雨の日#1
異世界にも長雨の季節がある。日本で言う所の梅雨に当たる時期で、連日にわたり朝から晩まで雨が降り続いていた。
「毎年、この時期になると気が滅入るよ」
ジンが窓に手をかけて呟く。
「仕方ありませんよ。雨が降らなければ作物は育ちませんから」
ジンたちへの依頼も無く、雨で外出もできないという状況は退屈だった。
やることがないからと言って、昼間からゴロゴロするというのは健全ではない。という事で、多趣味な男の1日が始まった。
ジンはキッチンへと移動し、以前からの試作品に取り掛かる。
「これが完成すれば、有り難いんだけどな」
日本であれば簡単に手に入り、毎朝欠かさずに飲んでいたもの。だが、この世界には似たものはあっても、あの味や風味ではなく、ただの苦いお湯だった。
「今日こそ完成させる。待ってろよコーヒー」
事の始まりは 些細な疑問からだった。
異世界の食事にも慣れたころ、ジンはふと思った。コーヒーが飲みたい、と。
この国は基本的にパン食。朝も昼もパン。にもかかわらず、牛乳はあれどコーヒーは無かった。
コーヒーか、それに類似するモノがないかミリアに聞くと、
「苦いモノなんて飲んで何が楽しいの?」
と怪訝な顔をされた。
苦いというのは生物にとって危険なもの。食用でなかったり、毒であったりという可能性のあるものを好き好んで飲む方が不思議のは事実だった。
しかし、コーヒーに気付いてしまった以上、飲みたくなってしまうのは仕方ないことだった。
最初は市場に出回っている者はないかの確認だった。嗜好品と名乗っていなくとも、似たような香りや味がするものは無いのかと探し回った結果、コルプという木の枝を乾燥させて作ったお茶を発見した。
「これって美味しいですか?」
店主に一応確認してみると、彼女は微妙そうな顔をした。
「仕入れてはいるけど、正直人気は無いね。好きな人は居るけど物好きさ」
人気は無いらしい。
ジンは淹れ方を教えてもらい、家に帰った。
キッチンでお湯を沸かしていると、エオンが覗き込んできた。
「……何してるの?」
「ん? コレを淹れるんだ」
エオンにコルプの枝を見せると、珍しく慌てて後ずさった。
「……好きなの?」
「いや、今日初めて飲むんだよ。一緒に飲むか?」
すると彼女は全力で左右に頭を降り、拒否を現した。
「絶対に嫌」
断言された。
「そ、そんなに美味しくないのか、コレ」
「……美味しくないなんてもんじゃない。酸っぱいドロドロ」
酸っぱいドロドロであれば、コーヒーではないことが確定するが、お湯まで沸かしてしまった以上、試してみるしかない。
コップに枝を入れてお湯を注ぐ。そしてスプーンで混ぜてみると一気にお湯の粘度が変わった。
「確かに、ドロっとしてきたな」
「……混ぜすぎると液体じゃなくなるから、ほどほどに」
確かにエオンの言う通り、スプーンに感じる抵抗が強くなっている気がする。
「飲んでみるか」
液体というより、半固形化してしまったお茶をすくって口に運ぶ。
その瞬間、口の中に強烈な酸味が襲った。レモンの果汁を直接流し込まれたような衝撃。
思わず吐き出しそうになりながらも、なんとか飲み込んでから肩で息をする。
「すっぱッ」
「……でしょ? 好んで飲む人は少ない」
ジンは、コップにある酸っぱいモノを目の前に頭を抱えた。
そしてまた別の日に、ジンは市場に赴いていた。
「この根は煮だすとお茶になる、と」
「そうだね。ちょっと苦味のあるお茶だね」
「こっちのは?」
「これは高級品の茶葉だよ。値段相応の味で人気だよ」
そう言われて購入したものだったが、そのどちらもコーヒーとはいえなかった。
ところが、それは不意に知ることになった。
「苦くて目の冴える飲み物ですか。私が知っているのは気付け薬ですかね」
夕食の時にティエラの口から出た言葉。嗜好品や常飲するお茶などではなく、失神した人や気絶しそうな人に与える薬で、強烈な苦味で無理やり意識を回復させるという代物。
騎士という役職であれば、知っていても不思議ではなかった。
「気付け薬か。物は試しで当たってみるか」
「一応言っておきますが、美味しいものではありませんよ? 気絶しそうな意識を無理やり覚醒させる程の苦さですからね」
日本という異世界の知識を何度も見ているので、本当に何か出来上がるのではないかと思ってはいるが、疑問もあった。
そんなティエラを他所に、ジンは気付け薬の原材料を調べる事を決めていた。
「アンタもすっかり常連だね」
コーヒーのために数週間で毎日のように訪れている市場の店。そこの老女の店主とは気軽に話すほどになっていた。
「ここは品ぞろえも品質も良いですから」
そう言いながら、気付け薬に使われているという植物の実を眺めている。
気付け薬に使われている材料は4種類。どれも植物の葉や根であり、それを煮出して調合したものが薬として売られている。
