サーマルショック:アキンボsub
次回の更新は11/30日です
パキリ。
俺の手の中の器が乾いた音を立てて壊れる。その俺の手に周囲の家族の視線が一斉に注がれる。
「アキンボ、お前またやったか?」
「わりぃ。加減を間違えちまってよ」
「おめーは馬鹿力だかんな。ちゃんと加減せんとダメだと言っただろうが」
そう言って笑うのは俺のお袋のリダだ。その隣の父ちゃんのダリオンは何もいう訳でもなくムスッとしている。
「まさか石の器まで壊れるなんて。私はもう呆れ果ててものが言えません」
母の妹、叔母のグラシアは俺の足元の器の欠片を拾いながら冗談めかして言う。
「すまねぇ。気を付ける」
「まあ、お前の馬鹿力のおかげで木の家建てられたんだから文句は言うめぇ。だどもその力余所様の子には絶対振るってくれるなよ? 怪我でもさせたらおめぇさんの嫁になろうなんて女は居なくなっちまうぞ?」
「わかってる」
俺は生まれつき異常な力を持って生まれた。子供の頃から何かを握れば壊れ、ぶつかれば物が倒れる。
何で俺はこんな力持ちなのだろう?
子供の頃そう思った俺は自分の腕を観察してみた。すると異様に太い。家族からはエルフらしからぬガタイの大きさだと感心される。他のエルフは細くて華奢なのにオレはまるで大木の幹の様にがっしりとした体つきをしている。
これは大いなる母の思し召しなのだろうか? もしかしたら俺は叙事詩に歌われるエルフの戦士のような選ばれた者じゃないだろうか?
そう思っていた矢先のことだった。
「アキンボ、手が痛い…」
グラシアと共に森で採取している時、俺はグラシアの手を引いた。すると後になってからグラシアが手が痛いと言い出した。あまりに痛がるので帰って見てもらうと、骨にヒビが入っていることがわかった。その時、俺は自分の力が仲間を守るものじゃない、壊してしまうかもしれないモノなのだと理解した。
治療の時、グラシアの白木の枝の様な繊細な手甲が赤くはれているのを見て「なんて女はもろいのだろう」と思ったものだ。守るべき存在を傷つけた。その事実だけが自分に重くのしかかった。
もう俺は誰にも触れない。
そう誓った。
「アキンボ、今日は割れた器の代わりを探しに森の奥まで行きましょうよ」
グラシアはそう言って微笑む。あんなことがあった後でもグラシアは俺を恐れることなく今まで通り接してくれた。それが有難く、同時に自分への不甲斐なさがつのるばかりだった。
「ああ」
俺はグラシアと共に森に採取に行った。普通、採取なんて仕事は女手一つでやるものだが、グラシアは身体が弱いから俺が付いて行くことになっていた。採取が終わるとグラシアは葉陰を借りると言って草葉の陰へと消えて行った。それはエルフの女が使う用を足すという隠語だ。
グラシアが用を足している間、俺は鬱蒼とした森の中でジッとしているぐらいしかやることがなかった。
本当にこの森は嫌だ、暑すぎる。此処に居ると暑さで身体の汗が吹きだす。頭や顔から流れる汗が気持ちが悪い。
そんなことを考えながら俺は持ってきた皮の水袋を飲む。すると体内の水が汗としてまた噴き出してくる。
厄介だ。暑いからと水を飲むと余計に汗が出て身体がべたべたして気持ちが悪い。
俺は他のエルフより体が大きいせいか汗っかきで汗臭いと言われることが多い。実際俺以外の男のエルフはこんな蒸し暑い中でも涼しい顔をしている。
どうして俺はこんな身体で産まれたのだろう?
