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石中の恋歌  作者: モノノベワークス
初恋の異性と結婚する確率はX%
16/35

待つ人:ニコラスsub 4

 ユニカから逃げた私はシトシトという雨音で目を覚ましました。


 あの時は一体どれ程眠っていたのでしょう。


 暇をもらったのが昼なので夕方頃だったのか。それとも夜なのか。雨雲のせいで星が見えないのでわかりません。ただ、お腹が空いて居たので夕方は過ぎているだろうと判断しました。


 私を誰かが探しに来ることもなかったようです。恐らくユニカが皆を誤魔化したのでしょう。だとしたら明日の朝まで人は探しに来ないかもしれない。もし、母屋に戻ったらあの女が待ち受けているかもしれない。いや、もしかしたら母屋の手伝いの者達も結託しているかもしれない。


 私の脳裏にぐうたらしている母屋の女たちの姿が浮かびました。カシワラ様も母屋の手伝いの者達に容易に言いくるめられる様が想像がつきます。


 ピスは家族に逆らったら生きていけないって言ってたのはこういうことなのか…。家族に逆らえば皆一丸となって責め立てて裏切らないようにしているんだ。


 私の胃が痛くなります。私が音を上げて母屋に戻れば手伝いの者達に捕まっていいようにされてしまう。かといってこのままだと私は逃亡者の烙印らくいんを押されてしまうかもしれない。


 もう、どうしたらいいのかわからない…。


 途方に暮れた私はその場に寝転ぶと目を閉じて再び眠りにつきました。


 異様な喉の渇きに目が覚めた私は上体を起こして木のウロから手を差し出して雨水を手桶にためて口元に近づけました。水を飲んだ後にその手を見ると茂みをかき分けて来た時のすり傷が腕や指についていました。


 母さんがこれを見たら、悲しむだろう。


 そう思うと涙が出てきました。


 もしかしたら、自分はこのまま朽ち果てるのかもしれない。それで私が死んだら母の治療費は払われなくなる。だから死ぬことは許されない。もう、いっそ…。


 いっそ、相手の言う通りにしようかという思いが頭をよぎります。


 別に減るモノではない…。じっとしていれば…。我慢していれば…。


 しかし、ソレを想像した時の不愉快な気持ちに我慢が出来ずに身体を縮ませます。


「ムリだ…ゴホッ」


 自分の喉から出た声がガサガサなのに驚きました。私は再び寝転ぶと「汚れるより、このまま朽ち果てた方が美しいかもしれない」と思い目を瞑りました。


 むしろ、寝ている間に終わってくれれば楽にいける。


 そう思いながら眠りにつきました。


「マッスグダヨ! マッスグ! マッスグもわからないの!?」


 金切声の様な声に目が覚めると茂みを巨体の影がナタで切り倒すところが目に入りました。目を凝らそうとしてもぼやけててよく見えませんでした。


「はー。キミは何百年経っても要領が悪いんだから」


 巨体の影から道化のらしき声が聞こえました。巨体はすまなそうに頭をかくと髪の隙間から顔が見えました。その巨体は黒髪で白肌のエルフでした。その巨体はかなり大きく見えましたが、その顔は丸くしもぶくれていて、まるで大人の身体に赤ちゃんの顔が乗っているようでした。その巨体が猫背で屈みながら不安そうにしているのが余計にアンバランスさを助長して不気味でした。その巨体に道化らしき影が小さい杖の様なものを背中に当てて字を書くようになぞっていました。


「あそこの子供を抱えろ。”抱えろ”。ああ、じれったいなぁ。状況を見てわからないのかな?」


 そう言うと道化は巨体の前に立って何かをすくって抱える様なジェスチャーをします。


「抱えるの! 抱えるんだよ!? アハハ! ナンダコレ。違うよ! 私の動きを真似するんじゃないんだよ! ちょっと、どうなってんの!」


 巨体は道化の動きを真似するだけで、その指示を理解していないようでした。この頃になると私の目のぼやけも治って、見えるようになってきました。


「面白いけどさ! 今そういう場合じゃないんだヨ! あのコ死んじゃうよ? 死んだら洒落にならんでしょ? 笑えないよ? 聞いてます? 聞いてないか。キミ耳が聞こえないもんね。アハハ」


 道化は私が気絶していると思っているだろうにお道化ていた。一体誰がソレを見るんだろう? 森か? オウムアレアか? …或いは誰も見ていないのにお道化ているからこそ滑稽なのかもしれない。


「なぞる方が駄目なら突くほうなら覚えているか? ほれ、トントンツー」


 巨体は道化に突かれて僕の方に動き出す。


「お、覚えていた。うーんていうか新しく覚えても古い記憶忘れてるダケ? これじゃあ狼の方がまだ賢いヨ」

 

 私は巨体から逃れようと身体を動かそうとするが身体はピクリと反応するだけです。


「あ、動いた。生きてる! 生きてるぞ! 奇跡ダァ!」


 道化がおどけて大げさに声を上げる。巨体は私の両足を掴むとウロから引きずり出されました。私は巨体に足を掴まれ頭が逆さになった状態で吊るされる形になりました。


「うーん…。これじゃあ頭に血が上るけど。まあいっか。はい、戻りましょー」


 巨体は私を逆さづりに吊りにしながら歩き始めました。私の頭上で道化は言いました。


「ニコラスさん。マフディー様の花、ニルフェルが貴方をお家に招きました。ニルフェル様はオヤサシイのでカワイソーな子を放っておけないんですよ。だから家では増長せず憐れまれるままに憐れまれてくださいネ」


 道化は私に嫌味ったらしくそう言いました。私は頭に登ってくる血のせいでどんどん気分が悪くなり考えることが出来ませんでした。暫く頭痛に耐えていると、巨体が止まって両足が離され地面に落下しました。地面は濡れた芝生で青臭さが鼻につきました。逆流した血行が正常に戻るのを感じながらそのままジッとしていました。


「ニルフェル、子供を連れ来ましたよ。このミミナシを使って道化が運んで来たんですよ」


 道化がそう言うと、女性の声が聞こえました。


「ありがとう道化さん。サイもありがとうねぇ」


 たおやかな声がのんびりとその辺りに響いていました。その声がたった今私に気づいたかのようにおののいた声をあげました。


「ああ! マフディー様! 見て。何て可哀想な子供! どうかこの子に我らの糧をお分けください!」


 ニルフェルという女の悲痛そうな声に昨日の麗人の声が答えます。


「別に構わないよ」


「ありがとうございます。よかったわね。さあ、ご飯にしましょう」


「ハイハイー。ご飯にシマショ」


 道化がそう言うと私は巨体に抱えられて席につかされました。私は体の自由が利かなかったのでままごとの人形のようにぐったりとしたまま席によりかかっていました。体は動きませんでしたが、状況を理解しようと目を泳がせました。


