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1話




 

   



 大好きな人が重い病に罹った。

 どんなに希少な薬草を煎じても、高価な薬を処方してもらっても、決して治らない。

 魔女の呪いとも呼ばれるそれは体に黒い文様が浮かび、全身に浸蝕すると体は文様に生命を奪われ死ぬ。遺体は黒焦げのようになるとも言われている。


 大好きな彼――ラシュエルが救われるなら、と婚約者候補筆頭のリナリアは“祈りの花”を求めて聖域へやって来た。認められた特別な人間しか入れない聖域に入れたリナリアは、見つけるのは奇跡に等しい“祈りの花”を見つけた。花と言っても一見蕾にしか見えないそれは、長期間祈りを捧げる事によって神聖な力を蓄え、開花した時その者の願いを叶うと言われている。

 リナリアが祈るのはラシュエルの快方。ラシュエルが助かるのなら何だってする、お願いします助けてください。咲くかも分からない“祈りの花”に毎日祈りを捧げた。


 凡そ数か月後。

 毎日祈りを捧げた甲斐あって“祈りの花”は開花した。願いを叶える花の色は黄金。眩い黄金を目にしたリナリアは花を両手で包んだ。

 これでラシュエルは救われる。彼は元気になる。



 ――なんて、ね。



「もう元気になってるってば……」



 自嘲気味に呟いた声の主はリナリア。その場に座り込んだリナリアは黄金に輝く“祈りの花”を両手の指で優しく撫でた。



「やっと咲いた……」



 “祈りの花”を持ってラシュエルの許へ行けば彼の病は完治する。が、行かなくても完治する。というか、である。既に完治している。


 リナリアには前世の記憶がある。

 九歳の時に大好きだった母が病死し、一年後、自分と一歳しか違わない娘と愛人を邸に連れ帰った父はそのまま再婚。以来、愛人は侯爵夫人となり、娘は侯爵令嬢となった。

 母と娘を騙していた父にショックを受けた時、本物のリナリアは死んでしまった。あまりにもショックが大きくて亡くなった母の後を追ったのだろう。今のリナリアは、前世部活動の帰りに事故に遭って亡くなった学生だ。この世界が友人に勧められて読んでいた恋愛小説の舞台だと知った時絶望した。


 何故ならリナリアは、帝国の皇太子ラシュエルが魔女の呪いに掛かったと知った時、彼を救いたい一心で聖域にしか咲かない“祈りの花”に希望を抱き、数か月間祈り続けた。その甲斐あって願いを叶える花を咲かせたのに、いざラシュエルの許へ行くと魔女の呪いは既に完治した後だった。しかも治したのは異母妹。リナリアが聖域に籠っていた最中、異母妹に他者の傷病を癒す聖女の能力が覚醒し、ラシュエルの魔女の呪いを治してしまった。


 婚約者候補筆頭であったにも関わらず一度もラシュエルの見舞いにも来ず、痛む体で無理をして書いた手紙すら読まず、病に苦しむラシュエルを見捨てたとリナリアは周囲から非難された。ラシュエルからも。



「必死で弁解して、開花させた“祈りの花”を見せても聖女になった義妹が偽物と言っただけで周りは信じて。それでリナリアは婚約者候補から外されただけじゃなく、侯爵家からも勘当されるんだっけ」



 元々両親は政略結婚で父は母を愛していなかった。母にそっくりなリナリアの事も。桃色の髪と紫の瞳は結構気に入っている。父は不細工とよく言っていたが挿絵で描かれていたリナリアはかなりの美少女であった。今此処にいるリナリアも然り。

 前世の記憶があったにも関わらず、聖域に引き籠りこうして“祈りの花”を開花させたのが本物のリナリアなら、きっとこうしていただろうからとしただけ。今のリナリアにそんな気持ちはない。

 開花を目にした時、誰かがありがとうと言った。とても知っている声だった。きっと亡くなった本物のリナリアだ。



「ありがとうなのは私の方なのに」



 あのまま事故で死んだままでも全然良かった。

 元々自分は家族から疎まれていた。自分を出産後、母は亡くなった。父や兄達からは妻、母を奪った娘として扱われた。

 父にはいない者扱いをされた。偶に思い出しても睨まれ、時に暴言を吐かれた。

 兄達は更に酷い。長男は「お母さんが死んだのはお前のせいだ!! この人殺し!!」と毎日暴言を放たれ、次男は「なんでお前がいて母さんがいないんだよ!! 邪魔だ失せろ!!」と暴言だけではなく、暴力もふるわれていた。

