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石中の恋歌  作者: モノノベワークス
夢寝子ラブトロジー
35/65

さえずる鳥に冷えたアクアパッツァ 永遠の刹那

次回更新は7/16日です。

「良いわけないでしょう」


 そう金髪の老齢の女性が衝立越しに厳格な言葉を投げかけてくる。港の喧噪の後、私はヴァリス君の船で送ってもらうことになった。そこで、私は身分を明かして、ボロボロの服と髪と体の汗を落としたいとお願いした。結果、お風呂はもらえなかったけど、たらいのお湯で身体を拭いているところだ。


「いやぁ…あの服はお気に入りなのでそのまま着て帰りたいなって…ダメ…?」


「…あのようなボロボロの恰好で歩こうものならスバンダルの船で何かあったのかと余計な心配を買うばかりです。第六石、エルフのルリコ様…。いえ、金穂の楯とお呼びした方がよろしいですか?」


 そう、つんけんした言葉を投げかけてくるのはヴァリス君のお付きの侍女マルティナさんだ。マルティナさんは老齢ながらすらりとした背筋が美しい美オバという感じだった。シーブ長老と似た雰囲気は感じるが、マルティナの射貫くような目はシーブ長老にない厳格さを感じさせた。


「ルリコで良いですよ」


「では、ルリコ様。是非お召替えを。レディを汚れたまま船で送りったあってはスバンダルの名折れとなってしまいます」


「うーん…わかりました」


 さっきまで私は船乗りを制圧した際のボロボロの服で帰れないかと駄々をこねていたのだ。服自体はエルフの集落によくある麻の服だ。


 でもなぁ…。これで着替えて帰ったところをニコラスに見られたらまた何かあったんじゃないかと聞かれるよなぁ…。そしたら今までの顛末を話さないといけないしなぁ。送った貰ったのはともかく、男と喧嘩したなんてバレたらもう一人で出歩かせてもらえるかわからなくなる。何とかして隠そう…。


「あの…家はワルスさんの別邸なんで見送りは結構です」


「なんか不都合がございますか?」


「えっと…。ちょっと仰々しくされると心配されちゃうというか…」


「…それはいけません。お相手の殿方の気を持たせるような真似は慎むべきでしょう。是非そうしていただければ」


 さっきとうって変わってマルティナさんはニコリと笑って礼をした。


 私が船の客室から出ると、師匠が客室前の扉の横で酔い潰れて寝ていた。マルティナさんは師匠を軽蔑の眼差しで見下ろした。すると師匠はマルティナさんの視線に気づいたのか目を開けて睨み返す。


「…失礼しました」


 流石のマルティナさんも師匠の狂犬っぽい雰囲気にノータッチを決め込んだのか頭を下げる。師匠は私の恰好をあくびをしながら見る。


「どうですか師匠? 変じゃないですか?」


 私は黒基調のロングドレスに肩のフリルと頭に修道士っぽい被り物、肩に白いフリルと修道院風のゴスの甘ロリみたいになってしまった…。


「…」


 私の問いに師匠は答えることなくそのまま眠った。


 この人何しに来たんだ…!


「このままずっと眠っててくれればいいのに」


 マルティナさんの言葉に私も内心「それな」と頷く。


 私たちが甲板に出ると、海風が新しい服を撫でつける。修道士風の服の布が厚いせいか風はあまり気にならない。空はとっくに日が暮れて夕焼け空になっていた。


 ああ、もう十五の鐘なんてとっくにすぎているだろうな。


 マルティナさんの後について甲板から船尾の上甲板に上る階段を上るとそこにヴァリス君の姿があった。船の上甲板からはたくさんの漕ぎ手の男たちが忙しくしてオールをこいでいるのが見える。船は帆を畳んで川の流れに沿って進んでいるらしい。


 ふーん、やっぱり船には舵はついてないのかな?


 ヴァリス君は上甲板に居ながら舵操作をしているように見えなかった。彼は立って船の行き先を眺めているだけで特にこれといって何かをしているようには見えなかった。ヴァリス君の後ろには紳士服のやせ形黒髪オールバックの中年が立っていた。その中年は私を不愛想な面で見ていた。船の進む風に彼の黒い濡れ髪はなびいて顔にかかるのが何だかセクシーに感じた。


「若様、ルリコ様をお連れしました」


 バサバサッ


 私が見ていると彼の肩に黒い鳥が乗った。どでかいカラスのような鳥は私に向かって「アー! アー!」と威嚇した。


「これ、フリルス。お客様に失礼ですよ」


 マルティナさんはカラスに嬉々とした声で注意する。何故だろう、暗にもっとやれと言っている気がする。ヴァリス君が私に気づくと、カラスのフリルスをなだめるように頭から羽を撫でる。


