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石中の恋歌  作者: モノノベワークス
初恋の異性と結婚する確率はX%
19/32

神と価値

25/05/06

 私とニコラスはアダットと共に黒い石レンガの建築物がそびえる風景の中を歩いていた。目の前に広がる異国情緒あふれる雰囲気にタイ観光に来たかのようなフワフワとした物見遊山の気分が抜けきらなかった。


 これから司教に会うってのに、なんか全然、教会の雰囲気じゃないなぁ。


 寺院は渓谷を挟んで水流の音が耳に心地よく響く。川の方を覗くと対岸に川へと降りるための石造りの塔が見える。川には橋桁が渡されていて、カヌーの様な舟が岩場に揚げられていた。視線を戻すと、目の前には禿げ上がった黄土色の岩壁がそびえ立っていた。


 その岩壁の麓に古びたレンガ造りの壁に囲まれた三本の黒い塔が連なるアジアンテイストな寺院があった。遠目から見ると黒いレンガがうねるように積み上げられた塔に奇妙な力強さを感じすにはいられない。アダットは私達に軽く振り返ると寺院を手で仰いで言った。


「この建物は昔は首長国の起源院で、今は教会として流用されています」


 私達がアダットの説明に目を傾けると、続いて彼は脇の大木を指して言った。


「そしてこちらがグムと一体化した祖皇ヴァルナ頭部の彫像と言われています」


 私達がアダットの手を追うと、起源院の砦の側には木の枝が菌糸の様に絡み合って一体となった菩提樹が生えていて、その中に埋まるようにボーリング程の大きさの顔の像が埋め込まれる様に彫られていた。像は頭にターバンの様なものを付けてターバンからは長髪が伸びていた。顔はふっくらとして耳には飾りが付いていてマブタは厚く目が柔和だが口にはヒゲが生えていた。確かにこの像のふくよかさは女性を表している様に見える。


 なんかやっぱりタイのアユタヤ遺跡に似ているなぁ…。前世では忙しくて行けなかったからなんか得した気分だな。ていうか前世の上野公園でも似たような顔だけ仏像を見たことがあるし、やっぱり異世界でも人というのはどこか似たようなものを有難がるのかもしれない。


 私達は木にはめ込まれた像に見つめられたまま、寺院の中に入る。門に入ってすぐの広場の両端黒いレンガ造りの塔が二本建っていた。その塔の間の中央には長方形の角の隅に置かれた柱の上に台形の瓦ぶきの屋根が乗った庵があった。庵の内部に古びた動物を模した石像が奥に誘うかのように等間隔に置かれ、中ではお香が焚かれ周囲にじゃ香の様な臭いが漂っていた。私はその建築を仰ぎ見ながらシンメトリーの美しさに驚嘆した。


 集落の森は自然の美しさに圧倒されるけど…久々に見るとやっぱ人間の建築って凄い…。うちの豆腐建築とは段違いだなぁ。


 庵の中を抜けた先にボスみたいなレンガ造りの塔が現れた。塔が建っている広場の床は石造りだったがその石畳の中には等間隔に黒い板がはめ込まれている。地面、置物、道。全ての配置が広い空間の中で渦の軌跡をえがき塔へと集束されるかのような造園だった。塔に近づいて見上げると、建築に座禅を組んだ僧侶の石像が三体はめ込まれていた。


 …よく見たらこのお坊さんたち…ホンモノじゃない…?


 塔にはめ込まれるように座禅を組んだお坊さんたちは作りものとは違う、ミイラの様な乾いた質感を持っていた。多分これは日本でいうところの即身仏のようなモノなのだろう。


「それは源流グムに身を委ねた皇帝に法典を捧げた三僧の方々の像でございます。塔のうねるとぐろは三柱が源流グムへと集束し一体となる様を表しています」


 声のした方へと私が視線をやると、塔の入口から一人の男が階段を登ってきた。どうやら塔の下には地下空間の様なものがあって男はそこから上がってきたらしい。


 男はスキンヘッドで目元に大きな青あざのある僧衣で歳は中年程に見えた。僧衣と言ってもシーツの様な白い布を巻きつけたローマのソフィストの様な出で立ちだった。男はゆったりと構えた感じでありながら黒くて太い眉と瞳と目の下から顎にかけてまでの浮き出た頑強そうな顎の骨から意思の強さの様なものを感じた。


 そういえば前世の学校で一回青あざのある女性を見たことがあったなぁ。色素細胞の異常でああなるんだっけ?


 目の前の僧はゆっくりと頭を下げたので私達もお辞儀した。


「プマンク殿こちらは森からはるばるお越しいただいたエルフのニコラス様、ルリコ様です。ニコラス様、ルリコ様こちらの方がこの寺院の司教プマンク殿です」


「只今ご紹介に預かりましたプマンクと申します。恐らく皆さんとは末永くおつきあいすることになると思います。どうかお見知りおきを」


 プマンクと名乗った司教はハツラツとした喋りでそう言う。


「「ありがとうございます司教様」」


 私達はプマンクに頭を下げるが、プマンクは大げさな素振りで頭を上げさせようとした。


「おやめください。皆さんに頭を下げられるほど徳の高い司教ではありません。司教様などと言わず、どうか金サビのプマンク、金サビという愛称で呼んでいただければ光栄です」


「金サビ?」


「はい、こう見えて拙僧は過去に都の教皇庁で財務官をしていたもので…どうしても勘定にうるさくなってしまうもので…。金を数えてばかりで金サビ臭いから金サビと…。それがどうも板についてしまって…」


