月経と引力
23/8/12 追加投稿完了しました
次回投稿ですが、投稿済みの原稿の修正と新規の話書き溜め作業のため23/9/1を予定しております。
25/2/09 修正しました 過去の自分が夢が何を意味するものとして書いたのかさっぱりわからなくて困惑しました。
クリスが集落に来てから、集落では新参者の話題で持ち切りだった。師匠達の帰還を祝う宴もあって気運はますます高まっていった。
そして宴当日の朝、私は生理によって体調を崩していた。前世の経験から生理のなら慣れたものだと思っていたが、異世界の生理は生理用品や薬がなく、想像以上に辛かった。本当に辛い時は寝込むぐらいしかない。しかし今の人手不足の中では寝ている訳にもいかない。昨日の狩りで採って来た肉はすぐに加工しないと腐ってダメになってしまう。しかし女性に寛容なエルフの集落でこれだから外の世界じゃ生理で休んだら怠け者と言われそうで怖い。
私は母を起こさないように静かに立ち上がると外の水カメの側に屈んで行水をする。汚れた赤の毛糸の下着も洗うと外の麻縄の洗濯ロープにひっかける。
作業が終わると私はタープ下の椅子にへたり込んでため息をつく。
「やっぱ生理しんど…ニコラスに手伝いを頼むかぁ…」
ニコラスに頼むのは彼が肉の加工に慣れているというだけではない。この集落では生理の女は発酵食品に関わってはいけないという風習があった。それは多分、生理をケガレとするケガレ信仰のようなものなのだろう。前世ではそんな話しは聞いたことはないが、決まりなので従うしかない。私は自分の目元を手の平で覆って頭痛が落ち着くのを待った。
人間の君主との謁見まで一週間。その間に宴までするなんて忙しくてどうにかなっちゃうよ。
暫くすると、森の中から「ホホッーホホッー」という奇妙な鳥の鳴き声で目が覚めた。どうやら二度寝してしまったらしい。これは前世の地球のキジバトに似て早朝の時間に鳴く鳥だ。この鳥は日の出が近いということを報せてくれる。
「うぁ…二度寝してしまった。どうしよ。もう間に合わないから誰かにニコラスに頼むかぁ…」
しかしこんな早朝に誰に頼めるのか。そう考えながら椅子から立つと、どこからか草を刈った時の様なツンとした臭いが漂って来た。
「誰かいる…この臭いは…クリシダ…?」
その臭いはクリシダというエルフの香草の臭いだった。私は彼女にニコラスに伝言を頼もうと名前を呼びながら臭いを頼りに歩き出した。
クリシダは呪霊の一族の若き長で、呪いや儀式に詳しいエルフだ。彼女は黒髪に白い肌、黒い瞳というエルフが美人とされる特徴を持っている。しかしそれに反抗するかのように顔や身体には黒色のタトゥーの様な化粧をつけて髪はショートヘアのボサボサ頭に体中には狼につけられた生傷やパッチテストの痕がある。そんな彼女はエルフ達から美を冒涜していると批判されることが多い。しかし彼女は自分が美しいということを心から信じて疑ってないフシがある。クリシダとはそういうエルフだ。
クリシダの第一印象を聞くと偏屈な人に思えるかもしれない。だが、彼女はそれを覆すかのように人当たりが良いし、常識人だし、交友関係も広い。最も転生者の私に常識人と思われるということは、異世界では異質な存在ということの証明なのかもしれないが。
私と呪霊の一族には色々とあって複雑な関係だ。だから私と彼女の関係を強いて言うなら悪友とか共犯者みたいな感じだと思う。
森に近づきながら私が「クリシダ―!」と大声で呼ぶとむこうからこだまの様に「こっち~」とのんきな声が聞こえる。声を頼りに森の獣道を進むと森の中の開けた空間に出た。空間は半径五m程で木や茂みが無かった。その広場に獣の皮を被った腹のデカイ女とその周囲を歩く一体の狼が居た。私は狼を見て思わず硬直する。狼は目に傷のあってシルバーという名前だ。
「おう、おれになんか用か?」とクリシダは手を上げて挨拶する。
「う…うん…久しぶり。シルバーさんも」と私は狼を刺激しないように静かに挨拶する。狼も私に挨拶するかのように頭を下げる。
「ハハハ。大分仲が良くなったじゃないか」
クリシダのお腹は臨月で大きく膨れ上がっていた。だが彼女はそんなことはお構いなしとでも言うかのように胡坐をかいて座って天を仰いでいた。クリシダの視線の先には森の樹冠の丸窓から星環が覗いていた。太陽光を反射した星環は昼夜問わず天で瞬き、地表を明るく照らしていた。この世界で始めてこの夜空を見た時は、感動し、その後はその成り立ちを仲間と語り合った。エルフの天文学者は太陽が照らす星還の影の下の地表は氷の大気と凍土があると考えていたが、遠洋から訪れる商人によってその説は否定されていた。今では星環は薄い水氷で出来ているので太陽の影が地表に届いていないのではと考えられている。だが、私はそれはないと思っている。何故なら泉や海に少し潜るだけで水中の光は大きく減衰されるからだ。もし氷水で出来ているならやはり太陽が照らす星環の下の地表は冷えているハズである。
