さえずる鳥に冷えたアクアパッツァ 妖精のいたずら
次回更新は7/27です。
会議所での食事会の後、私とニコラスはベラを連れてワルスさんの別邸に戻った。別邸に帰る前は空に雲一つなかったのに雨が降ってきた。
「夜空は晴れているのに雨が降るなんて不思議ですね」
不思議がっている私達にベラが背後から声をかけてきた。
「雲がない時に雨が降るのは妖精の仕業だと言う人もいます」
妖精って言うと羽を付けた小人を想像するなぁ…。
そんなことを考えていると間に雨は別邸の門をくぐる前には打ち付ける様に激しくなった。逃げるように門をくぐると、ホールで横並びの侍女たちが出迎えてくれた。
侍女は私達の服から雨粒を払うと再び整列した。アマナさんは侍女たちの前に出て言った。
「急な雨で増水するかもしれません。ジルタ。ゴンドラは?」
「引き上げて置きました」
「雨戸は? ナタリア?」
「漏れなく木戸を窓にはめ込んでおきました」
そう言うとアマナは私達に振り返って大仰に頭を下げた。
「ルリコ様、ニコラス様。全扉、施錠確認済み。確認者はアマナ。以上、夜間点呼完了を報告します」
「ご苦労、アマナ。皆も遅くまでご苦労。門の施錠もよろしくね」
「承知いたしました」
私が指示すると、アマナとベラは別邸の門を閉め、閂をかける。アマナの後ろで整列している侍女にはそれぞれの表情が浮かんでいた。
左から右に向かって、ぼんやりと石畳の水たまりを見つめているリュシュア。どこかブーたれ顔につり目のナタリア。雷の音に目を輝かせるおでこでおさげのエルヴィ、直立不動で私を見ているジルタ。
…よく見るとこの並び順って身分にそった順番だったりする? だからジルタを私の専門の侍女にするって言ったときに変な空気になったのかな?
「ニコちゃまぁぁ」
ノンノが私たちの居るホールに入ってくる。その背後にはサムが居て、その更に後ろにはシーブと師匠が居た。シーブ長老の肩の上には猫のエメシュが我が物顔で立っていた。
「急に天気が崩れて怖いわ。もしかしたら魔女が私を浚いに来たのかしら? 怖いわ。ニコラス様!」
ノンノがニコラスに近づいて悩ましい声をあげる。背後で私はそれを聞き流しながら言う。
「皆、聞いて頂戴」
私がそう言うと、アマナさんは「け、傾聴! これよりルリコ様からお話があります!」と緊張した声を出す。
「ありがとうアマナ。早速だけどこの別邸の指示役を決めるね。私達は殆ど別邸に居ない可能性が高いから基本的には指示や報告はノンノに。だけど私たちが在宅時はシーブ長老、私、ニコラスがそれを引き継ぐから。ただし、この邸宅の予算や資産、ルールの概要はワルス様に帰属するとする」
「…? ワルス様に?」
「万が一にもこの家のお金や資産をノンノが売っちゃったらマズいからね」
「ルリコ様! ノンノはそんなことしませんよ!」
ノンノが私にイヤイヤをするように首を振って抗議する。私はその可愛らしい仕草につい微笑んでしまう。
「わかってるよノンノ。でも、万が一もあるからね。まあ、でもいちいちワルスさんのお伺いをたててたら向こうに迷惑がかかるからある程度の予算の範囲内で財政をやりくりして欲しい。なので財政の管理はアマナに。記録はリュシュアに任せる」
私の言葉を聞いてリュシュアは我に返ったかのように「承知したしました」と答えた。
「お任せください! 全力でこの家に仕えます!」アマナさんも意気込んで頭を下げる。
エルフはワルスさんより身分が高いから誰に仕えるかで揉めるけど…、不動産自体はワルスさんの物だからワルスさんのルールが尊重される。みたいな感じにしておけばバランスは良くなる…と思う…多分。
「で、私の直属はナタリアとジルタ。私が不在の時はサムも含めて八時間ずつの三交代制の夜勤見回りをやって欲しい」
「三交代制ですか…?」
「夜の見回りをアマナさんみたいな管理職にやらせちゃうと眠くて判断できなくなっちゃうからね」
「私達は夜番を苦とは思いません」
ナタリアはキッとした目つきで言う。私はそれに頷いて言う。