 最低限の生活が出来ていたのは世間体を恐れていたからだろう。大学に進学したら家から出て行けと父に吐き捨てられた時は安堵した。大学には友人も通う。同じ大学に通えると泣いて喜んだ。



「私が死んで泣いてくれた人が一人でもいたらいいなあ」



 仲良しだった友人とか、父方祖父母とか。母方の祖父母も他三人と同じで母の命を奪って生まれた私を憎んでいた。お盆時期や正月なんかで会っても空気扱い。見せ付けるように兄達に渡していたお年玉は羨ましかったと呟く。


 さて、と呟いて黄金に開花した“祈りの花”をどうするか思案する。このまま戻っても聖女の能力に目覚めた異母妹がラシュエルの病を治して婚約者の座を勝ち取った後。のこのこ戻ったリナリアは冷酷非道人間扱い。



「――このまま、此処にいるかい?」

「ん?」



 温和で色気が含まれた青年の声が頭上から振り、後ろから花の優しい香りがふわりと舞った。上を見ると肩まで伸ばされた癖のあるプラチナブロンドの男性がリナリアの顔を覗いていた。きらきらと光る水色の瞳は前世でしか見ていない海を彷彿とさせた。


 リナリアの隣に座った青年を「ユナン」と呼んだ。



「人の独り言を聞いてたわね」

「はは。声が聞こえたから気になって来たんだ。リアは帝都に戻らないの?」

「うん」

「あっさりと言うんだ」



 彼は聖域に足を踏み入れたと同時にリナリアの前に姿を現した。

 大教会に属する神官で聖域の管理を任されており、年中聖域で過ごしていると最初話された。聖域に入れる者は滅多にいないので、久しぶりの客人だとユナンはリナリアを歓迎した。

 目的を包み隠さず話すと“祈りの花”が生息する場所を案内された。聖域に入ってしまえば花自体を見つけるのは難しくないとの事。問題は開花させられるか、させられないか、である。開花させられないのなら花を求めても意味がない。生半可な祈りでは“祈りの花”は開花しないと告げてもそれしかないから、と決して諦めなかったリナリアの面倒を見てくれた。


 開花した“祈りの花”を見たユナンは「黄金の花か」と感嘆した声を漏らした。祈る者によって花の色は様々だと言い、黄金の花を見たのは初めてだと話された。過去の文献でも黄金の花は滅多に咲かない色で、その効果は凡ゆる傷病を癒すと記されてあり、リナリアの願いはこの花によって叶う。とユナンに話されるがリナリアとしては帝都に戻るつもりは更々ない。



「私の独り言を聞いていたのなら分かってるでしょう」

「疑問なんだが何故そう思うんだ? 大体、聖女の能力に覚醒したって何故思う?」

「……」



 前世の知識があるから……と口には出せない。自分の素を出しても良い子ぶるよりマシだと受け入れてくれたユナンに不信感を抱かれたくない。が、根拠もなしに断言しても別の疑惑を抱かれる。何か良案はないかと探っていると「話したくないなら無理に聞かない。誰にだって言いたくない事はあるから」とユナンはあっさりと引いた。



「ありがとう。これからどうしようかしら」

「俺と聖域にずっといる? 此処に人は殆ど来ない。来ても聖域の入口に貼られている結界が来訪者を報せてくれる。まあ、他に人はいないし、大した娯楽もないところだから都会育ちのお嬢様には退屈になるだろうがな」

「あら、私好きよ田舎。静かだし、一人でいたい時は持って来いの場所だと思ってる。私が此処にいてユナンに迷惑は掛からない?」

「全然? 一人でいるよりは良い。リナリアは嫌な令嬢って感じがしないから」



 嫌な令嬢か。

 皇太子ラシュエルの婚約者候補筆頭だったのもあり、他家の令嬢から沢山の嫌がらせを受けてきた。小説のリナリアもそうだったがやられたら倍返しにはしてきた。可愛い見た目に反して逞しい。自分の全てを捧げてきたラシュエルに捨てられるまで、ずっと気丈に振る舞っていたのだと思うと悲しくなる。

