1章 一話 外の世界
「うおりゃ――――!!!!!」
雄たけびを上げながら、目の前に立つ爺さんをめがけて飛びかかる。背中には強い日差しが、応援してくれるかのようにさしている。
「まだまだ無駄な動きが多いようですぞ、坊ちゃん」
俺の繰り出す剣技をいともたやすくかわしてくるのはこの城を収める主の執事、ヴォルドだ。年齢は相当なのに動きに衰えを感じさせない。黒いスーツを巧みに着こなし、かけている眼鏡も相まって知的な印象を覚える。初対面の人ならば、剣術はおろか、運動なんてできないだろうと思うだろう。だけどそれは見た目だけの話。実際は毎日えげつない稽古をさせてくる鬼師匠だ。今までで勝てたことなんてものの1回もない。なんで爺さんなのに俺よりも強いんだよ。そんなことを思ってると剣を弾き飛ばされ、眼前にすらりと伸びた剣をつきつかれる。
「ふぉっふぉっふぉ、まだまだ修行が足りませんなあ」
「爺が強すぎるんだよ」
「言い訳は通用しませんぞ。今日の訓練はここまでに致しましょう。明日また同じ時間、ここに来るように」
「えぇー、明日もするのかよ」
明日もあるというこの地獄を嘆いていると、冷たい目を突き刺してくる。やめてくれ、肉体的に苦しめるだけで勘弁してくださいよ。
「私はカミラ様から命じられて坊ちゃんを鍛えているのです。それに……」
ここで言葉を切り、にやりと口角を上げる。
「このままでは一生城からは出られないでしょうね。」
「うっ……」
痛いところをつかれ、黙ってしまう。反論の余地など微塵もなかった。カミラ様とはこの城を収めるカミラ・ベレッタのことだ。いや、人ではなく 竜人 だ。身長はゆうに180cmを超えている。まつ毛は切れ長で、左右の瞳の色が違う。オッドアイというやつだ。髪は腰より少し高めの位置でまとめられている。足はすらりと長く、間違いなく美人だ。しかも魔王ときた。どちらかというとサキュバスのほうが近い気もするが……そんなことはさておき、なぜ俺がこんな人の下で過ごしているかというと、それはもう海よりも深いわけがある。まあ海がどのくらい深いかは知らないけれども。昔々、なんでも満月の月の夜、城の下で何やら泣き叫ぶ声が聞こえたらしい。普段は全く気にしないが、この時はどうも気になり、見に行くとあら不思議。タオルにくるまれ、えんえんと泣き叫ぶ赤ん坊の可愛い俺がいるではないか。そんな愛くるしい俺を見つけると、母さんは急いで城に抱えて行き、すぐに服と暖かいミルクを与えたそうだ。本当に感謝しかない。もし拾ってもらえなかったら、今頃俺は天国で泣き叫ぶ羽目になっていただろう。考えるだけでも悲しくなってきた。とまあそんな感じで俺はシリウス・ベレッタの名を授かり、今こうして元気に動いているというわけだ。そこまではいいのだが、母さんはどうやら俺を溺愛しているらしく、なかなか外の世界に出させてくれない。もはや過保護のレベルだ。1回だけ、「なんで外の世界に行っちゃだめなの?」と母親なら瞬殺レベルの顔と声で聞いてみると、さっきまではニコニコ顔で話していた母さんが悲しげに目を伏せながら答えてくれたのを今でも鮮明に覚えている。どうやら俺は6歳のころに脱走を試みたらしい。なんとか城の外にでたが、運悪く魔物に襲われてしまった。致命傷は免れたものの、母さんの怒りを買うのには十分すぎるくらいの出来事だった。ヴォルドが血まみれの俺を抱えてくるなり、母さんは今まで見せたことのないような怒りの形相で、どこかへと飛び去って行った。そこで俺は意識を失ってしまったらしく、そこからの記憶は全くない。後にヴォルドから聞いた話だと、俺をボコボコにした種族もろとも滅ぼしてしまったらしい。全く恐ろしい話だ。俺のバカな脱走劇のせいで滅んで種族には申し訳なく思うが、元々数が少なかったらしく、あっけなく種は滅んだそうだ。これをきっかけに俺は二度とこんなことが起こさないよう、心に誓った。それは俺だけではなく、母さんも決意を固めたらしい。それは俺を強くすることと、護衛を一人つけることだった。そんなわけで俺な12年間毎日、剣術やら魔法やら体術やらをみっちり叩き込まれているというわけだ。自業自得だが辛い。辛すぎる。このことを訴えると、長い時間考え込んだ後、俺がヴォルドに攻撃を一発でも当てることが出来たら外の世界に行ってもいいと言われた。この一発がどれだけ遠いのかは言わなくてもいいだろう。