「そうだけど、今後は皆には専門的な知識を学んでもらって私たちの仕事を手伝える人材を育てたいんだよね。勿論開拓地への転勤も含んで。そこら辺のキャリアも選べる感じにするから」
「…! 必ずや、この娘達はルリコ様のご期待にそえるでしょう!」
アマナさんはそう力強く言う。侍女の中にはアマナさんの様にワルスさんへの忠誠が高い者は開拓地への転勤は避けたいハズだ。それを利用して私の直属は開拓地への転勤がありえる…とすれば意欲の高い人だけが私の下に自然と集まる形になるから不公平感は減るんじゃないかと思って差配した。
出世と同時に転勤…。家を買った途端に転勤…う、頭が…。
「なので夜の鍵の管理は夜勤の人に。それ以外の時間帯は施設管理者のアマナさんに一任するよ。ニコラスの専属はサムで、ノンノの専属はベラで。長老の専属はリュシュアで」
言葉を聞いたナタリアが一歩前に出て言った。
「では今日から二十四の鐘まではジルタ。八の鐘までは私、ナタリアが夜番を受け持ちます。アマナ侍女頭は鍵をジルタにお渡しください」
それを言われてアマナは腰に下げたチェーンの鍵束を外してジルタに渡す。
「そうですね。ではジルタ。お願いします。後でどの鍵がどの扉に対応しているか教えますね。」
「…わかりました。アマナ様」
「あ、侍女頭。それは私もご一緒します」
それからアマナさんはベラとエルヴィを振り返って言う。
「ベラ、エルヴィ。お嬢様達を離宮にお連れするように」
「承知しました。では皆さん、このベラについて来て下さい」
ベラはそう言うと燭台を持って先頭に立って廊下をぐるりと回って雨が降る中庭を迂回した。
「ニャニャニャ? ニャニャ?」
エルヴィは長老の横を歩きながらエメシュを構っている。長老はエルヴィを孫を見る様な目で見ながら「貴方は猫の言葉がわかるのですか?」と聞いてエルヴィに首を傾げられていた。
ノンノはベラさんと一緒に歩きながら談笑している。
「カスティ国の姫は花の油を使って髪を潤しているんですよ」
「それマ?」
「マのマですよ」
スラングも混じっていてこんな感じで話しているんだろうなという感じではあるけど。ベラさんの相手に合わせて自在に対応できるところは本当に凄いなと思う。後ろを振り返るとサムはニコラスに今まであったことを報告している。
まあ…師匠とリュシュアが話し込んでいるのが凄く以外ではあるけど…。
「ではミンチにして動物に食べさせて証拠隠滅させるというのはどうでしょう?」
「お前に大量の肉をミンチにする体力があるなら有効じゃないか? まあ、結局残りの骨とかは始末することになるから普通の処理とあまり変わらないけどな…」
「成程、勉強になります」
うん…なんか怖いから聞かなかったことにしよう。
後ろを振り返っているとジルタと目が合うともじもじする。それが余計に愛おしい。何と言うか皆落ち着くところに落ち着きそうな感じがして一安心だ。
私達は侍女を外に残して離宮の中に入った。中からサムとニコラスは扉に閂をかける。ニコラスは扉の脇の格子窓から侍女たちを覗いて言った。
「ご苦労様です。もう下がって良いですよ」
その言葉を受けて侍女たちは離宮から離れて行く。侍女たちは仕事に向かう者、部屋に戻る者に別れる。彼女たちの部屋は別邸を取り囲む外壁の中の塔にあるらしい。彼女たちが去った後、私は皆を振り返って言った。
「えっとここの人に聞いておいて欲しいんだけど…」
そう言うと、ノンノはあくびをしながら言った。
「一体なんですか? ルリコ様?」
「ロゼッタ先生の報告なんですけど、この屋敷の地下に通路があるみたいなんですよね」
シーブは腕を組みながら首を傾げる。
「地下の通路? それが何ですか?」
ニコラスは先生の話に補足を加える。
「先生の報告だと地下空間をある程度進むと鉄格子で遮られた箇所があってその先には行けないらしいんです」
「その道はどこに繋がっているんですか?」
シーブ長老は首をひねってそう聞く。
「多分、城の地下空間と繋がっている…というより、この城下町の主要部分は全部が地下で繋がっているんだと思う。恐らく緊急避難用の通路じゃないかな」
「それで何が言いたい?」
師匠は私を見ながら両腕を組む。