 ラシュエルの妃の座を欲していたのは異母妹も同じ。登城は無理でもラシュエルが屋敷に来ると我先にと出迎え、会いに来たのはリナリアではなく異母妹なのだと周囲に印象付けた。侯爵家の使用人達でリナリアの味方をする者はいない。後妻が全て解雇し、使用人を一新した。皆、後妻や異母妹の味方にしかならない。さすがに世話をしなくなる者がいないと困るからと父が新しい侍女を付けてくれたその侍女も後妻と異母妹寄り。朝の支度と称して何度も嫌がらせを受けた。



「ユナンがいて良いと言うのならいさせて。他に行く所もないし、侯爵家に戻りたくないの」

「リアから何度か聞いたけどそんなに酷いのか?」

「ええ。朝起こされる時は冷たい水を掛けられて、髪を梳く時は頭皮が剥がれるくらい強い力で引っ張られて、ドレスを着せる時はとっても雑にして。食事の時間も苦痛だったの。家族三人仲良くって言ったら、お父様に顔を殴られてお義母様や異母妹は大笑いして。使用人達も嗤ってたわね」



 今更になって思い出さなくても……としても遅い。隣にいるユナンの纏う空気が冷たくなっていく。慌てて過去の事だと説明した。



「ラシュエルの婚約者候補になってから暴力はなくなったわ。食事を抜かれる事も減ったし」

「食事を抜かれていたのか!?」

「私が皇太子妃になれると期待したお父様が食事を抜けば虐待を疑われるからって」

「十分虐待じゃないか」



 非難の相貌を浮かべるユナンにリナリアは苦笑を見せるしかなかった。前世と変わらないので慣れもあり苦じゃなかった。食事抜きはキツイが、母が生きていた頃からいる料理長が彼等の目をこっそりと盗んでご飯を届けてくれた事が何度もあった。後妻は最初料理長も解雇したがったが先代侯爵の時代より仕える料理長を解雇する権限はなく、これについては父が拒否した。



「聞いて呆れるな」

「お義母様からしたら、私とお母様がいるせいでお父様と結婚出来なかったからねえ」

「没落貴族の娘、大した価値もないのだから出来なくて当たり前だ」



 二人は元々将来を誓い合った恋人同士であったが後妻の家が没落。元から男爵令嬢という身分が気に入らなかった祖父が才色兼備と名高かった侯爵家の娘だった母との婚約を調えた。真実の愛をリナリアの母のせいで引き裂かれたと後妻や父は恨んでいるが、恨む矛先を間違っている。恨むなら先代侯爵を恨んでほしい。



「母方の家はリナリアの現状を知ってるのか?」

「お父様が再婚する時、新しい家族に私が馴染めるか分からないからって引き取ろうとはしてくれたの。まあ、侯爵家から皇太子妃を出したかったお父様は絶対に駄目だと頷いてくれなかった」



 野心が強い父は侯爵家から初めて皇太子妃を輩出させようと画策していた。皇太子の婚約者候補を決めるお茶会でリナリアに多大な金を掛け、皇太子に会うまで絶対に心を射止めろと何度も圧を与えた。父の思惑通りラシュエルの婚約者候補になれたのは癪だが彼本人には好意的な感情を抱いた。第一印象も悪くなかった。それはお互いに言えること。


 足を伸ばしたリナリアは後ろに倒れた。聖域に夜は来ない。常に朝の時間。綺麗な空を見上げているとユナンも隣に寝転んだ。



「帝都に戻らないにしても、教皇には一報入れておくよ」

「教皇様に?」

「リアの言う通り、今頃リアの妹が聖女の力を覚醒させて皇太子の病を癒し、姿を見せないリアは病に苦しむ皇太子を捨てたと吹聴しているなら、俺としても面白くない」

「ユナンが気にしなくても」

「聖女は清い心を持たないと力を弱体化していく。聖女を正しき存在でいさせたい大教会にとっては大事なんだ」

「そう、なの?」

「そうそう」



 神官であるユナンが言うのならそうなのかと納得した。




 〇●〇●〇●


 十日後――。

 ユナンに誘われ、聖域を出て、帝都に戻ったリナリア。

 街が何だかお祝い一色に染まっている。心当たりが有りすぎるリナリアは広場の掲示板を見つけ読みに行った。そこにはヘヴンズゲート侯爵イデリーナと皇太子ラシュエルの婚約が決まったと大々的に記されていた。イデリーナは異母妹の名前。更にイデリーナが聖女の能力に目覚めたとも書かれており、聖女の力を持って不治の病に苦しむ皇太子を治したという恋愛物語が延々と書かれていた。記者は恋愛小説に目がない人なのかも。