「ふぉっふぉっふぉ、外に出たいならもっと稽古を真剣に取り組むのですぞ」
「はーい」
空に目を向けると真っ赤に染まった太陽が、行きたくてたまらない外の世界へと沈んでいった。
やっと地獄の稽古が終わった。体中が悲鳴を上げている。まったく、あの爺さんは手加減というものを知らないのかよ。自室に戻ろうと廊下をふらふらしながら歩いていると、後ろから声をかけられる。
「今日もたっぷりとしごかれたようですね」
「こんなのを毎日してると死にそうだよ」
「もう12年間もおんなじことを言ってますよ。それに少しずつ強くなっているなら、いいじゃないですか」
「まあ、そうかもね」
俺の愚痴を文句の1つも言わずに聞いてくれるのは、専属のメイド、メリッサだ。メイドだけではなく俺の護衛も兼ねている。ボーイッシュな髪形にくっきりとした目鼻立ち。メイド服がよく似合っている。身長は俺よりも20cmくらい小さい。母さんとは違うタイプの美人だ。本に載っていた言葉を借りるなら、クール系というやつだ。こんな美人なメイドさんは世界中どこを探してもいないだろう。あっ……外の世界見たことないんだった。
「出迎えてくれるなんて珍しいじゃん。なんかあったのか?」
「先ほど奥様がシリウス様をお呼びしていました。奥様は部屋でお待ちしています」
汗を拭くタオルを手渡しながら、すらすらとよどみない口調で答えてくれる。
「わかった。着替えたらすぐに行くと伝えておいて」
「かしこまりました」
丁寧にお辞儀をするともと来た道を小走りに戻っていく。その姿を見送った後、俺も自分の部屋へと歩いて行った。
部屋で簡単にシャワーを済ませ、汗を落とす。着替えをした後少し離れた母さんへの部屋へと向かっていく。
ノックを3回ほどすると中から声が返ってくる。
「入るがよい」
「失礼します」
ガチャリとドアを開け部屋の中に入ると椅子に座りながらお茶をのむ母さんの姿があった。ここだけ切り取ればさながらどこかのお姫様だ。いやどちらかというと女帝か?その隣にはさっきまで俺をいたぶって楽しんでいた、ヴォルドもいた。すまし顔なのが腹立つが、ここは華麗なスルースキルを披露することにした。
「随分と疲れた顔をしておるな、またヴォルドに絞られたのじゃな」
ニヤニヤされながら小ばかにされる。そう思ってるならもう少し稽古の時間を短くしてくれ。
「絞られたなんてレベルじゃないよ、今日はめちゃくちゃ気合入ってたし。何か理由でもあるの?」
「うむ、実はそなたに話しておきたいことがあってな」
手に持っていたカップを置き、今度はケーキスタンドに並べられているマカロンを1つひょいとつまむ。
「そなたも来月で18歳じゃろう。そろそろこの城に過ごすのは退屈の限界が来るじゃろうと思ってな。ここでできる娯楽なんてトランプか稽古、読書ぐらいしかないからな」
「稽古は娯楽じゃないよ」
「何か言いましたかな?坊ちゃん」
「いやいや何も言ってませんよ、ヴォルドさん」
まさかこのつぶやきを拾われるとは……恐るべし、鬼教師。
「話を戻すとな、さすがにこの城にいるのはつらいじゃろう。そろそろこの城から出してもいいじゃろうと思ってな」
「マジで!?」
「うむ、そなたもそれなりに強くなっておろう。魔物に襲われてもケガすることはないじゃろうしな」
まさかこの城を出るチャンスがめぐってくるとは――いや別にこの城の居心地が悪いわけでも、城のみんなが嫌いなわけではない。ただこの城にとどまりたいという気持ちよりも、本で読んだ外の世界に憧れのほうが強いだけだ。無限に広がる海やあたり一面すべてが緑の山。人間の国など興味が尽きることはなかった。
「じゃが条件付きじゃぞ、強さに確証が持てないとわらわも不安じゃからな」
さすがは過保護母さん、無条件で出してはくれなかった。まあ、大切にしてくれているのが伝わるからここは素直に聞こう。