「この別邸は完全に閉じてないから外から誰かが入ってくる可能性があるってことです」
長老は肩の猫エメシュを片手間に撫でながら眉をひそめる。
「…それは看過できませんね。だから離宮の戸締りを徹底するためにこの場の人間に共有したと?」
「そうです。今までワルスさんの別邸では何もなかったみたいだけど、鉄格子なんていくらでもバラせるから。誰かが入ってきて盗まれたり誘拐されたら怖いです。だから今度ワルスさんと会うときはどうにかできないか聞いてみるつもりです」
「まあ! 何かあっても殿方達が私達を守ってくれるから大丈夫ですよルリコ様。特にニコラス様は貴方を…」
そう言うとノンノはフッと笑うと近づいて言った。私はノンノが何を言いたいのかわからず首を傾げる。
「お耳をお貸しください」
私が耳を貸すとノンノは小声で言った。
「御安心してくださいルリコ様。何があってもニコラス様は貴方を最初に守るでしょう。あたしはニコラス様とは”まだ”ですから」
私がギョッとして目を向けるとノンノは笑ってまた、私の耳元に回り込んで話した。
「私はまだ”ダメな身体”なんですのよ」
ダメな身体とは一体何なのだろう? 未成年的な意味なのだろうか?
私はノンノを振り向くと耳を貸してとジェスチャーで示した。ノンノはクスクスと笑いながら耳を向ける。
「その”ダメ”っていうのは誰が決めたの?」
ノンノは私の耳打ちがこそばゆいのかくすぐったそうに笑ってから言った。
「さあ? 神か羊飼いか…。ねえ…ルリコ様。私はまだダメだけど。貴方が御子を孕んだら私にもお慈悲を下さるように一緒にニコラスを説得してくださいませ」
何かが私の中でカチリと止まったような気がした。色々と逡巡してから私はノンノに耳打ちした。
「大丈夫。ニコラスは私達を対等に見てくれてる。だから選ばれたどちらか一方が愛される」
するとノンノはイヤイヤをするように首を振ると耳打ちした。
「私がルリコ様に勝てるハズがありません。私を捨てないで下さい。もうここの暮らしを知ったらあそこには戻れません…。どうかお慈悲を…」
ノンノは私にうるんだ瞳の上目遣いを向ける。
ああ…可愛すぎる。
「わかった! もうノンノは私と一緒に暮らそう! ずっとここに居ていいからね!」
「はい! ノンノはルリコ様をお慕い申し上げております!」
私達は抱き合ってお互い頬ずりした。
それからノンノは私に一つのソファにベッタリくっついたまま座った。ノンノは私に「捨てないで」とか「お姉さま」と距離を縮めようと努力してきた。それに対して私も「絶対に捨てない」とか「私の妹」と言って甘やかした。
―――。
ふと、目が覚めると私とノンノは応接室のソファに座って寝ていた。燭台を灯したまま、ニコラスが向かいの椅子に座っていた。私はノンノを起こさない様に小声で言った。
「ニコラス? …今、何か聞こえなかった?」
ニコラスは私を見ると「雷の音ですよ」と言った。私が耳を澄ませると確かにゴロゴロ…という雷の鳴る音が聞こえる。
…何だろう。何か悪夢を見た時の様な胸騒ぎがする。
ゴンゴンゴン。
邸宅の大扉のドアノッカーが鳴らされる。
私とニコラスは目配せして、立ち上がる。ノンノをそのままソファに横たえると、ニコラスが私に剣を渡す。
「予言が本当になったのかな?」
「いえ、ノックの調子は緊急でしたが、一回だけだったので差し迫った脅威ではない気がします」
「まあ締まって行こう」
私がロングソードを抜くと、ドア越しにニコラスが声をかける。
「誰です?」
「夜分に失礼いたします。ベラです」
ニコラスが扉の脇の格子のカーテンから外を覗く。
「今開けます」
私はニコラスに頷きながらロングソードを納刀する。門の閂が外され、門が小さく開けられると雨で濡れたベラが立っていた。全速力で走ったのか靴やスカートは泥だらけだ。
「…何があったの?」
ベラは頭を下げると言った。
「報告します。外部の侵入者を討ち取りました」
「討ち取る?」
「ナタリアが外部犯を見つけて命を奪いました」
「…そう。誰か怪我した人はいないよね?」
ベラは私の顔色を伺う様にしながら頭を下げて言う。