「それは…凄いですね…」


 私達はプマンクの話しにどう共感していいのかはかりかねて苦笑した。


「今ではそう呼ばれないと落ち着かない心地でしてな」


 それをプマンクさんは事なげに笑い飛ばすかのように言った。突然の自虐に困惑したが、思ったより話しやすそうに感じて私は内心で胸をなでおろした。


「まあ、今こことなっては税の勘定になると私が出張って仕切れば『神の代理人なら横領はせんだろう』というテイでしてな。まあ、ただ顔貸しですね」


 私はプマンクを警戒するべきか迷ったが、ない頭を絞ってもあまり意味はないように思えたので思い切って素直に話してみることにした。


「そうなんですか…不勉強で申し訳ありませんが、司教というのはどんなことをする役職なのかお教えいただけないでしょうか? 私は宗教についてはあまり詳しくなくて…」


 プマンクは私の言葉にニコリと笑うと言った。


「別に恥ずかしがる必要はありません。我が教について詳しく知る者は人口の半分もおりませんから。なんせ聖典の字を読める民が少ないですからな」


「ああ…確かにそうですね…成程…」


「なので我々は各地に教会を建て、口伝にて教えを広めている組織と言えます。教えで導き地上で善行を積ませることで死後の魂の救済を約束するのです。その一番偉い人が法皇でそれを選挙で決めるのが枢機卿。司教は各地で教えを伝え、その司教をまとめるのが大司教、司教以下の末端の者が修道者といった感じです」


 …これって地球のキリスト教の階位と同じだよね…多分…。異世界なのに同じなのはやっぱり他の転生者が居るってことなのかな…? まあ…それはともかく宗教ってよくわからなかったけどこうして聞いてみると神様の広告代理店みたいなものなのかな…?


 私がボンヤリと考えている間にプマンクは更に説明を続けた。


「私達司祭は領地の典礼や儀礼を執り行うことも生業としています。我々は婚姻や祭事、戴冠、裁判等あらゆる事を儀をもって神へと奏上し、公会議や文書として国へと伝えることを生業としています」


「成程、勉強になります」


 話だけ聞いているとこの宗教は私達とあまり関係がないように思えた。ウチは勝手に冠婚葬祭やっちゃってるからね…。


「ところで…貴方がたの種族の名はエルフと言うらしいですが…。森を崇拝しているとか? 故に拙僧らは貴方達を伝説や噂で森人と呼んでいたのですが…」


「はい、私達は皆さんが開拓している地の森に住むエルフという一族です」


 僧は顎をさすりながら


「エルフ、聞いたことも見たこともない種族ですな」と呟く。


 寺僧の話を聞いて私は「おや?」と思う。私は他の森にエルフという存在が分布しているか、人間の世界に関わっていてもおかしくないと思っていたからだ。それに私達自身が結構人間と歴史で接触しているし、壁の絵まであるのに…。私達と言語体系が似ているからそういうこともあるかと思っていたが…。


 そう思いながらも私はプマンクに答える。


「…知らないのも無理はありません。私達は外の世界から渡って森にずっと潜んで隠者の様な生活を送ってきた一族なので」


「皆様の事情ついては我が君からの手紙で拝見してます。ただ…我々はそのしるしの意味を理解していないのです。」


しるし? 私達は自然からしるしを解釈することはありますが…。この場合のしるしはどういう意味があるんですか?」


 大司教は頬の青あざをさすりながら答えた。


「そうですね…徴とは神の意思や計画の一端と言えるかもしれません。そもそもこの世界は神が創造したモノです。何故そう言えるのか? それは一本の弦の真ん中を抑えて奏でれば第八音階がなり、二分の三の位置では第五音階であること。美しきものの全身の丁度真ん中がヘソであること。樹木の葉が葉脈を中心に対称になっていること。これらが偶然として自然に存在するのはあまりに都合がよすぎないでしょうか? これらは本当に偶然か? いえ、そうではありません。世界の万物…すなわち私も貴方がたも全ては神がお創りになった。だからそういった法則性があるのです。だとしたらそこには造られた意味や意図があるハズです。それを我々はその意図を徴から解釈する必要があるのです」


 私はそれを迷信めいてると思いながらも、否定はできなかった。何故なら私の転生は科学や偶然では説明が付かず、何者かの意図が働いたとしか思えない…と同じように考え方をしていたからだ。私は転生が何者かの意図によって起こされたとは思っていた。プマンクは言い続ける。


「神はどこにいるのか? 何が目的なのか? それを知るには神の御業があまりにも全域的で拙僧らには察知できないのです。それは大きな森の中心に居るものは森の全体像を知ることができないのと同じです。ですが神の創造物である我々は神の意向にそぐわなければなりません。神に創られたものがそれに逆らうのは産まれた親に逆らう子のようなものです。だから我々をこの世界の徴から神の意図を知らなければならないのです。それは天候の変化から雨を察知したり、獣の生態から生き方を学ぶのと同じことなのです」


 そう言うと寺僧は腕を弧を描きながら胸に手を当て礼をして言った。


「全ては神の思し召し。故に今日の我々の出会いもまた偶然ではなく意味があるものです。全ては神のお導きなのです。だから我々はその意図を充分に理解しなくてはなりません」


 寺僧の話が一段落したのを見て私は小さく手を上げた。


「あの…質問なんですが。神様は宇宙を創るほどの力のある方なんですよね? だったら私達がどうこうする必要ってあるんですか? 別に私達が何かしなくても、全ては神の思うままなのでは?」


「…我々は神が魂の救済をしてくれると信じています。だから我々はその時までに約束の地へ民を導かなくてはならない…。ですがその国に異教徒は入れません。神の国に異教の神を崇拝する異教徒が入れないのは当然のこと。しかし人々が異教を信じるのは仕方のないことです。何故なら彼らは不作や病、異種族の暴行に怯える不安な日々を送っているからです。世に悪が栄えているからです。そんな日々に救いと加護を求める心理的なヨスガが必要だったのです。ですが神の国には真の救いがある。そして我々組織はそれを民に伝え、善を溢れさせ、やがてはこの世界に神の国を下ろす必要があります」