「その条件は?」
「うむ、ヴォルドと剣で勝負し、剣を弾き飛ばせたら外の世界に行ってもよいことにする」
前言撤回。こんなの無理に近い。諦めることは嫌いだけど、この条件はさすがにきつい。
「さすがにきつすぎるよ……もうちょっとだけ簡単にしてくれませんかね?」
「だめじゃ、そんなことしたらそなたが心配で夜も眠れなくなるわ」
「大丈夫だって!ほら俺、毎日爺にボコら……じゃなくてきっちり鍛えられてるからさ。そう簡単には死なないし、やられないって」
「外の世界を見たことがないそなたに魔物の強さがわかるのか?」
にやりと言われる。せこいよそれ。不満が顔に出ていたのかもしれない。今度は優しい微笑みを浮かべながら優しく諭される。
「まあそんな不満げな顔をするではない。倒せというわけでも、攻撃を当てろというわけでもでもないであろう。それにな、わらわはそなたのことが大切じゃからこういっておるのじゃ。外の世界はそなたが想像している以上に広く、様々な魔物が生きておる。中には魔物ではなく、天使や悪魔、精霊などという魔物とは格が違うような者までおる。いくら強くなったからと言ってが死なない保証があるわけではないからな」
ここまで言うと、さらに顔の笑みを大きくした。自分がすごく大切にされていることを知り、嬉しくなる。
「そこまで言うならまあ、わかったよ。条件は爺の剣を弾き飛ばすだっけ?母さんが心配しないように圧倒してみせるよ」
「言っておきますが坊ちゃん、私は手加減という言葉を知りませんからな」
「大丈夫、大丈夫。俺もこの1か月間は死ぬ気で頑張るから爺も稽古したらいいんじゃない?」
「ふぉっふぉっふぉ、言ってくれますな」
やばい、目がガチになっちゃった。俺が焦りに焦っていると、母さんが満足したような顔で言った。
「うむ、そのような自信がるなら大丈夫じゃろう。では来月の18日にこのテストを行うことにしよう。その日まで稽古が一層、精が出そうじゃな」
「いや、ちょ、爺の目が殺しの目をしてるんだけど!?」
「心配無用ですぞ坊ちゃん、私も今まで以上にしごきがいがあるというもの。明日からの稽古の時間を倍にいたしましょうぞ」
「はっはっは、ヴォルドもやる気がでたようじゃな。頑張るのじゃぞ、シリウスよ」
「はーい母さん」
半場強引になったけどこの条件を飲むことにしよう。ヴォルドもやる気になっちゃったっぽいし……そんなこんなでなんとか外の世界に行く希望が見えた俺は心を躍らせるのであった。
それからというもの、ヴォルドの稽古がより一層きつくなった。何回か「俺、死ぬかも」と思ったこともあったけど、その時は毎回メリッサが笑顔で応援のエールを送ってくれる。何度この笑顔に助けられたことだろう。メリッサにも稽古に付き合ってもらい俺は着々と打倒、ヴォルドに向けての準備を進めていった。おかげで2週間がたとうとするころには、手は血豆だらけ、体はあざだらけのボロボロになってしまった。大切な折り返し地点、そんなことに嘆く暇はないとより一層稽古の時間を延ばしていった。このことはヴォルドにとって予想外のことだったらしい。目を丸くしながらも同時に嬉しそうな顔を見せてくれた。それからの2週間、これまで以上に稽古はきつくなっていった。満身創痍になりながらも、「外の世界」というこれ以上にない精神安定剤でなんとか生きている。もし外の世界に行けるという条件が無ければ今頃俺は精神がやられてベッドで寝込んでいたかもしれない。そんな文字通り血のにじむような特訓を続けて1か月、ついに決戦の日は訪れた。迎えた5月18日、城の庭に緊張しながら出る。剣を収めている鞘は手汗でびっしょりだ。すると一瞬地震かと思うほどの衝撃が体を揺らした。それは城の執事やメイド、母さんの部下からの声援だった。小さい頃から誰彼構わず「外の世界に行きたい」と話していたことを思い出す。
「頑張れよシリウス様!」
「あなた様なら必ず勝てますよ!」
そんな声援に感動しながらも、庭の中心に立つヴォルドへと目を向ける。そこには鞘に納めた剣を持ついかにも鬼のようなオーラを放つヴォルドがたっていた。どうやら本気で手加減はしないらしい。泣きそう。汗が止まらない俺に向かって母さんとメリッサが最後のエールを送ってくれる。
