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石中の恋歌  作者: モノノベワークス
初恋の異性と結婚する確率はX%
26/31

side:森のバレンタイン

本来なら十四日に投稿するところをリアルでもチョコを作っていて、十五日から書き始めたのですが間に合わず十六日投降になりました。


クリシダとノワールに何があったかは詳細に書いたのですが、年齢制限に引っかかる可能性があるので削除しました。(私基準では問題ないと思ってます。彼女らは現代人より一次的接触のハードルが低いと思うからです。現代人が恥ずかしいことも彼女らはそうは思ってない可能性は十分にあると思うので)


ノワールさんは性格が悪く見えるかもしれませんが、クリシダさんが居たせいで塩対応の連続になっているだけで普段は和を重んじる方です。


突貫で書いたので少し粗があるので後日修正加えます。

25/2/16 修正しました。

 木々が生い茂った森の中、私達はナラの木の下でどんぐりを拾い集めていた。どんぐりを拾っているのは私とフランと三姉妹といういつもの面子に加えてノワールとエスメラルダ、クリシダも参加していた。この場にはエルフの若いといえる女性が一同に集まっていた。


「ねえ、見て見てこんなに取れたよどんぐり!」


 三姉妹のチビのネムはその背丈の低さを活かして沢山拾ったどんぐりをカゴ一杯をノワールに見せる。それを見せられたノワールは困ったかのように頬に手を当てて言う。


「良かったわねレム…はあ、ねえルリコ、本当にこれで甘味が作れるの? 地面に落ちたどんぐりを拾うなんてなんだか食い扶持に困ってるんじゃないかと思われないか心配だわ」


 私はノワールに言う。


「だから皆で集めてるんじゃないですか。隠れてコソコソやる方がよっぽど疑われると思うよ」


 私の傍に居たフランも頷いて言う。


「そうそう。それに子供の頃に戻ったみたいで面白いじゃないですか」


 ノワールの後ろに居たエスメラルダが顔を覗かせて言う。


「ど、どんぐりを焼いて食べれば栗みたいな味がするのは知っているけど…ほ、本当に甘味なんてできるのか…?」


 エスメラルダは私に目線を泳がせながら言う。


「ええ、多分」


 エスメラルダは私の言葉を聞いて声の調子を強める。声のトーンは強いが先生は目を合わせようとしない。


「た、多分!? 貴重な休日を費やして多分!? 教えたでしょうルリコ!? 何かをする時は多分とか恐らくじゃなくて、絶対とか確かにを添えると教えたハズです!」


 私とエスメラルダの間にデリアが割って入る。


「君たち! 争いは止めたまえ! 食の探求に絶対はないのだから! それに失敗したっていいじゃないか。失敗すれば次がある、成功するまで挑戦し続けられるんだからね。というわけでルリコさん! どんぐりを集めて起きました。どうぞお納めください」


 ノワールはデリアを見て盛大にため息を付く。


「デリア、また貴方太った? 背を伸ばすとかは無理でも痩せる努力はできるでしょ? それをしないのは怠惰だと思わない?」


 デリアはノワールの言葉に動揺することなく言った。


「全然思わないね。むしろ、目の前に甘味があってそれを食べない方が怠惰だろ? ノワはその美貌を保つために節制をしているんだろ? それって好きなものを食べれないわけだ。千年の間、好きなものを食べれない人生なんて不幸だと思わないかね?」


 ノワールはデリアの言葉を受けて満面の笑みを浮かべて言った。


「太って美しさが損なわれるぐらいなら死んだ方がマシ」


 二人は喧嘩をしているように見えるが、エルフは小さい頃から議論を授業で習っているため、この程度の衝突は慣れっこだ。彼女らは議論の慣習に則り意見を表明しているだけで自分たちの考えを押し付けるつもりはない。時に議論は挑発や懐柔などの態度を取る者もいるのだからこの程度の衝突で感情を動かしていてはペースを乱されて負けてしまうのだ。


 しかし何故こんな騒ぎになっているのかと言うと、私が前世のバレンタインデーのチョコのことを言ったからだ。なんとなくで口にしたことをデリアが新しい甘味を食べれるチャンスと考え実現させる為に皆を巻き込んで大事にしてしまったのである。


 そしてそのデリアのイベントを利用しようと加担した者がいる。それはフランだ。前々からフランはいつもの面子以外のノワールやエスメラルダ、クリシダとも旧友を温める為に呼んだのだ。以前彼女らとは採取の場で話をしていたが、結婚や出産を機に疎遠になったままだった。今回を機にフランは皆とまた仲良くしようと画策したのだろう。


「しかし楽しみだ。本当にどんぐりから甘味ができるのか?」


 こういう会には珍しいクリシダが話しながら無遠慮な大股で歩いてくる。するとノワールがクリシダを指さして言う。


「ちょっと近づかないでください。貴方と私の『相互半径五m接近禁止同盟』を忘れたわけじゃないわよね?」


 ノワールに言われたクリシダは歩を止めて頭をかく。


「わかってるよ。ノワは俺の香水の臭いが嫌いなんだろう? それってつまり香水が嫌いであって俺が嫌いな訳じゃないんだろう? 今日は香水を落としてあるから。まあ、香水の件は申し訳ない。シルバーから移された虫を殺す殺虫剤の臭い消しの香水だったんだよ。今はもう変な臭いはしないだろう? ちょっと嗅いでみてくれよ」