「リアについては一切触れられてないな」

「私が候補だと知るのは貴族、皇族のみですもの。平民達に必要なのは物語になる恋愛ですわ」

「はは。まあね。……リア」



 急に声色を変えたユナンに「あれ」と教えられた方を向くと。マントに身を包み、顔をフードで隠しながらも皇族特有の黄金の瞳は限界まで見開かれていた。“祈りの花”が黄金を出したのはラシュエルの瞳と同じだったからか。

 ユナンの姿を認識したラシュエルの目付きが途端鋭く変わる。ラシュエルには何一つ正しい情報は送られていないのだ。幼い頃から一緒にいたリナリアが自分を見捨て、他の男に走ったと思われても仕方ない。前世の知識を持つリナリアならラシュエルとのハッピーエンドは有り得たかもしれない。が、原作の末路を知っているので乗り気になれなかった。自分のラシュエルへの気持ちはその程度だったのだ。


 大股で距離を縮めたラシュエルがリナリアの腕を強引に掴んだ。強い力に顔を歪ませればユナンがラシュエルの手を掴んだ。



「人通りの多い場所で女性に乱暴を働くとは見過ごせませんよ、皇太子殿下」

「……貴殿は?」

「聖域を管理するユナンと申します。教皇様に確認をして頂ければすぐに本当だと分かりますよ」

「聖域? 何故聖域の管理者がリナリアといる」

「そりゃあ、彼女はずっと聖域にいましたから」

「嘘だ。ヘヴンズゲート侯爵もイデリーナもリナリアは私を捨てて姿を晦ませたと!」



 成る程、心身共に弱っているラシュエルに嘘の情報を言い続ける事で彼のリナリアへの信頼を崩壊させ、代わりに聖女の能力を開花させラシュエルを救ったイデリーナを婚約者にする為、侯爵家は嘘を演じたか。原作小説では皇帝も侯爵家が嘘を申していると密偵から聞かされるも、何の能力もないリナリアより聖女の能力を目覚めさせたイデリーナが皇太子妃、未来の皇后になることが最も優れた判断とし触れなかった。

 原作のリナリアが咲かせた“祈りの花”が本物だと知っていた皇帝は密かに花を回収し、万が一があるからと保管した。



「大教会へ行きましょう。あそこには人の嘘を見抜き罰を下す尋問部屋があります。そこでなら、リナリアは嘘を言いませんし、他に人もいませんから聞かれる心配もない」

「…………分かった」



 長く間を開け、渋々了解したラシュエルと共に大教会へ向かった。道中ラシュエルからの無言の圧を向けられ、冷や汗を流しつつ、リナリアも無言のまま大教会へ歩く。ユナンも無言。

 大教会に着くと裏手に回って建物内に入った。今は人が少ない時間とユナンが言う通り、彼等以外の人がいない。

 迷いない足取りで尋問部屋の扉を開けたユナンが入り、続いてリナリア、ラシュエルも入った。

 その時だ。



「ラシュエル様!」



 後方から飛んだ声に三人が一斉に振り向いた。

 緩く波打ったブロンドに赤色のリボンを着け、可愛らしさを全面的に押し出したドレスにも程好くリボンが使われている。うるうると瞳を潤ませ、ラシュエルに駆け寄り胸に飛び込んだのはイデリーナ。



「イデリーナ? 何故ここに」

「ラシュエル様が一人街に降りたと聞き、心配で後を付けて来たんです。そうしたら……」



 ラシュエルの腕の中でリナリアへ顔を向けたイデリーナは、声は心配そうにしつつも顔は愉悦に満ちていた。

「その顔殿下に見せて差し上げなさい」とスカートのポケットから小さな鏡を出し、イデリーナに向けようとしたら慌ててラシュエルを見上げた。その顔に愉悦はなく、傷付いたと言わんばかりにラシュエルに泣き付く。

