待つ人:ニコラスsub 1
目の前に大きな大木が生えている。集落の森の木々は細く高い木が一般的で、その下に色々な大きさの木々が生えているのが普通です。しかし私の目の前の木は太さが岩の様に太く、周りの木を押しのけて空高くそびえています。大樹の一族はこの木を祖先の魂が宿る木として崇めています。はるか上の木の枝には小さい木の実がなりますが登って採るようなことは許されません。熟してそれが地面に落ちてくるまでひたすら待つそうです。
私が大樹の周りを見渡すと周囲には芝の様な薄い草木ばかりで木は全く生えていません。恐らくこの大樹が周囲の木が育つ為の生気のようなものを奪っているのでしょう。大樹の幹は色々な木が織り込まれて一つの木になったように見えるのがその証左でしょう。
「久々に来ましたが、ここの景色は全く変わりませんね」
子供の頃の自分の記憶の中の風景とここはあまり変わってない気がします。私は自分の記憶を頼りに森の中に入って目印の木を探します。奉公していた時に私が隠れていた木のウロで約束をした女性に会えるかもしれません。記憶を頼りに探し歩いていると、あの時の情景が頭に浮かびます。ここに居た頃、揉め事があって木のウロの中に入って隠れていました。今でもあの時の事を思い出すと気持ちがざわつきます。
あの時は雨が振っていて滴る雨音が追手の足音なんじゃないかとひたすら怯えていましたっけ。
そんなことを考えていると、私は記憶の中と同じ木を見つけました。私の背丈の三倍ほどの大きさの樹の根本に洞窟の様な大きなウロがぽっかりと開いていて、大人一人程度なら過ごせそうな大きさです。地面はフカフカの腐葉土がむき出しになっていて居心地も悪くありません。
ここも変わってないな。
そう思ってい見ていると、ウロの奥の方に不自然な木片が置かれているのを見つけました。近づいて見てみると木片は長宝形に加工された品で、筆で文字が書き記されていました。
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幾星夜。
覚めし恋夢。
愛ぞ知る。
ニコラスへ
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これは最近、誰かが私に残した物なのでしょう。木片が乾いていて新しいからです。その誰かとはピスでしょう。ピス以外に私にこのような情緒ある文を送る人を私は知らない。
いえ、一人だけ知っていました。わが友ルリコです。ただ、彼女は教養があるのは事実ですが、このような迂遠なことはしないように思います。何より彼女は愛を知るのに幾星夜もかかるような人ではありません。なのでやはりこれはピスが書き残したものでしょう。
手紙が回収されたかどうかをピスが見に来るかもしれない。少し待ってみましょう。
私はその場に座って、ピスが手紙の様子を見に来ないか待つことにしました。再び彼女にあってお礼だけでも言いたい。
待とう。
待つのは得意です。昔はずっとこうやって待ちながらいろいろな妄想や思い出に意識を飛ばしていましたっけ。
ーーあれは私がこの大樹の一族に奉公人として仕えることが決まった日のことでした
その頃、母が病気になり、私を育てて行けるかわからないとなり実家の本家を頼ったことがことの発端でした。かつて母は人間との戦争で武勲を立てて好き勝手振舞える立場を手に入れました。本家の都合など構わず母は父と結婚し私を産みました。本家は戦争を経験した狩人達を束ねている母達を恐れて分家という立場で縛ろうとしていたようです。その後、父が死に、母が病気で倒れてから、狩人集団は解体され各々が孤立化することで武力は削がれました。解体が円滑に進んだのは父亡き母が病気で死んだ後の私の世話を本家に頼んだからです。母は私を本家に世話してもらう代わりに組織を解体するという取引したのです。その取引の結果、私は奉公人という形に落ち着いたようです。母と仲間の狩人は揉めましたが、私という子供可愛さに解散を余儀なくされました。
当時百歳だった私は本家に挨拶をしに母屋に出向きました。その当時の家政はミレイ様の祖母であるズバイダ様でした。ズバイダ様はエルフと人間の戦争で武器や食料を供給することで一代で家を大きくした知恵者で、議会より力があると噂されていました。
ズバイダ様は戦争の功績を理由に大きな木の平屋建てに女だけで住んでいました。平屋の中はスダレのような布を垂らしてお互いの住める区間を仕切ってそこに家族が住むという形をとっていました。