 その言葉を受けてノワールは指さして言う。


「いいえ、私は貴方が嫌いなの。性格が! そのあけすけした物言いが! 慎みを理解してから私に話しかけて頂戴」


 しかしクリシダはノワールの言葉を受けてもヘラヘラと笑って言う。


「そっか。でも俺はノワが好きだし、自分も大事にしたいから何とか折り合いを付けるように努力するよ」


 ノワールはクリシダの笑顔を見て肩を落とすと言った。


「どうして…? ちゃんと私は言葉にしているのに…どうして伝わらないの…?」


 今回でフランが仲を取り持ちたいのはノワールとクリシダだろう。クリシダとノワールは水と油の様な間柄でけっして交わることはない。


 クリシダはノワールの独り言は一旦置いておいて、半径5mを維持しながら言葉を投げかけた。


「ところでルリコ。チョコが動物には毒ってのは本当なのか?」


「ん? ああ。どんぐりのチョコはわからないけど、一応ね…」


「そっかぁ。チョコは人間には大丈夫なのに何故、動物は駄目なんだ? 不思議だよなぁ。しかし動物にとっての毒を意中の相手に接種させて愛を伝えるなんて…それを皆で仲良く合法的に調合できるなんて。最高だな! バレンタイン!」


 興奮したクリシダの頭をカームが軽くチョップする。


「悪ノリ、ダメ絶対」


 クリシダはカームを振り返る。そのクリシダにカームは言い聞かせるように言う。


「誤解を生みやすい人は誤解を解く努力をしないと駄目だよ」


 クリシダは唇を尖らせながら頭をさすって言った。


「別に誤解じゃないけど…毒が好きなのは事実だし。でも今日は久々に皆と一緒に作業できると思って調子に乗ってしまった。すまない」


 クリシダは軽く頭を下げると、エスメラルダが一歩前に出て言った。


「クリシダ。君の今までのいきさつを踏まえればそうなってしまうのは理解できる。君たちは特別というレッテルによって迫害もされてきたが、守れてもきた。だが、呪霊の一族が集落に馴染むにはその特別というレッテルから脱却する努力をしなくてはいけません」


 エスメラルダは理路整然とそう言った。エスメラルダは元教師だけあって、スタンダードな議論では実に明晰だ。しかしその分彼女は挑発や、わざと怒って見せるなどの番外戦術を受けるとパニックを起こして議論に負けてしまうことが多々あった。なので彼女は精神的脅威でない人物を目の前にすると理路整然とするが、平穏を脅かす人間に対してはオドオドする様になってしまった。


 クリシダは肩を落とすと言った。


「いや、全くその通りだ。呪いの一族に代わる新しいアイデンティティを見つけたいんだが。一度ハマったドツボというのは抜け出すのは難しいようだ。どうか暫くの猶予をいただきたい」


 クリシダの言葉を聞いてネムは皆に問いかける様に言った。


「別にさあ。全部変える必要はなくない? 毒とか死とは嫌だけど、それって私達にとっては武器にも薬にもなる訳だし。露悪的なのをやめてくれれば全然構わないと思う」


 デリアもネムの言葉に頷く。


「確かに、人間の世界の海産物に猛毒を持つけど美味なる魚もあるって聞いてるし。その探求にはどうしてもクリシダ先生のご指導が欲しい」


 デリアの言葉を聞いて面を上げたクリシダは感極まった様子で言う。


「皆ありがとう。確かに今猛毒と聞いて私の胸は高鳴った。今後は口にするのは控えるけどやっぱりスリリングなモノにときめく性分は変えられないようだ。しかしそうなるとノワには性格の改善を要求されてるし…どうしたものか困ったな」


 ノワールはそっぽをむいてツンとした態度で言った。


「困らなくていいです。私も困りませんから」


 私達は二人の様子を見てお手上げというように肩をすくめた。その二人の間に、フランが輪に入って言った。


「ねえねえ、だったら皆で言ったら恥ずかしい秘密暴露大会しない?」


 ネムはフランに首をかしげる。


「秘密の暴露大会?」


「そう、友達同士でお互いの恥ずかしい秘密を教え合うと仲良くなれるって聞いたよ」


 ネムは悪そうな笑顔を作って言った。


「ほう…族長筋の秘密を知れたら…確かに仲良くなれるかも…いや、面白いかもね…」


 カームはボーっと立ったまま尋ねる。


「…ルールは?」


 フランはカームに頷くと言った。


「実際にやってみるね。当事者は自分の恥ずかしい秘密を暴露するの。エントリーナンバー1。私フランは生理用下着の臭いを嗅ぐのが好き! みたいな感じでね」 


 フランの突然の告白に場が一気に冷える。ネムは座りながら口に手を当てて「オェ」と吐くふりをした。デリアは顔を青ざめさせながら言った。


「そんな話しはやめよう。飯がマズくなる」


 ネムは苦虫を嚙み潰したような顔をして言った。


「思ったよりエグい。こんな秘密を流布したら逆に吹聴した人が侮辱の罪で罰せられると思う。はい、一抜けた。」


「ええー!?」


 フランは驚いて皆を見渡すが、皆困惑を隠せないようだった。クリシダはフランに大真面目な表情で言った。


「すまないがフラン。私は毒好きを恥とは思ってない。それにスリルが好きなだけで変態というわけじゃないんだ」


 その言葉に虚を突かれた様になったフランは私の顔を見た。


「そ、そろそろ次の作業を始めようか?」


 私はフランから目を逸らして言った。皆もそれに乗っかってソロソロと広場に移動を始める。デリアもそれに乗っかる。


「そ、そうだな。次はどんぐりを炒めるんだっけ?」


 広場に移動を始めた私達の背中にフランの声がかけられる。


「で? 誰が二番目なの?」


 私達はそれを聞こえない振りをして歩く。すると暫くすると私達の背中からすすり泣くような声がし始めた。それを聞いた私は観念して天を仰ぎながらゆっくりと振り返った。私の背後には泣きじゃくったフランが居て、私と目が合うと胸に飛び込んで泣きながら不明瞭な抗議をぶちまけた。