ちなみに、ジンは試しにその気付け薬を一口飲んでいる。苦味と灰汁が舌の上を蹂躙していき、その日は何を食べても味を感じないほどの不味さだった。
しかしそれは、あえてマズく作っている結果に過ぎない。しっかりと材料単体を知れば活路が見出せるかもしれないと考えていた。
そしてその材料の中で、これはというものが見つかった。
カルミクという木の実。種を取り出し乾燥させ、粉末状にしたものを薬に溶かしているという。
(豆の形がコーヒー豆に似てるんだよなぁ)
似ているだけで全く違う可能性もあるが、試してみない事には先に進まなない。
「この豆沢山ください。後この豆とこの豆、それと、こっちの木の実もください」
「本当にアンタは変わってるね」
店主は少しだけ呆れたように笑った。
それが1ケ月前の出来事。店主から豆や種は1か月ほど乾燥させたほうが良いといわれたので、風通しのいい場所に保管して今日を迎えた。
「最初はこの豆からいくか」
香辛料として使うらしい三角の白色の豆。
水分の抜けた豆を1掴みフライパンに移して乾煎りする。
コーヒーで言う所の焙煎にあたり、これで香ばしさを引き立てる。
強火ではなく弱火でじっくりと火を通していく。どれだけ時間がかかっても構わない。急ぎ過ぎるとあっという間にこげつき、無駄になってしまう。
5分くらいだろうか、元々白っぽかった豆が茶色くなり始めてきた。
「良い感じかもしれない。この調子で上手く行ってくれ」
独り言をつぶやくながら、ジンはフライパンをゆすり続けた。
15分後、全体的に茶色から黒に変わり、しかも香ばしい香りがしてきた気がする。
「これは成功なのではないだろうか」
自分でも感心してしまう出来に笑みがこぼれる。
完成した豆をすりつぶし粉にしてみると、コーヒーとは違うスパイシーな香りが広がった。
「肉に付けて焼いたら美味そうな匂いだな」
試しに指先に粉を付けて舐めてみる。すると匂いの通りの味がした。
「これじゃあないな」
次に手を伸ばしたのは、赤く丸い豆。これも同じ手順で焙煎と粉砕を行うと、微かに甘い香りがした。
「コーヒーっぽくねーな」
しかし、実験を途中でやめるわけにはいかない。
焙煎と粉砕が終わり、いよいよドリップに入る。
当然紙のフィルターなどは無いので、布製のフィルターを使ってドリップに挑戦する。
カップの上にフィルターをセットし、挽いた豆を入れる。
そこに沸騰したお湯を、豆とフィルターの間に円を描くように少量だけ流し込む。一気にお湯を入れるのではなく、少量であることに意味があった。
少量のお湯が、ゆっくりと豆に浸透しながら豆自体を蒸らしていく事で、香りが立ち美味しくなる。
「…………?」
はずなのだが、どうにも違う気がする。先ほどとは段違いで甘い香りが立ち込めた。
ガムシロップを極限まで煮詰めたような、頭が痛くなってくる程の強烈な匂い。
「これは飲んで大丈夫なのか?」
一口だけ飲んで後悔した。味も風味もない、ただの甘味が舌の上に広がる。
ハッキリ言って不味い。不味いと表現できないほどの不味さ。
「これは無理だ」
飲み切るなんてことは絶対にできなかった。
そして3つ目の豆。
「次の豆は期待できそうなんだよな」
その豆は形がコーヒー豆に似ているという理由で選んだだけだが、それでも期待してしまう。
すでに慣れた手つきでフライパンを火にかける。
焦げないように絶えずフライパンをゆすり続けること5分、少し豆が色づいた頃いよいよコーヒーに近い香りがし始めた。
「豆の形が似てるって理由だけで選んだけど、当たりだったか」
全体的に濃いめの茶色に変わり、見た目は完全にコーヒー豆が出来上がっていた。
それを粉にしてドリップする。コーヒー特有の深い香りの中に、フルーツの酸味を連想させる匂いも感じた。
カップに溜まる液体は黒ではなく薄い茶色だったが、それでも問題はなさそうだった。
「いくか」
カップに6割ほど溜まった茶色い液体を一口飲んでみる。日本で飲んでいた時のコーヒーの濃さを考えれば、倍は薄めたくらいだったが、それでもコーヒーに近かった。
「成功、だよな」
異世界に来てからというもの、ホームシックのようなものは無かったが、食べ物が恋しくなる時はあった。
自分で再現できるものもあれば、絶対に出来ないものもあった。だが社会人時代を支え、キャンプの時は癒しを与えてくれたこの飲みものが完成したことは、何物にも変えられないた達成感があった。
「コーヒーだなぁ」
感慨深くカップに口を付ける。苦味と酸味のバランスは良い。鼻から抜ける香りも後味も悪くなかった。
最後まで飲み乾すと同時に、リビングにある時計が正午を知らせるベルを響かせた。
「もう昼か。みんな何か喰うよな」
晴れていれば、家で食べる事も外で食べることもあるので、完全にそれぞれで昼食を済ませるが、全員が家にいるのだから誰かが昼食を作る必要がある。