大樹の一族の母屋に着いて中を案内してくれた人がピスでした。最初にピスに会った時はずる賢しそうな印象を持ちました。ピスは色白金髪の一般的なエルフの容貌でしたが、目が吊り上がってて細目で何を考えているかわからない感じがズルそうという印象に繋がったようです。
「ピスと申します。中で家政がお待ちです」
その時ピスと交わした言葉はそれだけでした。
私はピスと共に母屋の中に入りました。母屋の奥に進むには仕切りの間の道を女の目にさらされながら進むしかありません。私が母屋の中を進んでいると、せせら笑うような女の笑い声と、視線がやけに怖かったのを覚えています。その母屋の中に充満するむせ返る女臭さがやけにまとわりつくように感じました。
女たちは来る者を存分に観察できるが、私達男は姿すら見ることができない。後からカイワレ様から聞いたのですが、これは女たちが番を見つけ、男たちが女を品定め出来ないようにする仕掛けらしいです。
母屋の奥の更に奥にズバイダ様の家族が住む間がありました。その部屋は先ほどのかしましい女の園とは違って、薄暗く静まり返った大きい部屋でしたが、垂れ幕の向こうに人の気配の様なものを感じました。恐らくズバイダの直系の家族たちが垂れ幕の向こうに居たんだと思います。私はズバイダの居るであろう簾の前に座らされましたが、家政の顔や姿は仕切りで隠されてて見ることはできませんでした。
「スカイの息子、ニコラスをお連れしました」
ピスは部屋の入口の横に立つと仕切りの向こうにそう告げて頭を下げました。
「ご苦労」
静かな部屋の中で凛々しい女の声が響きました。その時気付いたのですが、声が下の方からしたのでズバイダは床に寝っ転がっているのではと思いました。
もしかしたら家政も病気なのかもしれない。
「ああ、可哀想、可哀想」
静まり返った空間に突然ふざけた様な声が響いて驚きました。その声はリズムをとりながらも雰囲気をわざと壊すかのように言葉を連ねていきました。その声の方を横目で見ると、顔に白粉をつけてふざけた化粧をした子供が部屋の中をおどけた動きで右往左往していました。
「ニコラスの坊ちゃんのおっかさん、病気で寝込んでかわいそう。坊ちゃんおっかさんを守るため、一人で大樹の貴人の下にやって来た。世間知らずの貴人の下にやって来た。坊ちゃん一体これからどうなるか? ちょっと私が見ておこか」
その白粉をつけた子供をよく見ると、子供というにはやけに顔が大人びていました。子供の背丈の者に大人の顔をくっつけた様に見えて不気味でした。
後からルリコに聞いたのですが、その人は子供の姿のまま、大人にならない病気の人かもしれないと言われました。私の知り合いにネムという小柄の女性がいますが彼女でも百四十五センチ以上あったと思います。そのネムよりはるかに小さかったです。
当時、私はそんなことはしらなかったので昔話に聞くホビットなのでは? と思いましたが耳はエルフの長耳でした。
くつくつくつ
という笑いをこらえるズバイダらしき女の声が聞こえる。
「家族愛を笑いにするものではないぞ道化め。齢百にして母を守ろうとは立派な心持じゃないか。私の子等にも見習ってほしいモノだ」
家政の言葉に道化はわざとらしい笑いを上げた。
「アッハッハッハ。家政様はお道化るのがお上手でいらっしゃる。ご家族皆様、暦を数えるのを忘れたことなどないというのに。迎えはまだか、明日か明後日か」
私はこの二人のやりとりが非常に不愉快だったので、それを断ち切りたい一心で頭を下げて言った。
「スカイの息子、ニコラスと申します。精一杯皆様に仕えます」
私の言葉に場は静まり返る。私の言葉にズバイダは事なげもなく言った。
「スカイはお前の養育を我らに託した。私達の家では若い男は母屋の貴人に奉公として仕える。スカイの功績を考えるならそれが妥当だと思う。お前の奉公の賃金は養育費に充てられる」
私は頭を下げて言った。
「恐れながらスバイダ様。お願いがございます」
「母親の治療費か?」
「はい。母は私に勉強せよと申しつけました。しかしこのままでは産んでくれた母にその恩を返せずに終わってしまいます。どうか私に母への恩返しをさせる機会をいただきたく。どうか母の治療費を何卒」
「それは出来ない。養育か治療かどちらか一つだ」
「わかりました。では私の奉公の対価を母の為に使ってください」
