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本来であれば、皇太子妃となる令嬢が使用する部屋に閉じ込められて半月が経過した。
目を覚ましたリナリアが最初に見るのは自分を抱き締めて眠るラシュエルの寝顔。
——綺麗……
寝顔は若干幼く感じて見えるのは、警戒心なく眠っているせいか。
そっとラシュエルにすり寄ると眠っている筈なのにリナリアを抱き締める腕に力が込められる。
閉じ込められた最初の日に肌を重ねた。怖いくらい求めてくるラシュエルを怖いと思いながらも、彼を受け入れる自分がいて。今表はどうなっているのか全く分からない。
ラシュエルは何の情報も与えてくれない。ヘヴンズゲート侯爵家がどうなっているか、イデリーナとの婚約がどうなっているかも何も。
何時かラシュエルが話してくれるのを待つしかない。
ふと、リナリアはもう一つ気にしている事がある。聖域で世話をしてくれたユナンだ。彼のリナリア宛の書置きを見たと気付かれているだろうか。聖域に入った痕跡が残っているか覚えていないが、もしも来ていないと判断されていたらユナンは自分を探すだろう。
ユナンに居場所は言えなくても安全な場所にいると伝えたい。
ラシュエルが起きたら相談してみよう。
「あ……」
白い瞼がピクリと震え、ゆっくりと上げられていく。ぼんやりと自分を映す黄金の瞳はまだ眠たげで寝起き特有の掠れ声でリナリアと呼ばれた。
「ラシュエル……様」
「おはよう……リナリア……」
頭を引き寄せられ、額にキスを一つ落とされた。起きたラシュエルに釣られてリナリアも体を起こした。シーツを体に巻き付けているとラシュエルに抱き締められた。上半身の素肌を晒しているラシュエルに抱き締められると昨夜を思い出し、顔が赤く染まっていく。
「なんだか顔が温かいね」
「き、気のせいです」
「そう?」
上から降る揶揄う声色。気付いていて態と聞いている。抗議の意を込めてラシュエル様と呼ぶと笑いながらも体を離した。
「そう怒らないで。お詫びにリナリアが知りたがっている事を教えてあげる」
「!」
「まず、私とイデリーナとの婚約についてだ」
ラシュエルによるとヘヴンズゲート侯爵家の嘘と嘘偽りに塗れた聖女は何れ能力を失うという話を大教会最高責任者である教皇同席のもとで話し、娘でも愛娘を皇太子妃にしたい侯爵の陰謀だと糾弾して、且つ聖女の能力に目覚めながらも他人を蹴落とし皇太子妃になろうとしたイデリーナとの婚約の白紙を求めた。
更に皇帝が密かに回収した“祈りの花”についても言及した。これについては教皇が強制回収したらしく、リナリアの咲かせた黄金の“祈りの花”は大教会で厳重保管となった。
「お父様は婚約の白紙についてはなんと……?」
「反論なんてさせなかった。リナリアの亡くなられた母君の生家クローバー侯爵家の不興を買っているから」
「クローバー侯爵家……」
亡き母の生家で年に一度皇帝主催のパーティー等で接触するのが精々。手紙でのやり取りだってヘヴンズゲート家の誰かが握り潰してしまう為叶わず、訪問しようにも接触を恐れている父や後妻が邪魔をする為お互いパーティー等で会えても挨拶くらいしか無理だった。
「リナリアが皇太子妃になるのなら、ヘヴンズゲート侯爵もリナリアを虐げる真似はしない、私とも関係が良好なら口出しせず陰から見守るしかないとクローバー侯爵は諦めていたんだ」
そこにラシュエルの発病、リナリアが皇太子を捨て他の男の許へ逃げた等という嘘をでっち上げ、聖女の能力に目覚めたイデリーナが婚約者の座に収まったと聞いたクローバー侯爵はすぐに動いた。イデリーナが聖女の能力に目覚めたのは事実としてもリナリアが他の男の許へ逃げたのは嘘だと信じ、密かにヘヴンズゲート家に紛れ込ませていた密偵に事実確認をしてそれが嘘だと知った。
声高々にリナリアを貶める言葉を紡ぐヘヴンズゲート侯爵に怒り、嘘だと知りながらも聖女の能力に目覚めたイデリーナが皇太子妃になる方が他国への牽制にもなると踏んで婚約者に決定した皇帝にも怒った。更に皇帝の場合はリナリアが咲かせた黄金の“祈りの花”が本物だと知りながらも密かに私的理由で回収した事に尚更怒りを見せ、勘当されたリナリアを見つけ次第帝国から出て行き、更に帝国で展開している商売全てを他国に移すと決めた。
クローバー侯爵家は他国の王族と懇意にし、更に大商会とも非常に関係が良く、また慈善活動に積極的で領民からの支持も高い。クローバー侯爵家が帝国に与える利益は他家と比べると圧倒的で……そんな家に離れられると困るのは大教会も同じ。当主と親交が深い教皇が必死に説得することで何とか思い留まってもらった。また、ラシュエルが教皇に接触したのも大きい。
「ヘヴンズゲート家やイデリーナの嘘を知ったと教皇に伝え、私がリナリアを保護していると言ったらクローバー侯爵も聞く耳を持つようになった」