「失礼したルリコ嬢」


 帽子を取ったヴァリス君は私に頭を下げる。しかし肩の鳥が私をねめつけて居るせいでなんかちぐはぐな感じがする。


「こちらこそヴァリス氏。危ないところを助けていただきありがとうございました。その上、服まで借りてしまって」


 私もヴァリス君に礼を返す。マルティナさんは口に手を当てて驚いたように言う。


「借りただなんてとんでもない。こちらはルリコ様に献上した物なのですから。どうか受け取ってください」


 マルティナさんは遠回しに「返さなくていいから。上げるからその服」と言っているらしい。私もそれに合わせて言葉を訂正する。


「頂いてしまって…かたじけない」


「かたじけない?」「かたじけない?」


 ああ…あまり喋らせないでくれ。私はエセ貴族だから言葉が安定しない…。


「貴方の英雄的行動を思えばそのくらいお安いものです。私たちも助かりました。しかしあのようなところで貴方のような高貴な方が一体何を?」


 おおう…痛いところをついて来るな…。流石に黒いワインを探しに行ったとか言えるわけないなしな…。


 ふと、私のなかで暴れん坊将軍と水戸黄門的なイメージが頭をよぎる。


「はい、城下町を見学するために、市民として身を装っていました」


「そうか」


 そう言うと、ヴァリス君は私をまぶしいものでも見るように目を細めた。その目はきらきらと傾いた夕日の色を宿していた。


「貴方のような生き方は、私にはできません」


 そう言うと彼はふっと俯いた。その表情が何か口惜しそうに見えてつい聞いてしまった。


「何故ですか?」


 ハッと息を飲む音が聞こえて、その場が静寂に包まれる。マルティナさんは口を手で覆い、ヴァリス君は虚をつかれたように驚いた表情を見せる。しかし次の瞬間、ヴァリス君はフッと笑って言った。


「それは私がヴァリス・ド・スバンダルだからですよ」


 成程、お家の事情か。でも確かワルスさんはヴァリス君に不幸になって欲しくないって言ってたような…? でもヴァリス君は落ち込んだような顔をしている。ワルスさんはこれをみたら不本意と思うんじゃないだろうか? でも、じゃあ彼が本当にやりたいことって何だろう?


 私は気になって聞いてみることにした。


「では、貴方がただのヴァリスとしたら?」


 ヴァリス君は首を傾げながら言う。


「そのような仮定に意味はあるのでしょうか?」


「ありません、仮定ですから」


 ヴァリス君は俯いてから夕暮れの空を仰いで言った。ヴァリス君が空を見るとフルリスが夕日の空にはばたく。


「永遠…ですかね。この空の下ずっと船に乗ったまま揺蕩たゆたって居たいです」


 すると「うう…」とマルティナさんがハンカチで涙をぬぐいながら言う。


「若様。わたくしもです。わたくしも貴方様にずっと永遠にお仕えしとうございます」


「ありがとう」ヴァリスはマルティナに苦笑する。


 その湿っぽい空気に、水夫たちも当てられたのかヴァリスの方に頭を下げる。私もついその空気に当てられて口が滑る。


「ああ…確かに良いですよね…。川の幸。お刺身…」


「サシミ?」「サシミ?」


 私は咳ばらいをしながら照れ隠しをする。


「なんでもありません。ただの独り言です」


「失礼」


 その言葉と共に、背後の黒髪オールバックの紳士服の男が前に出て言った。


「永遠に風を受けて進む船になりたい――若様のそうした夢を、私も嫌いではありません。けれど、あなたはもう、帆ではなく、錨としての重さを背負っておいでです。理想は美しい。しかし今のあなたは、それを他人の船に託す側であることを、お忘れなきよう」


「ルディリック、どうやら若様の永遠の航海に貴方の席はないようですね」


 マルティナさんはルディリックと呼ばれた男に噛みつくようににらんで言葉を放つ。それをルディリックは無表情のままいなす。


「私の能力はありもしない航路をはかる為のものではありませんから」


 途端にマルティナさんはルディリックと呼ばれた紳士服の男をより一層にらみつける。


「忠言感謝するよルディリック。所詮はただの仮定さ」


「そうかなぁ…。私はその夢良いと思うけど」


 私のとぼけた呟きに、ルディリックは肩をすくませる。


「まあ、確かに永遠の航海なんて夢物語は女子供が見そうな絵空事です」


 言われて私はムッとして暁とは真逆の夕日の空を指して言った。


「じゃあこんなお話はどうですか? かつて東の果てまで航海を続けた人がいた。彼は十七年間かけて誰も見たことがない黄金の国にたどり着いた。そこから帰った彼はその国のことを伝えた。『東方見聞録』。その東方にあるという黄金の国の話を聞いた人々は我もと旅立ち、大航海時代を作り上げたたった一人の男が成し遂げた嘘みたいな偉業が時代を作る。それが貴方たちかもしれない…なんて燃えないですか?」