おおーん! という滑稽な叫びが間に響き渡る。先ほどの道化が騒ぎ立てる。
「ヒドイ! ヒドイ! こんなでっかいお屋敷に住んでいて! どうして弱った母を助けられない! 意地悪! 無慈悲!」
またクツクツクツと笑う声が響くとズバイダは言った。
「どうしてかはお前もここに住んでいればわかる。私達は森に生かされているということをな」
ズバイダは一呼吸置くと、言った。
「お前の母は生かそう。同時にお前の養育もしてやろう。私の家に無能な穀潰しの席はない。だから、お前は私達に養育の対価。養育費を返済しなければならない。成人するまでに返済のアテができないなら我が家に生涯、滅私奉公してもらう」
「承知しました」
それから私とピスは母屋から離れた日干しレンガの同じ屋根の下に住むことになりました。今思えば誰かが、ピスと私が番になるようにそう差配したのかもしれません。しかし私は周囲にまだ子供として見られていたからピスと一緒に住むことを許されていたと考える方が自然です。それは当時私がまだ子供の年齢だったということもありますが、当時の私はおねしょの癖が治っていないと母が密かに知らせていたからでしょう。
「早く起きて、洗濯しましょう」
おねしょをした朝はピスから布団からたたき起こされ、眠気まなこをこすりながら濡らした布団を洗濯して干しに行きます。
洗濯すると言っても、私には洗濯のやり方はわかりません。母屋の洗濯場に行って私はピスに洗濯をしてもらう間、ずっと待機していました。待機している間、私は申し訳なさ半分、どうしようもないと開き直っていた部分がありました。何せ漏らす方としては起きていきなりそうなっているのでわけがわかりません。私は誰かが夜に来て布団を濡らしたのではと疑ってこともあります。布団を洗濯している間は洗濯場に誰も来ませんでした。恐らく私がおねしょをするという噂が立たない様に人の出入りを禁止していたのかもしれません。
そんな毎日が淡々と続き、私達にはなんの変化も起きませんでした。ピスもおねしょをするような男を一人前とは見れなかったのでしょうし、私もピスにお漏らしを世話してもらって申し訳ないと思っていましたし。そんなこともあって私達に恋愛の様な情は育まれず、しっかり者の姉と不出来な弟みたいな関係に落ち着きました。
布団を洗って干すと決まってピスは私に「労ってください」と言うのがお決まりでした。労うというのは労働の対価なのですが、私の財産を渡すわけにはいきませんでした。財産と言っても幼馴染の友人たちがくれた三つの守りしか持っていませんでしたが。ルリコはエルフの長耳の用にとがっていてうねっている貝、アキンボは黒曜石のナイフ、フランは謎の黒い小粒の塊。フランはおやつに食べてと言っていたので黒い小粒は食べ物なのでしょう。黒い塊はともかく、私達にとって貝は貴重品なので労働の対価としては貴重すぎて釣り合いません。その上、友の餞別です。簡単に渡すわけにはいきません。だから私はピスに対価としてルリコに教えてもらった「オズの魔法使い」というお話をしました。
オズの魔法使いは竜巻で連れてこられた少女ドロシーがココロのないブリキの木こり、臆病なライオン、脳なしのカカシと共に元の世界に帰る為にオズの魔法使いに会いに行くという話です。ルリコはドロシーが三人の仲間と会って魔法使いに会って叶えて欲しい願いを聞いてもらう為に旅立つまでしか知らないらしく、ピスもその後の展開をとても知りたがっていました。
私たちはルリコにこの物語を聞かされてからオズの魔法使いごっこをするようになりました。最初にルリコが頭のないカカシがアキンボに似ていると言って、フランが私をココロのないブリキと言って、アキンボがフランを臆病なライオンに似ていると言いました。そして消去法でルリコがドロシーとなったわけですが、この配役はかなり的を得ているような気もしました。最も私はココロがないブリキなどに似ていると言われるのは心外でしたが。しかしルリコがどこか遠いところから来たドロシーという見立てはかなり核心をつきすぎている様に思いました。
