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石中の恋歌  作者: モノノベワークス
初恋の異性と結婚する確率はX%
20/32

家族と結び手

24/12/08

25/6/8 修正

 倉庫から私達は人力のカゴで宿に送られた。カゴは麻の垂れ幕で覆われていて、床は絨毯の上に座布団が敷き詰められていた。私が窓に設けられた垂れ幕を少し上げると外は夜空になっていた。空は暗いが道は星環の光で照らし出されていた。私はカゴの閉鎖感もあって、夜風に当たりたい気分になったのでカゴを止めてもらった。


「すみません。一旦ここで降ろしてください。星を見て帰りたいので」


 私の声を聞いてカゴはその場で動きを止めて下ろした。後ろでニコラスもその様子を見ていたのかカゴから降りて歩いて来た。


「どうかしたんですか?」


 そう問うニコラスに私は宙の星環を指さして言った。


「少し星を見ながら行こうと思って」


 荘園の居住区の前の通りの階段を下りながら、私達は宙の星環を見ていた。道は星環の光によって照らし出されていた。星環は藍色の天体に流し込まれたコーヒーミルクの様で壮観だった。私はニコラスを振り返ってみるとニコラスの瞳にも天環の光が差し込んで、感じ入っているように見えた。しかし彼のそんな美しい光景を見ても憮然とした表情なのが笑いを誘う。笑い声を聞いてニコラスは私を見ながら首をかしげる。何故かその様が可笑しくて私が笑うと彼もフッと笑った。


 この星環は太陽の光を反射しているのだろう。それはつまり星還は太陽光を遮る物質でもあるということだ。


 ケペンが言うには万年凍土に覆われた大地がここから北東にあるらしい。だが、その大陸には光がさし、農業すら可能だという。それ以外に凍り付くような環境は聞いたことがないとのことだ。


 北東の凍土が寒いのは前世の地球と同じで太陽があまり当たらない地域だからなのかな? あの星環も他の地域に影を落としているとか…? なんかよくわからない。もしかしたらアレ自体が光を発している…とか?


 星環の研究はエルフの天文学者の中で取り沙汰されたことがあるがそれが何なのかは結論が出ていない。わかっているのはアレが土星の環のようにこの惑星を周回していて、輪を維持する重力を持った隠れ月があるぐらいだ。


 星を見ながら私達は無言のまま宿にたどり着いた。中では長老達がリビングの様な部屋の机の椅子に座ってお茶を飲んでいた。先生と大将は長老たちの後ろに立っていたが、大将は壁に寄りかかって手持ち無沙汰といった表情を浮かべていた。先生は私達の姿を認めると手を上げて挨拶をした。


「おかえり、お疲れ様」


 そう言うと先生は私達に冷めた出涸らしの茶を入れてくれたが、疲れた身体にはむしろそのぬるさが心地よかった。私は長老の寝台に座って、ニコラスは私の傍に立った。


「それでは報告をお願いします」


 私は長老達にこれまでの経緯と話したこと、考えたこと全てを話した。もちろん転生に関する言及は避けた。私達が話し終えると大将は壁に体重を預けたまま手を挙げた。


「話の前にごめん。一つ聞きたいんだが、その君主の城まで一体どれぐらいかかるんだ?」


 私はアダットに聞いた日程を思い出しながら答えた。


「三十キロ先にあるらしくて今日含めて三日かかるって」


「嘘ぉ…三日もノワに会えないのかよ…」


 大将は大きくため息をつきながら壁に天を仰ぐように後頭部を当てた。私は大将の様に苦笑いしながら皆を見渡す。


「議題の最重要案件は君主の千里眼だと思いますが、どうですか?」


 その言葉に爺のタブラは鼻を鳴らしながら答えた。


「千里眼は大丈夫じゃあないか? 多分ソイツは長生きできんじゃろう」


 私は爺の鼻もちならない様な表情を見ながら聞いた。


「どうしてですか?」


「そやつは寝ても覚めても領内のあらゆる物や人、自然の情報が常に頭に流れ込んでくるんじゃろ? それでは脳が常に疲弊状態だろうから、いずれ過労で死ぬと思うぞ?」


 爺の考察を聞いてみるとそんなことかと思える内容だった。常に頭を使っていると疲れるのはわかるけど、死に至ることなんてあるのだろうか?