「シリウスよ、頑張るのじゃぞ」
「シリウス様なら必ず勝てます!作戦を思い出しながら戦ってくださいね!」
そう。俺には作戦がある。メリッサと4週間練りに練った最強の作戦というものがる。これは心の余裕感を持たせてくれた。
「坊ちゃん、準備は良いですかな?」
きらりと銀色に光る剣を抜きながら聞いてくる。そんなのもちろん……。
「ああ、万端だぜ!」
この試合の審判、メリッサが両者の間へと歩を進める。
「この試合の勝利条件はどちらかが相手の剣を落としたら勝ちとします。では用意……」
白くきれいな手が間に止まる。俺は震える手で剣を取り出すと緊張を振り払うように構える。静寂が訪れる。誰も身動きすらしなかった。風がなければ時が止まったかと勘違いしてしまいそうだ。俺はゆっくりと体の重心を前に移動させる。
「はじめ!」
勢いよく手が振り上げられる。同時にヴォルドめがけて走り、大きく剣を振りかぶる。辺りにキンキンと金属音が鳴り響く。
――やっぱり予想通りだな。
俺は心の中でにやりと笑みをこぼす。なぜ心の中なのかって?それはいたって単純そんなことをしている暇なんて存在しないからだ。そんな俺の心理状況をあざ笑うかのように、ヴォルドは笑みをこぼしている。やっぱり余裕そうだ。普段ならたじろいでしまうが今は落ち着いていられる。なぜならヴォルドに勝てる道筋なら、はっきりと俺の目の前に伸びているからだ。
ヴォルドにはある1つの癖がある。それは 自分から攻撃を仕掛けないこと だった。癖なのか意図的なのかは分からないが、この12年間1回も俺に対して、攻撃をしてこなかった。剣を弾き飛ばすときはいつもヴォルドの剣は動いていない。ならなんで俺の剣は弾き飛ばされるのか?答えは簡単。俺が攻撃しようとしたところに、ヴォルドの剣がすらりと伸びているからだ。そう、ヴォルドは攻撃先を見切っているのだ。12年間も俺の稽古をしていれば、嫌でも俺の癖がわかるのだろう。例えば俺が右足を踏み込んだ時は……そう、突くということを!やっぱりかわされてしまった。くるりと右側に身を翻すと、頭の上に剣を持っていく。冷静に目で確認し、後ろにジャンプをしながら間をとる。相変わらず怖い。だけど今の攻防ではっきりと分かった。やはりヴォルドは俺の攻撃を見切っている。その証拠に攻撃しようと思った頭を守られてしまった。
「ふぉっふぉっふぉ、1か月とは比べ物にならないくらい強くなられましたな。爺は嬉しいですぞ」
「その割には余裕そうだけど、何か理由でも?」
「やはり坊ちゃんは気づいていないようですな。そのままでは私には勝てませんぞ」
やっぱり。攻撃をしてこないということは癖ではなく、わざとだ。俺の癖を見切っている。しかしそれは同時にヴォルドのたった1つの弱点でもあった。一見勝ち目がないように見えるこの勝負。大番狂わせを起こすたった1つの方法。それは油断させることだ。攻撃を見切れることは慢心につながり、やがて集中を途切れさせてしまう。集中が途切れるとどんなに強くても判断ミスを招く。メリッサと一緒に考えた作戦、それは一瞬の判断ミスを見逃さずに、攻撃を仕掛けるというものだ。シンプルだけど一番可能性のあると思う。ヴォルドは相変わらずすまし顔で攻撃をいなしている。どうやらこの作戦をお目にかけるときが来たようだ。ステップ1, わざと癖通りに攻撃を仕掛ける。 この作戦の前提条件として、ヴォルドを油断させることが絶対となる。勘のいいヴォルドのことだ。作戦のことを感ずかれてしまっては、俺の四週間は水の泡となってしまう。それだけは何としてでも阻止しなければいけない。そこで考えたのがわざといつも通りにするというものだ。
「はーーーーーー!」