ルリコは学科は中の上ぐらいでしたが、それ以上に地頭がよく子供とは思えない配慮や機転をきかせています。なのに彼女はある考えに取りつかれるとその思慮深さをかなぐり捨てて”こう”と思ったことに突き進んでいってしまいます。彼女がそうなると周りの大人や私たちは木枯らしに吹かれた落ち葉の様に振り回されるしかありません。そして結局、彼女はそれを実現してしまう。時にはこの集落になかった物や概念を生み出してしまう。私たちは彼女のその何かに憑かれた様な没頭と、周囲を巻き込んでコトを成し遂げる力に憧れのような感情を抱いていました。しかしそんな彼女がドロシーという配役なのはかなり不安でした。ドロシーが望むのは「家に帰る」ことだったからです。私たちは心のどこかでいつも彼女がどこかへ行ってしまうのではと不安に感じていました。何故なら彼女はここにはない何かを見つけた時に没頭を始めるからです。それは彼女の力がここにはない外界にいずれ注がれると確信できるものでした。それは同時に彼女にとって私たちは没頭にすら値しない陳腐な存在であることの証左に思えてしまい、ただただ、自分の無力が口惜しいと思っていました。
ピスに話を聞かせて以来、おねしょをする度に食べ物や花を持って行くとその度に喜んだり、恥ずかしそうにしたりしました。私は彼女の反応を見てもしや…と思い試しに良い臭いのする木片を持って行きました。いきなり木片を持ってこられたら一体どんな反応をするのか見てみたかったのです。すると彼女は木片と私の顔を見比べたまま無表情にぎこちなく頭を下げました。
私はピスに良い臭いのする木はその臭いを楽しむために置いておいたり、燃やして臭いを楽しむ香木というものがあると言うと喜んで持って帰りました。その時に私はピスが私の行動と顔色をうかがって反応をする人なんだなと確信しました。
此処に来て生活が板についた頃、いよいよ奉公の仕事をすることになりました。
仕事の日は朝起きて支度をしたら、カシワラ様の住処に向かいます。当時のカシワラ様はまだ婚姻していませんでした。貴人のカシワラ様は奉公の私に偉ぶったりせず弟の様に可愛がってくれました。奉公というのは貴人の小間使いとしてお側に控えるのが仕事です。その仕事というのが貴人がするに足らないこと、重い物を持ったり、運んだり。とにかく手間のかかることを代行します。
大樹ではカシワラ様の様な独身や既婚の男性は母屋に住むことは許されません。そのような男たちは大樹の一族が住んでいた竪穴の洞穴を拠点に活動し、採取や雑用をしています。採取と雑用が終わった男達は母屋の家族の下にそれを運びますが、夜には母屋から出てここに戻って眠ります。この男の住む洞穴は色々規定があって、例えば母屋より高い位置にあってはいけないとか、たてる煙が母屋に向いてはいけないなどがあります。
母屋の女性達は仕切られていた座敷の中でそれぞれ一族の女と子供が一緒に住んでいます。家族が住んでいる空間の中も更に背丈の低い仕切りで区切られています。私は奉公の中で色々な座敷に通されてわかったのですが、毎日仕切りの中で女性達はゴロゴロしているだけでした。彼女たちは起きて眠るまで働きもせずぐうたらして男たちの収穫を待っているのです。穀潰しはいらないという家政の言葉とは大分違う気がしてカシワラ様に聞いてみると、彼女たちは母屋の中で音楽や歌を奏でるのが仕事なのだと苦笑いしました。
当時のカシワラ様は有力株ではありましたが、ミレイ様と婚約はまだだったようです。私はそういう色恋の話を洞窟の中の男たちの会話で嫌でも聞かされることになります。ですが、私が最も嫌だったのは艶話でした。あの女が美しいとか、あの女の部位がそそるとかそんなしょうもない話です。私はこの不躾な男たちにピスが悪く言われるのが嫌でしたが、ピスは彼らの眼中にないらしく一度も話題に上がることはありませんでした。艶話ならまだ我慢できますが、酒の入った男たちの艶話が猥談に差し掛かると私は決まって席を立ちました。洞窟から出た私は外でルリコの貝を耳を当てて気持ちを落ち着けていました。その音を聞きながら酒におぼれて女をはかったり、愚痴を言ったり、言葉で辱めたり。そんな男にはなりたくないとずっと祈っていました。
しかし男たちは私のその潔癖な態度が面白く感じたのか悪い遊びに誘いました。私も奉公する身なのであれも嫌これも嫌とは言えません。ある時は夜這いをする男たちの片棒を担いで女を呼び出す役をやったり。逆に密告して女たちに男の動向を教えるスパイのまがいのことをやったりしました。誰に使われるか、何の為にするのかという点の不満はありましたが、実は私はこれはごっこ遊びみたいで嫌いではありませんでした。自分の思い描いた作戦通りに事が進むとむしろ自分の有能さの裏付けの様に思えて誇らしかったものです。…おねしょの件さえなければ…。