「…千里眼は万物を見ることができるってニュアンスだから眼の様に閉じたり開けたりのコントロールできるんじゃないですか…?」


 私のイメージだとパソコンの様に検索範囲を絞って見ていると想像していたのだ。そうでなければこの惑星の膨大なデータが常に流れ込んで来るのだから頭がおかしくなるのも頷ける。


「同じことだと思うぞ? そもそもワシらの五感で一番シンドイのは眼じゃ。眼は開いてるだけで光、色、形…まあ色々と映して我々の脳がそれを処理しておる。それが膨大になれば結局脳は疲れる」


「うーん…でも死ぬほどですかね?」


「そもそも何故、ワシ等が歴史を書き記すのか。それはワシ等の脳の記憶に限界があるからじゃ。ワシ等は脳に蓄積された記憶を眠ることで整理するから生きて居られる。もし眠らなければ水牢の囚人の様に水の中で力尽きるじゃろう。同じように脳に情報が流れ続けて眠りで整理できない量になったら死に至るじゃろう。…と思うんじゃが。ロゼッタ、お主はどう見る?」


 タブラは背後の先生を振り返って話を促す。それに先生はニコリと笑い返して言った。


「私の意見としては…そんな能力があるとして…。死ぬとは思えません。思うにその君主の能力は内なるモノではなく、外なるモノだと思うんです」


「外なるモノ?」


「はい、エルフと人間の人体の構造が類似しているのであれば、我々にない機能が人間にあるハズがありません。よって、君主の千里眼は外的要因によって得られているということです。その力を与えている者はルリコの話から考えるに…彼らが崇めている”神”ということになると思ってます。もし神が君主に授けた能力なら命を脅かす様な真似はしないと思います」


 私はロゼッタの話にも納得できるものがあって頷いた。


「議論に神を担ぎだすな、話がこじれるじゃろう」


 タブラは先生の意見に鼻を鳴らす。その議論を聞いていたシーブは額に手をあてながら言った。


「エルフと人間の器官は確かに類似しています。しかし寿命の長さはそれを覆す程の相違点です」


 タブラはシーブの言葉に頷いて言った。


「ワシ等は人間より長生きだが、脳の造りも同じらしい。睡眠時間も同じじゃ…。そして恐らくじゃが学習能力や頭の回転も人間とどっこいどっこいじゃないか? 多分我々は人間より何十倍も生きるが、最終的には高齢の人間と長寿のエルフの学習の習熟度は同じなのではと思っている。つまり長生きしたからといっても人間より賢さが何十倍にもなってるわけではないんじゃ」


 先生はタブラの言葉を興味深そうに考え込んでいた。


「…それはつまり我々が長寿だからといって人間より多くの知識や技術を会得できるわけではない…? と?」


「まあ、知識は例外かもしれんが…。例えばエルフが物忘れが激しかったり、物事に無頓着なのは脳が情報を得過ぎてパンクしないようにしているのかもしれん」


 私はその話にも納得してしまった。エルフの性欲が薄いとか物事に淡泊な態度なのは自分の周囲の状況を脳が過剰に取得しないようにしている結果なのかもしれないと思った。


 膨大な情報の記録…。記録の方法…。


 シーブは俯き加減に髪の毛先をいじりながら言った。


「私はエルフの高齢者は所謂ボケとか鬱といった症状に陥りやすいと思っていますが、これは長寿によって蓄積された情報に脳が耐えられないのが原因かもしれません。…が、それはハッキリしません。何故なら死後、脳の状況を確認できないのと、比較できるデータがないからです」