 ―――。


 その場の人間達が一斉に静まる。ルディリックは大仰にため息をついて言う。


「ば…バカバカしい…十七年間も航海を続ける!? そんなことできるわけないでしょう!? 食料はどうするんですか!?」


「それは途中の国々で補給するんですよ…ってあ…」


 そう言えばこの異世界に東西南北があるかもわからないんだった…。でも生命体が居るってことは磁場はあるからN極とS極はあるのかな…?


 そんなことを考えていると、ヴァリス君が私を見ているのに気付いた。ヴァリスは眉をひそめたまま言った。


「ルリコ様。過ぎたる夢は毒にしかなりません。そのようなものに現を抜かす者は愚か者として後ろ指を指されるでしょう。その様な者に民はついてこない」


「でも、この船の人たちはそうじゃないよ」


「…? どういうことです?」


「この船の人たちが夢の話をしていた時、貴方を見ていた。それは貴方と一緒の光景なんじゃないんですか?」


 ヴァリス君は甲板の船員たちを見る。船員たちもヴァリス君を見ていた。ヴァリス君はその視線から逃れるように背を向けると船尾に立って夕日を見ながら言った。


「私にとっては眩しすぎる。夕焼けの空も、貴方も」


 ヴァリスは私に背を向けてしまった。これ以上は私が何か言えることはなさそうだった。


 まあ…私もかつて仕事に人生を捧げたし。夢を諦めて仕事に生きるのも人生だ。いや、むしろほとんどの人生はそうだ。私はただ二週目の人生だから、エルフの長寿にかまけて好きに生きようとしているだけにすぎないのだから。


「ありがとうございました。ヴァリス・ド・スバンダル」


 私は頭を下げてその場を去った。


「っていう顛末でしたよ。師匠が寝ている間は」


 船から降りた私は師匠に起きたことの報告を済ませた。


「そうか」


 いや、そうか…って。


 まだお酒が残っているのか、師匠は報告に対してもそっけない態度だった。


 まあ…妙なことを言われるよりマシか…。


 私達は先日、サムに名付けた城砦地下の港に降り立った。


「とにかく師匠早く帰りましょう。皆心配していると思いますから」


 師匠は酔っぱらっているのか、私の後を無言でついてくるだけだ。私が荷下ろし場の階段を上ると「お帰りなさいませ!」という野太い声が聞こえた。そのしっかりした声は細っこいチーズマンさんのとは異質でギョッとしてしまう。声の方を見ると、大きいタカのようなシルエットが歩み寄ってきた。


「ワージさん?」


 そこに立っていたのは、昨日シャンの後ろに立っていた商業ギルドの鷲鼻のワージだった。紺の外套とズボンに、帽子に身を包んだその姿は大きなタカのようだった。


「そうです、貴方のアゴラスティノ・ワージです。貴方がお困りと聞いてはせ参じました」


「お困り? 迎えではなく?」


 私が首をひねると彼は芝居がかった様子で鷹揚に頭を下げた。


「エルフの皆さまが、経営管理のサポートを必要としているとのことなので…不肖、このワージがその役に立候補させていただきました」


「サポート? ああ? マネージャーのことですか?」


 ワージと話しながら私の腰に手を回して道の先に誘う。先を急ぎたかったら私も誘われるに任せる。


 どうしよう…。ワージが来てもなぁ…。ここまでで会った人の中でこの人は信用できなさそうランキングベストスリー人材なんだけど…。


 ワージは私と一緒に歩きながら言った。私は彼の顔を見上げながら話を聞く。


「突然の来訪にさぞ、驚かれたことでしょう。そんな我輩が貴方の心に簡単に滑り込めるとは思っておりません。ですので、我輩は貴方の計画にお金を出させていただきます。奥方様と同じ金貨で三万六千マナを預けさせていただきます」


「いや、そこまでする必要はありませんよ、ワージさん。おかしいですって」


「いえ、これは必要です。我輩が貴方の計画に関わるのであれば、信用が必要です。我輩達商人が信じるのはお金。であれば、我輩が貴方たちにお金を払うことこそが最大の誠意です。貴方の計画の失敗によって我輩の資産も失われる。そういう形で初めて貴方は我輩を信じられる」