 私は神が人を想像したならその結末は運命的な必然を持って訪れると思っていた。しかし神を信じないモノには救済が訪れないらしい。それは一神教によくある文句だが、崇拝させるための詭弁の様な気もする。


『つまり、信じる者は救われる、信じない者救われないってことか…』


 私はエルフ語で呟いた後、次の言葉を続けた。


「善というのは具体的にどんな者なのですか? 法を順守することですか? 神への絶対の信仰を持つ者ですか? お金持ちとかですか?」


「…それは…わかりません。我が組織の課題の一つはそれをわかる為のモノといっても過言ではないでしょう。統治者としてはそれは国家の統制であったり、教皇としては神に仕える霊になることかもしれませんし、商人には財を喜捨することだったり、民としては不安からの解消だったりするでしょう。無知な少女であればそれはお腹いっぱい食べることだったり男だったら美女を侍らすことだったりするかもしれません」


「それって異教の神々を崇拝してるのとあまりかわらないんじゃ…?」


「はい、なので我々はその答えをさがさなければならない…。実のところその”しなければならない”という心性は誰しもが持っているのです。善とは何か? 神が求めるモノは何か? もし今拙僧が問われれば衣食住が満たされ、魂が安らいだ後に来る最後の欲求の段階なのでは? と答えるでしょう」


 話を聞いて私はこの宗教が求めるモノが”生まれた来た意味”を知ることなのではないかと思った。


「それを求める為に各地に散った求道者の修業は熾烈を極めるものです。ひたすら水たまりを覗き続けたり、キノコを食べて幻覚を見たり…。そうやってあらゆるモノを見聞きして世界の徴から神の意思を推し量らねばならない」


 プマンクは泣き笑いの表情になりながら言った。


「故に拙僧も皆様が何故ここに来たのか? その意味を知らねばならないのです」


 私はつい頭を掻きそうになったのをこらえて、髪先を弄りながら言った。


「私達が来た理由は君主様に謁見に呼ばれたからですが…。プマンクさんの言う通り答えを知る為とも言えます。私達エルフは森に住むことを許されるか? です。住むならどんなルールがあるのか? 何が罪になるのか? どんな協力をすればいいのか? 知りたいことは沢山あります」


 出発前の話し合いで色々ごちゃごちゃ考えてたが…。こうして単純に言語化してみると単純なことの様に思った。


「そうですね…皆さんの開拓地は遠隔地なので君主の手が届くことはないでしょう。勿論、後日の謁見で何かしらの沙汰が下る場合もありますが…。一般的には近隣の教会の司祭が判断を下すことが多いかと思われます。その場合は自由民として森林の材木や資源を納入する賦役労働か税の貢納が課せられるのが妥当かと思われます」


「成程…。因みに隣接する開拓地ですが、焼畑を用いた農地拡大や、建築の為に木材の伐採を行っているようですが…。我々の住処の森林への拡大をやめるように願うことは可能ですか?」


「検討は可能です。ただ、人が増え続けている都の周辺に建築用の木材を送るノルマがあります。それに見ていただければわかりますが我々の荘園も抱えられる人や畑には限りがあります。貧乏故に子沢山というべきか…子沢山だからこそ貧乏に陥ると言うべきか…。我々の荘園が畑を持たない人が増えすぎればいずれパンクするか盗賊に鞍替えしてしまいます。そういった持たざる人に畑を与え自立を促す為にも森の開墾と畑は必要なのです」


 歴史の中で人間がひたすらに森を間伐していたのは自然破壊の為だけではなく、食い扶持の為だったのか…。


「開拓は森を切り開いて木材で家を作り畑を耕して実った食料で民をまかなうという折衷案なのです。それをしないのであればそれ相応のメリットや理由を持って君主か私を納得させる必要があるでしょう」


「メリット…う~ん、価値あるものってことですよね? …ここいら辺りで価値があるものとはなんでしょうか…?」


「まずは善行です。善なることです。全ては善から始まります。皆さまは悪しき者が作った農作物や建築物を使用したいと思うでしょうか? 勿論思いませんでしょう。悪しき者の作物や建築物には悪しきモノが宿るからです」


「そ、そうですね…」


 悪しき農作物ってなんだよ…。うーんでもまあ、日本も食品の産地とか気にしたりするしな…。


「次点ではやはり農作物でしょう。貨幣貢納もあって貨幣は流通はしていますが、その貨幣は食料や必需品に使われます。明日も知れない平民は貨幣より多くの食料を備蓄して安心したいのです。しかし食料に不安のない貴人は陶器や薬などの貴重品、布や宝石などの贅沢品を所望するでしょう。…と散々語ってはきましたが、物の価値については私より商人の方の方が適任かと存じます。丁度今この地には君主の領の御用商人の者がいますので一回話してみたらどうでしょう? よければご紹介しますよ?」


「もしよろしければお願いします。我々は君主に従えるのは光栄ですが、できれば自立した暮らしも検討したいと思っています」


 私とニコラスは大司教に頭を下げてお願いする意を示した。


「承知しました、ではアダットにご案内させますね。…しかし皆様の礼儀作法や言葉遣いは驚嘆に値しました。森に住む隠者という噂に違わぬものでした。もしよろしければ今後の見分の為に皆様の教義に付いてご教示願いたいのですが…」


「そうですね…私たちは基本は万物に霊が宿っているという信仰な気がしますが…。先ほどの大司教様の教えとの相違点を上げるなら…私達は本質的には神の実在を確信している…と思います」