 …まあ、確かにCTスキャンとかなければ健康な脳と不健康な脳を比較することは不可能なのはそうだろう。


 爺はコンッと机を指で叩いて注目を集めて言う。


「話はそれたが…。というわけで、先の短い君主と手を組んで集落の保護を取り付けても意味ないかと思うんじゃが…」


 私は爺の言葉に首をかしげる。


「爺の懸念は最もだけど。人間の寿命は私達の寿命の十分の一も無いからどの道大して変わらないと思う。むしろ人間たちはその統治の安定がずっと続いてほしいから王族や貴族の血筋を貴ぶのだろうしね」


 ニコラスは私の話を聞いて頷く。


「成程…人間が寿命ではなく血筋に重きを置くのは寿命の不安定さを政治体制で補う為なのかもしれませんね」


 タブラは私の言葉に頭を叩きながら、また鼻を鳴らして言う。


「あーそうじゃったな。そういえば人間は一仕事終えた後にコロッと逝ってるもんじゃったな…。まあ、結局ワシらの弱みはこういうことに無頓着な部分なのかもしれん」


 ニコラスは考え込みながら言葉を続ける。


「逆に言えば、私達の集落の存続は人間の政治体制に認めてもらえば達成できるのかもしれません。むしろ議題はそちらを検討するべきかもしれません」


 私達の会話を聞いてシーブは顔を上げると思い出すかのように視線を漂わせて言った。


「そういえば私達と同じく人間も書簡で記録を残す習性があったハズです。我々の要求を権利書として書簡に残してもらえば継続的な立場を得ることはできるでしょう。なので我々の当面の目標は権利書を作成してもらうことになりそうですね。そうすれば人間の不安定な寿命に左右されにくくなるでしょう」


 シーブは自分の考えに光明を見出したらしく態度を高揚させた。


「書簡はいいが…具体的にどうするつもりなんじゃ? 書いてくれって言ってタダでくれるようなものでもないんじゃろう?」


 私は頭を捻って記憶を辿りながら言う。


「聞いたところによると喜捨、つまり財産を寄付することで書簡に名前が明記されるという事例の記述があった気がします」


 私のその記憶は前世のキリスト教のものなので、この異世界に通用するかはわからないが…。まあ、お金をもらって悪い気になる人もいないだろう。


 私が考えていると机のスカイが顔を上げて言った。


「もう一つある。その君主筋との婚姻だ。聞けばクリスの器量は貴族に見染められる程らしいじゃないか。だったらエルフの美貌も有効だということだ」


 その言葉を聞いて私は背筋がヒヤリとする。私がニコラスの方を見るとその眼はスカイを真っ直ぐと見つめていた。


「案ずるな、その時は私が行こう。私はこの通り見た目は悪くない。集落の為なら亡き夫も許してくれるだろう。残りの寿命百年を集落の為に使えるなら本望さ。それに私だって人間の世界での生活がそんな退屈ではないってことは知っている上だしな」


 スカイの言葉を聞いてニコラスは拳を強く握り込む。私はその手を握って冷静にさせようと努めた。皆もどこか不服そうに顔を俯かせている。私は沈黙を破るかのように言った。


「スカイさん、それじゃあ口減らしと同じになっちゃう。私達は犠牲を出さない方法でやっていこうと決めたんだから。それにこれまでの議論で思いついたことがあります。少し私に考えがあるんで任せて貰えますか?」


 さっき私はタブラ爺の会話から情報の記録をする印刷を開発すれば重用されるんじゃないかと思った。人間はこれからどんどん増えていき、行政書類は写本の記録だけでは追いつかないハズだ。そこで活版印刷を開発すれば集落の立場を得られるのではないか? 


 よくあるなろう小説とかだと簡単に開発してるけど…。うまくいく気がしないなぁ…。やっぱそこら辺も人間の職人の協力が必要だよね…。多分大変だけどスカイさんを犠牲にするぐらいなら多少の無理は苦じゃないしね。


 私のその言葉を受けてスカイは皮肉交じりに笑って俯いた。シーブは私を見ると背筋を伸ばして居住まいを正して言った。


「…まだそうと決まったわけではありません。まずは相手の出方を見るのが盤石でしょう。並行して各々がやれることを検討して共有すること。特にルリコ、貴方は何かする前に報告すること…いいですね?」