でも結局はその説は行商人に否定されているし…。うーん…。
「珍しいね。どうかした?」
クリシダは私を見上げて問う。
「実は私あの日になっちゃってさ、ニコラスに手伝いをお願いして来て欲しいんだよね」
クリシダは「なんだそんなことか、良いよ」と事もなげに答えた。
私は用事だけ告げてさるのもバツが悪かったので鼻を鳴らして右往左往する狼について少し聞いてみることにした。
「ねえ、今日はシルバーがやけに興奮しているけどさ。どうかした?」
「そうだねーこれは月のあれかなー」私はクリシダの言葉に「え?」とお腹に手を当てるが、クリシダは「違う違う」と言うと天上を指さした。
天上は木々に縁取られて天蓋の様になっていた。クリシダは星環を指しながら言った。
「多分今日は星環の隠れ月が昇っているんだろうね」と言った。
星環は環を維持する重力のある星が隠れているのではないかと言われている。私達はこの星を隠れ月と呼んでいる。この惑星の引力は動物や植物の水分に影響を与え、潮の満ち引きを作り出しているとしている。その月の引力の影響下にある動植物はその生態を狂わされると言われている。
「迷信でしょ」と私は肩をすくめる。
「再現性があるから迷信じゃないよ。実際はこの子達は月に一回落ち着かなくなる」とクリシダは言う。
私はその言葉の反論に考えを巡らせるが、シルバーが私にまとわりついて来てそれをさえぎる。私は撫でながらシルバーに話しかけた。
「はあ、だったらあんた達も大変だね。月のモノなんてうっとおしいだけだけだよ」
「そうかな? 私は好きだよ。なんたって生きているって感じがするからね」
「…それって痛みを伴うから?」
クリシダは私の言葉に乾いた笑い声で首を横に振った。
「元々月経(menstruation)は『月ごと』のという意味の”menstrualis”を語源にしているんだって。この『月ごと』ていうのが月の公転周期…つまりこの星の日が昇っていずれ沈む働き似ているってこと。月の周期と月のモノっていう類似点に感慨を見出してしまうんだよ。おれは呪術師だからね。」
「成程」
「太陽が昇って朝になり沈んでいずれ夜が来る。それと同じことが私の胎内で起きていると思うとさ…その時私は生を実感するんだ。だからこの傷はおれの生きがいのようなもので自傷癖じゃない」
「そうなんだ。別にこんなもの無くても毎日が嫌になるほど生きている実感は思い知らされるけどね」
その時クリシダは私を見上げて小声で呟くように言った。その時はあまりにか細い声で理解することができなかった。
「そろそろ日が昇るよ。間に合うの?」
私はクリシダの言葉に「あ、ヤバ」と口に出してしまう。
「もう森を突っ切って行きなよ、途中まで一緒だし送るわ」
クリシダが膝を立てたので私は彼女に手を貸す。毛皮のマントから覗かせたふくらはぎや腕にはひっかき傷の様な生傷や、毒々しい色の丸い痣が付いている。
その傷を見た時に私はクリシダが呟いた言葉が「誰しもがそういう訳じゃない」と言ったんだと気付いた。私はその言葉に若干のネガティブな感じを受けた。
クリシダの一族は森を歩き回り、未知の植物や採取した物をその身に当ててパッチテストをしたり、口に入れて毒見をしたりする。珍しい鉱物や材料を手に入れるため危険を承知で森に入るから生傷も絶えない。それも全ては呪術師としての立場の復権の為なのだろう。
もしかしたら何か悩みでもあるんだろうか。クリシダの悩みと言えば…まあ、呪い関係かな…? でもクリシダはこう見えてプライドが高いから直接聞くのは避けた方が良いか…。
そう思って私はクリシダが興味ありそうな呪文について話題を振ってみることにした。
「そういえば、母さんが昔はエルフは呪文が使えたって言ってたけど…。今は使えないの?」
「昔はね、今はほぼ失われてる」
クリシダの一族は元々は呪術使いだった。エルフがこの森に来た時、集落は病に襲われた。エルフはこれを”森の呪い”と恐れ呪術師にそれを鎮め、病を癒すように依頼したがそれを果たせなかった呪術師達は怒りを買い追放された。集落の怒りの矛先が向くのを恐れた呪術師の一族は集落を出た。しかし呪術師の一族は森の中で呪いを一身に受けることで克服しようとしたのだ。今私達が森の物の安全と危険が判別が付くようになったのは呪術師の研究のお陰なのである。現在クリシダの一族は集落に戻れたが、呪術師としての立場は失われたままである。
クリシダは狼に近づくと言葉を投げかける。
「シルバー、私を広場まで案内して」狼はクリシダの言葉に「わふっ」と答えると誘うかのように森へ歩き始めた。私はクリシダに小声で聞いた。
「なんて言ってたの?」と聞くとクリシダは肩をすくめて言った。
「そんなのわかるわけないだろう」
「獣と話せるんじゃないの?」
私がそう言うと、クリシダは「別に話せるわけじゃないんだけど…」と頭をかいた。
「話すというより、解釈し合っているというべきかもしれない」