左足を踏み込んで、右方向へと横一文字に斬りかかる。ヴォルドはかがんでかわすと足元に剣を構えた。それを目視して、わざとそこに追撃をくらわせる。そのあとすぐ、剣を構えなおし頭をめがけた。よしよし。今までしてきた攻撃はすべて癖通りにしている。そろそろ油断してきたころじゃないかな?ステップ2、 不規則な攻撃を仕掛ける。 次は攻撃を当てるためにする番だ。今までとは不規則な動きに翻弄されるはず。試しに最初した突きをしてみるか。左足を踏み込み、横一文字斬りと思わせて……思いっきり突く!なんとこれが効果抜群。一瞬だけヴォルドの反応が遅れ、左のほほをかすめた。途端に赤い血が剣を少しだけ染める。この時初めて、ヴォルドの顔から余裕が消え、目を大きく見開いている。焦っているのかもしれない。あのヴォルドが?この調子でいけば勝てる!確信に変わってからは、次々と不規則な攻撃を披露した。徐々にヴォルドの体制が悪くなってきている。観客の熱気がより一層大きくなった。
「せい!」
ジャンプをして斬りかかると思わせて、そのまま着地する。その時一瞬だけヴォルドが隙を見せる。この時を待っていたんだ!見逃さずに今までで一番強く、剣を振り上げる。ステップ3、 よく狙って。 狙い場所は……剣の上部分だ!手から離れていればいるほど、力は伝わりにくくなる。俺が狙うべき場所はそこの一点のみだ。俺の剣がヴォルドの剣にあたろうかとしている時。もう一度、時が止まった。試合が始まる前の止まり方ではない。期待に満ちた、熱い静寂だった。観客の視線が剣に集中する。まるでスローモーションのようにゆっくりと時が流れる。そしてついに……。
「うおりゃーーーー!!!!!」
キン!という金属音とともに、ヴォルドの手から剣が弾き飛ばされる。観客の顔が緊張したものから、歓喜のものへと移り変わっていく。張りつめていた空気が一気に爆発した。ワッ!という耳鳴りのような歓声。もし、事情を知らない人が外にいたら爆発かと思っただろう。地面さえも揺れている。ヴォルドの剣がくるくる回りながら、地面に突き刺さる。
「そこまで!勝者、シリウス様!」
審判のメリッサもうれしそうに顔をほころばせる。両者が握手をするため、中央に来た時、ヴォルドがこっそりと耳打ちをしてくる。
「お見事でしたぞ、坊ちゃん。これだけの腕前があれば外の世界に出ても安心ですわい。しかしもう少しポーカーフェイスを練習したほうが良いかもしれませんな。作戦がバレバレですぞ」
え!?ちょ、は!?待って。最初から俺の作戦を見切っていたのか!?いや、よく考えればおかしいところが多い。最初に騙した突きだってかわせないようなものではなかったはず。そして不規則な攻撃を続けていたあの時間。あれだけの時間があれば簡単に見切れたはずだ。そんなことを考えているとある1つの答えが浮かび上がってくる。まさか、俺が外の世界に出られるようにわざと負けてくれた?はっと顔を上げると満面の笑みでヴォルドが立っている。
「外の世界、楽しんでくださいね」
そう言った後、嬉しそうな顔で城へと戻っていった。やっぱりそうだ。どんなに俺が強くなってもヴォルドには勝てないだろう。心理戦でも、剣術でも。試合に負けて勝負に勝つ。嬉しいけどなんか複雑……そんな気持ちで俺は部屋へ戻っていった。歓声はやむことを知らず、励ますように俺の背中を揺らしてくれた。今は外の世界に行けることを素直に喜ぼう。強くなったらまた勝負に挑みなおせばいい。その時、圧倒的な強さで勝てばいいだろう。
「約束は約束じゃからな。悲しいがそなたに外の世界にいくことを許そう」
翌日の朝、俺は母さんの部屋で朝食を食べていた。普段は各自自由にとるのだが、お別れの日ぐらいはと抱き着いてきたので一緒に食べている。隣にはヴォルドがピンと背筋を伸ばして立っていた。どんな表情をしているかは説明不要だろう。
「シリウス様はどこか行きたい場所はあるのですか?」
少なくなった紅茶を継ぎ足してくれながら、メリッサが尋ねてくる。メリッサと話すのも、今日が最後かと考えると凄く悲しい。
「うーん、やっぱり海と山かなぁ。魚とか動物とかも見てみたいし。あ、あと人間の街もね。どのくらい文明が発達しているか気になるし」
「シリウス様は本でしか知りませんからね。きっと驚くことばかりでしょう」
空になった皿を下げ、また新しい料理を置いてくれる。なんか今日の朝食、めちゃくちゃ豪華じゃない?