 イデリーナを泣き止ませながらリナリアを見る黄金の瞳は冷え切っており、ラシュエルに弁解も縋るつもりもないリナリアも負けじと睨み返した。するとラシュエルは傷付いた顔を見せた。

 ん? と内心小首を傾げつつ、ユナンに促され尋問部屋に入った。イデリーナも一緒だ。


 二人掛けのソファーが二つ置かれている以外何もない質素な部屋。


 リナリアとユナン、ラシュエルとイデリーナで向き合う。



「室内には人の嘘を見抜く魔法が掛けられている。一つでも嘘を漏らせば魔法に攻撃をされる。全員、嘘偽りなく話すようにね」

「なっ……」



 ユナンの説明を聞かされたイデリーナは絶句している。

 それはそうだろう。

 イデリーナ達がラシュエルに伝えてきたリナリアの話は全て嘘に塗れたものだから。


 顔を青褪めるイデリーナを気にしつつ、ラシュエルはリナリアに話を切り出した。



「今まで何処にいたか聞かせてくれ」

「先程、ユナンが言った通り、私はここ数か月聖域にいました。殿下の病を完治することが出来る“祈りの花”を求めたんです」

「“祈りの花”は希少価値が高く滅多に見つけられないと聞く」

「“祈りの花”は花を見つける事よりも、花を開花させる事が非常に難しいのです。花自体を見つけるのに苦労はしませんでした」



「欠かすことなく長期間同じ願いを同じ気持ちで祈り続ける事で花は開花します」とユナンが付け加えた。

 “祈りの花”は見事開花し、凡ゆる傷病を癒す黄金を咲かせたと話したら「どうしてだ!」とラシュエルは声を上げた。



「“祈りの花”を咲かせられたのなら、何故すぐに帝都に戻らなかった!」

「帝都の噂は聖域にも届くようになっていましてね」



 本当はリナリアが原作の知識をユナンに披露しただけなのだが、ユナンが嘘偽りを申せない尋問部屋で嘘を述べた事にリナリアはギョッとするも。

 何も起きない。


 あれ? とまた小首を傾げつつ、何も言わないでおく事にした。



「リナリアの妹イデリーナ嬢が聖女の能力に目覚め、殿下の病を治したと届いたのです。更に殿下とイデリーナ嬢の婚約を進める話もね」

「それは陛下やヘヴンズゲート侯爵が勝手に決めた事だ! 私は何一つ了解していない!」

「帝国側としては、聖女の能力を持つイデリーナ嬢の方が他国との関係にも大いに利用出来ると判断されたのでしょう。事実、聖女の力は希少だ。イデリーナ嬢が殿下との婚約を望むのなら、その通りにしてしまえば他国に取られる心配もないからね」

「……」



 聖女の力を欲するのは帝国だけじゃない。他国も癒しの力を持つ聖女を欲している。皇太子ラシュエルと結婚し、皇太子妃になってしまえば易々と奪われはしない。

 黙ったラシュエルだったが次の質問を切り出した。



「……帝都に戻らなかったのは私とイデリーナの婚約の話を聞いたからか?」

「……それもあります。父達の事ですから、どうせ私がいない間にある事無い事殿下や周りに吹聴していましたでしょう」

「……」



 ラシュエルの沈黙は肯定と同じ。



「聖女の能力に目覚めたイデリーナと何の能力も持たない私。どちらが帝国に利を齎すか考えれば、自ずと答えは出るかと」

「私だけでも連絡を寄越してくれれば……!」

「殿下だって信じたのでしょう? だから、最初に会った時私を何処かへ連れ去ろうとしたではありませんか」

「……今まで何処にいたのか、一緒にいる相手が誰なのかを聞きたかっただけだ……私は信じていない」



 果たしてそうだろうか。原作のラシュエルは涙ながらに話すリナリアの声を聞かず、周囲と同じでヘヴンズゲート侯爵側の主張を信じた。我が娘ながら恥ずかしいと侯爵が頭を抱えた場面があった。今なら思う。お前が言うな、と。