歩き出した狼に私達は付いて行きながら話をする。狼は獣道の様な森の中を進むので邪魔な茂みをかき分けながら言葉を交わした。
「例えばおれ達は表情から怒っているとか、悲しんでいると察することができる。それは眉尻を上げたり、下げたりするから。同じように狼が尻尾を上げたり下げたりする。おれ達はそれを記号或いはしるしとして認識してその意図を解釈する」
「同じように空の暗雲が立ち込めれば雨のしるし、日が照れば不作のしるしと解釈する。この狼も同じく我々の仕草や表情や声の調子から解釈している。そういう意味では”話している”ということになるかもしれない」
「でもおれが『ここは危険逃げて』って言ったとして、そのサインやシグナルは伝わっても『何故、逃げなくてはいけないか』の意図は伝わってないだろう? おれが思うにその意図を理解できないなら”会話”とは言わない気がする」
「じゃあ獣や自然と意思の疎通が出来ることが会話ってこと?」
「意思というより、魂というか。連続性? 文化と言った方がわかりやすいかな? 例えばある群れが人に乱獲されるようになって、猛獣の声でも逃げないのに人の声を聞くだけで逃げるようになるみたいな…」
「習性みたいなこと言いたいのかな? よくわからなくなってきた…」
「例えば泉の水位が下がったら日照りになるって言うだろ? その解釈は日照りの前兆として泉の水位が下がっていたのを見た、という経験が前提にある。そういう積み重ねがさっきのお前のいってた習性の様なもの。私達にとっては経験の積み重ねでできた文化というわけだ」
「え~とつまり何が言いたいの?」
「狼と話すには狼の言葉だけじゃなくて、その言葉の成り立ちを知る必要があるってこと。物知らずに右とか左とか言っても伝わらないが、おれ達は部族が違っても右や左と言えば伝わるのと同じである程度の土台が共有されいてる。それが文化だ。習性は狼にとっての文化だし、しるしは狩りをする時の合図のようなものだ」
「そしてそれと同様に物や自然の言葉を話すには、言語、意味、名前っていう人間の言語が前提にある。故に人間の世界の対象には”人間の言語”じゃないと会話、呪文が成立しない」
「え~とじゃあ、それって会話するとき狼や自然に人間の言葉で話しかけないと通じない。エルフ語では通用しない。何故なら自然や獣の名前や意味が人間の世界の文化圏で定義されてるから。だからエルフの呪文は通じないって理解であってる?」
「そういうこと。おれ達がこの森で蓄積した言葉なんて外界じゃ地元ルールのようなものだ。歴史上に”在った”とは言えない」
「成程え~とそれは…残念だね…」
私はクリシダの一族がエルフの呪文を復活させる為に払った犠牲が報われないと悟った。多分エルフの呪文が世界に通用するにはこの自然がエルフ語で出来ていないと駄目なんだろう。仮にエルフが森や天に呪文をかけられると言っても外の人間にとってはおかしなことを言う人達というだけで、儀式的な力を持つと認識されないのだろう。
「うむ、だがな。残ってる呪文もある。それは、愛や魂に関する魔法。私達自身には私達の言語でしか呪文が通じない。それは私達のこの中に沈んでる」
そう言うとクリシダは自分の腹をさする。クリシダはそう言うと私に悪戯っぽく微笑んで言った。
「意中の異性を愛に狂わせる呪文、教えてやろうか…?」
「いや、私はそういうのはいいかな…」
クリシダは私をからかえないとわかってつまらないと思ったのかため息をついた。
「…お前とニコラスは今どんな感じなんだ?」
私はクリシダの言葉に答えられなかった。
「うーんまだ、気持ち整理がつかないから考えさせてもらうというか…。それに呪文はズルい気がして…」
「ふむ、そういうわけか。まあ、おれが思うに…わからないなら、わかるようにして行動してみればいい」
そう言われて私は妙に納得した。解らないのは判断の材料がないからだ。だったらわかるようになる材料を得るようにすれば解を出せる。
すなわち私の気持ちは数学の未知数Xを求める恋の方程式だ。恋の方程式というセオリーが解れば自ずと解も予想できる。
仮にb+y=XのXには好きか嫌い、無関心しか入り得ない。
しかし人間関係を想像すると解の多くは好きになってしまう。例えば私はフランを好きだが、だからといってフランと付き合おうとはならない。
だからbとyの前提部分が恋において重要なのかもしれない。仮にbの部分が稼ぎだったりすると『金の切れ目が縁の切れ目』だったり、容姿だと『昔はカッコよかったのに…』ということに繋がるのかもしれない。
だからこのbやyに挿入される理由は恒久的には変わらないモノである方が長続きするということなのだろう。そういった意味ではエルフの容姿の美しさは長く保たれるので皆がこだわるのもわかる気がしてくる。しかしエルフというのは美しさは当たり前の項目であって更にその先を求めてしまう。
兎に角私とニコラスの関係を問われる場合、そこに恒久的なモノがあるかないかが重要になってくるだろう。