「謹んでお悔やみを申し上げます。ジルタが死亡しました。恐らく外部犯に殺されものとみられます」
―――。
その瞬間だけ、世界が動きを止めた。
音も風も、すべてが遠くなった。
稲光だけが、そこに取り残された私を照らしていた。
ベラの報告後、私達は寝ていた師匠を起こして留守を頼んでから、侍女たちの居住の塔へと向かった。道すがらベラから詳細な報告を聞いていた。
「私が見たことをそのままご報告させていただきます。事は三の鐘を過ぎた頃に起きました。塔の中で悲鳴が響いて皆、飛び起きました」
「悲鳴?」
「はい。ナタリアが外部犯を目撃して悲鳴を上げました」
そう言うとベラは事件の際に目撃した光景を話し始めた。
私達が悲鳴の聞こえた先に向かうとそこは夜勤者の仮眠室の前でした。アマナ、リュシュア、エルヴィも一緒に駆けつけました。私達が仮眠室の扉を叩いていると、後からナタリアが来て言いました。
「曲者が居た! 仮眠室から出てくるのを見た! 多分中にジルタが居る!」
仮眠室の扉を何度も叩きましたが、返事がありませんでした。私はナタリアに鍵束を要求しましたが彼女は「曲者に奪われた!」と言いました。
仕方ないので私達は協力してドアを打ち破りました。するとそこにはベッドに横たわったジルタが居ました。近付いて診たらジルタの首には縄の痕がついていました。私は脈や息があるか見ましたが既にこと切れていました。その時死体にはまだ温もりがあったので半刻も経っていないとわかりました。
私たちは二人一組になって槍を持って曲者を狩りに出ました。私とアマナは皆さんに報告しに行こうとしたのですが…。途中、エルヴィとナタリアが曲者を討ち取ったと報告しに来ました。確認したところ、曲者は階段から落ちて死亡していました。
男の所持品を検査したところ鍵束とナイフ、外套とその下に皮の防具を着ていました。そして親指に布が巻かれていました。
「親指に布?」
一旦、私はベラの報告を遮って聞いた。
「はい、これがその布です」
私がさしだれた布を見ると細切れに破いた布切れに見えた。布切れは綺麗な切り口で整えられていて、両面には何も記されていなかった。
「男の死体は階段下の部屋に安置してあります。どういたしましょう?」
「とりあえずジルタの下へ」
「承知しました」
私達はベラに連れられてジルタの部屋の前に来た。部屋の扉は打ち破られて壊れてレンガの壁にひびが入っていた。扉があった場所に立つとジルタが部屋に眠るように寝かされていた。私がジルタの横に近づくと口元に手を当ててみた。そして次に首筋に手を当てた。
呼吸も脈もない。なのに体にはほのかな体温がある。
首には赤紫色の縄の様な痕がついていた。
嘘でしょう…。
私はジルタの胸に耳を当ててみる。心臓の音もしていない。
完全に死んでいる。
私は顔をあげて視線を宙にさ迷わせる。さっきはにかんでいたジルタの記憶。そして更に昨日のジルタと会話した記憶がよみがえる。舟の風を受けて気持ち良さそうにしていたジルタ。私に初めて方言で話しかけてくれたジルタ。私の名前を呼んでくれたジルタ。舟の上で手を振ってくれたジルタ。
『おらに、お嬢様のこと、お名前で呼ばせでけねべが?』
ふと、ジルタに呼ばれたような気がして目を下に向けた。しかしさっきと同じでジルタは動かなくなっていた。私はジルタの頬を撫でる。撫でると頬がプルンとして目元のそばかすが踊る。
喪った。命が消えた。私のジルタが死んだ…。一体誰が…。
途端に私の頭の中がカッと煮えたぎって目の前が真っ赤になった。自分の頭に渦巻く怒りで髪が逆立った。
「ルリコ」
後ろに居たニコラスが私の肩を叩く。危うく怒りに飲まれそうになった私は正気に戻る。
「うん。大丈夫。ベラ、男のところへ連れて行って」
「は、はい。ルリコ様」
私が部屋から出ようとすると、扉の前でジャリッと何かを踏む音がした。どうやら扉を蹴破ったときに発生したレンガのカスの様だ。その赤茶色のカスは侍女たちが部屋に出入りした足跡として残っている。その足跡をよく見ると白い粉の様が落ちていた。手ですくって指で潰すと指に塗料のように広がった。
これってレンガの目地…?