 力無く俯いたラシュエルからは悲壮な雰囲気な漂う。魔法が攻撃をしてこないのなら、ラシュエルは嘘を言っていない。



「殿下が私を連れ戻し周囲を説得しても納得はされませんでしょう」

「君は私と過ごした時間を無かった事にするのか?」

「……私はあくまでも候補に過ぎません。私達には婚約関係はなかった。それだけです」



 まただ。またラシュエルを突き放すと傷付いた相貌になる。幼少期からの交流に強い恋愛感情はない。仲良くはしていた、と思う。原作の未来を知っていたリナリアとしては極力ラシュエルの好感度を上げないよう努めた。別れて辛い思いをするのなら自分一人だけでいいと。


 昏く、濁った黄金がリナリアをじっと見つめ、暫くすると瞼を閉じた。

 すぐに上げると瞳から濁りは消えていて。代わりに何も宿っていない無機質な黄金がそこにあった。



「イデリーナ」

「!」

「次は君の話を聞かせてほしい。君や侯爵が言っていたじゃないか。リナリアは病に苦しむ私を捨て、他の男の許へ行ったと。あれは嘘なのか?」

「ち……ちが……っ」



 イデリーナは咄嗟に口を手で押さえた。

 尋問部屋で嘘偽りを申すと魔法に攻撃をされる。大教会に在籍する神官が言うのだ、信じている。話せないように手で口を塞ぎ、一目で分かるくらい震え出したイデリーナ。その姿だけで嘘だったのだと物語っていた。失望の眼をイデリーナに向けるラシュエルが理由を問うてもイデリーナは答えられない。見兼ねたリナリアが話をした。



「私の亡くなった母と父は貴族でよくある政略結婚でした。父には元々結婚を約束した恋人がいました。ですがその恋人の実家が没落した事でお祖父様は二人の結婚を認めず、私の母との結婚を決めました。

 母は愛せなくても家族としてお互いを支え合おうと何度も父と話をしようとしましたが、母のせいで恋人と引き裂かれたと逆恨みする父は耳を傾けなかった。私が生まれたら、屋敷にも殆ど帰らなくなりました」



 母が亡くなった翌年、リナリアと一歳しか違わない娘と愛人を連れて屋敷に戻った父は一言「今日からお前の新しい家族だ」とだけ告げた。

 その娘と愛人がイデリーナと後妻である。


 前妻の娘を嫌う後妻やイデリーナからすると皇太子妃になるに最も近いリナリアは目障りだったに違いない。

 ラシュエルが不治の病に掛かり、治す術がないと誰もが嘆き悲しむ中、一人聖域に咲く“祈りの花”を探しに行ったリナリアがラシュエルを見捨て他の男の許へ行ったという嘘を思い付いたのも目障り故に。



「……典型的な駄目男の例だな、ヘヴンズゲート侯爵は」

「お母様と結婚したくなかったのなら、ご自分でどうにかしようと足掻いていたら、別の道があったでしょうにね」



 ユナンの呆れ果てた物言いにリナリアは同意する。周りに当たるだけで自分からは動こうとしない。



「イデリーナ……君は……」

「あっ……わた……ち、……」



 一方、リナリアの話を聞いたラシュエルは信じられない者を見る目でイデリーナを見た。否定したくても尋問部屋の魔法を恐れるイデリーナは必死に首を振る。違う、と、リナリアの嘘だと。言葉に出来ないから声なき声は届かない。