 シーブは私をたしなめるように指を指してから皆を見回して言った。


「少し状況を整理しましょう。まずはじめに私達の大目標である憲章の確認ですが、憲章は存在するが、一般的には慣習法である為、ご近所付き合いが重要であること。そして細かい法律は聖典を読める僧侶の法的解釈が重要だとわかりました」


「次に、今後私達は森に住むことを許されるのか? 許される条件は何か? 現在私達は基本的には税を納める一般的な労働者として振る舞えば住まわせてくれる可能性が高い。これ以降の詳細はやはり君主の領へ行ってから詰める方がいいでしょう。少なくとも想定された最悪のケース、進軍や隷属、人身の貢納はなさそうです」


「今のところはね」そう言って先生が肩をすくめる。

 

 皆はシーブの発言から最悪のイメージを想像して不安になってしまったらしく部屋はシンッと静まり返る。私はその空気を変えようと咄嗟に言葉をひねり出す。


「まあ、大丈夫ですよ。いざとなったら森の奥深くへ逃げればいいんですから」


 シーブは私の言葉を聞いて頭を抱えてため息を付く。


「はあ…貴方は何を言ってるんですか? 逃げることなんて出来ませんよ?」


「え、何でですか?」


 シーブ長老私の言葉にクソデカため息をついて言った。


「何を言ってるんですか。今集落には妊婦と赤子がいるんですよ? 人間の追手から逃げるなんてできる訳ないじゃないですか」


 私はシーブの言葉を受けて「それもそうだな」と思った。


「あー。そうでした…。私ったら妊娠したことが無いから忘れてました」


「あってたまりますか! 誰が貴方のおしめを変えたと思ってるんですか!?」


 長老は頭に片手を添えて言った。


「とにかく今後の方針としては余計なことは一切せず、随時受け身で対応。若手にはそれを観察してもらい、いざという時の為の対抗の一手を考えておいて下さい」


「わかりました」


 長老以外の若手エルフは頭を下げた。爺は組んだ腕を顎に当てながら困った様な顔で笑って言った。


「まあ、明後日には帰れるのじゃろう? 話は一旦持ち帰って議会で処理するから安心せい」


 爺の言葉を私は片手で制して言った。


「いえ、三日とは、片道三日ってことです。なので全行程、往復で六日ですよ.。勿論滞在期間は考慮しないものとする…みたいな?」


「…」


 私の言葉に長老たちは大きくため息を付く。まあ、今日の様な日が一週間も続くとなったらそりゃあこたえるだろう。大将は壁にもたれた背を滑らせ頭を預けたまま地面に寝転がった。私は言うか迷ったが後で知らせてモメるよりいいだろうと更に言葉を続けた。


「キールさんには一か月の間に鍛冶屋で下積みして技能習得してもらえればと思います」


 その言葉を聞いた大将はすっくと立ち上がると宿屋の扉の方にユラユラと歩き出す。私はその背中に声をかける。


「あの…キールさん。何処へ行くんですか?」


「帰る」


「いや、帰るってどうやって帰るんですか?」


「歩いて帰る。お疲れさまでした…」


 その言葉を聞いてシーブが大将の背中に言葉をなげかける。


「何をバカ言ってるんです? こんな夜道では帰れるわけないでしょう!?」


「星灯りを頼りに馬車のワダチを辿れば帰れる! 俺は帰る! 嫁の顔を見る!」


「馬車なんてあちこちを行ったり来たりしてるんですから迷うだけです!」


 シーブ長老は大将を叱咤する。そのキールの大将にニコラスが声をかける。


「キールさん。何故今回ノワールさんが貴方を旅に推薦したかわかっていますか? 貴方に手に職を付けて欲しいからです。それは全てお腹の子供の為なんですよ?」


「いや…だってさあ…! こんな話は聞いてないし! 俺がいない間に嫁になんかあったらどうするんだよ!?」


「でも貴方が居たところで何になるんです? それよりは貴方は自分の腕を磨いて一人前になってより家族に貢献するべきなのでは?」


 その言葉を聞いた大将からブチッという歯噛みをする音が聞こえる。大将はニコラスに振り返ると顔を真っ赤にして言った。


「ニコラス。お前俺より年下だろうがっ。なんでそんなこと言われなくちゃいけないんだよ?」


 ニコラスは大将の剣幕に立ち上がると胸に手を当てて言った。


「貴方の腕が上がれば僕たちの暮らしが便利になるからです。そして私は貴方を兄のように慕っている再三申し上げてます。私は兄には責任をもって仕事に取り組んで欲しいのです」