「神の実在を確信している? というのはどういうことなのですか?」


「えーと私達は”大いなるもの”が産み落とした血族と伝えられています。つまり神は産みの親として実在していると思っています。概念ではなく、物質的なもので見たり触ったりできると信じています」


「か、神が実在する…? 触れる…?」


 大司教はあまりに突飛な言い分に呆然とした表情になってしまった。


「あー…私達は多神教みたいなものなので…。結構フランクな感じなんですよ多分…」


「成程…。では拙僧は貴方達の神に拝謁することは可能なのでしょうか?」


 大司教は少し苦笑して言った。


 明らかに信じてない感じだけど…。まあ、迷信と思われても仕方ないかな…。


「う~ん…難しいと思います。ただ、集落に神の聖遺物はかつてありました」


 大司教は私が聖遺物という言葉を口にした時、目玉をギョロッと向けて来た。


「成程…。聖遺物は矢張りそこまでのものですか…?」


「そこまでの? まあ、類感の法則でいうなら効果は大なんじゃないですか…? 多分…」


「ルイカン?」


「え~と…確か…。対象が見つけているものはその力が宿るという法則だった気がします…。神様が身に着けたモノだから神の力が宿るんだったか、物を媒介にして神の力に触れられるのかもしれません」


「成程…それは…確かに納得できます…。神が使っていたものは神の力が宿るのは道理でしょう。ルリコ殿…先ほどから貴方の知見には関心するばかりです…」


「い、いや~。先生の教えが良かったのでしょう」


 子供の頃、魔法使いにハマった私は類感というものを知った。その後大学に入って恋仲になりたい男子に願掛けの為に詳しく調べたのだ。それはフレイザーとかいう人が考えた魔法の法則の様なものだった気がする。例えば動物に似た格好をするとその動物のパワーを得られる類感呪術。その人の身に着けたモノを身に着けると相手と繋がりが持てる感染呪術…みたいな感じだったハズだ。まあ…呪術とか言うと何て言われるかわからないし、法則と言い換えておこう…。


「ふむ、矢張り君主様は相変わらずの慧眼をお持ちの様です。エルフの方々の美しさは神の加護の表われであると…。であればこそ…益々杞憂が募るばかりです…。エルフの方々が異教を崇拝しているのはマズイかもしれません」


「え、そうなんですか?」


「はい。我が組織は多くの民を約束の地へ救済するために、異教で民を惑わす者を無視するわけにはいかないのです…。勿論皆様の教えは正しいとは思いますが…。その教えに固執してしまえば肩身の狭い思いをするでしょう。ここは立場を守るために教順したフリをしたほうがよろしいかと思います」


「あーそうなんですか…。じゃあ、そうします」


「ええ…? 良いんですか…そんな簡単に…?」


「私達は多神教なんで大抵の神や教えは多分ウェルカムだと思いますよ」


 エルフの信仰はクリスマスやバレンタインを祝う仏教徒の日本人と同じで信仰のごった煮もあまり気にしない性格だし…。そもそも宇宙から飛んできた金属の神とか信じる程だし…別に気にしないんじゃないかな…? 多分…。


 後ろのニコラスを振り返ると、無表情のまま頷いた。


「そ、そうですか…。まあ、私としては皆様が肩身の狭い思いをしない為にするべき身の振り方さえ弁えてくれれば大丈夫です。どうでしょう。そういった細かい話は後日の会食の席を設けて話し合いませんか? その時にギルドの方々を集めるので面通ししてもらえばと存じます…」


 そう言うと大司教はアダットを見て頷いた。


「では皆様、次は商人の下へとご案内いたします。アダット後は頼んだぞ?」


 そう言うと私達に司教は頭を下げて送り出した。


「では皆様…後日またお会いましょう」


 話の最中は穏やかだったが、終わりはかなりサッパリとしたものだった。もしかしたら司教は私達に忠告をするのが目的だったのかもしれない。


 もしかして話し込んで時間が押してしまったのかもな…なんか申し訳ない…。


 私達はアダットの後を付いて寺院を出る。私はこれからどうしようかを考えながらニコラスに司教との話の内容を翻訳して聞かせた。


『…それで…これから会う商人に価値について教えてもらうんですよね…? それもエルフが生み出す物の価値ですか…それを人間が勝手に決めるのはいささか不安に感じてしまいますね』


『そうだね…まずは市場調査…もそうだけど。具体的には私達の価値というか、値段を知りたいね』ニコラスは私の言葉にギョッとする。


『私達のネダン…?』


『人間がエルフにどれだけの価値を持たせるのか知りたいかな』


『その様なことを知ってどうするのです? いえ、それ以前に命に値段を付けることは可能なのですか?』


『んー…残念ながら…出来ちゃうんだよねぇ…。命も魂もお金で交換できてしまう。なんなら心だって買えてしまうかもしれない…』


『それはおかしい。間違いです。私はいくらお金を積まれても命を差し出しません。エルフが人間にココロを許すとは思えない…』


『うーん…例えばさ。私達は木の実と粘土を物々交換することがあるよね。同時に木の実数個を対価に作業を手伝ってもらいたいとする。でも商人が木の実や労働力を充分に持っていて、木の実より貝殻を欲しがっていたとしたらどうする?』


『それは商人が融通すればいいのです。持つ者は持たざる者より余裕があるわけですから』


『だけど商人はこう考える。木の実を貨幣に変えれば良いと。貨幣であれば労働力、木の実、貝殻等を何でも交換できるようにすればいいと。それは私達にとっても同じなんだ。私達が人手を買う場合もその相手達の欲しいものがそれぞれ違っても貨幣ならまとめて支払える』


