第6話 子供達の目覚めと茜の若い男嫌い
「蹴りの練習を始めようか。実演するので見ているように。」
前蹴り、横蹴り、回し蹴り、後ろ回し蹴り、膝蹴り、飛び蹴りを一連の動作で披露した。
「ぜえ、ぜえ、これが蹴りの見本だ。」
お爺さんは息を切らしてへたり込んだ。
「大丈夫かお爺さん?!」
茜が真っ先に駆けつけてお爺さんの背を擦った。
「ありがとう、茜。見ての通り蹴りはかなりの体力を消耗する。
爺の体力ではきついのだよ。では早速前蹴りから始めようか。」
5人を一列に並べると蹴りの指導を始めた。
「軸足を螺旋で固定するんだ。足の指で地面を掴むイメージで捻じれ。
そう、ふらつかなくなったな。凄いぞ。」
お爺さんはひとりひとりにコツを教え、できる度に褒めては頭を撫でる。
5人は嬉しくなりますます練習に熱中した。
跳び蹴りの練習をしている時だった。
何かを閃いた茜は駒のようにクルクルと回転を始めると「扇風機キック!」と叫び、回転しながら3m程宙を飛んだ。
「茜すっげー!」
「なになに!どうやったの?」
自慢げにコツを教えると皆が真似をしだしクルクルと宙を飛び始めた。
その後、「ヘッドスピンキック」「流星キック」「M87キック」「ナゴルニーキック」次々と新技を作り出し、常識では考えられない動きをする5人を見て爺さんは呟いた。
「もしかしたら、とんでもない間違いを犯したかもしれん。」
爺さんはただ茫然と見ている事しかできない。
しかし、新技を披露する度お爺さんに褒めて貰おうとする子供達に、以前飼っていたタロウという雑種犬を思い出し、杞憂かもしれないと思い始めていた。
「よし、では歩行、突き、蹴りを自分の思い通りに組み合わせて演武をしてみなさい。」
5人は思い思いの組合わせで演武を舞う。
それぞれの個性が出ていて見ていて楽しくなってくる。
萌葱は基本に忠実でひとつひとつの動きにブレが無い。
茜はアクロバティックで小さな体を大きく見せたがる。
夜花子は恥ずかしいのかややぎこちないながらも、最小限の動きで的確に急所を突く動きを見せる。
珊瑚は視線が気になるのか、注意力が散漫で技を出した後にまごつくが、切り返しがうまい。
蒼は静から動への切り替えが素早くトリッキーな動きをする。
たった2日でいっぱしの動きを見せる5人に驚嘆し、巡り合わせの奇跡にお爺さんは心で歓喜した。
「では対男子専用の最強蹴り技を教え、ようかと思ったがやめておく。
多分お前らに勝てる中学生はいないぞ。」
「そっかー!これであいつらボコれるな!」
萌葱がニタァと悪い笑みを浮かべた。
「ひとつ言っておくがお前らの力は犯罪に使わんでくれ。正義の味方になれとは言わん。
お前らに暴力をふるった坊主どもを懲らしめることに、異存は無い、禍根を残さない位思い切りやってやれ。それが出来るのは今だけだ。
それでは、今日は終了だ、気をつけて帰れ。」
「ありがとうございました!」
爺さんは子供達の姿が見えなくなる迄見送った。
5人は揃って桔梗の部屋に訪れた。
ノックしても反応がない。
郵便受けを覗いても部屋の中に人影は無かった。
「明日、会えるといいね。」
珊瑚の呟きに皆が頷いた。
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茜は父性に飢えていたが若い男が嫌いだった。
母親は中学生で茜を産んだ。
同級生の父親は認知せず逃げた。
両親共々県外に引っ越し行方不明になった。
母親は母子家庭で長年この団地の住民だった。
母親は中学を卒業するとすぐに働きに出る。
赤子だった茜は同居している祖母が面倒を見た。
祖母は茜に無関心でただ一緒にいるだけだった。
ミルクは勿論のことおしめも禄に替えて貰えない。
泣き叫びが絶えない事を気にしたご近所さんが、交代で茜にミルクを与えおむつを替えてくれた。
今は亡くなってしまったお向かいの善一爺さんが、小学生に入学した茜を見て涙を流して喜んでいたのを茜は覚えている。
ただ、会う度「茜のおむつを一番替えた」と誇るのが嫌だった。
それでも、善一爺さんを嫌いにはならなかった。
善一爺さんは独居老人だった。
いつも茜を気に掛け毎日のように様子を見に来てくれた。
泣き止まない茜をおんぶして、散歩に行くのが日課になっていた。
茜が歩けるようになり遊びに行くと抱き上げてくれ、膝に乗せて色々な話を聞かせてくれ古い映画のビデオを見せた。
少ない年金からおやつや誕生日プレゼントを用意してくれた。
ある日遊びに行くと倒れている善一爺さんを見つける。
茜は善一爺さんが寝ていると思い揺さぶり起こそうとする。