 それを聞いた大将は眉を曇らせる。


「いや、だからさぁ…再三言うけど俺はお前の兄じゃないんだって」


 その言葉にニコラスは頷く。


「はい、兄の様にとは”まるで兄の様に”という意味です。比喩であって実際の血縁関係でないことは存じています」


 その言葉に大将はがっくりと肩を落とす。その消沈した表情には「ダメだこいつ、何言っても伝わらねぇ…」と書かれていた。


 その様子を見たロゼッタは大将に近づいて背中を手でさする様にして言った。


「まあまあ、嫁を残して来たら心配にもなる気持ちもわかるよ。ちょっと外の空気でも吸って落ち着こう?」


 先生が大将を見かねたのか側へ行って背中に手を添えて外へと促していた。その光景は会社の先輩が新人を慰める様な一幕に見えてしまう。出て行く時、先生は私に振り返って手招きした。ナンデ…? 何で私…? 私が周りを見渡すとニコラスが半眼になりながらジッと大将の背中を凝視していた。あ、これは。これは会社でマジでダメそうな奴を見る時の同僚の眼だ。ニコラスとキールは相性が悪いのかもしれないな。そう察した私はその空気から逃れる様に二人の側へと歩いた。


 星灯りの下、広場の中央にさしかかると先生は大将と向き合って慰め始めた。小柄な先生が大柄な対象を慰めているという光景に何かムズムズするものを感じる。これは所謂ギャップ萌えというものなのだろうか…?


「ルリコ、キールは余程嫁さんが心配らしい。一旦返してやって出産に立ち会わせてあげられないか?」


「勿論可能ですけど。ノワールさん、経過が良くないんですか?」


 私の言葉にロゼッタは肩をすくめて言った。


「いや…それは大丈夫らしいけど…。実はキールは天涯孤独でね、家族が一番なんだよ。だから余計に心配性になっているらしい」


 私は大将が天涯孤独なのは知っていた。でも最近はノワールと婚姻して落ち着いていたと思っていた。だからこそ手に入れたからこそ失うのが怖いという気持ちもよくわかる。何より前世の会社のマニュアル的に家族に何かあったら返してあげるべき、という言葉がどうしてもチラついてしまう。


「そう言う事情でしたら勿論構いませんよ。明日の朝アダットさんに頭を下げて帰りの車を手配してもらいましょう」


 大将はうなだれたままの頭で言った。


「ルリコ…ごめんなぁ…ノワには腕を上げてこいって言われたんだが…どうしてもな…。ノワは俺が帰らないと離婚させられちまうかもしれない」


「な、何でそうなるんですか?」


「アイツの友達や家族がさぁ。ノワが可哀そうだとか、出産に障るからとか言ってもう十か月も会えてないの! 多分あいつらに変なこと吹きこまれて離婚する気なんだよ! 今も嫁を放って仕事にかまけて出産に立ち会わないヤバイ旦那って吹きこまれてるかも!」


 キールの言葉に私とロゼッタは目を見合わせてから言った。


「ええ、ノワールはそんなことを言ったのかい?」


 いや、多分ノワールさんはそんな人じゃなかったハズだ。


 子供の頃からノワールは昼夜問わず泉の自分の顔を覗いている様な人だった。名前が示す通り黒い長髪を大事にする人だった。毎日手入れしてはその手触りにため息をもらしていた。一時期は毎日の様に母さんの所へ来て世話を焼いたり雑談をしていたことがある。私が思うに…ノワールはかなりプライドが高い。だから母さんと会ってどっちが美しいか確かめたかったのだろう。そんなノワールさんがキールさんと妊娠を期に距離を置いた理由は何か?