『百歩譲って肉体労働を貨幣と交換するのはわかります。しかしココロや魂のような目に見えないモノをどうやって交換できるのか想像できません…。ルリコは見知らぬ人間にも金を差し出されて、その身を売ったとしてココロまで捧げられると思ってるんですか…?』


『いや、流石にそれはないけど。でも例えば食事を一緒にしたりとか、おしゃべりをするぐらいはするかもしれない。それはある意味で労働の為に畑を耕す時間を売るのと同じ。相手は私と心を分かち合う権利や時間、労働力を売ってることになる』


『成程…でもそれは矢張り間違いだと思います。確かに我々は人間という労働力を貨幣で交換するつもりがあった。相手の時間を買えるということは有限の命を買うも同然。それに組するのであれば我々も貨幣体系に従わなければならない。しかしそれは貨幣を信用しているのであって、相手を信用しているわけではない。そんなことを続けていずれ貨幣ばかり重用されるようになれば、家族や集落の絆すら貨幣に変えられてしまう。それは恐ろしいことだとは思いませんか…?』


『…そうかもね…』


 前世の私の最後は部屋の中で寂しく一人で居る情景ばかりが浮かぶ。私が孤独だったのはお金ばかりを求めて、人間関係を求めなかったからなのかもしれない。


『安心してニコラス。前も言ったけど私は私を安売りする気はない。それにエルフがそういうのが苦手だっていうのもわかってる。だからお金に関しては私に任せてよ。それでもし私が孤立したり行き過ぎになりそうなら遠慮なく言って。きっとどんな状態でも私は貴方の忠告なら耳を傾けると思うしね』


『勿論です。貴方に忠告出来るものは私以外には居ません。…何故なら私は貴方に対してどんな報酬も望みませんからね』


『ニコラス…タダより高い物はないってね。人間はタダすら交換価値に組み込んでしまうものなの』


『そうですね。しかしライラ様が言っていたように無意味なモノ。それはタダと同じことなのでは? タダのものはそれ故に掛けがえのないものでもありえます』


『確かにそう考えると、母さんはそういうことを言ってたのかもしれないね』


『そうですね。タダのモノは素晴らしいモノなのかというのは検証に値します。もし、それが真実なら安心します。人間にココロや魂を売り買いさせたくないですから。参考までに聞きたいんですが、ルリコにとってかけがいのないモノ…値段のつけられないモノとはなんですか?』


 いや、そんなこと言われても直ぐには思いつかないけどなぁ…。


『あーそうだね…。お風呂に入った瞬間とかかな…?』


『お風呂…?』


『えーと…テルマエ? とか言っても伝わらないか。なんていうか広い部屋の中に暖かいお湯の泉があって、その中で身体を洗ったりする施設だね。石鹸と同じで清潔になる効果がある』


『…わかりました。じゃあそれを私にください。貴方のかけがえのないモノを私が所有していれば、貴方は誰かと取引することはできなくなるのでは? 何故なら貴方が欲しいモノを持っているの私なんですから誰かと取引する気は起きないハズです』


『んー…? そうなのかな? まあ確かに今の私はお金くれるよりお風呂の方が魅力的に感じるからそうなのかも?』


『決まりですね。貴方の為に私はお風呂を所有しますから、貴方の身柄を交換するなんてことは止めてくださいね』


『いや、だからそんなつもりはないんだけどさ。ていうか本気で建てるの? だったら、私も一枚噛ませてよ。どうせ作るなら拘りたいし。やっぱ寝っ転がれる椅子のカウチとかご飯とか酒とか、後マッサージ…湯船の温度を保ちたいからボイラーも欲しい…。後はサウナとかかな…。サウナを作ったら長老も師匠も…集落の皆でカウチで整いながら何もせずにのんびりとしたいね…』


 うーん、そう考えるとお風呂が死ぬほど欲しくなってきたな。


 でも今私達に必要なものはエルフの安全な暮らしだ。その為には人間の役に立たなければならない。役に立つためには人間がどのような価値を重んじるか知る必要がある。それは前世が人間だった私にしかできない。だから今は欲しいモノは後回しだ。


 それはエルフの無垢で優しい心を守る為でもある。エルフに人間の悪さを目の当たりにしてケガレて欲しくない。その点私は前世は人間だったので多分大丈夫だと思う。そこら辺、私は楽観視していた。というより楽観的に考えないと不安に押しつぶされそうというのもあったのだが…。


 とにかく貴族の世界の社交や謀略等の悪い部分は私が対応しよう。多分前世の会社の残業、上司、セクハラに耐えるのと同じようにロボットの様に心を殺せば大丈夫だ。コツは冷徹な機械の様に処理することだ。


『…確かに貴方の望みを叶えるのは並大抵の男には不可能な様で安心しました』


 ニコラスは私の溢れる要望に半ば呆れながらも苦笑していた。


「お二人は仲睦まじいのですね。もしかしてご婚約されているのでしょうか?」


 アダットが私達の掛け合いを見て後ろから声をかけて来た。私はアダットの目をはばからず議論をするぐらいには心を許してしまっているらしい。私は軽く頬をかいて言った。


「いえ、私達はただの幼馴染でして…。エルフと言うのは老若男女同士忌憚なく意見を交わすことが推奨されているのです」


 アダットはふんふんと相槌を打つ。


「先ほどからルリコ様の言動からサロンに訪れる貴人の様な知性を感じておりました。我々の言語を操れるだけではなく税や法についても御詳しい。失礼ですが自然科学や言語学に関する知見がおありなのでしょうか?」


「そうですね…。でも大したことはありませんよ。我々エルフは弁証法や算術、天文学、音楽は誰でもできると思います。むしろその部分だけで言うならエルフの中で私より優秀な人は沢山います」