暫くの間俺は森の樹冠の縁取りの先で光る星環を見上げながら心地よい風に身を任せて汗が引くのを待っていた。風の音、木々のざわめき、鳥の声、虫の鳴き声。どのくらい立ったのだろう? ふと叔母のグラシアの帰りがあまりに遅いことに気づいた。
「グラシア? グラシア!?」
家族とはいえ、男と女では交わらない部分もある。しかし返事をしないなんてことは絶対にあり得ない。
何かあったか?。
俺はグラシアが向かった場所に走り出した。しばらく行くと茂みの中で倒れた叔母の姿があった。叔母のからだは大きな蛇に締め付けられ身動きが取れず声すら上げることができなかったのだ。ヘビは俺の存在に目も向けず叔母を締め付け続けている。
「おい! グラシア!」
俺が駆け寄ると叔母の身体は異様に冷たかった。
「ヤロウ…」
俺は叔母を締め付けている蛇の身体に手をかける。そのふにゃりとした生き物特有の生々しさについ、手の力を加減してしまう。
ええい構うものか。
そう言って、蛇の身体を力任せに引っ張ると、余計に締め付けが強くなる。
「ガハッ!」
途端に叔母の口から血が抜けて、ブクブクと血の泡を吹きだした。蛇が空気が抜けた肺を押しつぶそうとしているのがわかった。その瞬間、俺は蛇の身体を両手で鷲掴みしてあらん限りの力を込めた。横目で見る叔母の顔色が段々白くなっていく。それを見た瞬間に俺は中腰になって絞る様にヘビの身体をねじ切ろうとした。
ありったけの力を! ここでそれができなくて何の為の馬鹿力だ!
最早俺は外面を捨て去って「うおおおおおお!」と獣の様に吠えながら白目をむくほど力を込めた。すると蛇の身体がブチブチと音を立ててねじ切れた。俺は叔母から蛇を取り去ると一目散に来た道を戻り広場へと向かった。叔母の身体が冷たくならないように俺は叔母を抱きしめて温めながら走った。広場に出た俺は叔母を抱えながら誰も居ない空間で叫んだ。
「誰か! 助けてくれ! 叔母が蛇にやられた!」
それを聞いて長屋から年長のエルフが顔覗かせた。その姿を見ておれはホッとするが、そのエルフは俺も見るとギョッとして後ずさった。
何をしているんだ、早く!
「頼む! 助けてくれ!」
騒ぎを聞きつけて続々とエルフたちが顔を覗かせる。しかし彼彼女らは俺に近づこうとしなかった。そのエルフたちの目には恐れの色が浮かび、身体を縮こませていた。
何で助けてくれないんだ。
そう思って見たエルフの中の一人に親父が居るのを見つけた。
「親父!」
俺にそう言われて親父はビクリと身を震わせて固まった。その顔に怯えの色がはしる。
恐れている? 俺を?
そう思って腕に抱えた叔母を見下ろすと、俺の腕と手、足。全身が血で濡れていた。そして腕の中の叔母はもう息をしていなかった。
息をしてない。死んだのか。俺。俺のせいか? これで俺も…とうとう人殺しか…。
その考えに至った瞬間、腹の中を寒いモノが走った。
終わった。俺はおしまいだ。
「ちょっと何やってんの!」
止まった時の中で女の怒声が聞こえる。顔を上げて見上げると俺達の下に走り寄って来る若い女のエルフの姿があった。
「地面に寝かせて! 早く!」
そいつはライラの娘のルリコだった。ルリコは血濡れた俺の手からグラシアを奪い取ると地面に寝かせて胸に耳を当てた。
「何やってんだ?」
俺の声も無視してルリコは「息が止まってる!」と独り言のように言った。
「ああ、死んでる。俺は人殺しだ」
「まだ間に合うかも!」
そう言うと、ルリコは叔母に口づけをした。
何だコイツ…死んだ叔母に口づけを…。
「グラシアの死を侮辱する気か!?」
そう言って拳を振り上げた俺をルリコはギョロリと睨んだ。まるで地べたに張った獣が獲物を睨むかのような目で俺を見上げていた。それを見て俺はゾッとした。
何だコイツ…。本当に女か? 女ってこんなに、狂暴な目をするものなのか?
その眼に俺は圧倒されてしまった。その後、ルリコが叔母から口を離して胸に手を当てて何度も押さえた。その鬼気迫る様子に更に圧倒された。
何でだ? そんなに押し付けたら…グラシアは壊れてしまうかもしれない。もし間違ってたら。コイツは叔母の死体を弄んだと糾弾されるかもしれない。なのに…なんで…コイツは怖くないんだ?
「名前は!?」
ルリコにそう言われて俺は「アキンボ…」と答える。
「違う! この人の名前! 呼んで!」
「はあ…?」
「帰ってくるから! 呼んで!」
カエッテクル? 帰るってことか? 死んだのに? 何故?
「早く!」
首を傾げる俺にルリコは必死の剣幕でそう言った。
「グラシア…」
俺は願う。でも何の意味があるのだろうか? 壊したものは戻らない。願っても俺の身体は小さくならない。でも、もし…戻るなら…。
「グラシア…戻って来てくれ…」
自分の声が情けなく震える。嗚咽で上手く声が出ない。俺はつっかえながらも声を絞り出す!