私とニコラスの恒久性とは幼馴染という部分になるだろう。だが幼馴染という部分が恒久性自体なのだからそれを取り除くと途端に成立が難しくなる。これは女友達との恋愛が難しいと言われる現象のようなものなのだろう。
他にありそうなのが集落の生活水準を高めようという目的意識とか自分探しの旅的な協力関係。つまり価値観だ。後者は旅はいつかは終わるものだとすると、前者の集落を良くする二人がいつまで続くかという話になるが…。でもこれは恋愛とかじゃなくて仕事とか義務感的な感じがするんだよなぁ。
そうなるといかに仕事を排除した関係を作れるかどうかに関わってくるよなぁ…。いっそデートでも誘うか? まあ、私はニコラスがどういう趣向を好むか知っているので後は誘うタイミングを見計らうことが大事だろう。
「成程。参考になった。ありがとう」
「お前程に素朴な女を相手にするニコラスはさぞ忍耐がいるだろうからな。優しくしてやれよ」
「そんなことない。私は彼にちゃんと配慮しているよ。対等だよ対等」
「成程。素朴な女に木の精のような男。言われてみれば似た者同士かもしれない」
それから森の中を歩いている間、私はデートのネタを考えていた。
私達が長屋の前についた時、クリシダは別れ際に手を振って行った。
「今度また暇な時は人間の言葉を教えてくれ」
「わかった、じゃあまたね」私はクリシダに手を振って別れた。
私は長屋の入口に入ると、横一直線に渡された寝静まった廊下を突っ切って突き当りの土間の調理部屋に向かう。木製の廊下には部屋が連なっており、部屋の前に麻のゴザが敷かれ、天井のハリからは家具や小道具が吊り下げられていた。
調理場の土間に着くとカマドに火を灯して、火種で蜜蝋に火を灯す。暫くするとニコラスと思われる足跡が近付いてくるのが聞こえた。
「おはようございます。体調はどうですか?」
「ごめんねぇ、急に」
来てくれた…!
という嬉々の感情にフタをしながら私はニコラスの方に軽く顔を向ける。変に顔を合わせるとニヘラ顔を晒してしまいそうでカマドの火を見ることに集中している様を装う。デートの誘いをしようかと思っていたが、よくよく考えるといきなり仕事を頼んでおいてデートの話を切り出すというのも何か違う気がする。浮かれているのか大分が調子が狂う。
「いえ、仕方のないことです。私も調理を始めますね」
そう言うとニコラスはカゴに入れられたハーブを水につけて刻み始めた。研究の機関もあって私達の手際は最高だった。私も手を清めるとブロック肉を切って葉の上に積み上げていく。私達は調理場で隣り合って、肉を切り分ける係、肉を漬ける係に分かれて作業することにした。打てば響くような連携で作業のギアがどんどん上がっていくのを感じる。
「この鉄刀やはり素晴らしい切れ味です。これがあるとないとでは効率がやはり違いますね」
ニコラスは私に薬味を小気味よい音で刻みながら話をする。
「今のところ鉄器は人しか作れないし、海とか山の特産品もそう。人無くしてはやっていけないよ」
エルフは塩や鉄は自然の採取物に含まれるミネラルや石器の加工品で代用することができた。だが、貝殻や酸などの未開の森では手に入らないものは人里に依存するしかない。
私は鉄刀の油を湯ですすぐと、石のシャープナーの様なもので何度も刃を研いでスライスする。スライスした肉は隣のニコラスが受け取り、塩を敷いた樽に詰められた。壺が肉で埋まったら”のびる”の様な薬味とハーブを振り入れて、塩を敷き詰める工程を交互に行って漬けられていった。
作業音が響くだけの台所で私は小さくため息を付く。生理による頭痛が激しくなってきたからだ。私は痛みを紛らわす為にニコラスに話を振った。
「ねえ、ニコラス。女の人の漬ける漬物が腐りやすいって話は迷信だと思う?」
私は視線を肉に固定しながら聞いた。少し間をおいてからニコラスは淡々と答えた。
「私が思うに漬物の腐りやすさは清潔さが重要だと思います。例えば肉を壺に付けて失敗した時に肉のカビが手形になったことありませんか?」
「あーあれね。手形がくっきり付くやつ」
そのせいで私達が肉の保存方法を試行錯誤していた時に、何度も失敗の原因を検討する羽目になったのだ。
「我々はあれが手の菌が原因だと結論付けました。それを踏まえた上で何故そんな風習がうまれたかということですが…。私が思うに男女の体温の違いではないかと考えています」
それを聞いて私は女性が生理の時は低体温になり、免疫力が落ちるという様な話を思い出した。石鹸がない中で生理を処理したらそういうことがあってもおかしく無い気もしてくる。
「女性の方は脂肪が多く低体温気味なので菌に対する抵抗が低い。さらに生理になると更にその抵抗力が弱くなるのではないでしょうか?」
「そういうことか。どうしよう。私、肉に触っちゃったんだけど」
「恐らく石鹸で清めてあれば大丈夫ですよ」
「そ、そう…」
そこまで言って私はハッと気が付く。
(ん? これ私が生理って言ってるようなものなのでは…?)