 そこは外のテラス席の様な場所で丸い木のテーブルが四方に置かれていて、その上に大きなカサのようなものが雨をしのでいました。席には手前と両隣りにそれぞれ人が座っていました。


 手前の席にたっぷりの黒髪と白い肌のエルフがニコニコと私を見ていました。その唇には赤い口紅が塗ってありました。そのエルフはきらびやかな髪飾りと耳飾りをつけて、身体には見たことのことのない材質の衣服を着ていました。その胸元は開かれ谷間が下品に露わになっていました。その胸元には首飾りの宝石が怪しげに光っていました。気のせいか、その女は母屋の女性よりもふっくらとしてて血色も良く、目はランランと輝いて生気に満ちた力強さのようなものがありました。


 その左隣の席には先日の黒衣の麗人が座って何かを飲んでいました。その飲み物のカップは繊細な陶器のようで、花の衣装が塗られていました。その席にはどれもエルフの集落にはないような高級なものばかりが揃えられていました。


 この人たちは何者だろう?


 男の顔を観察しようとしますが、髪に隠れた眼帯のせいでその表情はうかがえませんでした。見ていると左隣の人が私に向き直る気配を感じました。


「おい、これを飲め」


 私がその声の方に目を向けるとそこには昨日の裸をさらした女、ランが座っていました。


「あ…あ…」


 咄嗟に私は逃げようとしますが身体が動きません。ランは私の様子に鼻を鳴らすと頬を握って口を開かせると匙の液体を流し込みました。


「そんな目で私を見るな。私はお前たちの仲介者だ」


 私の口の中に液体が流し込まれると身体がそれをもとめるかのように喜びます。ランという女は私を世話しながら話を続けます。


「エルフというのは子作りに頓着がない。いざという時にどうしていいかわからなかったり、欲望のぶつけ方を間違えてケガをさせることもあるぐらいだ。だからそうならないように教えるのが私達”花”だ」


 そう言うと私の頬から手を離して頭に着いた汚れを手でつまんで地面に放りました。


「だから昨日の様なことは不本意だったんだよ。事情をよく知らなかったとは言え、尊厳を傷つける様なまぐわいに加担するべきではなかった」


 そう言うとランは両ひざに手をつけて椅子に座ったまま頭を下げた。


「知らぬこととはいえ、怖がらせてすまなかった。謝罪する」


 私は驚きました。プライドの高い大人のエルフが子供に頭を下げるのは滅多になかったからです。


「じゃあ、仲直りのご飯にしましょう」


 ニルフェルという女が手を叩くと私の背後から中肉中背の女エルフが現れました。女は車輪のついた台を押して机に近づきました。その大きい陶器の平皿の上には茶色い塊のようなものが湯気をたてていました。女は銀色のナイフのようなものを採り出すと肉を切り分けました。


 肉を切り分けている女をよく見ているとニルフェルと同じで見たことのない布を使った服を着ていて、身体付きもガッシリしているように感じました。


「ゾマ、私にはモモを頂戴。ね、私のゾマ」


 ニルフェルはゾマに子供の様にねだると、ゾマはニコリと笑って茶色何かを皿にのせてニルフェルの前に起きました。ニルフェルは「ありがとう」と大げさに喜ぶと頬に顔をよせて唇をつけました。その時にゾマと呼ばれた女の顔に青黒い痣があるのが見えました。ゾマは眉をひそめながらもニヤリと笑っていました。その顔は口はニヤリと卑屈な笑いを浮かべつつ悲しんでいるかのように眉をひそめた泣き笑いの表情を浮かべていました。この時初めて私は自分の状況を理解しました。


 道化の小人に耳の聞こえない巨人、顔に痣のある女に、ケガを負った麗人。この食卓は普通じゃない…。


 そしてその食卓の中で身勝手に振る舞っている謎の女。何だか凄く常軌を逸した風景に恐怖を感じずにはいられませんでした。私の席に茶色い物体が置かれるとランがそれを手でむしって自分の口にほうばると咀嚼をしてから手の上にそれを吐き出して近づいてきました。


「一応、硬いままだと危ないかもしれん。食え」


 異常な食卓で出された見たこともない食物を食べたいとは思えませんでした。


「それ、お肉。美味しいよ? ほら、マフディー様にも食べさせてあげる」


 私は肉と聞いて口を閉じて首を振りました。母から肉を食べると病気になると言い聞かされていたからです。


「大丈夫だ。肉を食べても病気にならない」


 ニルフェルがマフディーの口元にフォークを差し出しながら言いました。


「それがもし本当なら私達とっくに病気になってるからねぇ。むしろ肉を食べると凄く力がわいてくるんだよぉ」


 それでも私が口を閉じていると、ランは険しい表情で肉を口に含むと私の頬を掴んで口を開けさせました。そしてランは私の口に自分の口を覆い被せると舌で食べ物を強引に食べ物を送り込んできました。気味の悪いドロドロが口の中に吐き出そうとしても合わさったランの口と舌がそれを許さず飲み込むまで口を離そうとしません。私はあまりの息苦しさに喉の奥に流し込むしかありませんでした。


「うわー。エロ…」


 ニルフェルは顔を手で覆いながら指の隙間から私達を見てそう呟きました。『えろ』の言葉はわかりませんでしたが、見世物にされているようでとても不本意でした。


「お前は年少なんだから、年長の言うことは聞かないとダメだろ」


 先ほどの謝罪と打って変わってランは私に言い聞かせるように言いました。


「飲まず食わずの奴に固形物食わせると死んでしまうことがあるんだ。わかったか?」


 だったらそうと先に言ってくれればいいのに。


 そう目で訴えるとランは肩をすくめた。


「年少は年長の言うことを聞く。聞かん坊は打たれる。多少の不条理でも規範の為なら成立する。お前は箱入りの坊ちゃんだからそんなこともわからんのだ」


「そうだ。年少が年長の言うことを聞くべきだ。それが家族だ」


 黒衣の男は肉を口に運びながら言う。ランはニルフィルと顔を合わせるとお互い頷いた。


「ああ、でもこの子ボロボロすぎて可哀そう。ねえ、マフディー様。どうかこの子の帰郷の付き添いをしてください。お願いします」


「そんなことが何になる? 家政に借りを作ったならそれに従うべきだ」


「しかしこの子はスカイの娘です。スカイは貴方の戦友じゃあないですか」


 マフディーはランの言葉を聞いて食器を皿にガチャリと音をさせて置いた。そして私を見ると言った。


「いいだろう。アイツには世話になったからな。だが、その身だしなみは我慢ならん。ゾマ、それを洗っておけ」


 私は自分で洗うという意志を伝えようとしましたが、その頭をランの手で抑えつけられました。見ると、マフディーが私を真っ直ぐ見て威嚇をしていました。


 多少の不条理は我慢しろということなのか…。


 仕方ないので私は我慢することにしました。


「今日はもう遅いので泊って行きなさい」


 そう言うとマフディーは立って建物の中に入って行きました。今になって気づいたのですが、その建物は木で組まれた豪華な造りで下のフロアの上にもう一つフロアが乗っている様でした。集落でこのような建物を見たことはありませんでした。


