土カマドとシャボン玉
8/7 改定
私達は翌日から広場の外れた小屋で肉の保存の実験を繰り返した。小屋は粘土作りで四角く切り抜かれた窓枠と天井に穿たれた蒸気口がある。床は土間でカマドと薪、調理器具が壁面に添えつけられていた。粘土はカマドの蒸気で痛むので、私達は外と中に分かれて作業することにした。
私は傷みやすい日干し煉瓦を耐熱煉瓦等に変えたかったが、窯の作り方をよく知らなかったし、森の中での火の扱いは厳しく実験は難しかった。更にエルフは木に生命が宿っているというアニミズム的な考え方をしており、木を一つ切るだけでも議会の納得のいく理由が必要でその権利は大きな一族の家が優先される為ほぼ不可能だった。
私は血抜きをした肉を石包丁で切り分けて葉に盛り付けながら自分の体調に異変はないことに安堵していた。
私達は肉食の研究のために血抜きされたモーフを解体し、解体した肉を加工した。加工した肉はハチミツ入りの土壺につけて毎日試食をしたが冷蔵なしでは翌々日からもう臭った。
当日に小屋で解体した肉は安全性が高いので長老の許可の下、老エルフ達へ供給された。次いで私達は肉の保存の期間を研究した。
試食の時は肉の甘くて香ばしい臭いが広場に立ち込める。臭いに釣られてか広場からエルフの三姉妹が時折来て、物欲しそうに遠巻きで見て居た。
私達は肉が傷んでいるかどうかを鼻で確かめ、口にしたニコラスは腹を下した。腹を下した次の日も小屋にニコラスは訪れた。
「ニコラス、大丈夫? 今日は休みでもよかったのに」
私はニコラスの腹の背をさする。
「いえ、大丈夫です。実は先日、母の足が少し動いたのです」
ニコラスは湿った声でフッと微笑む。
「肉食の安全性と効果が証明された以上、長老も私達を追求しません。私達は一日も無駄にせず今後さらに邁進するべきでしょう」
私はニコラスの目尻を拭う仕草を見ない振りをした。
「でも肉の保存はこれ以上の延長は難しいと思う。それより保存期間を安定のために石鹸の実用化が必要かな」
今の石鹸は臭いがキツく、ハンドクリームの様で、全く泡立たない。今後は臭いと泡立ちの改善が課題だった。
ニコラスはフフッと笑う。顔を凝視している私に気づくと
「すみません。嬉しいのです。今まではどう切り詰めるか、我慢することばかりだったのが。今ではできることばかりが頭にうかんでしまって」
感慨に浸っているニコラスと同様に私も集落が活気に思うところがないわけではなかった。私はニコラスがハチミツを使って議会を掌握するつもりなのかと警戒していたのが馬鹿らしく思えてしまった。
「ねえ、ニコラスはどうして次期長老を断ったの? 私はニコラスは人の為になることを考える役目はとても向いていると思うんだけど」
ニコラスは私と目を合わせた。
「ルリコは議会に警戒されています。私は何かあった時にルリコと対立する立場は避けたかったのです」
私は腕を組むと視線を空に飛ばした。
「それよりもニコラスが議会に私のやりたいことをバックアップしてくれる方が助かるかも」
議会は八人の長老筋の話し合いで意思決定する。議会は私が知識を伏せているのでその意図を理解している人は長老のシーブを含めて居ないハズだった。
「確かに長老の責任は重いけど、お母さんの病気のこととかも話が通りやすかったと思うよ」
ニコラスはお腹を抑えながら思案顔で口元に手を当てた。
「そうですか。年長者の方達に意見するというのは失礼かと思ってたのですが。少し考えてみます」
ニコラスはお腹に手を当てながらカマドへと向かって行った。私はニコラスの後姿を見ながら彼を議会に進めておきながら自分は外の世界に出てしまうのは不義理かもしれないと思った。
次の日の早朝、私は広場で何時ものように三姉妹が居るのを眼にすると急いでカマドで火をおこし、石鍋にハチミツを入れると温めた。途端に周囲にカラメル臭が立ち込め、それをより臭い立つようにすりおろしたしょうがの様な薬味をといた水を注いだ。するとそれを嗅ぎ付けた三姉妹がふらふらと現れた。三人は遠巻きに様子を見たり話したりしていたが、甘味の誘惑には勝てなかったようでおずおずと近付いて来た。
三姉妹の前で煮詰めたハチミツを水で溶いた片栗粉の様な物に練りこんで粒状にして私は口に入れた。三姉妹は石鍋のハチミツに目が釘付けだ。
「良い臭いー! 何を作ってるの?」と三姉妹の小さいネムがぴょんぴょんとはしゃいで近づいてくる。
「こんなにいい臭い撒き散らされたらもう辛抱たまらんね」
口からよだれを垂らしながらデリダは言う。
「先っちょだけ、先っちょだけでいいから…」ノッポのカームはずっと言ってくる。
私は三人を見渡して軽く頭を下げた。
「勿論良いですよ、でもその為には私のお願いを聞いて欲しいんです。貴方達には私の友達になって欲しいんです。そして私を手伝って欲しいんです。とはいえ、皆の余った時間を使ってもらうためのお詫びのつもりでもあります」