「ルリコ! 直してくれ! 頼む!」
その瞬間、グラシアが大きく口を開けて息を吐きだす。その瞬間、遠巻きに見ていたエルフたちが驚きと歓声の声を上げる。
本当に直った…? 戻って来た?
「凄い! 直ってるぞ! ルリコお前…!」
そう言ってルリコに目を向けた。彼女は口元の血を腕で拭いながら俺を睨んだ。その三角半眼の鋭い目つきに口元の鮮やかな血化粧をまとった彼女は息を飲むほど美しく見えた。その瞬間、俺の中で何かが灯った。
一体この熱はなんだろう。
そう思って、自分の胸に手を当てて見る。
どうにもなっていない。なんだろうこれは。
そう思って再び顔をあげると、目の前に何かが飛んできた。
ゴスッ! と言う鈍い音が自分の中で反響する。驚いて見ると、そこには怒った顔で見下ろすルリコの姿があった。ルリコの目は眉を吊り上げて怒りの表情だったが、その瞳の奥には俺を品定めするような冷静さが宿っていた。
顔が痛い、頭がクラクラする。一体何なんだこの女は?
それが最初のルリコと俺の出会いだった。
その後叔母は何とか一命をとりとめた。叔母は後遺症はなく、俺に対して今まで通り接してくれた。しかし叔母が倒れた日から俺の家族は編み目が落ちるかのようにチグハグになっていった。特におかしいのは親父のダリオンで事件の日から俺を避けたり怯える様になっていた。
そんなある日突然、お袋はこう言った。
「アキンボ。お前のお陰でグラシアは助かった。でもな、このままじゃお前。人様を殺す。だからヒゲの所で弟子入りして来な。力の使い方を学ぶんだよ」
以前からヒゲは俺のガタイの良さに関心を持って弟子にならないかと言っていた。しかし家族はそれを良しとしなかった。何故ならヒゲは寿命が来た人間を殺す処刑人のような役割をもっていたからだ。でも事件の日から家庭の中に流れる不和の気配を察知したお袋はそうせざるを得ないと判断したのだろう。
常々、力の使い方を学びたいと思っていた俺はその言葉に頷く。
「わかった」
それから俺はヒゲの下に弟子入りすることになった。
「お前の姉弟子のルリコだ」
俺がヒゲのキャンプを訪れた時にルリコは既にヒゲの弟子になっていた。
「何故女なんかを?」
「そうだな。お前ら一回試合しろ。そうすればわかる」
そう言われたルリコは顔を嫌そうに歪ませた。
「早くしろ」
その無言の抗議を一蹴されたルリコは大きなため息をつきながら踵を返した。前会った時よりルリコの背丈は大きく伸びてガッシリとしていた。髪は後ろで一本大きく束ねられ、そのうなじの白い肌があらわになっている。その背中は麻の紐をクロスして裾を上げていて白い腕が二の腕まであらわになっていた。もっとも顕著なのはルリコの乳房で背後から見える程大きく成長していた。それを見ていると自分の中で沈下しかけていた胸のたぎりの様なものが再燃して目のやり場に困って目を伏せた。その目線の先にはルリコのお尻があったので気恥しくなり更に目線を下げて足元を見つめた。しかしその足は女エルフ特有の巻き型のスカートのせいで見ることが出来なかった。
所詮は女だな、そんな動きずらい恰好じゃあたかが知れてる。
俺たち二人はテントの側に置かれていた剣をもした木を手に取ると試し振りをした。俺は手に取った剣を数回振ると小さくため息をついた。俺は剣を肩に担ぐとルリコの背中を尻目に通り過ぎようとした。その次の瞬間後ろで何かが動いた気配がして俺の頭に衝撃がはしった。
「いってぇ…」
俺が振り返るとさっきまで背中を見せていたルリコが身体の前を俺に向けて剣を構えていた。
「うっそぉ…」
どうやらルリコは俺が背中越しに歩いた隙を狙って急に振り返って頭に剣を振り下ろしたらしい。
「いや、卑怯だろ…」
痛みに耐えながら俺が呟くと、師匠が「有効だ」と言った。
まあ、女に身なら不意打ちぐらいしか勝ち目がないってことか…。
俺はヒゲを見て「二回戦いいですか?」と聞くと彼は無言で頷いた。ルリコは「はーやれやれ」と言って木剣を弄んでいる。そんな様子の俺はルリコに言った。