扉の外を見ると中ほどカスは落ちていない。代わりに扉前に赤茶色の侍女たちの足跡がいくつか見えるが、外の雨の湿り気でぐちゃぐちゃになっている。
門の前の中央ホールに通じる階段下に男の遺体はあった。遺体の上にはカラフルな敷物がかけられていた。ベラは敷物をはぐ。男は白い肌に茶髪のやせ形の頬のこけた顔で知らない男だった。男の靴底を見ると泥で真っ黒く汚れていた。
「男の所持品は?」
「こちらに」
応接室から持ち運ばれた立机の上に男の所持品が置かれていた。ナイフは安物の誰でも持っていそうな鉄のナイフだった。柄には何の装飾もない。私は鍵束を見ると素材は真鍮で何の刻印もなかった。私はベラを振り返って言った。
「皆を此処に呼んできて」
「皆さんですか? 離宮の方々もでしょうか?」
「うん。伝えたいことがある」
「わかりました」
数十分経って、一階のホールに皆が集まる。侍女だけじゃなく師匠やノンノも一緒だ。師匠もノンノもあくびをして眠そうな雰囲気を隠さない。
「あの小僧は留守番で置いて来たからな」
私は師匠の報告に頷く。
侍女たちはホールの壁に整列していた。リュシュアは相変わらずぼんやりとした視線を倒れた男に向けていた。ナタリアは顔を俯かせ、エルヴィはナタリアの手を握りながら親指の爪を噛んでいた。ベラは落ち着かない雰囲気で常に周囲を見渡していた。長老は遺体を見て顔を青くしながら言った。
「それで? その男が犯人なのですか? 何かわかったことは?」
「はい。結論から言うと…。この人はジルタを殺した犯人じゃありませんでした」
「? どういうことですか?」
「この人はたまたま、この場に居合わせた間者だっただけです」
「たまたま? しかしそちらの正面の扉は閂がかかったままですが? まさか鍵縄を使って入ったとか?」
「いえ、鍵縄ではありません。見てください。男の靴は濡れていますが、外套と帽子は濡れていない。もし鍵縄を使ったらもっと雨で濡れててもおかしくありません」
「確かにそうですね。ではどこから?」
「地下通路からですよ。さっき私が言った通り…彼は地下から侵入してきたんです」
「…しかし地下には鉄格子があるはずでは?」
「そこでこれですよ。この鍵束。アマナさん何個ついてます?」
「…ええと…あれ? おかしいですね…。確か鍵の数は聖数字と同じ七つのハズなのに…この鍵は八つ付いてます。それに…よく見たら…。おかしいです! この鍵にはスバンダルの竜の紋章が彫られていません!」
「それはそうです。それはその男が侵入するために偽造した偽の鍵束ですから」
「…? では真の鍵束はどこに?」
「簡単です。それは夜勤見回りのナタリアが持っています」
「ナ、ナタリア? 本当なのですか?」
ナタリアはうつむいたまま顔を青くして微動だにしない。長老は首をひねる。
「一体どういうことですか?」
「つまりこの男はここに侵入しただけで、ジルタの殺害には関与してないということです」
「何故そのようなことが言えるのですか?」
私は男の短剣を指さす。
「もしこの男がジルタを殺すつもりなら縄なんて使わず、ナイフを使うと思いませんか?」
「確かにそれはそうですが…。ではジルタを殺したのは誰なのですか?」
長老は不安そうに杖をさすりながら聞く。
「ジルタは縄で絞殺されました。つまり縄を持っている人が犯人です」
「えー? じゃあこのおじさんが腕につけてた布が凶器ってこと?」
エルヴィは私の推理に驚いたような声をあげる。
「いえ、この布はジルタの首についていた縄の痕とも太さも全く違う」
「じゃあ…」
「多分、殺害に使った凶器はナタリアが持っているんじゃないかな?」
言われてナタリアはピクリと右腕を震わせる。
「ナタリア、ポケットを見せろ」
言われてベラがナタリアに近づく。
「嫌よ…!」
ナタリアは振り絞るように声を出す。
「おい!」
「いやぁ!」