しかし国はいつか滅びる、知恵者はいつか仕損じるというべきでしょうか。とうとうその時が私にも訪れました。その日は男たちはことさら盛り上がっていました。男たちの中の一人の結婚が決められたからです。そしてそれを祝う男たちは口々に言いました「独身最後の日だからバカやろうぜ!」音たちの狂騒は頂点に達して「いつも偉そうな女たちの裸を見てやろう! 水浴びを覗こう!」という話になってしまいました。私はこのことを女たちに知らせようと思ったのですが「ニコラスは告げ口するから連れていけ!」と釘を刺されてしまいました。
「でも、皆さん。覗きなんてバレたら下手したらムチ打ちですよ?」
女たちは男達が女にしそうな悪さのほとんどは重罪と定めていました。例えば男が女をムリヤリにまぐわいした時は陰茎の切断。男が女子供を誘拐した場合は追放…等です。むち打ちは追放より重く、下手したら命を失いかねないモノです。
「そうだな、それにニコラスは置いて行った方がよくないか? こいつは機転が利くから途中で逃げて女共の為に走るかもしれんぞ。むしろここに縛って置いた方がよくないか?」
カイワラ様は私を庇う為なのかそんなことを言いました。しかし酔っぱらった若いエルフは立って結婚する予定のエルフを指さして言いました。
「いや、大丈夫だ。結婚前のこいつをむち打ちなんてして下手に死なれたらそれこそコトだ。…それにニコラスだ。家政は子供には甘い。ニコラスが居ればむしろ軽いむち打ちで済む。子供をムチで打ったらそれこそ耐えらんからな! だから連れて行く! いつも奴隷みたいに働かされているんだ! これぐらいの役得がないとやってられねーよ!」
お酒が入ってるとはいえ、気高いエルフがこんなことを言うのは情けない限りでした。しかし、周囲の男たちもヒートアップしてもはや止めることはできそうにありませんでした。
男たちは結婚式の前日なので女たちの水浴びが遅くなるという情報を持ってきました。夜の闇に乗じれば顔を見られない可能性が高いというわけです。
「誰かひとり見張りの女を呼び出せ。あの女はお前に気がありそうだからお前が適任だ」
「えー…」
お酒が入っているから計画が手落ちになればいいと思っていましたが、何故かこの男たちは自分たちの欲望を果たすことになると、とてつもない冴えを見せることがあります。あるいは前々から考えていたことなのかもしれません。
「よし、いつ女たちが水浴びを始めるとわからない。今から行って茂みに潜んで待つぞ…」
そういうことになって、私たちは一緒に洞窟から出て茂みに潜みながら、母屋のある山の中腹まで進みました。松明はなくても天に光る星環の光が夜を照らしてくれます。むしろ明るすぎるぐらいなので顔にはたき火の炭を塗って顔が割れない様にしていました。首謀者のエルフは私が途中逃げない様に一緒に覗きに連れていかれました。
川の流れる音と臭いがして近いとわかると、私たちは茂みの中で腹ばいになって進みました。暫くして女の人たちのひそひそ声が聞こえました。首謀者は私の腰帯を掴むと声の方へと引きずるように誘導しました。
どれだけの時がたったかわかりませんが、茂みの切れ目から光が溢れているのが見えてそちらを一心不乱に目指しました。私たちが茂みの切れ目につくと、途端に女の人た使っている香が鼻をつきました。私はいよいよマズイと思って、目を細めて何も見えない様にして周りの様子を見まわしました。周りには私達以外の男たちが川に到達できたかわかりませんでした。
「おい、ちゃんと見ろ」
そう言うと、首謀者が私の首根っこを摑まえて、持ち上げて水場の方に顔を向けさせました。驚いた私は首謀者の顔を覗き込むと男は私を笑って見ていました。
「ズルいよなぁ。お前ばっかし」
首謀者はニヤニヤと笑って言いました。
「お前、俺のこと馬鹿にしてるだろ? いっつも俺は違うみたいに気取りやがって…」
首謀者は私ばかりを見ていました。
「俺が、俺たちが進んでこうなったと思ってるのか? 舐めてんだろ? お前?」
そう言うと、首謀者は私の顔を乱暴に掴んで川の方に向けました。
「お前は俺が嫌いだろ? だからお前も俺と同じにしてやるよ」
そう言うと私のまぶたを指で強引に開かせて言いました。
「見ろ。見ないとお前の目を潰す」
私は訳がわかりませんでした。この首謀者の男とはそんなに話したこともないし、名前も知りません。なのに何故、彼はこんなにも私を恨んでいるのか…。私が迷っていると、男の指が目にぐりぐりと食い込んでいくのが感じました。私はこの男が本気かもしれないと思いました。その時、「母が私の目が抉られたと知られたら悲しむだろう」と思い咄嗟に言いました。