「安心しろ顔は…」
そう言った瞬間、ルリコがそのままの姿勢で滑るように俺の前に躍り出て俺の胸に木剣の剣先を突き立てた。
「はい、一本」
「は?」
俺はルリコの動きに自分の身体が動かなかったことが理解できなかった。
いや…。なんで…。
見るとルリコのスカートが足元を隠していることに気づく。
そうか。足が隠れているから上半身は構えてなくても足が構えていたのか。それで飛んできたように感じたのか…。くそ…姑息な手ばかり使いやがって…。
「もう一本だ」
俺はニヤリと笑う。
だからどうした? お前が俺を倒さない限り俺はずっと続ける。お前のネタも途中で付きていずれは…。
そう思って、ヒゲの方を向く。すると「もういいって」とルリコの声が聞こえて股間にさすような痛みが走る。途端に体幹を貫くような痛みに膝から崩れ落ちる
「お前…それは反則…」
「実践に反則なんてないよ」
身もだえする俺にルリコはシレっと答える。
「おい、雑魚弟子。金的はやめろ。子孫繁栄に影響があるからな。ただしそれ以外ならオーケーだ」
「わかりました」
そう言うとルリコは木剣を肩にかける。
くそ…本当に卑怯な奴だ…。だがまだやれる…俺はまだ…。
そう思っていた俺の頭に衝撃が走る。驚いて目を上げるとルリコは俺の頭に木剣を振るったらしいと分かる。
「いやもう…」
ルリコは俺の言葉に耳を貸さずにまた剣を振りかざす。
「いやもういいって! 参った! ま…!」
ルリコは何度も俺に木剣を振りかざす。
「何をしやがる!」
俺は腕で木剣を防ぎながらルリコに叫ぶ。見ると、ルリコの目には怒りも攻撃性も滲んでなかった。ただただ、静かだった。まるで、つまらない作業でもさせられているかのように…。
「なんで…」
俺がそう言うと、ルリコはため息をついて言った。
「アンタとまともにやりあったら私、殺されるでしょ」
「はあ? 殺すなんてそんなこと…」
「殺すつもりで来ないとダメだよ」
ルリコにそれを言われて気づく。
確かにそうだ…。俺は…。最初からそんな気持ちは無かった…。甘く見ていた。
その考えに至って俺は恥ずかしい気持ちでいっぱいになり、同時にカッとなって腕を強く握った。その瞬間痛みが引いて狂暴な気分が湧き上がってくる。
いい加減にしろよ…!
そう思ってルリコを睨む。
ルリコは俺の怒気を感じ取ったのか、後ろに飛びのいて剣を正面に構えた。
ボコボコにしてやる!
そう思って見たルリコの眼には緊張の中に怯えの様な色が浮かんでいるのが見えた。その時、俺の中で「痛いよ…。アキンボ」と泣くグラシアの声が響いた。その声を聞いた途端俺の筋肉は緩んでしまった。
やっぱり無理だ俺は…。俺は女を殴れない。殴りたくない。あんなことをしてまで…。
――勝ちたいという気持ちがない…。
殺しでも勝つという気概がない。卑怯な手を使っても勝とうという必死さもない。そうか…。俺は…。
――こいつに敵わない…。
そう思って構えを解こうとした瞬間、俺の頭にルリコの木剣が当たって意識が暗転した。
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気が付くと俺は立って居た。周りを見ると一面広大な氷河の景色の中だ。俺の手の中には熱くなった石が握られている。俺はその石を両手で抱えながらどこかに向かっていた。
早く、早く届けなければ…。
そう思って行き先を見つけようと広大な氷河の周りを見渡した。すると遠くに二つの氷の双丘が見えた。その双丘はツルっとした丸みを帯びていてまるでルリコの乳房の様だなと思った。そう考えると焼石に水を垂らしたかのように沢山の蒸気が立ち昇った。
まずい、なんとか消さないと…。
そう思って俺は先を急ぐとことにした。すると、歩く度に周囲からミシリ…という氷鳴りの音があちこちから鳴り響いた。
まずい、焼石の熱で氷河が崩れる!