 マフディーが家に入った後、ニルフィルとランが顔を突き合わせて話あっていました。


「やけに肩入れするのねラン。どうして?」


「家政の下した決断だからだ。それにピスに頼まれたというのもある」


「え? もともと貴方はピスの家族に頼まれたのでしょう?」


「最初はな。だけど色々イザコザがあって確認したらピスの嘆願を家政は了承しているからな。そのピスの嘆願には『ニコラスを無事に帰郷させる』という意図があると私は解釈した」


「ええ…そんなこと解釈していいの?」


「いいんだ。花は家族とは別の所にある。家族の依頼で仲介をすることはあるが男女の仲は個人的な契約関係だからな。家族の意志より個人間の意思を尊重する組織なんだ」


「じゃあ、婚約の資金を勝手に使われた家族は誰が対応すべきなの?」


「家政だな。今回の件は奴らが勝手に金銭の貸し借りと取り立てをしたのが間違いだ。全ては家政の下にある」


「なんだか訳がわからなくなってきたわ。結局どういうことなの?」


「今回の件は家政にお伺いをたてるべきだった。それだけだ」


 私はランの見解に舌を巻きました。その内容は理解できませんでしたが、なんとなく理路整然としている気がしたからです。


 何故こんなに頭の良い人が、あんな真似をしているのだろう?


 そんなことを考えているとゾマが車輪の付いた台を持って再び現れました。


「坊ちゃん。ゾマが元気にして差し上げますからね」


 そう言うとゾマは「フヒヒッ」と笑って台の上から木の漏斗を取り出しました。そして私の顔を上向けると口の中に漏斗を差し込みました。そして木の器を持って漏斗を通して中身を口の中に流し込んでいきます。


「トンガラシエキスに…カフェイン…。苦茶に…元気いっぱい虫ペーストぉ…」


「おい…おい…」


 私の中に流し込まれた液体が喉と胃に火をつけたように熱くなっていきました。そしてそのエネルギーは身体を駆け巡って居ても立ってもいられなくなりました。


「熱い熱い…あっついーーーー!」


 私は椅子から飛び上がるとどうしようもない身体の熱さを逃がすように走り回りました。


「立った! ニコラスが立った!」


 私は道化の爆笑が近くに聞こえたり遠くに聞こえたりするほど走り回っていました。


「し、静かにしてください。坊ちゃん。こっちです。コッチ」


 ゾマは私に狼を追いやるように木の枝で突いてどこかに誘導しようとしていました。私は辛子のせいか喉の咳が止まらず、目と鼻から液体を垂れ流し続けていました。


「はい、そのまま。そのまま」


 ゾマの声が聞こえた次の瞬間、頭から水をかけられ続けました。


「坊ちゃん。こすって。こすって」


 私はゾマに言われるがままに服の布を使って身体をこすりました。粗方汚れが落ちたのか水は止まりましたが、それでも私の目の痛みと咳は止まりません。


「坊ちゃん。こっち、こっち」


 目が良く見えないのでゾマの棒に軌道修正されながらどこかへと歩き続けます。向かった先にたき火が焚いてあるらしく、赤い炎がぼやけた目に見えます。たき火の方からは道化の声が聞こえます。


「坊ちゃん清潔になりましたね。でもそんな濡れネズミをお家に上げるわけにはいきませんからね。今日はここのたき火で身体を乾かしながら寝ましょう」


 何となく気配からランとニルフィルとゾマは屋敷に戻った様でした。私もぼやけた目の視力が大分戻ってきました。私は目をパチパチさせたりこすったりして視力が完全に戻るまで座っていました。ぼやけた視界でも道化とサイが近くに居るのはわかりました。


「坊ちゃん。明日までに目は治りますよ。もう今日は目を開けていてもしょうがないから眠っちゃいないさヨ」


 今までのおどける感じと違って道化は言い聞かせるよう静かに語りかけてきました。しかし私はあまり眠る気がありませんでした。この近くに居る二人を警戒しているのもありましたが、それよりおねしょをしてしまうことが気がかりでした。


 …。


 暫くの沈黙の後、道化はため息をついて言いました。


「あのね、坊ちゃん。あなたの命を助けたのは道化なんですよ? まあ、それを命じたのはニルフィルだけどネ。やろうと思えば貴方を助けに行って首を絞めて『既にこと切れてました』って言うことだって出来たんだヨ?」


 別に私は道化をそこまで警戒していたけわけではありませんが、これで納得して目を瞑るのはあまりに間抜けな気がしました。


「わっかりましたぁ。では道化の秘密を話しましょう。どうせここにいるサイには聞こえませんからね。つまり道化が何故、此処に居るかってことなんですけどね。道化が本音を言うって相当ですからね? 秘密ですよ?」


 そう言うと道化は聞くなんて一言も言ってないのに話を始めました。

 

「私の生まれは母屋の手伝いの家でした。まあ見ての通り、私は生まれつき身体が小さく、大人になってもこんな調子で力仕事なんてできませんでした。それでも親はまだ私を見限りませんでした。だけどね、結局親は私を捨てました」


 そういうと道化は引きつった様にヒヒヒッと笑いました。


「ああ、これです。コレ。わたくしはねぇ、笑えないこととか笑っちゃいけない場面でつい笑ってしまう癖があるんです」


 そういうと道化はヤレヤレといった様子で肩をすくめる。


「私は親に捨てられたことを結構気にしているんですが、気に病むほど笑えてくる。親も私が人の葬式とか沈痛な場面で笑うものだから不気味でしょうがない。言っても叩いても聞かないから、とうとう愛想がつきてしまったのでしょう。私は家から追い出され、花の人達に拾われたんです」