「成程…。では、その認識は改めた方が良いでしょう。領内では読み書きができるだけでも一端になれますので」


「そうなのですか? えっと因みにアダットさんは何か学科は修めているんですか?」


「私にできるのは多少の口車と金を数えるぐらいで学科を修めるなんてとてもとても…私にできるのは各地の徴税の確認やちょっとした法や税の話を民にするぐらいです」


「そうだったんですか。税の説明が明晰だったので専門の方かと思っていたのですが…」


「徴税官が税について答えられないのでは示しが付きません。といってもこれらの知識はどれも子供の頃からたたき込まれたことをわからないままにオウムの様に復唱しているだけなのです。きっとこれ以上の知識を求めるのであればやはりサロン等で貴人の学者に聞くのが一番かと思われます」


 マジか…オウム居るのか…この異世界…。


 私達が寺院からアダットが居た屋敷に戻ると屋敷の前の小屋の様な建物の前に中肉中背で腹が出た男がいた。


「彼がくだんの商人です」


 後ろからアダットに耳打ちされた私は振り返らずに頷く。男はだんご鼻にヒゲを生やして肉が付いた丸顔につぶらで人懐っこい眼が付いていた。男は私達に頭を下げると手を広げて近づいて来た。


「お初にお目にかかります! エルフの方々! 私は商人のケペン! ケペンでございます! 良かったら名前だけでも覚えて頂ければ光栄です!」


 ケペンと名乗る男はアイヌのムックリを弾くような間の抜けた大声を響かせて近付いて来た。第一印象は声がうるさく素っ頓狂な感じを受けたがその眼は注意深い眼差しをしていた。彼はこういう風に相手を油断させて懐に入る人なのだろう。


「フフフ、面白い人ですね。笑ってしまって名前が頭に焼きついてしまそうです」


 私はケペンには前世のOLスマイルを浮かべて対応することにした。


「貴方の様な美しい方にお名前を覚えてもらえるとは恐悦至極でございます。しかしこのケペン! 自分の身の丈はよく存じております。貴方がたのような美しい方々が私に声をかけるのは商人の腕を頼ってのことでございましょう。であればもう何も言いますまい、であれば、この品々を見て商人ケペンの腕をご判断ください」


 そう言うと小屋の中に迎え入れるかのような仕草をしたので私は倉庫中に入った。私一人入ったのは箱に人を押し込めて誘拐するという商人の話をどこかで聞いたことがあり、何かあった場合は助けを呼べるように取決めていたからだ。


 まあ、一本橋を封鎖されたら陸の孤島になってしまうからあまり意味がないと思うけど。


 始めに私の眼に触れるように置いてあったのは服と靴だった。服はリネンやウールの反物、毛皮の外套、防止、革のブーツや靴があった。次がバケツやのこぎり等の工具や農具、木製の有輪犂も置いてあった。その奥はたいまつやランプ、ロープ、背嚢、火打石等何でもござれだった。私はこの中で気になるものがあったので質問することにした


「あのすいませんこれなんですけど…これってあのシュラって獣で引くんですか?」


 それは前世の地球では牛に引かせて農地を耕していた有輪犂だった。


「いえ、あの獣は二足歩行なのであまり力が出ません。なので四足歩行の獣にひかせていますオーロと呼ばれる獣なのですが、よろしければ後で見せましょうか…?」


「いえ、今回はやめておきます」


「成程…それでは私の商品を見てどうでしょうか。何か欲しいモノはございましたか?」


「そうですね…私が欲しいモノは…ここにはありませんでした。と言っても私が欲しい物は貨幣なんですけどね…」


「そ、そうですか。確かに貨幣は必要ですね。ではもし貨幣をご用意できたらどうしますか?」


「う~ん、そうですね…酢ってあります?」


「酢? 酢とは何でしょうか?」


「あー、えっと。すっぱくなったワインとかありますか?」


「…それは何に使うおつもりですか?」


「さて、何に使いましょうか…」


 ケペンは私の顔色を伺うような目つきを向けて来たので、営業スマイルで答える。タダじゃ教えねーよ? その私の表情を読み取ったケペンも不敵な笑みで応えた。どうしよう…変にできる奴って思われ過ぎても大変だし、今からハッタリって明かして謝ろうかな…。


「わかりました。では他は何と交換しますか?」


「えーと…じゃあ情報とかどうでしょう? 私は若輩で知らないことが多いので…これらの物の価値を教えて欲しいのですけど…」


 私はバックに変えたフロシキから毛織のセーター、石鹸を渡した。店主はまず服の網目や弾力を確かめて言った。


「このシャツは難しいでしょう。シャツとかクロスとか自分たちで編めそうなのは各家のしもべの女たちは直ぐに真似してしまいますので。糸の質は良いので毛糸玉にした方が売れるでしょう」


「こちらどうですか?」と私は石鹸を指さした。


「はて、これはなんですか?」


「石鹸です」


「石鹸? これが?」


 商人は石鹸を叩いてみたり、嗅いでみたり、指の腹で軽くこすりつけた。


「良く汚れが落ちる。しかも臭くない。むしろ良い臭い。これは貴族の方々が欲しがるでしょう」


 どうやらこの世界の石鹸はまだ獣脂が主流なのかもしれない。私はホッと胸をなでおろすと、商人に聞いた。


「よかったです。それで…これはどれくらいの値が付けられますか?」


「これはまた逆の意味で難しい。この石鹸は需要が高いかもしれません。その場合、要望が殺到するでしょう。そしたら領内の村で囲われて永遠と石鹸を作らされるかもしれません。更に消耗品となるとずっと品薄状態になると思われるのでコマネズミの様に働かされますよ」