そう思って足元を見ると、小さい奇妙なくぼみが側にあるのを見つけた。そのくぼみの側に小さいホクロがある。そのほくろは叔母のヘソのホクロだった。
これはグラシアのヘソだ。小さい頃にグラシアと水浴びした時に見た。
そこで俺は自分が女の氷河の上に立って居るのだと気づいた。今になってみると叔母のヘソは直視してはいけないもののように思えて目をそらした。逸らした目を石に向けた瞬間、石はたき火の様に燃え上がって火を噴いた。そのあまりの熱量に足元の氷河に亀裂が走る。
このままだと割れる。
直感的にそう思った俺は火を噴いた石を顔に近づけると仰ぐように石を飲み込んだ。すると石は体内で肉を焼くような音を立てて沸騰していった。手を見ると黒く焼け焦げて炭の様に赤く光っているのがわかった。俺は自分の手を乱暴にこすりつけると、腕も身体も全て炭と灰になって空へと飛んだ。飛んでいる最中、下を見下ろすとそこには盆の上にひび割れた氷の椀が置かれているだけだった。
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目が覚めると俺の目の前には夢で見た豊かな双丘があった。驚いて目を見張ると自分がルリコの膝の上で眠らされていることに気づいた。
一体どうなって? どういうつもりだこの女…。
俺はそう思ってルリコの顔を見ると、彼女はどこか遠いところを見ていた。そこはキャンプのテントだった。周りを見るとどうやらここはヒゲのキャンプ地らしい。目の前には豊かな森が広がり、近くには小さい火が灯ったたき火に鍋がかけられぐつぐつと音を立てていた。
こいつは何もないテントの幕を見て何を考えているんだ?
「お、気が付いた?」
ルリコの膝から頭を上げた俺をルリコは振り返る。
「ああ」
「ごめん、あんたがタフすぎるから思いっきりやっちゃったけど大丈夫そう?」
「別にこれぐらいなんともない」
「気絶するほど殴ったのに…やっぱタフだね」
そう言ってニカリとルリコは笑う。いつの間にか彼女はポニーテイルを解いて髪を下ろしていた。そう言うと彼女はあくびをした後、眼の涙を服で拭うと、鍋からおじやらしきものをよそって食べ始めた。湯気が立つほどおじやをハフハフと音を立てながら食べているのに、ルリコの首には汗一つ浮かばなかった。
「アンタも食べる? 弟弟子?」
俺の視線に気づいたのかルリコがそう言う。
「ああ、腹が減った」
そう言うとルリコは自分が使っていた鍋のさじから御飯を鍋に叩き戻すと残りを別の椀にすくって俺に差し出した。それを見て俺はため息をついて言った。
「冷ましてくれ」
「はあ?」
ルリコが目を丸くしたので俺は言った。
「熱いのは苦手だ、汗が出るからな」
「ふーん…」
ルリコは鍋を火から降ろすと。鍋を持って立ち上がった。
「どこへ行く?」
「え? 鍋を冷やしに川に」
「やめろ、熱した鍋を急激に冷やしたら割れる」
「あ、そうなんだ。じゃあ土に埋めて冷ますか」
そう言ってルリコは土の中に鍋を埋め始める。それを見ながら俺は言う。
「さっきお前は何を見ていたのだ?」
「さっき?」
「テントの方を見ていただろう」
「ああ…ちょっと先のことをね」
「先?」
「うん。私は弟子になる代わりに師匠に外の世界のことを教えてもらっているからさ。それが終わったらどうしようかな~って」
「外の世界? 何故?」
「何でって…ここに居たってしょうがないじゃん」
しょうがない? しょうがないとは何だ?
「外の世界は危険だろう。お前はグラシアの様になるのが怖くないのか?」
外の世界に出ればたとえこの女とて無事に済むとは思えない。
「そりゃあ怖いけど…。でも見てみたいじゃん。外がどうなっているのかさ」
「馬鹿馬鹿しい。そんなことをして、男に捕まって慰み者にでもなったらどうする? 外なんて行くな」
俺の言葉を聞いてルリコは大きくため息をつくと、折りたたんだ膝の上に頬杖をついて言った。
「そりゃ怖いよ。でもしょうがなくない?」
「しょうがない?」
俺は眉をひそめるが、ルリコは笑って言う。
「だって最善は尽くしてそうなるなら。しょうがないじゃない」
その言葉を聞いて俺はゾッとする。何だそれは。コイツは自分を何だと思っているのだろう?
俺の内心の批判を察知したのか、ルリコは視線を逸らして言った。
「だってさぁ。この世界で今この時、どこかの場所で…誰かが不幸になったり死んでるんだよ?」
ルリコの言葉に俺は頭が真っ白になる。
なんだそれは? そんなこと考えもしなかった。その誰かとは誰だ? エルフか? 人間か?
「だから一人ぐらい死んでも。しょうがないということか?」
もしかしてこいつは人間もエルフと同じ命の一つと考えているんだろうか?