「わだちは言っだのになんで皆やらないのぉっ!?」


 的なことを言っているだろうフランをなだめすかしながら、私は皆に目で訴えた「こうなったら仕方ない、やるぞ」。レムとデリアは「マジで?」「やるの?」と表情を変えた。カームは泣いてるフランをしょんぼりした顔で見ており、クリシダは泣いてるフランを無表情で見つめていた。ノワールは満面の笑みで「絶対に嫌」と拒絶の意思を見せ、エスメラルダは顔を赤らめながら節目がちにもじもじしていた。


「かー! しゃあねえやるか…でも、作業しながらにしようぜ。日が暮れちゃうからさぁ」


 私達は重い足取りで広場のカマドの前に付くと土鍋に油を敷いてどんぐりを入れた。デリアは鍋に水カメから水を入れると鍋はパチパチと激しい音を鳴らした。


「よし、これで秘密を聞かれる心配はないな。というわけで暴露大会エントリナンバー2。デリアは地面に落とした食べ物を拾って食べたことがある」


 ネムは肩をすくめて言った。


「どこが秘密なの? アンタならやってそうとしか思わないけど」


「キモイ系は嫌かと思ったんだが…。じゃあもっとエグいのいくか?」


「いや、やっぱ聞きたくない」


 私達は木べらでどんぐりを炒めながら話を続けた。


「エントリ―ナンバー3。私、カームは家で旦那と二人きりの時…お兄さんと少女ごっこしてもらっています、です。はい…」


 ネムは身体をくねらせ身もだえしながら言った。


「ああ~。キッツイよぉお。あの陰気な旦那と家でそんなことやってるなんて知りたくなかったよぉ」


 まあ、この集落の誰であってもそんなことをしていると知ったら嘆きたくもなるだろう。カームは照れながら言った。


「し、知らないのか? イメージプレイをすると夫婦仲が深まるんだ!」


「一体どこ筋の情報なんだよそれ、広めてる奴を罰するべきだろ?」


「議会はなんでそんな奴を野放しにしてるんだ?」


 その言葉にフランはテヘペロをする。


 炒め終わったどんぐりを亜麻の敷物のカゴに開けると粗熱を取りながら殻を剥く。その途中声を潜めながら言った。ノワールは手を見つめながら言った。


「指が痛い…。油のべとべとが気持ち悪い…」


 ノワールの愚痴が聞こえた私は彼女に言った。


「でもノワールさん、油ってお肌にいいんですよ?」


 それを聞いたノワールは「そうなの?」と手の甲に油を塗り始める。そうしているとフランが水カメを持って近づいて来た。


「お疲れ様。皆、のどが渇いたでしょう? ハチミツ入りのお水持ってきたよ」


 フランは焼いた土のコップに水をつぐと皆に手渡していく。そしてフランが近づくとノワールは油でてかてかの手を小さく広げてその場に座って言った。


「フラン、飲ませて」


 フランはノワールが餌を求めるひなの様に上げた顔を見て言った。


「ノワ姉…子供じゃないんだから…」


「でも私の手は塞がっているから…貴方しかいないのよ。どこかの不器用な人とか、不潔な人にこぼして服を汚されたくないの。信頼しているから貴方に頼んでいるのよ」


 そういうとノワールは身体をしならせて上目遣いでお願いビームを発し始めた。フランもまんざらではないらしく、くすぐられるように笑って言った。


「もう、ノワ姉は仕方ないなぁ」


 そう言ってフランはノワールの口元にコップを唇に当てると慎重に口に注いでいく。それをノワールは喉をコクコクと鳴らしながら飲んでいく。木漏れ日の中で美女が美女の口に水を飲ませるというのは耽美的で、端から見ると一枚の絵画の様に思えてくる。やっぱり美人って何しても絵になるからズルいな。


 実際エルフの各家庭には老エルフや子供のエルフが一人はいるため、介助したり奉仕するということへのハードルは低い。むしろ自分を高貴と思っているエルフは手を汚すことを嫌い、食事を介助してもらうことも珍しくない。


 フランはノワールの残った水を持ちながら皆に言った。


「皆さっきはごめんね。でも今日私は皆に仲良くなってもらいたかったんだ」


 ネムは指で頬を掻きながらデリアに言った。


「うーん…どうかな? 言う程に効果あるかな?」


 デリアは真顔で頷いて言った。


「少なくとも赤物の下着はフランに洗わせないという断固たる決意が生まれた」


「あ、アレは話にインパクトを持たせるために多少の脚色をもたせたの! 全員のじゃないよ!」


 フランはあわくって答えるが、これ以上深掘りするとどんな藪蛇が現れるかわらないので何も聞かないことにして再び作業を開始した。それと同時に暴露大会はネムから再開された。


「…4番。背丈を伸ばそうと木につかまってて…。尿意をもよおしたので…」


「おまえ…」


「まさか…」


 カームとデリアに見つめられてネムはシニカルに笑う。


「そこら辺でしたのをライラ様に見つかってめっちゃ怒られた」


「当たり前だ!」


 ネムはやれやれと言った感じで肩をすくめて言った。


「いや、採取の時とかそのまま戻るの怠いから野ションする人いるっしょ?」


「いないからそんな人」


 カームはありえないという態度だったが、場合によっては何キロも離れた森の中で採取する人がトイレするために戻るというのは中々に骨が折れる。つまりそういうことだが、暗黙の了解というやつなのだろう。


