ公爵令息は、女性との遊びを続けたいならいっそ生涯独身を貫けばいいのにってなりますけど、公爵家の当主に妻の存在は必要不可欠だから無理な話ですね」
「ああ。ソルトの女性好きは持って生まれたもの。女性好きを除けば優秀な男だから私も今まで何も言わなかった」
リナリアとイデリーナ、どちらが皇太子妃に相応しいかとしつこく訊ねてくる時点で警戒心を少しでも強く持てば良かったという点についてラシュエルは反省している。イデリーナとソルトを諦めさせる手立てはないかと考えて間もなく、二人の注文したモーニングセットが運ばれた。
焼き立てのトーストとサラダ、野菜たっぷりのスープ、旬のフルーツ。それと紅茶。「ごゆっくり」と給仕が一礼をして去ると早速頂いた。焼き立てのトーストには一面を覆うチーズと多分猫の顔を描いたのであろうトマトソースが掛けられており、焼き上がったせいなのか描いた料理人に絵心がないのか残念な仕様と成り果てていた。
絵については触れず、トーストに噛り付いたリナリアは熱々のチーズとトマトソースに頬を緩ませた。
「美味しい!」
「良かった」
「焼いてとろけるチーズが一番好きなんです。熱っ」
「ああ、気を付けて」
続けて二口目をと口に付けた際、唇にチーズの下に埋もれていた野菜が触れて思わず発した。
半分程食べ進めると再び会話を始めた。
「教皇は後日ヘヴンズゲート家を呼び出すと言っていたが日取りは決まった?」
「ええ。四日後に。場所は聖域です」
「聖域か」
「イデリーナが現在でも聖女の能力を使えるなら、聖域に入れると教皇様は仰っていました。ただ」
「ただ?」
「使えても聖域に入れないなら、聖女の資格は消滅寸前だとも」
「ふむ」
個人の感情は隅に置き、国としては聖女の能力は貴重だ。
歴代の聖女で能力を失った人はいたのかとリナリアが訊いたところ、一人もいないと教皇やユナンは語った。多少性格の悪い女性が聖女になった例はあれど、心を改め生涯能力を保持し続けた。
不名誉なたった一人の名をイデリーナはつけられるかもしれない。
「私の方から、昨日の件をリリーシュ公爵とヘヴンズゲート侯爵に伝えた。後は彼等がどんな反応を寄越すかだ」
「リリーシュ公爵は兎も角、お父様はイデリーナを庇うでしょうね……」
「ああ。リリーシュ公爵の方には、イデリーナやヘヴンズゲート侯爵家の現状を伝えた。リナリアは婚約者候補のままだとも。婚約の打診については恐らく取り下げてくれるだろう」
本命のイデリーナの聖女の能力に関する有無については四日後答えが出る。ソルトの件についても四日後以降決めていこうとラシュエルと決め、残りのモーニングセットを美味しく頂いた。
○●○●○●
柔らかな寝台の上に腰掛け、部屋には一人だからと不満げな表情を曝け出すソルト。つい先程までリリーシュ公爵たる父の執務室に呼ばれお叱りを受けた。魔女の呪いと恐れられる病に罹ったラシュエルを聖女の能力に目覚めたイデリーナが癒したことで二人の婚約が決定し、リナリアが皇太子妃筆頭候補から外れたからとソルトは即父に頼み込んで婚約の打診をしてもらった。元々予定されていた大公家のご令嬢との婚約については円満に無かったこととなった。ご令嬢に慕われていた自覚はあるが、折角舞い降りたチャンスをソルトは逃がしたくなかった。
従順な妻が欲しいなら他の女性を探せとはラシュエルや父の言葉。高位貴族出身で婚約者がいない女性は殆どいない。イデリーナは初めから除外していた。見目はリナリアと並んでも遜色はないが如何せんうるさい。明らかにラシュエルを慕っており、夜会等でリナリアとラシュエルが踊っていると嫉妬に濡れた視線でリナリアを睨んでいた。突撃する度胸もない、嫉妬深いリナリアの異母妹という認識。
「イデリーナ嬢が予想をいく醜悪な女性だったら、最初から手を組もうと誘わなかったのに」
失敗したのは自分。故に父に叱られ、ラシュエルからの信頼も下がった。
イデリーナやヘヴンズゲート家とは今後距離を置くとしても、どうやってリナリアとラシュエルを別れさせられるかが課題になる。個人の素質はともかく聖女の能力を持つイデリーナがやはり皇太子妃になるべき。
「父上にもう一度話をしてみよう」
——一方、ヘヴンズゲート家では。昨日のやらかしを両親の耳に入れられたイデリーナは初めて父に叱られた。生まれてから一度も叱られたことのないイデリーナは恐怖で身体が固まり、俯いて涙を流した。可哀想だと母が止めても父の怒りは収まらず、四日後聖域に行くまで部屋での謹慎を命じられた。
私室に入ると泣き崩れ、心配した母に抱き締められた。
「お、お母様……!」
「イデリーナ……! 旦那様ってば酷いわ。イデリーナ以外皇太子妃に相応しい令嬢がいないのは、旦那様だって分かっておられるのに!」
「わ、私、リリーシュ公爵令息様の誘いについ乗ってしまっただけなんですっ。ラシュエル様がお酒に弱いから、酔ったラシュエル様と関係を持ってしまえば私が皇太子妃になれるとっ」
「聖女であるイデリーナが皇太子妃になるのよ。前妻の娘ではなく、貴女が……!」
イデリーナはこの間リナリアに聞かされた内容を母に訊ねた。父は祖父や前妻の嘘だと信じていない。
「イデリーナ! 騙されないで。旦那様のお父様はそう仰っていたようだけれど、そんなの前妻やお父様の嘘に決まっているじゃない! 信じたほうが馬鹿を見るわ!」
「……」
祖父やリナリアの母が父や母に言っていたのは事実ではないだろうかと、どちらを信じればいいかイデリーナは分からなくなっていった。
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