そもそも此処に呼びつけた時点でそういうことになるのか…。だからクリシダが私に言ってた素朴って…そういうことかぁ~。
二重の恥辱で私は顔が赤くなるのを感じるが、私はそれを意識しないように無心に努めた。前世ではオバサンと言える歳まで生きたことはあるが流石に若い子に生理を知られるのは恥ずかしいという慎みぐらいはある。むしろそのプライドが邪魔をして恥辱まで感じてしまう。無心に勤めようとする程、身体は火照っていく。暫くして私は本当に自分の体が熱っぽくなりめまいがすることに気付いた。危ないので鉄刀と一緒にまな板に手を付くが、勢いが付き過ぎて大きな音を立ててしまう。
「ごめんニコラス…ちょっと体調が…」
私は生理ぐらいで体調不良になる柔さはなかったが、やはり不眠の育児の疲れが残っていたのか体調が思わしくない。私はついその場にへたれ込んでしまう。
これだったら誰かに変わってもらった方が良かったか…。
ニコラスは私の声で不調を感じ取ったのか、直ぐに塩漬けの手を水で清めて近づいて来てくれた。
「失礼」
そう言うとニコラスは私のおでこにひんやりとした手を当ててくれた。その冷たさが気持ちよくてつい眼を閉じてしまう。その手が離れてから吐息が感じられたので私は眼を開けると直ぐ側にニコラスの顔があった。ギョッとして私の思考は吹き飛んでしまったが、ニコラスはおでこを使って私の熱を計ってくれたのだと理解して力が抜けた。
へたれ込んだ私をニコラスはおぶってどこかに運んだ。私はニコラスに抱えながら情けない気持ちで一杯だった。
やっぱり怖い…。
私は彼を目の前にしてしまうと意識しておかしくなってしまう。胸が鳴って身体がバラバラになって自分を見失いそうで怖い。
何が怖いって自分の弱い所を知られたくない…。
私はニコラスが異世界の知識を持っている点を評価してくれているのは感じていた。でも前世では私はただの一介のOLにすぎなかった。だからこそ失敗したときやどうしようもならなくなった時に「この程度か」と失望や幻滅されるのが怖い。私の身一つならともかく、もしニコラスや皆が巻き込まれるのは嫌だ。
長屋に寝かされると、ニコラスが涙を拭った。私は熱に浮かされ朦朧としながら「ごめん」と呟いた。それが聞こえたのかニコラスは「元々一人でやる予定の作業だったので気にせずゆっくり休んでください」と答えた。その声が優しくて病気の時のお母さんの様で安心する。
「ありがとう」という言葉を言おうとして、私は口にできたか覚えていない。
目が覚めた時、私は長屋で横になっていた。見渡すとクリスが枕元に居て編み物をしていた。クリスと眼が合うと編む手を止めて「気分はどうですか?」と訪ねた。私は「大丈夫」と答えようとしたが喉がいがらっぽくなって声が出なかった。乾いた蔓をゴザの様にして編んだ掛け布団から身を起こすと、クリスが柄杓で水を汲んで来てくれた。
クリスは私が水を飲むのを見ながら言った。
「ルリコ様が倒れたと聞いて私がお世話しました。他の方は出産と育児で体調の悪い方に近づけるのははばかれるとのことで…」
「そっか、ありがとう」
礼を言うと私はクリスの手元の編み物に目をむける。昨日の時点でクリスに紡いだ糸でニットのセーターを編んで貰うように頼んだのだ。最初は身頃部分だけ口頭で教えて袖は後で教えようかと思ったのだが、完成に近づいていた。
「もうそんなに編んだんだ」
「城下の女に裁縫は必須技能です。編み目を見ただけで直ぐに真似されますよ」
「そっかー。物々交換に使えるかと思ったんだけど」
エルフの立場を良くするためにモーフの毛を使った糸での編み物も試してみたが、決定打としては不安が残るようだ。それから小一時間程、私はクリスに人間の世界のことについて話をした。体調が楽になった私はクリスを置いて調理作業に戻ることになった。本来だったら体調不良の人に調理なんて任せないだろうが、人手不足の集落ではそんなことを言ってる余裕はない。
一応口元に布を巻いて作業するけど…倒れた人に調理任せる程、人手不足なんだよね…。
調理に戻った私は小走りで調理場のカマドの三つの鍋に火をかけ始めた。今頃他の家では他の鍋の調理が進んでいるハズだ。私の受け持つ長屋のカマドでは古い塩漬け肉を全て鍋に入れて、同時並行で土鍋で米を炊き、からし菜のような葉野菜を別茹でする。
長屋の長い廊下の部屋の前には敷物が何枚も敷かれ、それぞれの家で作られた鍋や副菜が配膳されていく。まるで運動会のお弁当の時間の様に各部族は廊下に座る。最も上座から順に長老達、獲物を狩り取った者、親族と順に腰を下ろしていく。私は長老たちに挨拶しながら母の隣に座った。母は食事が遅くなる事があるので私が食事を介助する必要があった。
外にいたエルフから感嘆の声が聞こえ入口を見ると宴衣装に身を包んだスカイがニコラスに手を引かれて入室してきた。ニコラスはスカイを眩しそうに見つめていた。スカイは柔らかい絹のショールの上に緑の麻のマントを羽織った出で立ちのまま、ニコラスの側に座った。スカイは私の隣に座って微笑んだ。スカイの頭飾りにはブリリアントカットを施されたダイヤが設えてあり、瞳の瞬きと共に輝いていた。