 そして道化はヒヒヒッとまた引きつけの様に笑うと言いました。


「それで花の女達は私が悪さをしないようにって。私のアソコを切っちまったんですよ」


 ケケケケ。道化は身体を揺するように笑いました。てっきり話のオチが失笑だと思ってた私は自分の下半身のアソコを切られる様を想像して肝が冷えました。そしてそんなことをぶちまけさせてしまった自分が申し訳ない様に思えました。


「どうです? 私の秘密を知れて安心したでしょう? わかったらおやすみなさい」


 ぼやけた目で見ると、寝っ転がった道化と、座りながら眠っているサイの姿を見ていると、なんだか真剣でいることが馬鹿らしく思えてきました。奇妙な小人と耳が聞こえない巨人。そこにおねしょをする少年である自分を加えると悩むのがバカバカしく思えてきました。


「…眠るのが怖いんです」


 話を始めると道化は私に先を促すように手を向けました。


「夜寝るとおねしょしてしまう気がして…そういう時はいつもピスが布団を洗ってくれました」


 私の脳裏にいつも何も言わず優しくしてくれたピスの記憶が思い浮かびます。それを考えるだけで涙がとめどなく溢れてきます。


「なのに私はピスを拒絶して追い詰めてしまった。あの顔を思い出すととても眠る気になれません…」


「まあ、彼女のことはよく知りませんが、若いエルフというものは善良な人が多いものです。ピスは貴方が悲しむようなことを望むような人なのですか?」


 私は道化に言われて、そもそもピスは対価なんて求めていなかったことを思い出しました。


「しかし彼女は…」


「いいですかい? 坊ちゃん。あなたはお母様の愛で器が満たされているのデス。あなたの器から溢れる愛は他人を満たすぐらいに。だからピスの家族は貴方の愛をむさぼろうと騙したんデスよ」


むさぼる?」


「持たざる者は持つ者を欲するものです。逆にピスは貴方と居て満たされるものがあったから自分の資産を投げうったのだと思います。迷い子を元の場所に返したい。それだけのことです。でもそれを当たり前と思わない貧しい心の持ち主も居るのデスよ」


 道化の言葉は私はピスとの別れを思い出しました。ピスは最後に「家族と別れては生きていかれない」と言っていました。もし本当にピスが家族を拒絶していたらその様な言葉が生まれるとは思えません。


 ユニカが求めていたのは損失の補填だった。その損失とはピスの結婚の資金。ピスの結婚という未来だった。それを補填しようとしている家族をピスは否定できなかったのかもしれない。


「…僕はピスのご家族に満足して欲しいです。今思えばピスの家族はピスの結婚という未来の損失をなんとかしようとしただけに思えます。だから明日僕は帰郷してピスの資産を取り返せるだけの何かを得れば許されるのではないでしょうか?」


「まあ、そういう意見もあります。しかしそう考えられるニコラスの坊ちゃんはやはり育ちが良いと言えると思いますよ」


 私の意志は決まりました。しかし母の一族がピスの結婚資金に相当する資産を持っているのかわかりませんでした。でも、それを見つけることが状況を打開する策だと僕のカンが囁いていました。


 とにかく、今は寝て明日に備えた方が良いでしょう。なので…。


「あの…寝る前にトイレに連れて行ってくれませんか?」


「行っておきましょう。…一応寝たら、途中でまた起こしますネ。おねしょされたらたまりませんので」


「…すみません」


 その後私は道化に川まで連れて行ってもらいトイレをして、滝井の近くで眠りにつきました。


 翌日の早朝、私は道化の世話もあっておねしょをしないで無事に起きれました。起きた私は家の前で、緑シャツの青の半ズボンに皮のサンダルを履いて待っていました。茂みで作った傷はまだ痛みますが、自分で作ったようなものなので文句言えません。建物からマフディーが出てくると私に眼もくれずそのまま砕石で舗装された道を進んで行くのでその後を追いました。


 屋敷からの道は母屋と里に繋がっていましたが、その道中では誰ともすれ違わないまま、山道へと合流しました。


 数キロ程、山道を歩いていると、マフディーの外套がやけにヒラヒラとするなと不思議に思い、よく見てみると右手の先がないことに気づきました。しかし「その傷はどうしたのか?」と安易に聞ける雰囲気ではありませんでした。


 黙々と階段を下って行く途中、焦げ臭さが鼻につきました。気づけば私達が歩いている道の脇から白い煙がもくもくと漂ってきました。


 ・・・もしかして、火事?


 私がそう判断する前にマフディーは山道から茂みに飛び越えると煙の方へと走り去って行きました。私は茂みを飛び越えられないので切れ目を見つけて身体をねじ込みました。立ち込める煙の中を進むとマフディーの後ろ姿が見えたので近づきました。近づくとマフディーは外套を翻して何かを追い払っている様でした。


「来るな小僧!」


 マフディーの声がするやいなや、私の耳もとにブブブというモスキート音が響きました。よく見るとマフディーの周りにたかる蜂の影が見えました。マフディーの足元には大きな木のウロが転がっていて煙はその中から出ていました。何故マフディーはその場を離れないのだろうと不思議に思っていると、彼はマントで顔を隠して地面に手を伸ばしました。その手の先をよく見ると子供のエルフが倒れていました。


 もしかして誰か蜂に刺されて倒れている!?


 そう思った次の瞬間、倒れた子供がいきなり動いてマフディーの腕に四肢を絡めました。バランスを崩したマフディーは子供に倒れ込んで動かなくなりました。私はどうしたらいいのか決めかねているとその倒れた子供が小さい声で言いました。


「このままじっとしてて二人共。下手に暴れると蜂が怒るからさ。暫くすれば蜂は煙でいぶされる。ニコラスも伏せて」


 その声を聞いて倒れた相手が誰だかわかりました。なんとそれは私の幼馴染のルリコだったのです。


 朝っぱらから一体こんなところで何をしているのか…やっぱりこの人は尋常じゃない。


 でも今まで彼女はその尋常のなさで色々なことを成し遂げてきた実績があります。なので私は彼女の言う通りその場に寝転がりました。


「あ、眼帯のお兄さんもじっとしていてください」


 よく見るとマフディーはルリコに抱きしめられている様に見えました。しかしマフディーは全く身動きが取れない様に羽交い絞めにされているようです。


「貴様…この屈辱…後で必ず…」


「…そういうこと言うと、気絶させますよ?」


  不穏な会話している二人に私ははらばいになりながら近づきました。


「これからハチミツ取るんですから大人しくしててください」


 そう言うと、ルリコは木のウロを見て「そろそろ良いかな」と言うと腹ばいで中に入って行きました。


「止めろ! 刺されるぞ!」とマフディーは声を上げますが、ルリコは聞く耳をもちません。


 一体あの人は何をやっているのだろう…。


 そう思って見ていると、木のウロから蜂の巣を持ったルリコの手が差し出されます。


「ごめん、ニコラス。ちょっと手を貸して」


 突然そんなことを言われて私は絶句しますが、ルリコの手に小さい虫刺されのようなものが出来ているのを見て起き上がって蜂の巣を受け取ります。とっくにルリコは蜂に刺されていることはわかっているだろうに蜂の巣を採ることを諦めるつもりはないようです。


 何でこの人は…。あらゆるものを鑑みようとしないのか…。手の美しさや毒で命を喪うことが怖くないのだろうか…?