 私達はどんぐりの皮を剥くとそれをすり鉢に入れてすり始めた。ゴリゴリという音が響いたので密談の声のトーンは大きくなっていく。


 今、私達はどんぐりをすりながら次の秘密を暴露するのは誰かと機を伺っていた。そんな中で私は意を決して秘密の暴露をした。


「始めて狩りをした時、狼に出会って吠えられて…びっくりして失禁したことがある」


「あー…」


 そう言う失敗談はあるあるという程に顕著だ。森の獣はそれだけ恐ろしいのだ。私は皆の反応を待たずに言葉を続けた。


「それで濡れた下着を森に放ったら…後日狼の鼻を頼りにクリシダが下着を返しに来た」


「あーあったな。でもちゃんと洗っておいたぞ?」


「いや…なんか洗っても臭いって言われてるみたいで余計に嫌だったわ…」


 そう言ってから私はクリシダを見る。クリシダは頭をかきながら言う。


「う~ん…俺の片割れが虫歯で…俺も虫歯になった時だな…」


 ネムは肩をすくめて言った。


「片割れって旦那さんのことだよね? それが虫歯になってクリシダが虫歯になった。それってどういうこと?」


 クリシダに目線が集まるが頬を赤らめて「うー」と唸っているだけなので私が補足した。


「虫歯は口付けで移るんですよ」


 それを聞いて皆は呆れた様にクソでかため息をつく。それをクリシダが咎める。


「な、なんだよぉ」


 ネムとカームはうんざりとした表情で言った。


「何が呪術師だよ、この恋愛脳が」


「黒幕キャラかと思ってたのに。見損ないました」


 クリシダは二人のイジリっぽい空気に、抗議の意を示す。


「か、からかうのは止めろ?」


 そういうとクリシダは自分の照った頬を手のひらで仰いだ。そして喉が渇いたのか地面に置かれていたコップを手に取ると口に運んだ。


 その瞬間森に「あーーーっ!」という大声が響いた。その声に鳥が驚いて木から飛び立つ。


 何事かと声の方を向くとノワールがクリシダを指さしながら体をわななかせていた。


「それアタシのコップ! アタシが口を付けたやつ!」


 クリシダは呆気に取られていった。


「すまん。でも家族でスープの回し飲みぐらいするだろうし、そんな騒ぐほどのことか?」


「よくない! アンタは家族じゃないもん!」


 ノワールは顔を真っ赤にしながらクリシダを何度も指さす。クリシダは許しを請うように低頭して見せる。


「ごめん。気付かなかったんだ。許しておくれ」


 そう言ってクリシダは頭を下げる。それを見た私達はクリシダを擁護する。


「まあ、ワザとやったんじゃないし。別にそこまで騒ぐことじゃないだろう?」


「間接キスで騒ぐなんて子供っぽいよ。切り替えていこ?」


 そう言われてノワールは落ち着いたのか身体を震わせながら言った。


「そうね、謝罪を受け入れるわ。確かに大げさだったかしら」


 ノワールは口では歩み寄りの姿勢を見せているが、顔は真っ赤のまま眉を釣り上げてクリシダを睨んでいた。それを見てクリシダは腰を低くしながら言う。


「ありがとうノワ。やっぱノワは優しいなぁ」


 そう言うと片手に持っていたコップを見て言った。


「えっとこれどうしよう? どうすればいい? 俺が始末するよノワ」


 ノワールはそっぽを向いたまま言った。


「貴方の口を付けたモノなんて飲めない。捨てて頂戴」


 クリシダはノワールの言葉に頷く。そうして暫く彼女はコップを見つめていた。そして何を思ったのかコップを口元に運ぶと仰いで飲み干した。それを見たノワールも私達もあまりの意味不明さに唖然とした。


「何で飲んだ?」


「…? だって捨てろって言うから。捨てるの勿体ないから飲んじゃおうと思って」


 ノワールは突然ガクリとうなだれると意気消沈した様子で言った。


「もういい。もういいわ。結局あなたは私の言葉なんて聞いちゃいないんだ」


 クリシダは顔を青くした。私はクリシダが顔を青ざめるところを始めて見た。


「もうアンタとは口を利かない。だって言っても無駄だから。だからもういい」


 クリシダはその言葉にガクリとうなだれ、私達も重苦しい空気にため息をついた。クリシダはそれきり落ち込んだ様子のままになってしまった。


 こんな時に私は前世のことを思い出していた。前世では旅行やイベントの時に限って何故か誰かしら喧嘩したり泣いたりトラブルが起きる気がしていた。私が思うに平常時は安定していた仲間が、非日常に足を踏み入れたことによってその安定が乱されて不和が起きる。


 雨降って地固まるという言葉があるが、その固まった地面は再び雨がふると似た様なぬかるみをさらす。喧嘩して仲直りして組織が強固になるならまだいい。だが実際はまた非日常に晒されると決まってストレス耐性の低い者同士が感情的になって似た様な争いを繰り返すというのがどうしても虚しく感じてしまう。


 そしてそれは自覚していても起きてしまう。前世の夫と旅行に出かけるといつも決まって私は癇癪を起してしまう。家に帰って反省してアンガーマネジメントを習ってもまた繰り返してしまう。嫌なのはそれだった。怒りで失敗した後に脳内で自分の醜態がフラッシュバックされるのがとてつもなく嫌だった。


 私達はすりつぶして粉状になったどんぐり粉を荒めの布で振り分けた。私達はそれを味見をするとカカオっぽい風味の味が口の中で広がる。そうした粉に肉瓜の中に入っている液体を徐々に入れて混ぜていく。これはバターみたいな役割を果たすらしく、粉に湿った感じが増していく。途中甘みを付ける為にハチミツを少々垂らしてすりつぶすと粉っぽさが液っぽさを帯びていく。デリアはそれを舐めると頷く。