「リナリア」二人を見守っていたらユナンの声が。



「君はこの後どうする? 聖域にずっといると十日前は話していたが」

「聖域にずっと!? そ、そんなの駄目だ!!」



 ラシュエルが慌てて話に割り込んだ。



「この事はすぐに陛下に知らせる! リナリアへの誤解も必ず解いてみせる!」

「知らせても厳重注意で終わるよ。聖女の能力は貴重だと言ったろう」

「しかし……!」

「まあ、他者を慈しむ清廉な心を持たない聖女は、軈て能力を失う。急がなくても落ちていくのはリナリアを除いたヘヴンズゲート侯爵家のみ」



 能力を失うの下りから顔面蒼白となったイデリーナが「ラシュエル様!!」とラシュエルの腕に抱き付いた。



「お許しくださいラシュエル様!! これからはお姉様に嫌がらせはしません、嘘も言いません、お父様やお母様がお姉様に――――きゃああっ!!」



 壁に紫色の魔法陣が突如展開された。

 イデリーナ目掛けて紫電が飛んだ。直撃したイデリーナは悲鳴を上げ、ラシュエルの腕を離すと床に倒れた。

 リナリアが慌てて見ると意識はあるようだ。



「あ……ああっ……」

「イデリーナ……」



 リナリアとラシュエルはユナンを見た。だから言ったろうと彼は苦笑した。



「嘘偽りを申せば魔法に攻撃されると。体が痺れるだけだ、一時間もしたら動ける」

「大教会は随分と物騒な部屋を持つのだな」

「元々、捕らえた敵を尋問する為の部屋ですから。城の地下室にも同じものがある。大教会に尋問部屋が存在するのは主に離婚申し立ての審議の時、夫か妻か、どちらが不貞を働いたか、離婚される原因はどちらにあるのかを知る為。嘘偽りを申せば、先程のイデリーナ嬢みたいに魔法の攻撃を受けます」



 取り敢えず命に危険がないのなら良いとラシュエルは険しさを和らげ、リナリアもソファーに座った。

 リナリアは「殿下」と発し、聖域にずっといると告げた。

 あからさまに動揺したラシュエルに理由を問われると困ったように笑みを浮かべ見せた。



「聖域にはお父様もお義母様もイデリーナも屋敷の者達もいません。とてものびのびと過ごせました。あんな風にのんびりと過ごしたのは久しぶりで……ずっと続いたら良いのにと思いました」

「リナリア……」

「殿下の事はお慕いしておりました。この言葉に嘘偽りはありません。イデリーナのような強い恋愛感情があったかと聞かれると困りますが」

「……」

「殿下がイデリーナとの婚約を解消されようとこのまま継続されようと私には関係ありません。あの父の事ですから殿下のお言葉があっても簡単に侯爵家に戻しはしません。寧ろ、イデリーナの邪魔をしたと激昂するだけ。なら私は静かな聖域で過ごしたいのです」

「……そちらにいる神官がいるからか?」

「話し相手としてとても楽しいですよユナンは」

「…………」



 苦し気に眉間を寄せ、ギュッと瞼を閉じたラシュエルは幾分か経つと黄金の瞳を見せた。



「私を嫌いになったのではないのだな……?」

「え、ええ……殿下を嫌いになど」

「そうか……」



 ホッと安堵したラシュエルは表情を和らげリナリアに告げたのだった。



 ●○●○●○





 大教会での話し合い翌日。また聖域に戻ってユナンと静かに暮らすつもりだったリナリアだが大教会の客室にいた。ラシュエルの強い要望にユナンの方が折れ、同意する形でリナリアは戻らなかった。

 あの後気絶したイデリーナは神官達に運び出されヘヴンズゲート邸に送られた。理由についてはラシュエルとユナンの方から説明される。初めラシュエルだけの予定がユナンの「俺の発言も付け足しておけば嫌でも納得しますよ」という台詞によってそうなった。


 朝食を頂いた後はする事がなく、かといって買い物も散歩もする気分じゃない。閲覧可能な書ならご自由にと書庫室を解放されたのでお言葉に甘えようと客室を出た。ら、正面にラシュエルがいた。皇族特有の金色の瞳が丸く開かれていた。



「で、殿下?」

「どこか出掛けるのか?」

「書庫室へ行こうと」

「私も行く」

「私に用事があったのでは?」

「場所が変わっても問題ない」



 何用で来たかは何となく察せられる。拒否する理由もないのでラシュエルと書庫室に向かった。

 年季の入った本棚に収納されている本もまた同じで、古い紙の香りに頬を緩ませ背表紙に刺繍されている題名から本を選んでいく。四冊ほど見繕った後、本を選ぶでもなくリナリアを凝視していたラシュエルに向いた。



「殿下は今日は何故」

「昨夜、父上と母上に話をした。ヘヴンズゲート侯爵やイデリーナがリナリアを陥れようと私に嘘を言い続け、皇太子妃候補であるリナリアを侯爵家総出で虐げていた事も全部」

「……陛下や皇后様はなんと」

「……父上は侯爵やイデリーナの言葉が嘘だと知っていたらしい」



 原作通り。



「知っていて何も言わなかったのはイデリーナに聖女の能力が覚醒したからだと」



 しかし清廉な心を持つ事により力を保ち、増幅させる聖女が嘘偽りに塗れた言葉や行動をし続ければ軈て能力は低下し、消滅するとユナンの説明を加えると皇帝の顔色は変わった。