 その考えが浮かんだ瞬間、私の手に痛みがはしりました。自分の手を見ると蜂に刺さていました。


 …ていうか…よくよく考えると私もルリコの手を見てつい手を貸してしまいました。考えるより体が前に動いていました。


 私は自分の状況を考えてみました。犠牲というのは想像すると恐ろし気ですが、いざ渦中になるとそこまで恐ろしくない。というより、私が犠牲になるよりルリコが犠牲になるのが嫌だった動いてしまったという方が正しいのかも…。ていうか何故僕はこんなにも楽しくてワクワクしているのだろう?


 ルリコが三つ目の蜂の巣を差し出します。既に自分の手の二つのハチの巣をどうするか考えていました。


「おい」


 後ろから声をかけられたので振り向くとマフディーが屈んで手を差し出していました。私はマフディーの目に「どうして?」と訴えかけると、彼は声を潜めて言いました。


「子供二人を危険にあっているのに、自分だけ地面に伏せていられるか。貸せ!」


 そう言うとマフディーはハチミツを受け取って上等なマントに包んで抱えました。マントはハチミツでべたべたになってしまいましたが、そんなことを言ってる場合ではないといった様子でした。暫くしてウロからルリコが松明を持って足から出てきました。ルリコがウロから出る時、服が捲れてふとももが露わになっていたので「みっともないから隠してください」と言いました。


「はいはい、じゃあとっととオサラバしますか」そうルリコが言うが早いか私達はその場から撤退しました。私もウロの中に火の気がないのを確認してその場を後にしました。


 その場から十分に離れた私達はハチミツと煙と茂みの草木でドロドロの状態でした。さっきまで静かにしていたマフディーも限界に達したようで声を荒げました。


「貴様、一体どういうつもりだ!? こんな朝っぱらから一体何をしていた!?」


 ルリコはマフディーに頭を下げて言った。


「すみません、蜂を頼りに蜂の巣をいぶしてハチミツを採っていたんですよ」


 そう悪びれる様子もなく答えました。


「あのなぁ。たかがハチミツのせいで女子おなごが危険なことをするな!」


「何を言ってるんですか女子じょしだからこそ甘味に命をかけるんですよ」


「ルリコ、その場合の命をかけるとは比喩のようなもので実際に命をかけるのは違うと思います」


「いやぁ。だからこっそりやってんですけどねぇ。まあ、とにかく終わりよければ全てよしでいいじゃないですか」


 そう言うと、彼女はマフディーさんの外套のハチミツを指ですくって舐めました。


「…どうやらお前には躾が必要なようだな」


 ルリコはマフディーさんの凄んだ雰囲気にも気後れせず。再び近づくと外套からハチミツをすくってマフディーさんの口に突っ込みました。


「まあまあ、これで口止めされてください」


 それをされてマフディーさんは顔を赤らめると外套に口をつけて必死に拭いました。


「この知れ者が! みさおを大事にしろ!」


 マフディーがルリコの様子にドギマギするのを見て何だか嫌な予感がしました。時々ルリコは自分が女だとわかってないような隙だらけの振る舞いをして若い男のエルフの心を乱しがちだからです。


「ねえ、ニコラス。蜂にさされた部分はハチミツを塗るといいんだけどさ。ちょっと背中の部分塗ってくれない?」


 そう言って背中をはだけようとする彼女の手を抑えて言いました。


「ルリコ。もうちょっと淑女しゅくじょにふさわしいふるまいをしてください」


 マフディー様も「破廉恥はれんちすぎる…」ため息をつきました。


 私はマフディー様を横目で見ると、ルリコをじっと見ていました。


 そういう目で見るなマフディー…。


 私達の言葉にルリコは肩をすくめて言いました。


「あのねぇ。アタシまだ百歳だよ? 人間換算だと十歳ぐらいだよ? 何があるっての?」


 そうは言いますが、ルリコは普通のエルフより少し発育が良く、既に女性的特徴があらわれ始めていました。


「何で人間換算する必要があるんですか。兎に角、つつしみを覚えてください。そうでないと困ります」


「別に誰にだってそうするわけじゃないよ。ニコラスはそういうのないじゃん。そういうのって変に意識するから変な感じになるだけだから」


 …なんとなく引っ掛かる感じもしますが、ルリコに信頼されていると前向きに考えることにしました。私はマフディーの外套からハチミツをとって彼女の背中に塗りました。彼女の肌をなぞった時に感じた柔らかい肌の感触と共に、触ることを許されたという優越感が湧きたちました。


 母屋の女とは違う、彼女の様な稀少きしょうで有能なエルフを世話を焼くことは光栄なことだ。僕はルリコに信頼されている。とても嬉しいことだ。


 それと同時に私は自分のバカげた考えに吐き気を覚えました。


 一体どこから来たんだろう…この感情や考えは。あまりに唾棄だきすべき感情だ。これは女の人達への冒涜だ。


 そう思って必死にそれらの感情を抑えました。


「たとえそうでも、人の目を気にしてください」


「相変わらずニコラスは心配性だね。まあ、でもその慎重な性格なら大樹の里でも上手いことやってそのうち帰ってくると思ってたけど…」


 私はルリコが言うほど上手いことやって帰ってきたわけではないのですが、それを言うと話が長くなりそうなので突っ込まないでおきました。


「だからこのハチミツもニコラスがスカイさんのお見舞いに行く時の為にとっておこう思ったんだ。ハチミツは薬にもなるって聞いたしね。ニコラスが帰ってきたらスカイさんに一番に会いに行きたいって言うと思ったしね。にしても一か月は結構かかったね」