思いが通じたのか善一爺さんが薄っすらと目を開けた。
「茜ちゃんに看取られるとはなぁ、手を握ってくれんか?」
茜が両手で握りしめると善一爺さんは満足した笑顔で息を引き取った。
茜は母親が探しに来る迄ずっと善一爺さんの手を握り続けていた。
小学2年の夏の真っ盛りの頃祖母が死んだ。
発見されたのは死後1週間経ってからであった。
この頃茜は自分の事は自分でできるようになり、祖母とは顔を合わせない日が多くなっていた。
祖母も日中は寝ていて茜が寝てから起き出しては、安酒を飲み散らかし明け方に眠る生活をしていた。
母親も祖母が寝る時間に起き出し茜と一緒に眠りにつく。
そして祖母の部屋から異臭がするのを茜が気が付き遺体を見つけた。
黒く変色した横顔を見て茜は「あ、死んでる」と思った。
葬儀はで二人で行った。
施設内で行われる葬儀に通夜や告別式は無い。
火葬室の前で坊さんにお経を読み上げてもらいそのまま火葬される。
小さな骨壺に幾ばくか骨片を入れ残りは廃棄される。
焼かれた骨を見ても茜は何も思わなかった。
骨壺は埋葬される事もなく、位牌の無い小さな仏壇に写真と一緒に置かれていた。
祖母が死んでから、母親の箍が外れる。
深夜帰宅が恒常となり、2、3日帰ってこない日も頻繁にある。
そんな日は給食と水道水が生命線であった。
親友達は母親が帰ってこない次の日に、必ず自分達の給食を分け与えてくれた。
「茜がこれ以上小さくなったら、見つけられなくなるじゃん!」
涙と鼻水で味付けられた、どんなご馳走よりも美味しい給食が茜の心とお腹を満たした。
母親が若い男を「お付き合いしている」と言って連れて来た。
若い男達は茜を見ると目尻を下げ茜を触る。
若い男達の手は湿っていて、べとべとして肌に絡み着いて不快だった。
若い男は茜に一緒にお風呂に入ろうかと誘う。
嫌らしい目つきを女の本能が察知する。
茜は男の足を思い切り踏みつけて自室に駆けこんだ。
男が泊まりになると当然夜の営みが始まる。
母親の嬌声を聞いた時、酷い事をされていると思い部屋に飛び込んだ。
全裸の男が母親の上で腰を振っているのを見て、思わず男の背中を叩いて「母さんを虐めるな!」と叫んだ。
男はバツが悪そうにして、母親から離れて服を着て出て行ってしまう。
母親は唖然としたものの、怒ることなく茜に言い聞かせた。
「虐められてたんじゃやないのよ愛してもらってたの。
愛して貰うとねいっぱい幸せな気持ちになるの。
だからね、心配しなくていいのよ。」
母親の胸に抱きしめられた茜は、母親と違う汗と嗅いだ事の無い生臭い匂いに気持ち悪くなった。
その後も度々若い男を連れ込んできた。
ただ、多くて3回、4回目に来た男はいなかった。
中には茜を見るなり「子供がいるなんて聞いていない」と怒りだし帰る者もいた。
総じて若い男は茜を触りたがる。
茜は若い男の触り方が不快で大嫌いだった。
同じ男でも善一爺さんの手は暖かくて、さらさらしていて撫でられていて気持ちが安らいだ。
母親の嬌声にも慣れた。
中学年になると、母親が何をしているかも知った。
「今が、ミツコさんの青春なんだな。」
そう思うと、母親と若い男との付き合いも気にならなくなる。
自分を産んだ為に失った時間を取り戻そうとする、若い母親を嫌いにはなれなかった。
「ミツコさん、妹弟は勘弁な。ちゃんと避妊してくれよな。」
いつか母親に言った時、きょとんとした顔をした後、「分かりました」と茜を胸に抱きしめた。
昔大好きだった、母親の匂いを久しぶりに嗅いだ。
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お爺さんへの食事をタッパに詰める。
給食が一日の主食である六花には辛い行いだった。
六花の目が配膳された給食とタッパを行き交う。
今日の献立は、はちみつパン 、ミネストローネ、チーズオムレツ、野菜サラダである。
各々が涙を飲んで、はちみつパンを半分に千切る。
じゃんけんをして、ミネストローネから供出する具材を決める。
負けた珊瑚の皿からウインナーがタッパに運ばれる。
あああと声に出し別れを惜しむ。
にんじん、玉ねぎ、こまつな、しめじ、マカロニがそれぞれの皿からタッパに盛られる。
チーズオムレツ、野菜サラダは4分の1づつ、寸分違わず盛られる。
パンの入ったビニール袋とタッパが2つ、今日の日謝の出来上がりである。
「いただきます。」
よく噛み味わいながら給食を食べる。
「ご馳走さまでした。」
いち早く食べ終えた茜の皿に少量づつオカズが残っている。
それを残さずタッパに詰める。
子供達は最後の一口を諦め続いてタッパに詰めた。