 多分、ノワールさんはキールに妊娠して崩れた自分のボディを見て欲しくなかったからじゃないかな?


 私はうなだれる大将に言葉をかけた。


「まあ、ともかく…大将は戻らない方が良いかもしれませんよ」


「え…? ナンデ…?」


「ノワールさんは貴方に出産の時の大変さを見せたくないからですよ。だから大将を送り出したんじゃないかなって」


 現代ならともかく、中世めいた異世界では出産は見映えなんて構っていられない。出産時のいきみ顔を他人に見せたくないのだろう。ましてや出産を控えている時に背中を叩いて送り出した夫がおめおめと戻ってきた日には…。


 ロゼッタも同じ考えに至ったらしく頷いて言った。


「うん、むしろ彼女は友達に夫が修行して大成すると周囲に吹聴していてもおかしくない。そんな中で手柄も立てずに戻って恥をかかせでもしたら…それこそ離婚沙汰かもね」


「そうだったのか? なんだよ…。何で誰も教えてくれなかったんだよ」


「そんなのあのプライドの高いノワールが言うわけないよ。多分泣きながら「家族にキールに自分の腹を見られて嫌われたらどうしよう」とか言ったに違いないさ。だから僕たちが言ったって言わないでよ?」


 杞憂が晴れたのか、大将は心機一転して手を打った。


「わかった、やっぱり男は腕を振るってなんぼだしな…。もう少し頑張って腕を上げたるわ!」


 大将も自分らしさを取り戻したらしく、息巻いて肩を回し始めた。するとロゼッタは私に意味ありげな目線を送ってきた。何のことかと思って考えると、先ほどのニコラスの目つきを思い出した。


「ところで大将とニコラスはどういう関係なんですか? 随分と揉めていたみたいですが…」


「ん? ああ…アイツなぁ…。あいつ俺のことを兄の様にっていうか…同族だと思っているフシがあってなぁ…。何かとしっかりしろみたいなこと言ってきて面倒なんだよなぁ…」


 ロゼッタは大将のその言葉に示し合わせたかのように会話にのった。


「ニコラス君が同族? 失礼だけど君とニコラスじゃあ、温室栽培と雑草ぐらいの違いがあってどこが同じなの? って感じだけど」


 大将は腕を組んで宙を仰ぐと言った。


「なんつーかアイツは天涯孤独の俺と女手一つで育てられたアイツが似た境遇だと思ってるフシがあってなぁ。ことあるごとに世話を焼いてくるんだよ」


 先生のロゼッタは面白そうに顎を撫でながら言う。


「別にいいんじゃない。気にかけてくれる人がいるだけで御の字だよ」


「良くないって。スカイさんシンママって言っても、周りの部下の男たちが雑用とか採取とか手伝ってるんだからさぁ。真の天涯孤独ってそれ全部やるんだぞ? あいつは周りがやってくれるんだから全然違うんだよ。相違点だらけなのに同じとか言われても違和感しかねーよ」


「成程ねぇ」


「まあ、それでも世話焼いてくれる恩は確かにあるわな。でもさぁ…。アイツ等は人にやってもらった分は返すのが当然って言うんだよ。世話になった分、あいつらの採取や雑用やらされるから自分のこととか、勉強もできねぇしさ。そもそも同じ屋根の下に住んでないし。そのまま結局ズルズルとスカイさんの部下みたいな扱いになっていくじゃん? それは違うと思うんだよなぁ」


「違うって? 何が?」


「だって、俺さ。アイツらと血が繋がってないんだよ? 他人なんだぜ? 何で見ず知らずの他人の為に働かないといけないんだ? そう思わん?」


「あー成程ね」


 私はテミスさんやエミールさんの言っていたチームを思い出しながら言う。


「スカイさんの部下の人たちは同じ目的に取り組む人たちを家族とみなしているフシがありますからね」


「それだよ。血が繋がってないのに家族っておかしいしさ。俺は同じ目的ってわからんのよ。だって、天涯孤独の身の俺を集落の奴らは助けてくれなかったんだぜ? むしろ浮浪者扱いだよ。ニコラスには感謝するけど、俺は傲慢なエルフの為に何かしようとは思わねー。俺は俺の為に生きる。アイツらの為に何かしてもどうせアイツらは何とも思わんだろうからな」