「私はそんな個人的な理由で仕事を放棄しません。それをするならもっと大義ある理由からです」


「それって暗に個人的にはお母さんに会いたいって認めてない?」


「子供が母親に会いたいと思うのは当然のことです。それはともかく実は大樹の集落で少し問題があって…もしよかったらルリコにも相談にのって欲しいのです」


「少し問題ねぇ…」


「とりあえず行きましょう、事情は道すがら話します」


 私達は山道に戻るとルリコに今までの状況をかいつまんで話しました。


「養育費を返却することと、一族から外出する際の借りをどう返すか悩んでいまして…」


 私の話をルリコは山道を折りながら背中越しに聞いていました。マフディー様はルリコに言っても無駄と思ったのか何も言わなくなりました。


「それって借金ってこと? いや、ウチのところは貨幣がないから物納か」


「彼らの行動範囲の森は資源が潤沢でそれらをいつでも手に入る資産だと考えていると思います」


「えーと何か欲しいモノは…」


「子供だそうです」


「あーそういう…」


 そして彼女は何か思いついたように宙を見て言いました。


「別に結婚せずに子供だけ欲しいって言うならそれでもいいんじゃない?」


 私はルリコの言葉にショックを受けました。


「そんな無責任な…」


「でも結婚してないなら責任は生じないし先方もそれで納得しているんじゃないの?」


 私はルリコの物言いに閉口するしかありませんでした。


 でも、倫理とかを無視すればそれが一番なのかもしれない…。いや、だから何故倫理を無視しなければならいのか…?


 ルリコの意見に盲目的に従うのは良くありません。彼女は突飛な意見が多いですが結果は良識に従う傾向が多い気がします。恐らく彼女は大胆な発想をした後にそれを現実的な策に落とし込んでいくやり方なのでしょう。


「責任はあるぞ」


 私達の後ろで聞いていたマフディーが口を挟んできました。


「え、そうなんですか?」


「ああ。普通に子供の親なら相続権が生じる。ただ、その相続の権利が主張されないから無いように見えるだけだ。もし先方の家族が困窮したり、家政の意志が介入して議会に訴えられたらニコラスには責任が生じるだろう」


「あー議席の三分の一は大樹ですもんね。かと言って欲しいものがあるわけじゃないんだよね?」


 私の脳裏にぐうたらしている母屋の女たちが思い出されます。彼女の装飾品を見ると人間と取引がありそうでした。しかし彼女達は人間の文明に学ぼうという気質は芽生えなかったようです。


「大樹の者たちは母屋の人達はなるべく消耗しないように日頃じっとして芸術や音楽への探求良くは旺盛ですが、物質的な欲は薄いように思います」


「困ったな。流石に無欲な人達を満足させる方法なんて思いつかないよ」


 そう言うとルリコは私を見て言いました。


「やっぱ子供かなぁ…」


「まあ、大樹の一族が相続で揉めることはそうそうないだろうからな…」


「二人共やめてくださいよ…」


 それから私とルリコは交換した意見を検討しながら移動していました。私は自分が子供を持つという可能性について考えていました。


 私が子供を持つというのはあり得ないでしょう。というかそのことについてルリコがあまり気にしてないのがひっかかる。自分はまだ子供と言っておきながら、仮定では子供という前提が消えているような言動がひっかかります。


 私がモヤモヤした気持ちを抱えたまま、集落にたどり着きました。


「あの、よかったら私の家に寄りませんか? その恰好じゃあアレですし、お世話になったお礼もしたいですし」


 集落の入口でルリコは私達にそう提案しました。確かにせっかく用意してもらった服が汚れだらけなのは事実です。


「では世話になろうか。お前の親の顔も見ておきたいからな」


 マフディーはルリコに皮肉めいた言動をしますが、彼女は気にしてないようでした。


 久々にルリコの家に来ましたが、変わったところはありませんでした。日干し煉瓦で組まれた家とその家のタープ下に並べられた椅子とテーブルはそのままでした。


「相変わらず集落の連中は穴倉みたい家に暮らしているのだな」


 マフディーは家を見てため息をついてそう言います。


「あ、二人共その服洗濯するんで脱いでください」


「ここで脱げと?」


 ルリコは庭先からタライを転がして用意しながら言いました。


「見られるのが嫌ならあっちの茂みで着替えてくださいよ」


 マフディーはその場で外套だけ脱いで、庭先に放りました。私も服を脱いで隣に置きました。


「あ、ニコラス洗濯終わるまでそれを羽織っててよ」


 そう言ってルリコが指さした先にあったのが机のテーブルクロスでした。何か言おうかと思いましたが、多分替えの服がないんだろうと思ってそれを羽織りました。


「悪いねちょっと待ってて」


 そう言うとマフディーの外套からハチの巣を取り上げると壺に流し込みました。


「手伝いますから、ルリコは洗濯をしていてください」


 私はマフディーの外套からを大きなカメにハチの巣を移すと手で外套に垂れたハチミツを壺に入れました。


「わかった」


 そう言うとルリコは家先にあった雨水をためる水瓶から水を取り出し、桶に水をはって外套と私の服を入れるとカマドの灰を入れてヘチマのスポンジで洗い始めました。その様を見てマフディーは呆れたように言いました。


「相変わらず洗濯というのはみっともなくていかんな。しかしまさかお前は親族が一人もいないのか?」


 ルリコは作業に没頭しながら言いました。


「いえ、母が居ます。多分そこらへんにると思うんですけど…あ…」


 ルリコの声を聞いて私達がその目線を辿ると、森の木々の影の中に浮き上がるような白い顔と手足を持ったエルフが立っていました。私はライラ様を見るたびに何を考えているのかわからない異様さに不安な気持ちを想起させられてしまうのです。


「ライラ…様。まさかこれが貴方の娘なのか?」


 ライラ様は私達に音もなく近づいて来ると柔和な笑みを浮かべました。


「お久しぶりですマフディー。元気そうでとても嬉しいです」


「そうなのでしょうか? 相変わらず傷は痛みますし、夜も眠れません」


「以前より表情は穏やかですし、顔色も良く見えます。肉体は健康そのものですよ。むしろちょっと太りましたか?」


「…どういう意味ですか?」


「家に閉じこもってばかりではいけません。いっそこちらに来て働けば夜もぐっすり眠れるでしょう」


「…貴方は相変わらずだな。どうしてそう迂遠うえんなおせっかいしか焼けないのか…」


 ライラ様はマフディーにニコリと笑いました。


「その深慮をどうして娘の教育に生かせない?」


 ライラ様は頬に手を当てて困った様に言いました。


「娘がご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません。しかし私はあの娘を奔放ほんぽうに育てる方がよいと確信しています」


「そうですか」


「娘がお世話になったようで。ありがとうございます。どうかお礼をさせてください」


「いや、いい…。貴方と話すと疲れる…」


 そう言うと、マフディーは家先の椅子に座って頭を抱えていました。


「あらまあ、ゆっくりしていってください」


 そう言ってライラ様はマフディーの肩をもむ様に椅子の後ろにつくと、次は私に眼を向けました。


「ニコラス、久しぶりね」


 ライラ様に意識を向けられるとドギマギしてしまう。


 何だろう? 怒られる? それとも…褒められる? わからない。


「ごめんさないさいね。スカイのことで力になれなくて…」


「いえ…」


 ライラ様にそう言われてがっかりした時に私の内心に『どうして母を助けてくれないんだろう』という責める気持ちがあったことに気づきました。


 私すら気付いてない気持ちに気づいているのに。何故この人は何もしないんだろう…?