 私はワージの言葉を聞いて「そうかも」と思った。信じて欲しいからといくら頭を下げられてもそうするのは難しい。だけど、相手が失ったら痛い物を委ねられて信じて欲しいと言われればそれは根拠になる。要は人質と同じ理屈だ。


「ワージさん、幾つか聞きたいんですけど。どうしてそこまでするんですか?」


 高い背を曲げてワージは私の顔を覗き込みながら言った。


「はい、理由は三つあります。一つは我輩が商人で儲け話に乗っかるのは当然のことだからです。二つ目は貴方が昨日おっしゃったお金の価値観に興味がわいたからです。と言っても我輩達商業ギルド内における地域内でのシステムの構築ですが…。我輩達の商会ギルドなら可能でしょう。三つ目は貴方の美貌に我輩の魂が捕らわれてしまったからです」


 …何か最後の理由だけやっつけに感じたけど彼の頭だったらもっとマシな理由も思いつくだろうから案外本心なのかもしれない。


「ワージさん。私達の計画はエルフの領主としての立場を確立するためです。領主として民の為に働くという公共の利益重視なので儲けるという目的とは合いません。次に確かに銀行の話はしましたけど君主の言う通り実現は悔しいけど難しいと思います。最後にハニートラップに引っ掛かりそうな人材とは一緒に働けないですよ」


「一に関する反論は最もです。しかし商人という人種はそういう性なのです。それをしないというのは息をするなと言われているのと同じです。また、二つ目も承知しています。しかし私は情熱を抱いた計画はモノにしてなり上がってきました。私は貴方のビジョンに魅せられたのです」


 そういいながらワージは私を見つめて言った。黒いハットに隠されていた大きくな目はキラキラと子供の様に輝いていた。


「最後に我輩は美術品も芸術品も愛でるのは我輩が美しいと思った一品のみです。仮に貴方を凌駕する美しいモノが現れたとしてもそれにはなびきません。それは相対的なものではなく、絶対的なものです。我輩が美しいと思ったものが美なのです」


 そこはかとなく、女性を物と同列に扱っている様な発言をしているが、この世界の人にとっては当たり前のことなのだろう。それにワージさんが真面目なのに子供の様に目をキラキラさせて話すのが面白く感じてしまい、ほころんでしまいそうな頬を必死にこらえた。


「私達エルフは既婚者が独身女性をたぶらかすのを良く思いません。相手に対して好き嫌いで判断することも良く思いません。仕事の場では女も男も対等として扱います。その他一切の女性関係のトラブルは避けてください。後、私は気になっている男子がいますが、貴方でははありません。仮に失恋しても貴方にはなびかないでしょう。それでいいなら貴方を歓迎するかどうか皆で話し合います」


「ありがとうございます。勿論構いません。私は貴方の美貌だけではなく、その来歴。つまり物語にひかれたのですから。美術品は所持者をその歴史に記すものです。どうかこのワージを貴方の叙事詩に加えてください」


「…まあ、結果は保証しませんけどそれでよければどうぞ」


「ありがとうございます。金貨ですが、ワルス夫人の別荘に置くとかえって危険なのでウチの倉庫から現地に順次運ばせていただきます」


「…わかりました。ご苦労」


 ワージは覗き込む姿勢を戻すと言った。


「ついてはルリコ様。これからの計画について話すために会議所に職人たちを集めております。その会合への出席。そして後々商人ギルドにも挨拶が必要です。一か月後に奥方様のサロンに合わせて、当ギルドも会合を開きたいと思いますので何卒よろしくお願いします」


 ワージの言葉にうなだれながら答えた。


「了解でぇす」


 私たちとワージさんは広場の別邸につながる階段で別れると、ワルスさんの別邸へと戻った。時刻はとっくに十八の鐘になっていた。門をくぐるとアマナさんが大広間の中央で「おかえりお待ち申し上げておりました」と優雅に頭を下げた。私はアマナさんに早歩きで駆け寄ると言った。


「アマナさん、着替えたいんで私の部屋に案内して」


「はい?」


 アマナさんは視線で「お似合いなのに何故?」と首を傾げる。私はアマナさんに耳打ちする。


「いや、ホラ。出てきた時と違う格好で帰ってきたらなんかこう色々あるじゃないですか。心配とか」


 アマナさんは合点がいったという風に頷くと「承知いたしました」と頭を下げた。私はアマナさんに連れられ、大広間の階段を上がると空中回廊を伝って中庭の建物に入った。


 途中、中庭のテーブルの椅子に師匠は座るとそのまま寝入った。アマナさんが師匠をどうするべきかとおろおろと視線をさ迷わせるが、私は首を振って「何もしない方がいい」と暗に言った。