「どんぐりを塩で炒めたのと違って、いいなこれは!」


 私もなめてみるとどんぐりの香ばしさの中にハチミツの甘さがマッチして美味しかった。チョコというより、栗の甘煮という感じに近い。エスメラルダはデリアの感嘆にため息で答えて言った。


「これだけ大変な思いをしてこれぽっちだけですか? はあ…」


 そう言いながらも、エスメラルダは何度も指ですくって味見をしていた。今までの疲労した身体が甘味を摂取したことで喜びに打ち震えるかのように気力が復活する。


「後は型に入れて冷やして固めるだけですよ」


 異世界に冷蔵庫なんてないので、冷やすのは難しいと思っていたが。前もってデリアがその解決方法を提示してくれていた。


「洞窟に冬にできた氷を保管している所があるからそこで冷やすよ!」


「…そんなところに氷を保管して普段は何に使ってるんだよ…」


 レムの半眼に見つめられたデリアはとぼけた表情を作る。それを見た時、私と皆の頭の中に氷のつららにハチミツをかけて口に突っ込んで舐めとっている彼女の姿が浮かんだに違いない。


「…それで型って何?」


 エスメラルダが次をせっつくので私はさらに説明した。私は笹の様な葉っぱをハートの型に加工してそこに液状化したどんぐりペーストを流し込む。


「こうやってしるしの型に入れて固めてると相手にその意味が伝わるんですよ」


 エスメラルダは私の手元を興味深そうに覗いて言った。


「…ふーんそうですか。これは何の型なんです?」


「これはハート型。心臓ですね」


 皆は心臓と聞いて驚いた様子を見せる。


「心臓!? なんで心臓!?」


「えっと…まあ、心臓は心が宿る箇所だとされているので。確か真心を送るとかの意味もあったと思います」


「ココロって何だっけ? 魂の間違いじゃないの?」


 女子会は騒然とするが、私は気にせず説明を続ける。


「まあ…複雑な形にすると大変なので、他には丸とか四角とかの形になりますね」


 金型がある訳じゃないのでそんな複雑な形では成形できないのだ。私達が見ているとノワールがチョコを指していった。


「ねえ、これだけだと地味だからお花を摘んできてその花弁を添えれば彩を加えられるんじゃない?」


 それを聞いて皆も頷く。


「あー確かに。各々特色も出せるから良いかもしれないね」


 レムの声を受けて、ノワールは立ち上がる。


「じゃあそういうことで、急ぎましょう」


「お待ちなさい」


 そのノワールの背中にレムが声をかける。


「ノワールとエスメラルダの秘密…。まだ聞いてないからね?」


「もうここまできたらお前らにもこっち来てもらう。巻き添えだよコノヤロー」


 その声を受けてノワールは振り返ると胸に手を当てて言った。


「わたくしの恥ずかしい秘密…そんなのはありません」


 その主張にネムとデリアは疑いの視線を向ける。


「そんなわけないでしょ」


「ひとつぐらいあってもおかしくないでしょう?」


 しかしノワールは頑としてそれを認めない。


「いいえ。ありません。美とは周囲の眼があろうとなかろうと美しくあろうと努力する姿勢にあるからです。人の眼が無いからズルをしようとか、手を抜こうなんて企てこそが美に反した考えなのです。真の美とは布の下に隠されていても、実際に存在する肉体のことをいいます。その物証こそが私の身体なのです」


「ということはどういうことですかな? デリア君」


「ウム、彼女の恥ずかしいポイントは美に関することであると予想できます。たとえばそう、おしりにでっかいおできがあるとか…」


 ノワールは笑顔をヒクつかせながら言った。


「私の身体にはくすみどころかシミもありません。大いなる母と同じく全身、アラバスター色の肌なのです」


 ネムとデリアはお互い顔を見合わせた。ノワールを特別扱いはできないが、これ以上突くと爆発しかねないからいい塩梅で引いておこう、という以心伝心が読み取れた。二人は頷くと肩をすくめて言った。


「まあ、それもそうか。毎日努力しているノワールなら納得だ」


「美人は悩みがなくていいよねぇ。レムの来世はノワールみたいなスタイルが欲しいなぁ」


 二人はあからさまなヨイショをするが、それを聞いたノワールは大きく胸を逸らして誇らしそうにした。しかしその二人の会話をクリシダは笑って言った。


「いや、ノワに悩みがないなんてことはない。ノワだって普通の人間なんだ。神とは違うんだよ。仰る通りノワの悩みは正に美しさにあるんだよ。随分前にノワが私のところに来て尻が痛いと言って相談してきたことがある。ノワの美しさは肌の潤いや日々の食事全てに費やされている。その努力を皆は知るべきだろう」


 その言葉を聞いたノワールは顔を青くして言った。


「噓よ。何で私があんたのところなんか。黙りなさい…」


 ノワールが顔を赤くしてプルプルと震え出したので私は目線でクリシダにやめろと訴えたが彼女は昔を思い出すことに意識を飛ばしている様だった。同じく噴火の気配を察したのかネムとデリアも消火に乗り出す。


「それって、記憶違いじゃないか?」


「クリシダさん勘弁してくださいよー」


 しかしクリシダは首を横に振った。


「私が証言しよう。ノワールの身体には傷一つなかったとね。お尻にも出来物なんてなかったよ。むしろ白磁の陶器のように美しかったよ。だけどそんな彼女にだって欠点はある。そう、彼女は痔…」