 まあ、確かにエルフというのは美しいか美しくないかの類似で判断する。だからちょっとでも相違点があると途端に厳しい対応になる。天涯孤独で居た大将はエルフの目に不良の様に映っていたのだろう。


「じゃあ、貴方にとって大切なのってノワールさんとその家族だけなの?」


「いや、だからさぁ。スカイさんとニコラスには恩はあると思うよ? でも、俺に字と木工を教えてくれたのは大樹のズバイダ様だよ。ズバイダ様は俺たちみたいな戦争の孤児や捨て子みたいな奴らを一挙に引き取って小屋に住まわせて無償で教育してくれたんだぜ? ノワールとの縁だって大樹の縁組だしさ。スカイさん達は何かをもらったら何かを返すべきって言うけど、ズバイダ様は子供だからって全部無償だぜ? 仮に俺が子供出来たらズバイダ様の方が信用できるって思うね」


「確かに大樹は議会とは別にそういう慈善とかインフラを自費でやってますね。まあ、それができる教育機関とか施工機関も自前で持っている。だからこその意見力と信頼ですからねぇ」


「まあ…とりあえずそういうわけでな。ルリコ、お前ニコラスといいカンジなんだろ? でもお前ニコラス結婚したらアイツの家族観にどう付き合うつもりなのか考えてるのか? 俺は自分の家族を守るので精一杯だからスカイさんの部下の世話なんてできない。お前もこれから活躍するつもりなら、スカイさんの部下たちをどっちにつくのか考えておいた方がいいぜ」


 私は大将の言葉を聞いて内心頷く。


 そうか、だからキールの大将は保守派なんだな。ってことはノワールさんの裏にいるのはズバイダ…じゃなくて、現家政のミレイ様とカイワラ様か。


 多分、キールは家政の二人は私がどっちにつくのかを報告するだろう。だから正直に話すことにした。


「どうもこうも…。どっちも有用なんだからどっちもキープすればいいじゃないですか」


「いやお前それ…」


「キールさん。何か困ったことがあったら対価で協力してくれる人と、条件次第で無償で解決してくれる人がいるならどっちとも関係を保つのが正解ですよ。どっちかだけを選ぶなんて必要はないです。ていうかノワールさんの出産を手伝ってくれる人だって助けあいを求めている人たちです。それらの利害を無視して集落の中を自分一人だけの力で生きるなんて誰にもできませんよ」


「いやまぁ…それはそうだけどさぁ…。いやぁニコラスもニコラスで厄介だが、お前はお前で本当にえげつないというか…。容赦がないというか…。まあ、お前ならニコラスにも家政にもいいようにされるなんてことはないか」


「むしろ僕らがいいようにされていますけどね」


「やっと気が付きました? この船地獄行きです。私達運命共同体なんで保守も改革もありません。立場を捨てて一丸になって取り組まないと勝てませんよ」


 その言葉を聞いて先生はフフッと笑って言う。


「ハイハイキャプテン。でもルリコ、私も家族に仕事を押し付けてしまっているので日程を何とか短縮して欲しいんだよね。何とかならないかなぁ?」


 私はロゼッタさんのお願いの眼差しを向けられて降参する。


「う~ん…まあ、普通に考えれば車の速度を上げれば理屈では早く付くでしょうが…」


 多分そんなことをすれば車の中は真の地獄と化すだろう。でも皆はこれ以上の日程を重ねると士気が落ちそうな気もした。


「わかりました…明日に何か方法がないかアダットさんに聞いてみます」


 ロゼッタもキールも一日離れただけで家族のことが頭から離れないようだった。私の頭にも母のライラのことが浮かんだ。母は一人で生きて行けるのか不安だけど、芯は強い女性だと信じていた。むしろ母は私に皆の家族を安心させるように努めろと言うだろう。私は今回の旅で誰も犠牲にしないで朗報を持ち替えられる様に努力しようと決意を新たにした。

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