エルフ達はスカイに続いて鍋の側に席についた。席に着いたら各々が順に足元の葉に炊いた米を木のヘラでよそい、米に肉を添え付けた。添えられた猪肉でコメを挟むと手づかみで口に運んで咀嚼した。口に運ぶ際に米が零れ落ちるが、床の米粒を口に入れたり、床にそのままこすり付けた。汁物を口にするエルフは鍋に入った大きな木のオタマから直接汁をすすって喉に流し込んだ。
エルフの見た目は良いのに食い方が汚すぎる…。私はため息をついて足元のご飯を見ると羽虫がたかっているので手で追い払った。
スカイは葉の上の米を指二本程の大きさのシャリの様に握り、その上に肉を乗せて江戸前寿司の様にして食べていた。スカイは私の視線に気づいていたのか咀嚼する口元を隠しながら一瞥をくれた。気まずくなった私はスカイに適当な話を振ることにした。
「スカイさん、それってエルフの祖先の伝世品の一つですよね?」私は額のダイヤの飾りに眼を向けながら言った。
「ああ、宝とはいえこうして身に着けて眼にあててやらんと、あらたかさが失われてしまう気がしてな。だが私もそろそろ歳だし、こういう飾り物は若いものが身に着けた方がこれも喜ぶと思うんだ」そう言うとスカイは私に目線を向けて来た。
私はとっさに目線を逸らしてしまう。
「何を言っているんですか。スカイさんはまだまだこれからでしょう。この集落は圧倒的人手不足だから引退なんて許されませんよ」私はしどろもどろになりながら言う。
スカイは困り顔で小さくため息を付く。私は悪い気がしたので言葉を重ねる。
「その宝の価値に見合う格というものもありますし。安請け合いできるものではありません」
スカイは思案気な面持ちをした後、私の方を向いて言った。
「ではルリコ。仮にこの宝に相応しい者とは誰だと思う? 私はこの宝をエルフを永劫まで導く者に与えたいのだがそれはどんな人物だ?」
「え…そうですね。うーん…」私は長老たちをチラ見する。
「これは議論だ。忌憚なき意見をくれ」そう言うとスカイは居住まいを正した。
私は少し考えた後。
「少なくとも私は相応しくありません。何故なら私はこの集落に移民を募るしかないと思っているからです。エルフと人間の間に子が産まれるのもわかったことですし…」ブホッ!と隣で聞き耳を立てていたシーブがむせてせき込む音がする。
私はエルフが森に住んだまま人と関わって争いに関わらず生き残るには居留地か自然保護区の様な形態にするしかないと思っていた。そして前世では少子化の解消には移民が不可欠と言われていた。だが、大抵の人たちは移民の受け入れには難色を示すので実現は難しいと思われた。
「それは何か? 集落に人を入れてエルフとまぐわいをさせるということか? それはふしだらだ。だいたいそんなことをしたら我々は人に支配され、人のモノを食べて、人の様な家に住み、やがて森を去るだろう。エルフではなくなってしまう」
そう厳格な声で批判したのは爺というあだ名を持つ、ロゼッタという名の老齢のエルフだった。爺と言っても顔は面長で厳つく、長髪を垂らしたエルフらしいエルフであった。爺の一族はエルフの神話や法、神学をパピルスの様な紙にまとめる記録係の様なことを生業としていた。しかしこの森に来た時に多数の書類が虫食いにあってしまい、それからというもの代々書類の記録を木版や石板に移し替えることを生業としている。爺は職業柄しょうがないのだろうが、一字一句の間違いを認めないというストイックな性格で大雑把な私とは相性が悪かった。
「そうですね、だからその宝は私にはふさわしくないと思いますよ」
私達のやりとりを聞いてスカイは呆気に取られていたようだが、ゆっくり眼を瞬きして言った。
「移民によって集落が支配されると言うが、それはどうだろうか? 確かに私たちの議会は我々の最大公約数的な一つの意見をまとめて実行している。だから増えた人が議会に影響を与える可能性はありえる。だが、現状の集落の老人と高齢者が三割も居る現状でも同じことが言えるのではないか?」
気付くとスカイと長老達がお互いを睨み合って居た。スカイは高齢のエルフ達を長老から辞任させ、議会を私達若いエルフに任せようとしている。それがまだまだ現役と頑張る長老達には気持ちがよくない。シーブはスカイの視線を合わせず、俯いたままだった。
ふと、横で何かが動く気配がしたので振り向いた。母が私をうっすらと微笑んで見つめていた。スカイも母に気付いたのかハッと息を飲んで目を背けるように俯いた。
母は私の肩に小刻みに震える手を添えて言った。
「そもそもエルフらしさの定義とは何かしら? 私達はとっくにエルフとは遠い存在になっているわ。今私達が食んでいる米は人の世界の穀物で、塩もそう。私達はこれらをなしに既に生きていけなくなっているわ。だからね、捨てなくてはならない」
爺は母の言葉に耳を傾けながらゆっくりと問いただす。
「何を…ですかな? まさかエルフとしての誇りという訳では…」