俺の内心を他所にルリコは頷く。
「この前アキンボは柵を壊して落ち込んでたじゃない? でもさぁ…。その柵だって木々を木って加工して。要は壊してできた物でしょう?」
そう言うと土に埋めた鍋を指して言った。
「この鍋だってそう。土を壊して練って焼いて作ってる。米は実を付けた稲を刈って食べてる。その稲は森を切り開いて水田にしている。私達は何かを壊してそれを材料にして何かを創り出しているんだよ」
ルリコはため息をついて言った。
――だから私達は、多分。何かを壊さないと生きていけないんだよ。
その瞬間、ルリコの顔に浮かんだ陰に俺はゾッとした。
何かを壊さなければ生きられない人生。なんだそれは…。俺が守りたいものは、いつか壊れてしまうのだろうか? 俺が慈しんでも、丁寧に扱っても壊れてしまうのだろうか?
「そんな馬鹿な考えは認めない。無駄に命を散らすぐらいなら俺が止める」
俺の言葉にルリコは驚いたように眼を見開いて見つめて来た。その眼には困惑と悲しい色が浮かんでいた。
「俺は誰にも死んでほしくない。お前にも」
その言葉を聞いてルリコはフッと笑った。そして顔を抱えた膝に埋めると言った。
「…夢なんだよね」
「夢なんて別に無くたって他に道なんていくらでもあるだろう?」
俺の言葉にルリコは横目をこちらに向けて言う。
「他の道って…何?」
向けられたルリコの目にウロの様な深い闇を見た気がした。
「…例えば結婚して子供を作るとか…」
「結婚して子供作って…そのまま老いて死ねってこと?」
「それが女の幸せじゃないのか?」
「そんなの全然幸せじゃないよ」
「何故だ?」
「だって私は結婚しても、子供を産んでも、老いても…。叶えられなかった夢を諦められないと思うから」
「それは…」
「どんなに豊かでも。きっと私は満たされない。そしてそのまま後悔して死んじゃうと思う」
「…」
「そんな女と結婚するなんてきっと、相手は不幸だよ」
そう言うと、ルリコはまた遠くを見つめた。その目は森も俺も映っていない。どこか遠くの在りもしない風景をぼんやりと見ている。それを見た俺は直感した。
コイツは夢を追わないと壊れる…。そこもまでして見たい何かが、叶えたい何かがあるのなら…。
「じゃあ、俺がお前を守る」
そう言った瞬間、ルリコはフッと笑うと、俺に目を向けて言った。
「私より弱いのに?」
その瞬間、俺の中で何かが弾けて、ルリコの笑顔に釘付けになった。
俺は…コイツが欲しい…。コイツを抱きしめて、捕まえてそして…。
――痛いよ…アキンボ…。
俺の脳裏に叔母のグラシアの声が響く。俺はルリコを捕まえようと開きかけた手をギュッと閉じると。俺は目を伏せた。
つかの間の沈黙の中でたき火の音だけが響いた。
どれぐらい時間が経っただろう?
「そろそろいいかな? ほら。食べな」
そう言うと、ルリコは埋めた鍋を取って俺に手渡してくる。
「ああ」
俺は平静を装って手で鍋を受け取ると指と指が触れ合った。俺の指にルリコの指のヒヤリとした温度が伝わる。
「あ」
ルリコはそう言うと俺の手に鍋を預けた後、さじを鍋に放ってから俺の手に自分の手を合わせた。
「え、アキンボの手。あったか! ていうか熱すぎない? なにこれ!?」
空中で重なり合う俺とルリコの手。ルリコは無邪気に俺の手が熱いとはしゃいでいる。だが、俺にとってはルリコの手は氷の様に冷たく感じた。その冷たさが手を伝わって心の熱を奪う。俺と手を合わせながら無邪気に笑う彼女は俺の熱をどんどんと奪っていく。
「いいからさっさと寄越せ」
俺はルリコから鍋をひったくると飯をかきこんだ。横目で見るとさっきの様子が嘘のようにまたルリコは壁を見ながらどこか遠いところに思いを馳せていた。
「おい」
俺はルリコに声をかけて振り向かせる。
「俺は強くなる、お前よりも」
それを聞いたルリコはフフッと笑って言った。
「じゃあその時は、守ってね」
そう言われて俺も笑う。
もしかしたら本当に人は何かを壊さないと生きてはいけないのかもしれない。
でも俺はそうは思わない。だって人はそれを壊すか壊さないか選べるからだ。…俺は壊すことを選ばない。お前はお前の道を行けばいい。
俺は俺の道を行く。