 私達への挨拶が終わった頃に洗濯物を干し終えたルリコが近づいてきました。


「出来たよ。どうしたの皆、意気消沈しちゃって」


 ライラ様はルリコの近くに寄ると言いました。


「ルリコ。貴方、ニコラスとスカイのお見舞いに行って来なさい」


「あ、ハイ」


「そしたら戻ってきて、外出を禁じます。家で瞑想しなさい」


「え…何時までですか」


「何故そうしなければならないのか。わかるまでです」


「でも…ニコラスが…」


 ルリコがライラ様に何かを言おうとして押し黙ります。


「えーと…お母さん。怒ってる?」


「かつて戦争でマフディーは私の身柄を救ってくれた英雄です。彼の言葉をみくびることは許されません」


「でも…「省みなさい」」


「これまでの二人の言葉を反すうして理解しなさい。それがヒントです。わかりましたか?」


「わ、わかりました」


 そう言うと、ライラ様はルリコを抱きしめて言いました。


「貴方がわかるまで、私も一緒に瞑想します。待っているからいってらっしゃい」

 

「は、はい。行って来ます」


 ハチミツの壺を持って私はルリコに近づきます。ルリコはぼんやりした様子で後ろの方を見ていました。後ろを振り向くとマフディー様とライラ様が一緒に居て言いました。


「驚いたよ。貴方は母親としてはまっとうなんだな」


「お見苦しいところをお見せしました」


「ああ、確かに気まずかったよ。凄く」


「娘をお願いいたします」


「承知した」


 なんだか二人には言葉にできないキズナの様なものがある気がしました。マフディーが私達と合流すると、一緒に母のいる長屋に向かいました。私達はライラ様の見送りを背にルリコの家から離れました。その時にルリコがボソリと「母さんが怒ったところ久々に見た…」呟いたのを聞きました。


「あの」


 長屋に向かう道中、ルリコはマフディーを呼び止めて言いました。


「さっきは失礼なことを言ってすみませんでした。母は私が貴方の忠告を軽視したから怒ったんだと思います」


 そう言って、ルリコは頭を下げました。マフディーはそれを見て頬を掻きながら言いました。


「そうだな。だが俺もだ」


 そう言うと、マフディーはルリコの肩に手を当てて、顔を上げさせました。


「俺もお前を見くびっていた。たかが子供だと甘く見ていた。そういうことだ」


「もしなんかあったらご指導、御鞭撻ごべんたつお願いします」


「…いや、いいだろう」


 そう言うとマフディーはニヤリと笑いました。私とルリコは顔を見合わせます。


「アイツは少し困ってるぐらいの方が、長生きできる気がする」


 そう言われてルリコは笑って言いました。


「ですよね。私もそう思います」


 そう言うとルリコはマフディーの横に並んでライラ様の話をし始めます。その横顔は悪戯小僧のようでありながら、引きつった笑顔に哀愁を感じました。


 マフディー様が偏屈な感じがするのはやっぱりあんなところに住んでるからなのかもしれない。でもそうなると道化たちはどうなってしまうのだろう…。


 もし、マフディー様があの場所を捨てるとなったらどうなってしまうのか少し不安でした。


 長屋についた私達はマフディーを残して部屋に入りました。私は長屋の一室で母に会いました。母はピスの祖母の様にシワシワになっていました。


「どうして…」


 母はまだ八百歳ぐらいのはずなのにとても老いてやつれているように見えました。母は部屋のベッドに寝かされていて清潔な状態に見えました。


「ニコラスはスカイさんのこと知らなかったんだ。ニコラスが大樹に行ってから見舞いに来た時には既にこうなってたよ。知らないなら教えてあげればよかったよ」


「これはどういうことなんですか?」


 私は同室の病気のエルフに聞きましたが、皆一様に首を横にふるばかりでした。


「私達にもわからないんだが…時々エルフの中には失意の感情に囚われるとこのようにやつれて老化する者が居るんだ」


「どうしてそんな…」


「恐らくだが、我々を生んだ大いなる母の呪いなのかもしれん…。大いなる母は我々を美しくあれと産んで愛した。だがら、それが損なわれると資格を喪ったものとして美しさを奪うのかもしれんなぁ…」


 同室の老エルフはそう言いますが、私には理解ができません。


 呪い? 資格? なんだそれは? そんなものがあるはずがない。…これは病気ではないのか?


 私はルリコに顔を向けて意見を求めました。ルリコは髪をかきむしりながら言いました。


「う~ん。あまりの恐怖に白髪になるみたいな話は聞いたことあるけど…。あとは病気で急激に老いる人みたいな人も聞いたことあるけどね」


 いや、そんな話は聞いたことがないです。後ろの皆さんも怯えているんですが本当にそんなことあるんですか? そもそもそんな頭をかきむしる癖は一向に止む気配がないのも気になりますが…。


「そんな話は聞いたことがありませんが本当にあるのでしょうか?」


「ある」


 私とルリコの背後でしわがれた声したので振り向いたら、母さんが目を開けていました。


「私の母が病気で父さんを亡くした時、同じようなことになったのをこの目で見たことがある」


「母さん、眼が覚めたのですか?」


 母さんは私を見ると頷いて言った。


「エルフというのは精神の持ちようが重要なのだと思う。私の母が父の死に絶望した時の様に」


「母さんは一体何に絶望しているのですか?」


「ニコラス。私は絶望していない。ただ、お前の重荷になるなんて耐えられないだけだ」


 私は母さんの言いたいことを察しました。


「私が母さんの治療費を払っているのは自分の意志です。決して重荷になんて感じないでください」


「ずっと走り続けた人生だった…。どこまでも走り抜けて、追い抜いて。後ろの奴が助けを求めても振り返りもしなかった。それが強さだと思ったから。だが、もう疲れた…。走れなくなったら奴は脱落する。そう考えて生きて来たのだから、そう終るべきだ。それで全てがつじつまがあう。そうしなければ、追い抜いて見捨てて来た奴らに申し訳が立たない…」