 クリシダがそれを口走った瞬間、ノワールは彼女に風の様に駆け寄った。平手を掲げたままノワールはクリシダの頬をとらえると思いっきり引っぱたいた。「バチコーンッ!」という音が森に響いた。打たれたクリシダは体制を崩してへたり込んでしまった。普段水汲みをして鍛えられている森のエルフのビンタ…というより掌底の威力は計り知れない。クリシダはノワールをおののいた表情で見上げるが、彼女はクリシダを泣きながら指さして言った。


「絶好! お前とはもう口利かない!」


 それを言われた瞬間クリシダは呆然とした表情の中、一筋の涙を流した。私は驚いた。麻酔なしで虫歯の治療をした時にすら涙を流さなかった彼女が涙を見せたからだ。


 クリシダの涙を見てノワールは少し動揺したのか、しばし沈黙した後、彼女は手を顔で覆い、広場の向こうへと速足で去って行った。それを見たフランとエスメラルダはノワールを追いかける。


 私はクリシダの様子を見ていた。クリシダはポロポロと涙を流しながら、打たれた頬に手の平を当てると瞳が半分白目向いて口はわなわなと笑顔に歪んで恍惚の表情を作り出した。付き合いの長い私には彼女が「打たれた肉体と心の痛みが生を実感させる」ことに感動しているのだろうとわかった。流石に私もクリシダのその態度にはイラッとした。


 ネムとデリアもクリシダの態度を看過できないのか問い詰めようと迫った。


「流石にノンデリが過ぎるでしょう」


「クリシダ。お前本当どうかしているぜい」


 レムとデリアも呆れ返って言葉が無いようだった。


「す、すまない。ただ、彼女は美人という見栄の為に自分の弱点を晒せないのが不自由なんじゃないかと思って…よかれて思ってやったんだがなぁ」


 ネムは普段とは違って賢しらな感じで言った。


「人にはプライドってものがあるんだよ? 水鳥は水中では足掻いてるし、花は地中で根を張るもんさ。でもそれを何でもかんでもつまびらかにすれば良いってもんでもないでしょ? 花は引っこ抜かれた枯れるしかないんだからさ」


 クリシダはネムの言葉に納得したらしく俯いて言った。


「すまない。秘密を共有すれば仲良くなれると納得して…彼女の意思を確認するのを怠ってしまった」


 私はクリシダが反省の色を見せたので少し補足を加えることにした。


「ノワールにも悪い部分はありましたね。クリシダと距離を置いてるフリをして密かに頼って利用していた。クリシダは彼女から表向きは遠ざけられていたので意思の確認もできなかった」


 その時クリシダが緊張を解いて胸をなでおろしそうになったので釘を刺した。


「でも相談した人の守秘義務を破ったのは悪質ですよ」


 クリシダは私に睨まれて正座になって頭を下げる。


「すまない…っ! だが彼女は自身の美しい肉体を晒すことに恥なんて抱いてないと思ったんだ…」


 私達はため息を付いた。ノワールはクリシダに裸体を晒したことを暴露したことに怒っていたような気もする。しかしエルフの大半はおなじ泉で水浴びをするからお互いの裸なんて見慣れている。むしろノワールはそういう泉で自分のスタイルを見せつけて褒められることに優越感を感じるタイプだったのだ。なので彼女は美の根拠である身体に欠損があるという事実に耐えられなかったのだろう。しかし誰かに相談して露見するのを恐れてわらにもすがる思いでクリシダを頼ったのだ。


「見栄っ張りと、露悪女。どっちもどっちだ。どうやって収拾つけるのこれ?」


 私達の間にカームが静観を破って入ってきて言った。


「そんなの決まってるじゃん。謝るんだよ」


 私とレム、デリアは顔を見合わせる。カームの声の調子は怒気を含んでいたからだ。レムはどうどうとカームを諫める。


「カームちゃん? 一旦落ち着こう?」


「…別に落ち着いてる。クリシダはノワールの尊厳を傷つけた。そしてノワールはクリシダを暴行した。どっちも悪い。どっちも悪いから謝るべき。ライラ様だったらそう言うハズ」


 普段のカームは温厚なのだが、こういうトラブルや非常時になると異様な頑なさを見せる時がある。そうなった彼女の意思は大木のように揺るがない。カームは温厚だから普段は気にしないがその大きな体躯にはとてつもない力が秘められているのだ。カームはまさに大人しい人程怒ると怖いという言葉を体現した存在なのだ。しかしクリシダはカームに臆することなく涙でたまった鼻水をその場でフンっと噴き出させると言った。


「その必要はないよカーム。私は彼女に謝罪を要求しない。そして彼女に対して俺の謝罪も必要ないと思っている」


「何で…?」


 カームはクリシダの言葉に凄んだ声をかける。


「彼女がもし、本当に俺のことが嫌いなら治療を頼みになんて来ないハズだ。彼女が怒ったのは私が嫌いだからではない。彼女が私なら秘密を暴露しないだろうという信頼を裏切ったから。つまり私達には信頼関係が前提となったことだからだと思うから」


 ぶん殴られてもクリシダは動揺することなく冷静な対処を見せた。というより、クリシダは事態が複雑になるほど冷静な対処を見せる。これは私たちがトラブルに心を乱されるのに対して彼女は平静を保つからなのだろう。しかし私達から見ると、ひょうひょうとしていて捉えどころない人に見えてしまうのも事実だった。