ナタリアはベラとアマナに取り押さえられてポケットを探される。するとポケットからは縄が出てきた。
「ジルタの首の縄の痕にも太さにも似ている…! じゃあお前が…!」
「違う! これは罠よ!」
長老は頭を一層にひねりながら言う。
「ふむ…つまり…。ナタリアはジルタを殺してから縄を回収して鍵をかけて悲鳴を上げたってことですか? 何のために?」
「簡単です。ナタリアはジルタを殺して部屋を出た時に曲者の姿を目撃して悲鳴を上げたんです。悲鳴を上げた後に曲者だと気づいたんです。でもその時には悲鳴を聞いて駆けつけた皆さんが近づいて来るのが分かったんです。だからナタリアは近くに身を潜めて、皆さんが集まった後に姿を現したんです。その時に鍵を持って居たらバレるので咄嗟に曲者が本当の鍵を持ち去ったと嘘をついたんです」
「違う!」
「ちょっと待ってください。どうやってナタリアは曲者が鍵を持っていると知っていたんですか?」
「簡単です。曲者が入ってこれる地下通路には鉄格子の鍵が必要だった。つまり知らない誰かがいるというは既に偽の鍵を持っていると判断できるんです」
「…! 確かに私は地下通路のことは存じていましたが…曲者が居るとまでは知りませんでした!」
「じゃあ、ナタリアさん。貴方はたまたま鍵を曲者に奪われたと言った後に、その嘘が本当になって曲者が現れて鍵を持っていたと言うんですか? 言った嘘が本当になる。そんなレアケース本当にありますか? 一体どれだけの確率ですかそれは?」
「そ、それは…。確かにそうですが…でも実際に…!」
呂律がまわらないナタリアの横でエルヴィが手を上げる。
「はーい! ルリコ様質問です。ナタリアはどうしてそんなことをしたんですか?」
「それは恐らくですが…身分じゃないですか?」
「身分?」
「ジルタは貴方たちの中で一番身分が低かった。だけど私に取り立てられたのを見て、嫉妬の念が沸き上がったんじゃないですか?」
ナタリアは私がそう言うと図星をつかれたように地面に顔をうずめる。
「そ、それはそうですが…でも殺すつもりはありませんでした…」
抑えつけられたまま、ナタリアは懸命に反論を口にする。それにエルヴィが口元で手を隠しながら驚く。
「え! ナタリア、ジルタをイジメようとしてたの!?」
「それにね、実は貴方の犯行を目撃した人がいるんですよ」
「ええ…!? 誰ですか?」
「彼です」
私は地面に転がっている死体を指した。
「この人が? 死んでるのに? どうやって?」
「この人は死ぬ前に”これ”を作りました」
そう言うと私は布を皆の前に垂らす。
「なんですかそれ?」
「これは彼のシャツを割いて作ったものです。いざとなったらこれを使って脅迫と告発の道具。そして…ダイイングメッセージの道具にしようとしていたんです」
「ダイイングメッセージ?」
「はい。死ぬ前に残す手がかりのようなものです」
「しかしその布には何の文字もあぶりだしのような仕掛けはありませんでした」
ベラはナタリアを押さえながら私を見上げる。
「それはそうです。だってあからさまに文字やあぶり出しがあればそのメッセージが犯人が気づいてしまうと思ったからです」
「…?」
「思い出してください。そもそも彼を殺したのは誰だったのか?」
「それは…あ…ナタリア!」
「そう、彼はナタリアに目撃されてもし捕まった時に口封じで殺されると思い、咄嗟に告発の為に布を使った証拠を作って親指に結んだんです」
「ふーん逃げてるのに随分と余裕があったんだね」
「そして、彼の死後、ナタリアは偽の鍵の存在を確認したんでしょう」
「ふむ…それでその布の意味は…?」
「親指と長い布。そう、親指は…」
逡巡していて思い当たったベラは叫ぶ。
「インチか! 親指は長さを表しているんだ! でも何の長さだ?」