「そうじゃシリウス、1つお願いがあるのじゃが聞いてくれるか?」
「うん、いいけど……」
少しだけ真剣な顔になった後、ゆっくりと話し出す。
「もしそなたが魔物や人間と話す時、ベレッタという名は隠してほしいのじゃ」
「別にいいけど、何か特別な理由でもあるの?」
「まあ、その、なんじゃ、とっとにかく約束してくれるな?」
珍しく慌てる母さんにたじろぎながらも快諾した。なにか言えないようなわけがあるのだろう。深入りするのは少しかわいそうだったからやめることにした。
「すまぬな、こんな事を頼んでしまって。まぁ旅をしていればいつか理由に気づくじゃろう」
「あれ?特別隠す必要はないの?」
なにかとても重要なことかと思った俺は、少し面食らった。聞けばある程度落ち着いたら名乗ってもいいらしい。
「ふーん、ま、取りあえずは名乗らないでおくよ。大切な母さんからの頼みを断るわけにはいかないからね」
「ま、待てシリウスよ。い、今なんと言った!?」
「え?何かまずいこと言っちゃった?」
「いいから早く!」
何か地雷ふんじゃった?でも雰囲気は悪くなってないし……。気迫におされ、さっき言った言葉をそのまま繰り返す。
「た、大切な母さんからの頼みを断るわけにはいけないからねって言ったけど……」
そういうと母さんの顔がどんどん笑みに浸食されていく。
「その大切な母さんの部分だけもう1回言ってくれぬか?頼む!」
「大切な母さん」
「ああ、生きていてよかった……若がっている気分じゃ……」
結局この後10回くらい言うことになった。日頃の感謝の意味も込めて満面の笑みで言ってあげると「わらわは幸せ者じゃ……」と言いながら鼻血を出しながら後ろへ椅子ごとたおれてしまう。ヴォルドとメリッサ、俺が慌てて駆け寄ると嬉しそうな顔でニヤニヤ笑っていた。苗字を名乗ってはいけない理由はすぐわかるだろうけど、母さんのことは一生わからないだろうな……そう思いながら母さんをそっと抱え、ベッドに寝かせるのであった。
「さっきはすまなかったな、少し取り乱してしまったようじゃ」
「う、うん大丈夫だよ」
全然少しじゃなかった気もするが……ここは黙っていることにしよう。俺たちは今、城の前にいる。準備を済ませ、後は大きく一歩を踏み出すだけ。うーん、楽しみだ。どうやって外の世界に行くつもりなのか聞かれ、歩きで行くと答えたところそれよりもいい方法があるといわれたから城の前にいるというわけだ。
「それで……いい方法っていったい何なの?」
「うむ、メリッサよ。頼んだぞ」
「かしこまりました。奥様」
ちょっと嫌な予感がするけど、きっと気のせいだ。うん。
「シリウス様、外の世界でもお元気で」
涙ぐみながら、メリッサに抱き着かれる。ちょおお、胸、胸が!
「う、うん!ありがとうメリッサ。たまに城にも帰ってくるからさ!」
「本当ですか!?」
「もちろんだよ。母さんも爺もありがとう」
「気を付けるのじゃぞ。なにかあったらすぐに助けを呼ぶのじゃぞ」
「ふぉっふぉっふぉ、城が寂しくなりますなぁ。いつでも帰ってきてください」
みんなに別れの挨拶を済ませ、メリッサの元へ近づく。
「では失礼します。シリウス様」
そう言うなり、俺を抱きかかえると足を肩幅に開き始めた。右足を下げると膝を曲げ始める。まさかとは思うけど、投げ飛ばすわけでなないよね……?
「いったい何をするつもりなの……うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
勢いよく投げ飛ばされる。せめて心の準備をさせてくれ。
「気を付けるのじゃぞー!」
「お元気でー!」
追いかけるようにみんなの言葉がきこえてくる。俺はそれに手を振ってこたえる。18年間過ごした城は見る見るうちに小さくなっていき、やがては地平線の彼方へと消えていった。視線を城の方向から目の前に広がる大地へと移す。まるで無限に続いているかのような広さだった。俺が吞気に飛んでいる中、世界中で激震が走った。あの世界最強かつ最古の魔王、破壊の女帝の2つ名を持つカミラ・ベレッタの城から正体不明の人間が飛んできた、と。俺の母さんは想像以上に危険で大物だということをこの時はまだ、知る由もなかったのである。