 カームは首を捻ると唇を震わせて大粒の涙を流しながら言った。


「じゃあ…仲直りしてよ…私は二人がこのまま仲悪くなるなんて嫌だよ…」


 クリシダは小さく両手を上げて言った。


「わかってる。今から仲直りしてくる。ただ、二人きりにしてくれ。彼女はプライドが高いから誰かの眼があると弱い所を見せられなくなってしまうから」


 私はクリシダに首をかしげて聞く。


「本当に大丈夫? 逆に仲が悪化しない?」


「わからないけど、俺も腐っても呪術師だ。むしろこれで駄目ならきっぱりと諦める」


 ネムは肩をすくめて言った。


「まあ、集落の皆が皆仲良しってわけでもないしね」


 私達はお互い目配せして頷いた。


「じゃあ、フラン達は私達が引き受けるよ」


 私達はノワールたちの足跡を追うと、ノワールが船の残骸付近にうずくまっているのを見つけた。フランとエスメラルダはノワールの側でオロオロとしていた。その二人を引き取って私達はノワールとクリシダを二人だけにしてその場から離れた。


 二人の姿が見えなくなった私達は顔を寄せ合って相談をした。フランは眉を潜めて言った。


「二人きりにして大丈夫なの?」


 ネムは肩をすくめて言った。


「まあ、何かあっても爪で引っかかれるぐらいじゃない? 成るようにしか成らんよ」


 デリアも頷く。


「せやな」


 それから半刻ほどたっただろうか。あまりに長い時間だったのでデリアはチョコを洞窟に運び込みに行ってしまった。あまりに遅いのでネムは「もしかして殺されてるんじゃない?」と口にした。いよいよマズいかもと思った頃に二人は戻ってきた。


 さっきと違って二人は仲睦まじい恋人の様にピッタリと身を寄せ合い、手を繋いでいた。よく見るとクリシダの首には噛み傷のような跡があり、二人とも水浴びをしたのか全身濡れていた。


 ノワールはうっとりした眼でクリシダを見つめているが、クリシダはチベットスナギヅネのようにどこか遠くを見詰める様な目をしていた。なんというか一見すると仲直りというより仲が深まったようにしか見えない。


「何がー」


 エスメラルダが口を開きかけたのをネムが掣肘して言った。


「聞くな聞くな」


 デリアも察したのか頷いた。


「もういいって、聞きたくないわ」


 私も二人の様子はそんなに険悪に見えなかったのでこれ以上は余計だと思い黙っていることにした。ネムは座り込むと言った。


「もう疲れたし今日は解散するか…」


 私達がトボトボと歩き始めると背後でフランが言った。


「そういえばまだエスメラルダ先生の秘密聞いてない」


 私達はため息を吐いてもうやめようと言おうと振り向くが、先生は顔を赤らめながらもじもじとまんざらでもなさそうにして言った。


「えっと…夫が…。初夜の下着をまだ持ってること…」


 私達はガッカリしてため息を付いた。ネムは地面の石ころを蹴って言った。


「こんなゲームは二度とやらん。やらんからな!」


 それにフランは頷いて言った。


「うん、今日のことは皆の秘密にしよう!」


 それから私達女子は各々の家に帰ったが、起きた出来事のショックを消化するまでに一日を要した。その一日の間にチョコづくりへの情熱は失われ、企画への意気は消沈していった。結局我々は二月の十四日という機会を逸して、誰が言うまでもなく、翌日の十五日に洞窟に固まったチョコを各々が回収して渡すというグダグダな展開を見せた。


 かくいう私も皆に顔を合わせるのが気まずくコソコソと洞窟に赴いてチョコを三個確保すると母と母を世話してくれたクリス、ニコラスに渡す為にいそいそと家に引き返した。その道中にノワールの家でキールとクリシダにチョコを手ずからほお張らせているノワールを見てしまった。ノワールは指に付いたチョコの汚れをクリシダの口に近づけて舐めとらせたりと気の毒になったので見なかったことにした。


 あらかじめ私はニコラスを芝のある森の空が開けた空間で待ち合わせをしておいた。因みにこの一部分だけ木々が生えていないところをギャップと言うらしい。私はニコラスにチョコを渡すとそこに座って感想を聞かせてもらうことにした。


「おいしいです。わざわざ作ってくれてとても嬉しいです」


 少ない感想だが、ニコラスは嘘をつく人ではないとわかったので胸をなでおろした。私はお茶の葉をつけた水瓶から飲み物を手渡すと、昨日起きたことをかいつまんで話す。するとニコラスは少し考えてから言った。


「それは良かったと思います」


「その心は?」


「ココロ? というのはわかりませんが。私の発言の意図は皆さんの言うところの恥じらいや失敗談にさほどズレがなさそうという点です」


「同じ集落なんだからそれはそうなんじゃない?」


「そうでしょうか? 我が一族の本家は純潔主義で近親婚をしていましたし、呪霊の一族も命を使った生体実験すら辞さない一族です。中には口減らしを請け負う暗殺の一族までいます。我々エルフは近しいようでいて、一族の中の独善的な教えを真理として生涯を終える人もいます。そんな人同士が恥や失敗談を話し合い共有できるのは偶然ではないでしょう」


 私はニコラスの言葉を受けて心の中で頷いた。確かにあの面子で失敗談を共有できたのは凄いことかもしれない。これがもし師匠やクリスが居たらどうなっていたことやら…。


「特にクリシダさんはとても努力していると思います。あの人の家の特殊なのにあの人の精神は健全そのものです」


 健全…? 健全かなぁ…?