 私達は中庭の離宮に入ると、大広間から階段を上って二階の自室へと滑り込んだ。


 よし…ここまでニコラスには見られてないはずだ…。


 コンコン


 そう思っていると、外の扉がノックされ開けられる。


「失礼します」


 そう言って部屋に入ってきたのは黒髪の侍女だった。


「ナタリア!? 何の真似ですか!? ルリコ様がお召替えだったらどうするつもりだったんですか!? 不敬ですよ!」


 ナタリアと呼ばれた侍女はショートボブぐらいの黒髪の褐色肌の女性で眉をひそめ、むっすりとした表情だった。目はどこか怒っているような三白眼さんぱくがんだった。


「御心配には及びませんアマナ侍女長。私、見てましたから。さっきこの部屋にルリコ様が入るところを。入ってすぐには着替えはされないでしょう?」


「貴方一体どういうつもりで…」


「貴方こそ、どういうつもりですか。コソコソして。ニコラス様にルリコ様のご帰還を一刻も早く伝えるべきでは?」


「ルリコ様には身支度があったのですよ! 勝手な判断をして!」


 ナタリアは少し俯いてから私に向かって言った。


僭越せんえつながらルリコ様。ニコラス様がどれだけ心配されたかご存じでしたか? 側で控えていて私も胸が張り裂けそうでした。とてもお可哀そうでした。ニコラス様の杞憂きゆうを張らせるのは貴方様を置いて他におりません。私はそう自負しております」


 その言葉を聞いてアマナは顔を歪ませて歯ぎしりをした。ナタリアはアマナの顔を見てフンッと鼻で笑う。


 う、うーん。これはあれか? 主人同士をめぐっての侍女の争いみたいな感じなのかな?


 二人が対峙していると向こうからおさげのオデコちゃんな小さい侍女とウェーブ長髪の侍女を連れてニコラスが現れた。


「ルリコ? 本当に帰ってたのですか?」


 するとニコラスの後ろからおさげの侍女が甘えた声で抗議する。


「ニコラス様ぁ! 本当にってなんですかぁ! エルヴィは嘘つきません!」


 そう言いながら、エルヴィはナタリアの側につくと、彼女に頭を撫でてもらう。ウェーブ髪の侍女はドアの側でずっと天井を見てぼんやりとしていた。


 長髪の子は何となくだけど、不思議ちゃんって印象だな。ていうか…今更だけどこの部屋の女性の密度凄いことになってるな…。その中にあって、遜色そんしょくないニコラスもおかしいけど。


 ニコラスは侍女の興奮を他所に私を見て言った。


「その恰好は?」


 あーいやーこれはーそのー。


 色々なことを逡巡しゅんじゅんながら私は答えた。


「えっと色々あって…?」


 ニコラスは私の手を取ってまじまじと見る。


「すりむいてるみたいですが?」


「あーハイ。実はソノ」


 最早これまでと私は観念してニコラスに全てを話した。酒場からの帰りに船乗りの男をのして船でヴァリス君にドレスをもらったこと。全てである。


 アマナとナタリアは侍女らしく過度なリアクションはしていなかったが、エルヴィは私を目をきらめかせて見つめていた。不思議ちゃんは私をボーッと見ていた。ニコラスはフッと笑うと言った。


「無血で制圧するとは流石ですね」


 あれ…そんなに怒ってない…?