「過去に私達が戦争で抱いた人への確執と偏見を捨てなければなりません。そして正しく認識して未来へと繋げるのです」
それを聞いた爺は深く息を吸って天を仰いだ。
「そしてルリコ、貴方はエルフの伝統と歴史を重んじなければなりません。私達が森で生きていけているのは先祖が積み重ねて来た経験があるからこそなのです。森から離れた人は狩猟で生きる術をしらない。そんな人を森に入れても森と一体にはなれない。貴方の考えには伝統と歴史に対する配慮と想像力が足りません」
私は母の意外な指摘に納得して頷いた。人を移民と受け入れても狩猟生活に適応できるかどうかは検討していなかったのだ。
「シーブ。それは貴方にお任せしたいのです。貴方はルリコの考えに修正を加える良き相談役となって欲しいのです。同時にルリコの奇抜な考えは人の文化への造詣の深さが原因なのですから、貴方は人の文化を理解する必要があります」
シーブは母に頭を下げて「肝に銘じます」と言った。
その話を聞いていたのか、大樹の一族の座敷から声がかかる。
「失礼。この話は議会の方針に関わりますか?」
それは大樹の長のカシワラさんの質問であった。カシワラさんはニコラスの叔父だけあってどこか似た雰囲気のある白肌金髪のエルフだった。大樹の一族は自分たちを高貴なる血だと自称はしている。しかしカシワラさん自身からはそのような思い上がりの様な傲慢さは感じない。むしろカシワラさんは誰に対しても分け隔てない態度を取る配慮の行き届いた公平の人だった。カシワラさんの唯一の欠点は妻のミレイ様が「何でこの人と結婚したの?」というぐらい超ワガママだということぐらいだろう。ただ、ミレイ様のわがままは美という価値観にしか発揮されずこういう政治の難しい話には一切興味がない。
母はカシワラに微笑のまま答えた。
「これは人間の内政がエルフに与える影響についての話かと思います」
カシワラは母の言葉を考えてそしゃくしたのか言葉を返す。
「つまり政治の話なのでは?」
母は首を振って言う。
「いいえ。これは時代です。時代の変化に応じて集落は変わりますが、政治ができることはありません。私達がいくら話し合っても季節を変えることができないのと同じことです」
「成程そういうことでしたら私達も順応を発揮しましょう。こう見えて私達は泳ぐのは得意なのです」
そう言うと大樹の一族の座敷の人達は皆ニヤリと笑う。よく物語で高貴で傲慢なキャラが懲らしめれることは多いが大樹の人達はとても慎重だからそうはならないだろう。全員が学者レベルのインテリで代々政治に関わってるOBも沢山いる。そしてそれを守る狩人も居る。大樹の一族はその名に違わないエルフの集落の屋台骨で、前世の巨人軍並みの組織力を持っている。
エマはカシワラの言葉に笑う。
「エルフの泳ぐ姿は見ものだけどさ。さっきの話のオチはどうなるのルリちゃん? やっぱり教訓には反省を持って答えないと」
少し考えた後、私は一つの考えが浮かんだので周りの皆に聞かせた。
「そうですね…では神殿を建てるのはどうでしょう。私達は元々森の神殿で隠者として暮らしていて呪術や薬で人を癒す対価として施しを受けていたと伝えられています。その神殿を議会が管理していると知れば人間は議会を重んじるようになるのでは?」
老エルフ達はその言葉を受けてほぅ…と感心したように声を上げる。今まで私も考えつかなかったがいざ口に出してみれば妙案な気がした。元は神殿は病院の様な機能も持っていたのだ。この世界の医療は瀉血や傷の焼灼、縫合や消毒程度のもので、最低でも真似は可能なレベルだった。簡単な医療を確立したから集落にそれ目当てに人間の貴族が集める。森に要人を集めれば侵攻の対象にならないし、特別扱いを求めて議会に頭を下げるようになるんじゃないか? 更に医療によって集落の出産、病気の治療、介護ができるようになれば一石二鳥の妙案の様に思えた。
長老達も「失われた神殿を復活するならそれは先祖も喜ぶだろう」と歓談に拍車がかかっていった。
私は宴のエルフ達の様子を見まわした。食事しているエルフ達の中に黙々と食事をしているニコラスの姿で目が留まった。
ニコラスは私に同意の視線を送るどころか、心ここにあらずといったようだった。私はニコラスの視線を辿るとそれは大樹の一族の座敷に向けられていた。そしてそのニコラスの様子をスカイは心配そうに見つめていた。ニコラスの表情は無表情で怒っているような悲しんでいるようにも見えた。そういえばニコラスはスカイが病気になった時に大樹の一族に預けられていたと聞いたことがある。だけど今は別々の座敷に座っているから疎遠になっているらしい。でもそれがニコラスにとって良いことでないのはスカイの表情から伺える。
ふとその時、私は本当にニコラスのことをわかっているのだろうか? という疑問がわいた。幼いころから一緒に居たし、お母さん思いの子なのは知っていた。だけど大樹の一族の話を聞いたことがない。大樹の座敷には一段美しいミレイ様の姿がある。
もしかして当時は未婚だったであろうミレイ様とニコラスに何かあったりしたんだろうか?