「嘘だな」


 母さんが言い終わると、外からマフディーが現れて笑いました。


「殊勝なフリをして本当は無様な自分に耐えられないだけだろう。高すぎるプライドが死を選ばせるんだろう?」


 母さんはマフディー様を見ると驚いた顔を見せました。


「お前…。子供に付き添って来たのか? もう平気なのか?」


「お陰様でな。お前はどうなんだ?」


「…私はもう充分生きた。もう心残りはないよ」


「ほう? そうなのか? 以前お前はニコラスの子を抱きたいと言っていたじゃないか」


「そりゃあ…そうだが…。私は病気でそう長くない」


「そうでもない。多分一年もすれば叶うかもしれないぞ?」


「それは…どういう意味だ…?」


「お前の子供はモテモテでなぁ。借金の方に子種をよこせと迫られているんだ。丁度女に襲われた時に俺が通りかかったのが縁でな…」


 なんてことを言うのだろう…。


 そう思ってマフディーを見上げていると突然母の方から「ピキッ」という音が聞こえました。音の方を向くと母がベッドから上体を起こして髪の毛を逆立てて顔を真っ赤にして怒鳴りました。


「スバイダあぁーーーーーーー!」


 突然、母はベッドに両手を打ち付けると片方の手をマフディーに差し出しました。


「剣を寄越せ…! マフディー!」


 母はマフディーのズボンをベッドから掴むと剣の鞘に手を伸ばして叫びました。


「よくも…! 許さん!」


「うるさい。わめくな。傷に障る」


 母はマフディーに払いのけられると壁にぶつかりました。それでも母は腹ばいになってベッドから身を投げようとしていました。


「母さん落ち着いて下さい。マフディーさんに助けられたんで何もされていません!」


「そんなの…! 私のプライドが…!」


 母は私に一瞬、獣の様な目を向けました。でも私を見ると理性の光が戻って抱きしめました。


「いや。それでいい…それだけでいいんだ。お前が無事ならそれでいい…。ありがとうマフディー。恩にきる」


「母さん。大丈夫ですから。僕は大丈夫です」


「そうだな…。で、誰にやられたんだ?」


「いや、だからそれは…」


「ハハハ。大丈夫だ母さんは冷静だ。殺したりしないって約束するよ。で、誰にやられた? 早く言いなさい」


 やっぱりだめかもしれない。


「流石ですね、マフディーさん。スカイさん元気になったじゃないですか」


 母さんはルリコに顔を向けると言いました。


「ルリコ…お前ならわかるだろう? この気持ち。ムカつくだろう? 許せないだろう? 子供を守りたいって気持ちはおかしいか? 本能がそうさせるんだよ」


「まあ…その気持ちはわかりますよ。ちょっとばかし私もムカついてますし」


「じゃあ…!」


「でもこれから母さんに、反省期間を申し付けられているんで…手伝えませんよ」

 

「ああ! どうしてお前らはそう意地悪なんだ? 年寄りをイジメて楽しいのか!?」


 ルリコは母の剣幕に物怖じせず淡々と言いました。


「やるなら自分でやって下さい。そうやって生きて来たんでしょ?」


 そう言うと、ハチミツの壺を私達の前に差し出しました。


「…」


 母は私を見ると視線を落として俯いてしまいました。未だに母は生きることを迷っている様でした。


「母さん。私は母さんの…尊厳を軽視したあの人たちを許しません。提案です。私が母さんをおぶっていきます。一緒に大樹に行って抗議しましょう」


「そうだよな…。そうだ。そうだとも。やっぱりお前は私の子だ。私のことをよく理解している」


「だからこれを食べて元気になって下さい」


 そう言ってハチミツの匙を差し出すと母は涙を流しながらハチミツを舐めました。


「わかった…わかった…」


 後ろで見ていた老エルフ達がワッと声をあげて感涙していました。


「ありがとうな坊主! この人がいるとうるさくて敵わなかったんだ…よかったなぁスカイさん」


「衰退と再生…なんて美しいんだろ…」


「さっきからうるさくて眠れない…ぐす…なんでぇ騒ぐの…? 静かにしてぇ…」


「皆さん、ありがとうございます。お騒がしてすみません。お詫びにこれをどうぞ」


 私は部屋の皆さんにハチミツを配ります。ハチミツを舐めた部屋の人たちは甘味に驚いている様です。しかしそのせいか残りのハチミツが少なくなってしまいました。


「すみません、ルリコ。貴方がとったハチミツなのに…」


「ああ、別にいいよ。むしろこんなに人気ならヨウホウでも始めようかな」


「ヨウホウ?」


「うん。蜂に意図的に木箱に巣を作らせる方法ね。そうすれば自然にハチミツを採れるのに」


「…? 木箱というのは人が作ったものですか? 蜂は搾取されるとわかっているんでしょうか?」


「うーんというより、巣にいる女王の下に帰ろうとする帰巣本能のようなものなんじゃない? 家と定めた場所がそうなんだから仕方ないみたいな…」


「…ルリコは本能というのを定義できているんですか?」


「本能はわからないけど…。まあ、箱に閉じられた巣に”生かされている”ってことじゃない? 私達も子供を作る時、森の中でどう育児するかっていう要素に左右されるわけだし」


 ルリコの話を聞いて私の頭の中で何かが閃きそうになりました。


 箱の中に生かされている蜂。女王バチ。蜂たちは女王の為に蜜を集める。一見蜂たちは外界に生かされている様で、女王は蜂たちに生かされている。これは森に生かされている大樹とまるで同じだ…だったら…。蜂が欲しいモノ…ありきたりじゃダメで、珍しいモノってなんだろう?


 巣だ。蜂たちは巣に規定されている。もっと大きい巣を…いや、違う。大きくしたらそれだけ大きくなるだけだ。だったらむしろ…小さいを巣を渡せばいい。巣を小さくすれば。耐えられなくなった蜂たちは外に出て…。


「因みに外に出た蜂たちはどうなるんです?」


「新しい巣で女王になってコミュニティを創り始めるね」


 私の中で全てがつながったような気がしました。


「どうすれば借りを返せるか分かった気がします」

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