何となく私はこの三人なら仲良くなれそうな気がしたので、キッカケとして甘味で釣ろうと考えてたのだ。私の言葉に三姉妹はお互い顔を見合わせた。三人の中からふとっちょのデリアが前に出て来て聞いた。
「ルリコの嬢ちゃん。いつも気になってんだが、ここで何をしているんだい?」デリダは笑みを作りつつも不審そうに小屋や外のカマドをを見つめる。…まあカマドのまな板には落ちない血のシミとナイフがあるのだからパッと見ホラーかもしれない。
「もし集落の為になるなら私達も協力もやぶさかじゃないんだけどね」デリダは肩をすくめて手を広げる。
「私は足の病気の御老人達を癒す肉料理を開発していたんです。今後は集落のに肉食を提供できるようにと加工と保存方法を検討してます」
「食事で病気が治っちまうのかい? 驚いたねぇ」デリアは肉付きのいい顎を震わせてさする。
「別に無理して肉を食べたいと思わないけど…。ノワールが魚の臭みでつわりが酷いけど赤ちゃんの為に無理して食べたから…。草や根っこではお腹の赤ちゃんはおっきくならない。新しい食材の開拓には興味がある…」
三姉妹達は顔を見合わせるとデリダが近付いて私の肩を叩いた。
「わかったよ。集落の為になるってなら話は別さね。今日は遅いし旦那に話を付けてから明日から協力させてもらうよ」
そう言うと私は三姉妹達はお土産のハチミツを順々に渡していく。ノッポのカームはハチミツを受け取ると「ルリコ、前のアレは口で音を出したの?」と唐突に聞いて来た。
「ああ、これのこと?」
そう言うと唇を尖らせて単調に音を奏でてみる。ネムとデリアは口笛に関心して口の形を見よう見まねにすぼめる。だが曲が終わると清聴していた眼を閉じていたカームはぼんやりと呟いた。
「夏草の青い臭い、雨脚の水滴の落ちるテンポ、これまでにない斬新さ」
そう言った後にカームは深く息を吐くとうっとりしながら言った。
「なにそれ! そんなことできたんだ! ルリコ。今度またちゃんと教えて?」
ネムはねだる子供の様に私の服の裾を引く。
「え、良いけど…」
「きっとだよ?」
そう言うと三人は口笛を吹く練習をしながら帰って行った。私は彼女らを食べ物で釣る気だったが、音楽の方が効果てきめんだったようだ。私はエルフにとって必要なのは衣食住だと思っていたが、もしかしたらそれに音楽とかも加えた方がいいのかもしれない。
その日から五人体制での開発と量産が始まった。一ヶ月ぐらい小屋で私達は試行錯誤を繰り返した。石鹸は四角に成形して干して固めてみた。カームがその石鹸に肉瓜の油とミントの様なハーブを加えたことによって油臭さと泡立ちが改善した。私たちはこの期間に小屋に送られた獣肉を連日加工して疲れ切っていた。
「暑い…臭い…」
デリアは石鹸を煮詰める蒸気で肌から油でギトギトになった汗を滴らせていた。
「ヒヒーン! ヒヒヒヒヒーン! 僕モーフ!」とネムは毛皮を被っている。
「ちょ…トイレ行きたい…! 誰か鍋の見張り変わってくれない…!?」カームは石鹸の材料の油と灰汁と火加減をひたすら見張り時々混ぜていた。
「ルリコ、彼女らも限界のようですが…」
「そうだね、ここら辺で休憩にしようか」
小屋を覗いていたニコラスが心配そうに言う。今まで休みなく労働の合間に皮なめしや石鹸の加工をして居たのだから当然だろう。後日皆を労う為に慰労会でも開いてリフレッシュしてもらおう。
私たちは三人に休憩を告げた後、日が傾きかけた広場で私達はお互い口を聞く余裕もなくぼんやりとして座って居た。私が顔を傾けた先に疲れ切った表情の三人があった。私は立ち上がり、手元のカメで石鹸を泡立てると、手元のきめ細かい泡に息を吹きかけ空に飛ばす。すると、広場には花の香りとシャボン玉が漂った。
シャボン玉は大きいものは地面に落ちて潰れたが小さいものは風に乗ってふわふわと飛んだ。
「うおーなにそれー!」とネムが子供の様にシャボン玉にはしゃいで駆け寄る。
カームとデリアもシャボン玉に釣られるように歩き出す。
広場に森の木漏れ日に色を反射させたシャボン玉が浮かび、森の彩りを映し出す。それを眼で追いながら瞳に陽光を映し出す。その移ろいが私を郷愁に誘った。
私はシャボン玉を見ながら座り込んでしまった。ニコラスは横に佇んで言った。
「ルリコ、先日貴方が言ってた議会見習いの件引き受けようと思います。」
私は目元を拭いながらニコラスの方を向く。ニコラスの瞳は泡の煌めきを映していた。
「貴方の知識は集落に理解され難かったようです。でも私が議会に入って正しく伝えます」
そう言うとニコラスは三姉妹と私を見渡す。
「ルリコの知識を伝えて集落をより良くして、母もルリコも皆と住みやすくします」
「その為にルリコが私にとってどれだけ必要な存在か集落に認知させる。それこそが私の役目なのです」
そこまで言ってニコラスは片手で顔を隠して、立ち上がって言った。
「もちろん相方としてですが」
私はニコラスの背中に手に残ったシャボン玉を笑いながら吹きかけた。広場の再びシャボン玉に三姉妹の歓喜が森に響いた。