「今回の件で貴方の実力は十分に証明されました。だから今後はそういう真似は控えてください」


「わかってるって…」


 そう言うとニコラスは私をまじまじと見ていた。私もニコラスを見る。今朝見た時、ニコラスは何か様子がおかしかった気がするが、今はそうは感じない。


「服の布面積が多いのは良いのですが、黒だと暗い感じがして合わないと思うんですよね」


 何かと思ったら服の話かーい。


「ルリコ様には清純の白のドレスがお似合いかと」


 すかさずアマナが私に提案してくる。


「いえ、女性のドレスは殿方との相性で見なくては。ニコラス様を黒の紳士服にして、女性は彩ある花の色のドレスが良いかと」


 ナタリアもアマナに負けじと対抗してくる。私は皆の中央に立って言った。


「ちょっとストップ。服の話は後にして…。これからワージさんの工房で会議があるからそっちの準備が先」


「しょ、承知しました」


 ナタリアとマルナは頭を下げると言った。


「夜も遅うございますのでマルナをおつけします」


 アマナとエルヴィと不思議ちゃんは頭を下げると部屋から出ていく。多分外出の為の準備をする為だろう。


「ルリコ。晩御飯はもうすませたのですか?」


 あたふたした雰囲気でもニコラスはのんきなことを言い始める。


「いや、まだだけど。職人さん達待たせてるから食べてる暇ないよ」


「じゃあ何か摘まめるものでも作らせましょうか」


 そう言うとニコラスはナタリアを振り返る。視線を受けたナタリアも頭を下げてその場から下がって行く。


「ちょっとニコラス。大げさだって。一食抜いたぐらいじゃ死なないんだからさ」


 ニコラスは微笑みながら言う。


「いえ、貴方は森で何回か倒れてますからね。貴方の自己管理は厳しくすると決めています」


 まあ…確かに何回かやらかしているけどさ…。


「わかったけど…。あんまりあの子たちに構うのは良くないよ。今あの子たちは仕える主が誰なのか見定めてる。私か、ニコラスか、長老なのか…。はっきりさせないとアマナさんがまた倒れちゃうよ」


 ニコラスは首を傾げる。


「そうなんですね。私としては貴方に主導権を握っていて欲しいんですが…しかしこの別荘に最も長居するのはノンノでしょう。なので彼女に一任するのが良いかと思いますが」


 私もニコラスの読みに同意する。きっと私はこの別荘に寝に帰るだけになりそうだ。


「でもそれはそれで揉めそうな気がするけど…。まあ、暫くはノンノにお願いするしかないか…」


「それはそうと、これから職人たちには貴方計画について話すのですよね? 前もって私にも内容を教えてもらっても良いですか?」


「ん。ああ、そうだね。じゃあワージさんの指示書で書きながら、一緒にニコラスに伝える感じにするよ。まあ…まだざっくりの計画だから大したことないんだけど」


 そう言うと私は部屋の机に座って、羊皮紙を広げて羽ペンを走らせながら計画についてニコラスに伝えた。


「えっと計画はね…まず、全体は印刷を牛耳るのが目的。印刷機っていうか…印刷の為の道具をもっと効率的にします。最終的には機織り機みたいに。でもその前に紙が必要。だから紙を開発する。紙は大きさを決めて量産して…行政で使える企画にします。それを牛耳ることで紙がなければ書類仕事ができなくする様にする。だから重要になる。その後に国家の勅命の時とかの印刷の際もウチで出来るようにする。或いはその機械の著作権を取る。あ、著作権というのは…」


「ルリコ。一旦概要はそこまでにしてもらって…その道具とか紙というのは具体案があるのでしょうか?」


 私は頭をかきむしりながら言う。


「あーそれはね。紙はまず…。紙は繊維がたくさんあるような木をどろどろに溶かして桶に沈めて網ですくって乾かして作る。問題はその木や紙質を研究ね。だけど、私達エルフは森に住んでいるので木には詳しいのでなんとかなると思う」


「なるほど」


「で、道具は紙作りをするためのものね。その道具を工場に並べて女性達に作ってもらって、その売り上げを賃金に当てます。そしていずれは独立してもらう。だから誰でも紙が作れる道具を作って欲しい。後々は行政に売り出すので紙のサイズと厚さ、質を均一にしたいかな」


「その紙作りの道具は作ってくれと言われて作れるものなのでしょうか?」


「んー…じゃあ図面は描けないけど、大体の形を絵で描いておこう」


 ニコラスは私が絵を描いてる間、羊皮紙のインクを乾かしながら言う。


「とりあえず一旦はそこまでにしましょう。全部手の内を晒さない方がいいと思います」


「それもそうだね」


「では最後に確認したいことがあるんですが…?」


「んー。何?」


「何故お忍びで戻ったのですか?」


 ―――。力加減を誤ってペン先を潰してしまった…。何故今その話を蒸し返す必要が?