「あー…やっぱそうなっちゃいますか…」


「値段は強いて付けるならですが…。普通の石鹸なら100gで一マナのところ、これだったら100gに百マナ出してもいい」


「マナって何ですか?」


「貨幣の単位ですね。一マナは鉛、十マナは銅、百マナは銀、千マナは金で出来てる。まあ、大体は鉛、銅貨を束ねた重量による決済か銀貨での交換が主流ですね」


 前世の日本でいうところのマナとは円のことなのだろう。というか石鹸一つで銀貨一枚って…十個で金貨一枚ってことになるの? 何か間違ってそうなのでよく確認しておこう…。ていうか鉛って中毒とかあったような…? 皆には触らせないでおこう。


「殆どの日用品は数マナ程度なんです。だけど二十四マナと言っても計算ができない者が多い。だから天秤を使って重さで決済するんです。この重さの貨幣で交換できるだけの物資をくれ、みたいな感じですね」


「そうですか…次に、もし仮になんですが…私達に値を付けるなら…。幾らになりますか?」


 店主は私の顔を見て少し間を開けた後、答えた。


「私なら三万マナ出しますね」


 金貨三十枚? うーん…何か値段がぶっ飛びすぎてイマイチよくわからなくなってきた


「あのえっと…失礼ですが、ケペンさんの年収ってどれぐらいですか?」


「私の年収は商売の成否によって変わるので何とも言えませんが…商人を目指す者には年収は金貨三枚と銀貨六枚ぐらいだと伝えますね。まあ、船での交易に年収という換算ではないでしょうが…」


 商人の約九年分の年収に相当? 私はアダットを振り向くと彼は顔をかきながら答える。


「私の年収は金貨一枚程です」


「商人は本当に不安定ですが、役人の収入は安定していますし、ここから流通税や交通税を抜かれるというのをお忘れなく」


 私は商人を信じられないという目つきで見る。


「えーと私ってそんな値段ですか? 世辞ではなく?」


「商人の腕は価値を察する目利きにあります。価値とはどのように役に立つか、有能か、使い道があるかということです。王国では奴隷は禁じられていますが、かつて平民の奴隷は三千マナが相場でした。その奴隷を使って畑で三千マナ以上の作物を作れるならそれは有用である、ということです。まあ、奇麗な宝石と同じできれいな女性と言うのは貴重故に高価なのですよ」


 成程…。恐らくこの世界の人間は平穏無事に成人になれる人は少ないのだろう。更に健康的で見た目が良い存在はより少ない。つまり供給が少なく貴重だから貴族に需要があるのだろう。


 うーん…それにしても胃が痛い…。何が痛いって…。エルフの議会の人たちが貨幣で給与渡すことになったら年に金貨一枚渡すの…? 八人いるから金貨八枚なの? ああ…でも石鹸十個分と考えると何か急に微妙に思えて来たな…。


「あの…因みに金貨三十枚で何が買えたりするのですか?」


「そうですね。最新の船一隻か、商君の砦の施工費ぐらいでしょう」


 ケペンの言葉を聞いた時私は驚きで唖然となった。そしてその意味を理解した後に野心的な気持ちが湧いて来た。これなら石鹸を機械で作るだけで集落を賄える。その動力の資金も石鹸で交渉すれば借りられる気がする。少なくとも貧しさから何もできないという最悪の状況は避けれて運が良かった。このまま行けば森に住む権利も入手できるかもしれない。


 他にも下剤の薬だけで重宝されてるからちょっと美容品を作るだけで引く手数多なんじゃないかな? それを貴族のサロンで売り込めば…。私は切れる手札がそこそこあることを確認して内心胸をなでおろした。


 私は笑いで歪む口元を押さえながら、商人のケペンに確認したいことを聞いた。


「因みに私を質にして金貨三十枚って借りれたりしますか…?」


『ルリコ?』


「いや、まあ…それはできるでしょう。石鹸というアテもありますしね…。ただ…その…正直な所ですが」


「えっと何か問題でも?」


「実はここには金貨三十枚も銀貨三百枚もないのです。いえ、ないこともないのですが…それを持っていかれてしまうと我々が困ってしまうのです。もし仮にその様な取引をする場合は造幣した上で行うことになるでしょう」


「成程、商君の砦で造幣してもらうんですね?」


「いえ? 造幣はここで行います」


「え? ここで勝手に造幣していいんですか?」


 前世の日本だと紙幣の発行って中央銀行だけだったよね…?


「はい、この広い地に貨幣を行き渡らせる為に各地の教会や領で貨幣を造幣する権限が与えられているのです」


「えっと…それじゃあ銀貨が沢山出回って値崩れしたりしませんか? そういえば石鹸だって沢山作ったら飽和して値崩れしてしまうのでは?」


「値崩れする? とはどのようなことを指すのでしょうか? 物の値段は君主等が定めてから変わることはありません。同様に貨幣も商品の価値も等価で固定され変わることはありません。この世界では貴重なモノはいつまでも貴重ですし、ありふれたものはありふれたまま。どちらも変わらずそのままです」


 あー…成程。前世の地球と違ってここには為替変動がない固定なのか…。それで人口が増えるから食物も材木もずっと入り用だし、工業が無いから商品も溢れない。


 にしても石鹸はともかく貨幣って造幣しまくったら溢れるんじゃないかな…? あーもしかして他国とか他の荘園に渡って溶かされて鋳造されてるんじゃない?


「あの…少し質問なんですけど、貨幣を勝手に溶かしたり偽造する人がいたらどうなるんですか?」


「その様なことは不可能です。何故なら贋金作りは重罪ですからな…。見てください、この金貨に記された印は教会の象徴である星の印です。それを鋳つぶすのは教会への反逆と同義なのです」


 ケペンは目の前に金貨をかざして言った。金貨には丸い円の中に見下ろす様な横顔が彫られていた。


 金貨の黄金色のせいか星というより月っぽく見えるけど…。この中の顔は誰なんだろう? 神様?