「後日、指定した日にヘヴンズゲート家を呼び出し事実確認をする。そこにリナリアも同席してほしい」

「私の発言があったところであの人達は耳を貸しません。私としては、私がいないままにして頂きたいです」

「……そうしたらリナリアはどうするのだ」

「前にも言った通り、聖域にずっといてもいいかなと。あそこにはユナンがいるから話し相手には——」


「やっぱりあの神官が良いのか?」



 台詞を途中で遮られ、微かに眉を寄せるもラシュエルの黄金の瞳の濁りが昨日よりも強いと解り困惑した。



「リナリアが聖域に拘るのはあの神官がいるからだろう?」

「え、ええ。突然、祈りの花を求めにやって来た私にとても親切にしてくれましたから……」



 更に言えば聖域に入れるのは限られた者だけで、誰が入れるかは聖域に行かないと分からない。珍しい来訪者を歓迎したくなる気持ちはユナンの話を聞いていたら分かってしまった。



「皇太子妃になるのはイデリーナだと言いたのか」

「今後のイデリーナ次第になります」



 原作ではリナリア追放後、ラシュエルとイデリーナは結婚式を挙げ皇太子夫妻となり幸せに暮らしたと最後書かれていた。巻末に番外編としてリナリアのその後が書かれているが読む前に前世を終えてしまったのでどうなったかが不明。

 せめて友人に内容を聞いておけばと後悔するも、ネタバレ厳禁と語り合いたそうな友人を待たせていたのは自分。仕方ない。



「皇太子妃になって、ずっと側にいる相手はリナリアだと思っていた」

「……」



 病に苦しむ最中頭に浮かぶのはリナリアの事だけで。痛み、苦しみながらもリナリアへ手紙を書いても返事は届かず、使者をヘヴンズゲート家へ向かわせ返された言葉が他の男の許へ逃げたという信じられないもの。

 信じたくなかった。だがリナリアの行方は誰にも分らず、日数だけが過ぎていった。次第にリナリアへの気持ちが憎しみに染まっていった辺りでイデリーナに聖女の能力が覚醒し、病に苦しむラシュエルを救った。

 そこからはとんとん拍子に話が進み、二人の婚約が決まった。



「聖域に行くと誰にも言わなかったのか?」

「言いましたよ。殿下の病を治す希望が聖域にあると」



 ——まあ、誰も真面目に話を聞いていなかったけど……



「そうか……。侯爵も誰もリナリアは男と逃げたとしか話さなかったんだ」

「目障りな私を排除し、イデリーナを皇太子妃にする絶好の機会ですからね」

「イデリーナとの婚約の話は白紙にしてもらう。皇太子妃になるのはリナリアだ」



 黄金の瞳から濁りは消え、代わりに多量の熱が込められていた。頬が熱くなっていく。気まずげに視線を逸らすと「リナリア」と呼ばれた。



「私の側にいてくれ」

「私を嫌いになってください……そうしたらイデリーナの事も受け入れられます」

「平気で嘘を吐く相手を好きになれと? たとえ、イデリーナが嘘に塗れていなくてもリナリア以外は考えられない」



 原作のラシュエルもこんな風にリナリアを信じ愛してくれていたら、彼女は追放されず愛する人と暮らせたのではないかと考えてしまった。




 


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― 新着の感想 ―
いきなりラシュエルがリナリアの腕を強引にひねり上げたことを無かったことのように謝りもしないひどい王子だね。
[一言] 妊娠出産にリスクがあるのは現代人なら常識と知っていて、子供を作ったのは自分たちの判断なのに産まれた子供のせいで死んだ? じゃあ無計画に安易に産むな、と思ってしまう。 余談になりますが、最近…
[一言] >「母方の家はリナリアの現状を知ってるのか?」 >「お父様が再婚する時、新しい家族に私が馴染めるか分からないからって引き取ろうとはしてくれたの。 ・・・前の方で・・・ >母方の祖父母も他三…
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