「いや、いいじゃん。今はそれは」


「いいえ。仕事が終わって、今が”その時”です。私と貴方の話をしましょう」


 私は頭をかきむしる。


「いや、ワージさんが待ってるからさ。後にしよう? ね?」


 ニコラスはニコリと微笑んで言う。


「あんな男、何時までも待たせておけばいい」


 い、言ったなぁ。これは本気だなぁ。


「いや、そんなの言わなくてもわかるでしょう?」


「あけすけとした振る舞いを私の前でする貴方が、隠し事をする理由などおおよそ見当がつきません」


「だ か ら。心配させたくなかったの」


 私はニコラスの眼前に羽ペンの羽をふるいながら言う。


「いつもの貴方なら相手を制圧できていれば報告するでしょう」


 私は羽ペンを机に置く。そしてニコラスを指さして言う。


「じゃあ聞くけど。私がどっかの空の下で知らない男の近くで裸になって着替えしたって言われて何とも思わないわけ?」


 それを言われてニコラスは眉をピクリと動かす。そして笑顔で言った。


「もし許されるならその男を打ちのめすでしょう」


「だからだよ。…じゃあ今度は私の番ね。朝、様子が変だったのはなんで?」


 ニコラスは真顔になると、口元を隠して背を向けた。


「それは貴方は知る必要がないことです」


「ごめん、聞こえなかったもう一回言って?」


「ですから…」


「はいぃ?」


 私は長耳に手を当てる。


「絶望していたんですよ」


「絶望? 何に?」


「自分にです」


「何で?」


「私は…貴方を欲しいと思ってしまったということです」


「…? 何で?」


「昨日、貴方が私をたぶらかしたからですよ!」


 振り返るとニコラスは顔を真っ赤にして涙目で言った。


「な、何で泣いてんの」


「貴方が私に一次的な接触を許可するからですよ。それで私はおかしくなってしまった。タガが外れてしまった! 自分で自分がけがわらしい! 貴方と言う人格を無視して貴方を肉としてか見れなくなった己に唾棄だきの念を禁じえません!」


「落ち着け落ち着け」


 ニコラスは昂りながらも、自分の手で涙をぬぐった。そして私の方を見て笑った。


「でも安心してください。もう、大丈夫ですから。もう平気になりました」


 …。平気になった? …まさかノンノ…? いや…そうか。そう言えば前世の旦那もAVを隠して持ってたし…。そういうことか…。


「…そっか。まあ、それならいいけど。そんなあけすけ言わなくても良いんだよ」


 ニコラスは肩を落としながら顔を隠す。顔は隠せても耳が真っ赤だ。


「だから言ったじゃないですか。知る必要のないことだと」


「そういうのはムラムラとかドキドキしちゃったって言えばわかるんだからさ」


「皆まで言わせたのは貴方です」


 …う、うーん。生々しい話過ぎてシンドイな…。まあ、私が深堀したせいなんだけど。


「でも、森でも私のことおぶってても平気だったじゃん。何で急に?」


「…わかりません。森と居た時はそうでもなかったんですが…。人の世界に来てからというもの…何からしくない感じがするのです。私の考えだと肉などの精のつく食べ物のせいかと思うんですが…」


「ふーん。…まあ、いいんじゃない? 本能を学ぶって意味ではさ」


「よくありません。私は貴方を守るとライラ様に誓いました。”いかなる者からも”です」


 私は手を上げて言った。


「わかったよ。じゃあ以降、私も振る舞いには気を付けるよワトソン君」


「お願いします。私も精のつく食事は避けますよワトソン君」


 そう言うとニコラスは私の背後の窓に立って空を見上げた。そして少し間を置くと言った。


「すみません。最後にもう一つだけ。見てください空を」


 なんこっちゃと私が隣の窓に立つとそこには夜の空に光る星環が光っていた。


「貴方にあの夜、ずっとこのままで居るかと言われて意味がわからなかったんです」


「ああ、一緒にお酒飲んだ時ね?」


「はい。だって、ずっと私達は同じ星空の下で一緒だったわけですから」


 まあ…そういう見方もあるか…。


「しかし、貴方との一次接触を期に人との関係とはもっと密なモノなのかもしれないとも思いました。その対象の実際のスケールや感触、温度。それを対象とした場合…私達はこの世界を本当に理解しているのでしょうか? あって当たり前だと思っていないでしょうか?」


 ニコラスは私に考察モードになって話しかける。何か考えが浮かぶとエルフは誰かにその考えを聞かせて思考を整理することがある。私はこれをエルフの考察モードと呼んでいる。


「奥方様の言う、女性への貞操。すなわち、男女の理解への結論として。私達は少し歩くだけで互いを見失ってその度にすれ違って別れて見失ってしまう。そんな悲しい存在なのかもしれません」


 別れたと聞いて、私の脳裏に離婚の時に見せた夫の背中。それを思い出すと胸が切なくなる。


「でも、私達は。離れても、またお互いを探し求めて出会う。自然も人も、心も。出会って離れて再開する。その度に私たちはお互いを抱きしめて確かめ合う。見失ったものを求めて再定義し続けるその永遠性は星々の周期に似てなんと美しいことか」