「見るからやめてください」と言いました。その声は震えていて、我ながら何とも情けなく感じました。
そう言うと、私は声のする方を見ました。正直、この男は何なのか、一体何を見せられるのかと二重に怯えていました。
最初私がそれを認めた時、なんか奇妙な形だなと思ったのを覚えています。それは女性たちが薄い布を着てて水浴びをしている風景でした。その布は水にぬれて女性の身体の形を如実に表していました。一人の女が木に寄りかかってこちらに裸体をさらしながら隣の女性と話していました。その女性のその浮かび上がった膨れた胸や臀部のラインが非自然に感じたのを覚えています。中には臀部の小さい人も居るのですがとにかく男と違うという違和感がすごかったです。
地面には何人か裸のまま座った女性たちが居ましたが、その座ったせいで体が膨張した肉がギチギチとはちきれそうになっているように見えて何だかグロテクスに感じました。一人の女性が泉に頭を向け、おしりを明後日の方に向けて地面に寝そべっているのが見えました。そのお尻が果物を肉の下にうずめているのかと疑うぐらい丸々としていて本当に奇妙な感じがしました。
私はこれらの風景に違和感を感じました。多分私は自分の中のどこかで女性のそれぞれの形が自然界にない形に紐づけられなかったのでしょう。唯一、似ていたのはお尻が果物の形に見えたぐらいですが、そのせいで却って女性のお尻に果物がくっついているという違和感を感じてしまいました。私は男と水浴びしていたせいか、女性の裸体は男と違うという違和感と、何故こんな不条理な形態をとっているのかと首を傾げるしかありませんでした。そしてますます男が私に何を見せたかったのかよくわかりませんでした。
男たちが普段言っていた『そそる』とか『たまらない』という言葉の実際がこの風景のどこにあるのか理解できませんでした。しかし同時に『私のたましいは穢されない』と安堵しました。だけどその後では私は女の裸に何も感じないでいて大丈夫だろうか? とも思いました。何故ならエルフの中には性欲が薄くて女性とまぐわえず子孫を残せない人もいると聞いたことがあるからです。私は母に「孫が見たい」と言われてたのでその願いを叶えたいと思っていたのもあります。
私は女の水浴びを見ながらそんなことを思っていました。
そしてふと気づくと風景の中の女性がこちらを見ているのに気づきました。よく見るとそれはピスでした。私は男に顔を支えられながら、目でピスに合図を送ろうとしました。しかしピスの顔に浮かんでいたのは眉をひそめ、口を開けてへの地に曲げ、上がった目尻に縁どられた軽蔑の眼差しでした。
「覗きだぁ!」
ピスは私を指さしてそう言いました。あの時果たしてピスは私だと気づいた上で覗きと言ったのでしょうか? 私はピスを助けたいと思っていたのですが、彼女は私を味方ではなく、男たちの一味として糾弾しました。いや、したのでしょうか? わかりません。とにかく私は「覗きの男たち」というひっくるめて表現されたことに大変不本意でショックでした。しかし、それ以上にあの役割を演じてきた、私のおねしょを顔色一つ変えず洗ってくれたピスが恐らく初めて見せた感情が軽蔑と恐れだったのがショックでした。ピスのことを思い出そうとするといつもこの顔を思い出して申し訳ない気持ちになります。
「やべぇ見つかった、ずらかるぞ!」
首謀者はそう言うと、私を置いて茂みに隠れるように逃げました。彼は見つかることは予定になかったらしい。だったら彼は私に何を見せるつもりだったんだろう? そして私は何を見てしまったのだろう。そんなことを考えながら私は逃げずに捕まるのを待って居ました。その時私の中にあったのはピスの表情によってバラバラになった自分の気持ちだけでした。
水浴びしていた女性たちにが呼んだ見張りに私は自首してそこから芋づる式に水浴びを覗いた男たちは捕まりました。
それからの沙汰は私は自首した情状を酌量され庭先の木に三日間括り付けられる刑。婚約者は縁談の破談。他の男たちはムチ打ちとなりました。
それ以来洞窟の男たちはニコラスに悪い遊びを教えるからと洞窟への奉公は禁止になりました。刑が終わった後、カイワラ様には謝罪されましたが、首謀者の方には一度も会っていません。