「以前同じように貨幣を溶かし、混ぜ物をして水増ししようとしたものがおりました。しかしそれは失敗に終わりました。何故ならそれは我々は何処でも重量による決済をしているからです。金や銀に混ぜ物をすれば自ずと重さが変わり贋金は露呈するのです」


「次に商人が加担して混ぜ物をした上で重さを同じにして誤魔化す者が表れましたが…これも直ぐ捕まりました。何故なら君主がそれを察知したからです。君主の目はこの世界を見ていて農作物の数から貨幣の数まですっかりお見通しなのです」


 ケペンの言っているのは君主の千里眼のことだろう。私は君主の千里眼を前世でプレイした戦略ゲームの俯瞰場面の様な物じゃないかとイメージしていた。あれは周囲の地形や民の数、物資の数値などが表示されていてすぐわかる。もしそうなら周囲の敵のデータも解る。それを踏まえるならエルフという勢力を察知できてもおかしくはない。…というかあの世界には個人の力や知力、忠誠の値までわかるのもあったハズ…。というかそこに”異世界転生者”なんて書いてあったら…?


 …最悪集落ごと逃げればいいとか思ってたけど…そんな千里眼があるなら逃げられる気がしない。ていうかその人が異世界人説の方が有力なんだけど…。


 私の中で一抹の不安がよぎったが、本当に敵対するつもりならクリスを森に送り込まないだろうし、クリスが森に居る状態で攻め込むなんてことはしないだろうとタカをくくることにした。


「それでルリコ殿…他に知りたい情報はありますか…?」


 私はケペンとニコラスの心配そうな声で我に返った。


「あ…大丈夫です…本当にありがとうございました」


 私が頭を下げた時にケペンが商人で船を持っているということを思い出した。


 もし君主と対立したら逃げられる伝手が欲しい。流石に国外逃亡すれば許してくれるよね? ここは太客アピールの為に買い物をしておこう…。


「あのケペンさん…。こちらの石鹸とこれ等を交換できますか? できれば全部」


 私は倉庫の中に置いてある靴を指さした。全部と言っておけば太っ腹っぽく感じるかもしれないからだし、私の今後の活動に頑丈な靴は絶対必要だから無駄遣いにもならない。


「靴というとこの皮のブーツ五足ですか…? 一足で五十マナですがそうなると石鹸二個半という中途半端になってしまいますな…」


「え~とじゃあ先ほどの情報量と出張費みたいなあれで…」


「いえいえ、たったあれだけの情報で五十マナもとれませんし、そもそも私から皆さまと会いたいとお願いした身ですので受け取れません…」


「えーとじゃあ…これで私達を贔屓にして下さい! VIP待遇的な!」


「ビップ…? いえ、御贔屓にして欲しいのは私の方でして…」


「う~ん、それじゃあ…。今度都合のいい日で良いので…船に乗せてくれませんか…?」


 そう言って私はコンビニバイトで得たスキルの手渡しで石鹸を握らせた。彼はエルフに手渡しされて気恥ずかしかったのか石鹸を片手に持って笑った。


「ハハハ…貴方は本当に愉快な人だ…。ようざんしょう。といっても私の船は君主の城の港に付けてあります。もし城にお立ち寄りの際はギルドのロード・ピムをお尋ねください」


「ロード・ピム?」


「はい、北海でユニコーン狩りや凍土との交易を生業としているギルドです」


「ユニコーン?」


 私の頭の中に角の生えた馬がイメージされる。


「はい。ユニコーンとは海に生息する巨大な魚のようなのですが、魚と違って海中で呼吸ができず海面に出てくるのです。そこを狙って大きな銛で突いて息の根を止めたら油と皮と骨…まあ、全てを解体して売りさばくのです」


 海面に出ないと呼吸できないって…それってクジラじゃないかな?


「特に頭から生えている大きな一本角は薬効があると貴き方々に重宝されているんですよ」


 角と聞いて私は前世の北海にイッカクという角のあるクジラが居たことを思い出した。


 クジラかぁ…そういえば小学校の頃に出て来たクジラの竜田揚げめっちゃ美味かったんだよなぁ…。


 私は当時のクジラの竜田揚げの味を思い出して、ついよだれが溢れてくる。


「それって…食べれますか?」


「え…クジラですか…? まあ、海狩りで獲物を探している時に肉を食らいます。しかし肉は癖が強く臭いもキツイので貴き方々にはとてもおすすめできません」


「そこをなんとかなりませんか?」


「いやぁ無理ですな。北海はこの大陸の真反対に位置しますから輸送途中で腐ってしまいます」


「そうなんですね・・・」


 そうか…前世の世界だと魚を冷やして移動できたけど、ここじゃそうもいかないか…。


 ケペンは私が肩を落としたのを見て取り繕うように豪快に笑って言った。


「ま、まあ港では多くの海の幸が取れますので背一杯おもてなしできればと思っております」


「はい、是非立ち寄らせてもらいます…!」


 私は言葉とは裏腹に「食べれないとわかるとより一層クジラの竜田揚げを食べたい…! 」と食べるための算段に頭を巡らせていた。

説明回が一段落してここから少し執筆が楽になるような気がしていたりしなかったり…。登場人物が動き出すというのは噂で聞いてましたが、割と登場人物の希望を聞いて展開を変えてる部分もあって大変です。風呂に入りたい? 何を言ってるんだお前は…!?

某ホストの方の接客術で小三国語ドリルをやれという話を聞いたのですが、中学生レベルの国語力が失念していたようです。

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