私の中でモヤモヤとした気持ちが渦巻く。しかし私はニコラスに「ミレイ様と何かあったの?」何て言える間柄でもない。黒髪に白肌に薄い胸に華奢な体躯のミレイ様と金髪にアメリカの映画女優並みのガッシリな体型の私では大分ストライクゾーンが違う。
もしかしてニコラスは私の異世界知識が必要なだけで別に好きってわけじゃない説あるなぁ。
その考えに自分が至った時、少しの不安と切なさを感じた。でもニコラスは私の気持ちを知らないまま無表情だった。でもその表情を観察していた私は「少なくとも女はないな」と結論付けた。これは女の勘だが”コレ”はない。でもにニコラスを見ていてもっと知りたいという好奇心も湧いて来た。
私の中で声がする。
『わからないなら。わかるようにすればいい』
私は頭の中の言葉に頷く。
…でも二百年近くも一緒に過ごして酸いも甘いも知っている幼馴染をこれ以上知る手段なんてあるんだろうか? 私はそんなことを考えながら内心首をかしげるしかなかった。再び母が私の肩に手を置いて言う。
「ルリコはちゃんと反省を活かしたと思うわ。でもね。わたくしはカシワラさんの言葉にとても感心しました。彼の順応という解が一番答えに近い。何故わたくし達エルフは長寿なのか? それはね。わたくし達が森に適合した結果なのだと思います。木の様の長く生きて森の様に繫栄する。この適合こそが大いなる母が我々に与えてくれた力なのです」
その言葉にエルフの一同は感心を示して母の言葉に耳を向ける。一部のエルフは森に感謝して胸に手を当てて畏敬の念を森に送る。
「始祖様は森に呪われながらもいずれエルフが森に適合すると確信していたのでしょう。そして我々の代でついにそれは実現した。新天地の森と適合できたことに大いなる母に感謝しましょう」
母は手を広げると地に居るとされる大いなる母に頭を下げる。エルフ達もそれに続くが、母に平伏する者もいる。未だに母を大いなる母の化身と崇める者も居るのだ。
「そして私達は次の段階に移ります。皆さん、ご先祖様の約款に思いを馳せてください。我々は森に適合し、そしてやがては世界に適合し、永遠の安息を得る。その使命は壮年、青年、そして若者。これら新しい世代を担う者達が成し遂げるべきことなのです。宙のオウムアレアよ! 私達は再び宣言します。我々はこの世界と一体となり…この大いなる旅路に終止符を打つことをお約束します」
母がそう言うとカームが笛を鳴らして雅楽のような厳粛な音で雰囲気を演出する。エルフ達は天を仰ぎながら黙とうしたり、言葉に出して祈ったり、涙を流す。それはそうだ。
エルフが大好きな始祖様、大いなる母、オウムアレアが全部登場した神回みたいになってるからなぁ…。
私がそんなことを考えていると、ネムとデリアが立って言った。
「よっしゃー! 皆聞いてくれ! 今日という日を祝して! 酒を仕込んで来たからなぁー! 私達のおごりだー! 飲んでくれー!」
酒と聞いたエルフは我先にと飲み始める。酒精にまだ耐性が弱い彼らは容易く酔っぱらってゆく。そこからエルフ達は酒のせいでタガが外れたのか、ひた隠しにしてた本性を露わにした。宴はまるで飲み会で暴走する大学生サークルのように無軌道な様相を呈し混沌を極めた。
泣く者、吐く者、目上に愚痴を言う者、寝る者、食べ物で遊ぶ者、音楽をならして踊り狂う者、誰彼構わず接吻しようとする者、脱ごうとする者、喧嘩、怒号、雷、火事、親父…。そんなこんな色々あった。そしてその日以降、数か月は飲酒禁止となった。
あー…エルフってやっぱおバカなのかもしれないなぁ…。
人間の君主との謁見も後一週間と迫る中、エルフの集落は今日も平和だった。