「それは彼が犯行を目撃したときに咄嗟に近くにあった長さのスケール…彼女の濡れた足跡。足の長さですよ。そしてこの足の長さは二十六センチ…。一般の女性にしては随分デカイ足跡。つまりナタリアさんの靴しかありえないわけです」
エルヴィは私の言い分に人差し指を口元に当てながら首をひねる。
「うーん、でもアマナさんも結構足大きいよ?」
「では聞きますが…。アマナさん貴方は深夜三の鐘の頃…どこに居ましたか?」
アマナさんは私に聞かれると思い出して手を打つ。
「それは…。私はベラと一緒に寝ていました!」
「そうです。それはアリバイと言って証拠になります」
「そっかー。一緒に寝てた人には無理だから除外されるんだ。じゃあ私とリュシュアも一緒だからアリバイだね!」
リュシュアは眠そうにコクコクと頷く。
「そう、そもそもこの犯行は外部犯以外はナタリアにしかできないんですよ」
「ち…ちが…」
話を聞いたアマナさんは私に跪くと言った。
「ルリコ様、今回の件は私の監督不行き届きもありました…。どうか今回は私とナタリアの両名、ワルス様のお沙汰に身を委ねさせてください」
「…わかった。それまではナタリアさんは部屋に監禁していおいて」
ナタリアは「ああああああああ」と駄々っ子の様に拳で地面を叩いて言った。
「違う! 違う! 違う! 私は殺してない! 確かに私はジルタを脅かそうと思った! でも! でも! 部屋に行ったら! もう死んでた! 悲鳴はその時! あんな男知らない! 誰にも会ってない! ルリコ様! やはり女である貴方には無理なのです! このような有事に冷静な判断は下せない!」
ナタリアは泣きながら言った。
「私は無実です! きっとあの男がジルタを殺した後に私は部屋に入ってしまった! だから…」
「それはあり得ないよナタリア。さっきも言ったけど殺すならナイフでジルタを殺したはずだし…ブーツの底は泥で汚れていた。あの部屋に入ったならブーツの黒い足跡が付いたハズだよ。でも部屋には貴方たちの赤茶の足跡しかなかった。それにこの偽の鍵…作りたてでピカピカで傷がない。鉄格子の鍵以外、多分一回も使われてない」
ナタリアはベラに抑えつけられたまま、首だけを大きく左右に動かして言った。
「ルリコ様。聞いてください。私は嘘をついていません。神に、先祖にかけて誓います! 確かに私はジルタを脅かそうとしました。それは真実です。ですがそれは貴方の専属になると舞い上がっていたジルタを躾けるためです。思い上がって失敗しない為の愛のムチです! ですが決して殺そうなんて思いません。何故なら、ジルタは貴方のお気に入りだとわかっていたからです。どうしてそれを殺そうなんて思うでしょう? ああ、私は最初にニコラス様に忠を捧げて貴方を軽んじた。だからそれを挽回するために。そうしないと一生夜番のまま使われてしまう! 何か! お役に立たねばと! どうかもう一度御再考を! あの時、ジルタは既に…死んでいました!」
「じゃあ…聞くけど…貴方は誰がジルタを殺したと思うの?」
「…わかりません。しかし…発言をお許しください。もし、本当に私がジルタを殺すなら悲鳴など上げません! 殺してそのまま去ればいいだけです!」
「でも、それだと鍵を開けれたのが貴方か、侵入者だけになるから結局バレるよね?」
「そうです! これはそもそも殺人として成立していません! だって扉の鍵を開けれたのは私か侵入者だけなのですから!」
「その場合、貴方はジルタが思いのほか抵抗されて助けを呼ぼれそうになったからつい…って考えてしまうけどね」
「ちが…ちが…」
絶望するナタリアの前にニコラスが膝をつくと言った。
「ナタリア」
「ニコラス様。お慈悲を…お慈悲を!」
「…私は貴方が本当の犯人かどうかは納得できていません。だからもう一度貴方視点で何があったかを話してください」
「承知しました! 嘘偽りなく話します!」
そういうと一時、ナタリアは拘束から自由にされ、地面に正座してから語り始めた。