「多少の自傷癖はありますが、それでも友人を作る努力もしていますし、結婚もして子供も設けています。仮に彼女に何らかの異常性があってもそれを飼いならして組織に一般人に擬態して参加しています」


 まあ、確かに彼女は呪霊の一族というレッテルを背負いながらも、集落との関係を維持してきた。友人関係、利害関係を構築する努力をしていた。それに比べて私は音楽性の違いみたいな理由で集落を出ようとしていたわけだから…。私よりよっぽどできている人なのかもしれない。


「しかし不仲だった二人がどうやって仲良くなったんだと思う?」


「貴方の観察の通り、仲直りはできなかったのでしょう。仲直りが駄目なら仲を深めるしかない。恐らくクリシダさんが譲歩したのでしょう」


 ニコラスは手に持ったかじったチョコを見て、私に差し出して言った。


「半分は貴方からクリシダに渡して上げてくれませんか?」


 私はくっきりと歯形が付いたチョコを受け取った。


「食べ掛けだけど…」


「あの人はそういうものに親愛を抱くようですから。本来は私から渡した方がいいかもしれませんが、貴方から手渡された方が嬉しいと感じるハズです」


 私はニコラスに言われてそうかもしれないと思った。クリシダはいわゆる連れション文化圏とか人の食べ物を一口頂戴と言う系の人なのだろう。人と同じ釜の飯を食べて、同衾しないと親愛を抱けないタイプなのかもしれない。その心の奥底にあるのは寂しいという気持ちなのだろう。人と一緒に居たいから人と同じ物を食べて同じ場所で寝ないと実感できないのだ。


「彼女によろしく伝えておいてください」


 そう言うとニコラスは立ち上がった。私も立ち上がってその場で別れた。私はクリシダの家の方へと歩いて行った。道中私はノワールのチョコを食べていたクリシダの顔を思い出していた。


 本当にクリシダはチョコで喜ぶだろうか? 何となくもううんざりしているような気もする。でも他に何かあるかな? 彼女が喜ぶとしたら、それはきっと呪いとか呪文に違いないと思った。


 私はクリシダが本当に喜びそうなものを考えながら家へと向かった。


 私がクリシダの家にたどり着いた。クリシダの家は木の枝のドームの下にある地面の岩盤の洞窟の中にある。私はクリシダが足跡から誰かが来ていることを察知しているだろうと思って言った。


「クリシダ? 居るんでしょう?」


 私の声にクリシダは答えなかった。どうやら居留守を使っていると察すると自分の口の中にチョコを放り込んで言った。


「…今からアンタが知らない呪文を、一つ教えてあげるよ」


 私がそう言うとクリシダの声が聞こえた。


「ルリコか。わざわざ済まない。呪文については明日にしてくれないか。流石に今日はもう疲れてしまってな」


 クリシダは声の調子から洞窟の中で寝転がっているらしいが、私は構わず言った。


「その呪文は聞けば誰しもが元気を出して飛び起きる様な呪文なんだよ」


 クリシダはわざとうんざりとしたような声を上げて言った。


「そんな呪文はないよ。呪文は本当に人が嫌がっていることはできないからね。もしそんな呪文があるならそれは薬物による状態でしかありえない。何より私は呪術師だ、心の防壁がある以上どんな呪文も効果を及ばさない」


 私は手を前に付きだして人差し指を立てて言った。


「実はわたくしルリコには。転生する前の前世の記憶があります」


 その言葉にクリシダは少し上ずった声で返事をする。


「…まあ、この世界の魂は転生で循環しているから前世の記憶を持っていても理屈ではおかしくはないね。つまり君が始祖のエルフの記憶を持っている可能性もありえる」


 私は人差し指に続いて中指を立てて言う。


「その前世で私は地球という別の星で暮らす人間の女性でした」


 その言葉を聞いてクリシダが身体を起こした気配を感じた。そして私は薬指を上げた。


「そこで私は孤独…」


 その言葉を口にしようとした瞬間、私の心が悲しに覆われた。自分としてはポジティブに言える気がしていたが、いざ口に出そうとすると辛かった。私が悲しい気持ちを心で整理しようとしていると、いつの間にか目の前に来たクリシダが私の口を手のひらで優しく覆って言った。


「それ以上は口にするな」


 私はクリシダに目で平気だと訴えたが、彼女は首を振って言った。


「気にするな。お前の呪文が効果てきめんだっただけだ。悪いが最後の切り札は切らせない。お前は俺を友人の死因を聞いて飛び起きる様な薄情者に仕立てる気か? そんなことされたら私は社会的に抹殺されてしまう。自分の心を差し出して人を呼ぶなんてとんだ術師だよお前は」


「大げさだよ」


「しかし真情を捧げる相手が違うだろう? 何故ニコラスに言わない? …成程…まずは私に話して試そうというわけか。本命の前の予行練習に使おうって腹だな? 呪術師を試しに使うなんてどうかしているぞ」


 そして私の眼を見て言った。


「初めて明かしてくれたな。正体を」


 そしてクリシダは頷いて言った。


「聞かせてくれ。私はお前を真に理解したいんだ」


 私はここに来るまでこの話を聞かせようと思っていたが、いつの間にか聞いて欲しいという気持ちに変わっていた。


「私も…この話を…誰かに聞いて欲しかった…」


 とっくに平気になったと思った私の心は途端に決壊して感情を吐露し始めた。クリシダは私を家の中に誘うと言った。


「とりあえず酒でも飲みながら話そう。あ、私は子供がいるからお茶だがな」


 その後私はクリシダに転生前に起きた全てのことを話すことになったのだった。後にクリシダは言った。


「俺の真情はノワに捧げたが、その失われた心をお前が埋め合わせてくれたとはな。そう考えると我々の関係にも自然の循環の様な法則があるのだろう。もしかしたらバレンタインに心を送るのは心を通わせる、そんな意味が込められているのかもしれないな」


 前世でのバレンタインにそこまで深い考えがあるとは思えなかった。でも私達の森のバレンタインはお互いに真情を晒し合い、一方が誰かの心を貪り、その隙間を誰かに埋めてもらうというような儀式になったようだ。


「しかし来年は止めて欲しいものだ。お前らの真情を一匙でもすくって口にするには甘すぎる。成程、確かにこれは犬にとって毒となって食わないのも道理だろう」

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