 ニコラスは私見て笑って言う。「そう思いませんか?」


 私はそれに笑顔で返す。


 ――思わない。だって、自然も、カラダも心も。私も貴方も。刻々と変わってしまうから。離れれば、もう二度と会えない。


 私の脳裏に、また離婚して家から出ていく時の夫の背中が想起される。それを日常のニコラスの背中に重なる。


 ――サッサトデテイケ。ドウシテ。イカナイデ。ココニイテ。アナタガワルイッテイッテ。ダキシメテ。


 前世の記憶の中で、家に帰った私は玄関の靴をそろえて置く。広い玄関のタイルにあるたった一足の仕事用のパンプス。おひとり様の玄関口。下駄箱に沢山保管されたくたびれたボロボロのパンプス。


 ――寒い。サビシイ。疲れた。もう、ムリ。


 玄関のタイルに涙が零れ落ちる。


 ダレカ、ワタシヲコロシテ。


 私はその場にうずくまる。


 ふと、カチャリ、と扉の鍵の施錠が回る音がした。私は顔をあげる。扉のノブが下げられて開かれる。お父さんの臭いがする。扉から眩しい光が差し込む。


 お父さん。帰ってきたの…?


 私は光の中、差し出された手を握る。


「大丈夫ですか? ルリコ?」


 目の前にはニコラスがいた。心配そうな顔をして覗き込むニコラスの顔があった。私の中の切なさ、寂しさのようなタガが一気に決壊する。私は彼をの胸に飛び込んで抱きしめた。


 永遠なんていらない。今がいい。今、抱きしめて。それだけあれば。もう他には何もいらない。


「別れるなんて言わないでよ。ずっと目を離さないで側に居てよ。そんな不安になること言わないでよ」


 私はらしくない震え声を彼の胸で口にしてしまう。ニコラスは私の動揺に狼狽ろうばいしながら答える。


「も、申し訳ありません。しかし…永遠性があるのだから別れというのは一時的なものでしかありません。どんなに仲睦なかむつまじい夫婦とて、仕事の時は別れるものです。そうでしょう?」


 私はイヤイヤをするようにニコラスの胸で首を振る。


「永遠なんてない。あるのは今、ここ、だけ。私はここにいる。今ここにいる私を見て」


「それは承知してます。だからその今の積み重ねが永遠なんです」


「違う。今ここにいる私は、ここにしかいないの。明日になればもう会えない。それは明日の私だから」


「すみません。理解ができません。今の貴方と明日の貴方は同一ではないのですか? 何故同一性を保てないと感じるんですか?」


「そうじゃなくて違うの」


「どう違うのですか?」


「とにかく違うの」


「それは主観的な話ですか?」


「…この世界にも宇宙にも永遠なんてないもん」


「この世界が瞬間しか存在しないと? では、夜寝て、朝起きた貴方はどうやって自分を自分だと定義するんですか?」


「だからそういうんじゃないの。もういいよ」


 そして私はニコラスに背を向ける。そうしてから一気に気持ちが落ち込んでしまう。


 何やってんだ私…。これあれじゃん…。車のエンジンがかからないって言ってブチ切れてる女の話みたいになってるじゃん…。


 車のエンジンの話とは前世で車のエンジンがかからないと怒る女と、それを修理しようとなだめる男の話だ。男は問題解決しようと女に話しかけるが、女は男が怒ってると思ってそのすれ違いを何とかしようとする。


 エンジンを直そうとする男と関係を修復しようとする女のすれ違い。これだから女or男は…みたいな話なんだけど…。いや、でも今回のそれはあれとは違う気がする。だって永遠なんてないんだから。ニコラスはそこんところをわかってない。だってこの世界には今しかないんだから。


 コンコンと部屋の扉が叩かれるとドア越しにアマナさんの焦った声が響いた。


「ワージ様の使者がいらしてますよ!」


 マズイ! マジでワージさんのこと忘れてた!


「今行く!」


 私は湿った目元をぬぐいながら立った。


「ニコラス、行くよ!」


 突然の私の変調にニコラスはやれやれと言った様子で苦笑する。泣いたカラスがもう笑ったとでも言いたげだ。


 だって、仕方ないじゃん。私にとって”今”はもう”さっき”なんだから。弱気な私の時間は送られて仕事の私の時間がやって来た。そうやって私は刻々と”今”を”過去”に送って生き続けている。たぶんきっとそういうモノなんだと思う。本当は私にもわからない。これはばっかりはどんな方程式でも解けない心の謎なんだと思う。

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