「そうだったのですか……」
「更にヘヴンズゲート侯爵は、クローバー侯爵がリナリアに送金していた多額の金を全て自分達で浪費していたのと白状した」
「え!?」
特別裕福でもなければ貧乏でもなく、皇太子妃になるリナリアへの金の使い方に躊躇はなかったものの、耳に胼胝ができるくらいに感謝しろと父や後妻から散々言われ続けた。言われてみると後妻やイデリーナは常に流行のドレスや宝石を身に着けていた。特にイデリーナは毎回リナリアに見せびらかしに来ていた。
あれはクローバー侯爵家がリナリアへと送っていたお金で購入していたのかと衝撃を受けた。
「立派な横領だ。すぐにヘヴンズゲート家に返金を求めた」
「お母様が亡くなってからなのでしょうか?」
「いや、夫人が生きていた頃からだと言っていたから……更に夫人が亡くなるとリナリアが不遇な思いをしないようにと額を増やしたとも言っていた。金額で言うと相当なものになるだろう」
更にリナリアに惜しみなく使用している旨の手紙を出していたらしく、横領に加え詐欺罪にもなるとラシュエルに話され頭がくらりとなった。
「教皇も呆れ果てていた。そこまで先妻やリナリアが嫌いなら、後妻を妻にしなかったのかと」
後妻の家が没落しても妻に迎える気でいたらしい父だが先代当主であった祖父に逆らえず、母との婚約が決まった。今まで自分達の仲を引き裂いた悪女だと嫌っていた父だが、そもそも二人の婚約は祖父が無理矢理漕ぎつけたのだとクローバー侯爵は怒気を露わにしていた。他に結婚を約束した相手がいたのに、母と婚約させたかった祖父が外堀を埋め仕方なく二人は別れた。
改めて事実を突きつけられた父だが信じようとせず、ひたすらに母のせいにしていたとラシュエルに話され更に頭が痛くなった。
「父は……お義母様と結婚はしたくても貴族ではいたかったのです。だから、心から愛する人であろうと父は母と結婚した」
それが多数の人を不幸にした。その中には自分自身も含まれていると父は気付いているだろうか。
「ヘヴンズゲート家は今後クローバー家への返金、及び不貞行為をしていた慰謝料の支払いで金策に追われるだろうね」
「イデリーナはどうなりますか?」
「ああ。あれ」
ラシュエルの言い方に違和感を覚えるも続きを待った。
「婚約の白紙を求めたが……結局イデリーナは皇太子妃になると決まった」
ラシュエルから告げられた衝撃的な言葉に思考が一時停止した。あれだけ嘘偽りに濡れたイデリーナを嫌っていたというのに。リナリアが言葉を失い硬直していると安心させようと微笑まれた。
「安心して。私がイデリーナを愛することはない」
帝国としても長年不在だった聖女を手放すのは惜しいと考えた。大教会側も同じ。
イデリーナは涙を流し、これから絶対に嘘偽りは吐かない、誠心誠意帝国やラシュエルに尽くすと神の前で誓った。なら、とラシュエルは婚約を継続させると宣言した。
但し。
「私が愛しているのはリナリアだけ。子もリナリアとしか儲けない。聖女として、皇太子妃としてしかイデリーナと接しない。受け入れるか、受け入れないかはイデリーナに任せた」
「か、彼女はなんと?」
「受け入れたよ」
リナリアは俯き、考えた。きっとイデリーナは時間が経てばラシュエルも心を許し、愛してくれるようになると思ったのだろう。言葉通り誠心誠意尽くせば、いつか自分を愛するようになると。
なんとなくだが分かってしまった。半分しか血が繋がっていなくても姉妹だからだろう。
「私は……私は何をすれば……」
「今まで通り此処にいてくれたらいい」
最初の発言通り、偶にラシュエルが外へ連れ出してくれる。その際は二人とも変装魔法で姿を変えているが外に出られるだけで嬉しい。時折、皇太子の執務を熟すラシュエルの手伝いもしている。
イデリーナが皇太子妃になるからと言ってリナリアに密かにやらせるつもりは一切ないとラシュエルは固く言う。泣き言を一切聞き入れない教師達が既にイデリーナの教育を始めているとも告げた。
「リナリア」
甘い声が呼ぶ。
「私の側にいて。君が側にいない日々はもう懲り懲りだ。あんな嘘だって……もう聞きたくない」
「ラシュエル様……」
シーツを巻いていた体を強い力で抱き締められる。もしも自分がラシュエルの立場だったらどう思うか。病に苦しみながらも書いた手紙の返事は届かず、会いたい人は他の女性の許へと行ったと聞かされれば……リナリアでもきっと憎しみを持ってしまう。
ラシュエルだけがそうなんじゃない。
「そういえば。ヘヴンズゲート侯爵が握り潰したリナリアからの手紙を回収したんだ」
「え」
「あの手紙は大事にする。君が私を心配して書いてくれた手紙なんだから」
気恥ずかしい気持ちはあれど、届いてほしい人の手に渡って良かった。
読んで頂きありがとうございます。




