僕はこけ脅し
「おにーちゃん!?」
どのようにして家に辿り着いたのか、リオには記憶がなかった。覚えているのは血の味と激痛だけだ。
立てつけが悪いドアを開けて、いつものように妹が出迎えてくれる。これが細やかな喜びのはずだった。
全身打撲の跡、歩く事すらままならなくなりつつあるリオを見た妹のアルムが何も思わないはずがない。
「おにーちゃん! おにーーーちゃーーん!」
「き、聞こえてるよ……」
床に倒れ込んだリオにまとわりつくアルム。わずか八歳の子どもが即対応できるものではない。
リオは考えた。どうすれば、そんなアルムを安心させられるか。自身の状態など、どうでもいい。アルムにだけは平穏でいてほしい。
両親が残したたった一人の妹であり、自分のような人間を兄と慕ってくれる。リオはそれだけで自身の存在異議があると考えていた。
自分は頼れる兄だ。そう言いたいがためにリオはようやく口を開く。
「だ、大丈夫。訓練が……少しきつかったからさ」
「へぇぇぇ?」
「魔術師だからね」
「ほぉぉぉ?」
まだ起き上がれないリオ。アルムはそんなリオの周囲をまわって観察し続ける。リオはひたすら笑顔を作って見せた。
痛みがなかなか引かない中、一秒でも早く妹を安心させたかったのだ。その甲斐があって、アルムは座り込んでリオの頭を撫でる。
「えらいっ!」
兄であるリオが絶対であると信じているからこそだった。パンと塩スープのみだろうとリオが用意したものであれば、ご馳走が出たかのように歓迎する。
アルムにとってリオは大好きな兄であり、恩人でもあった。亡き両親やリオがしてくれるように、アルムもまた頭を撫でて褒めるのが最適だと思っている。
妹の賞賛に応えたリオは痛みを押して起き上がり、食事の準備を始めた。隙間風が気になる室内、食事はパンと塩スープ。贅沢とは無縁な暮らしだが、二人は工夫して楽しむ。
「この固いパンを塩スープに浸せばご馳走になるんだよ」
「シェフおにーちゃんになれるのでは!?」
実際には味もそっけもない固いパンが少しマシになる程度だ。
塩辛くて美味とは程遠いがひとまず食べられる。飽きたら固いパンをそのまま齧る。このような悲しいローテーションで、二人は一日一食を楽しんでいた。
本来であれば幸せのひとときであるが、リオの頭から模擬戦の件が離れない。あろうことかガーズが妹の接触して、模擬戦を仄めかしてしまった。どうかアルムが本気にしていませんように、と願うリオ。
「おにーちゃん、試合する?」
「……誰から聞いたの?」
「固いパンみたいな顔したおじさん! おにーちゃんの試合、見たいのです!」
「どうしても?」
「どーしてもっ!」
やはりガーズはアルムに模擬戦の件を吹き込んでいた。こんな時だというのにリオは暗澹とした気分になる。
どうにか言い訳して逃げようか。どう口車に乗せようか。考えに考え抜いたものの、やはり行きつく答えは一つしかなかった。
「……わかったよ」
「連れていってもらえる!?」
「うん。そのかわり、大人しくしているんだよ」
「全力で!」
張り切ったアルムがパンを頬張る。おいしくもないだろうに、一生懸命に食べる姿を見てアルムもまた強いと感じた。
幼い妹にこんな思いをさせているのは自分だ。自分がしっかりしなければ。ろくに魔術が使えないから何だ。リオは明日の模擬戦をどうするか考えた。
「お兄ちゃんは外の空気を吸ってくる。もう夜も遅いからちゃんと寝るんだよ」
「うんー!」
リオの言いつけ通り、ぺしゃんこになった布団にアルムが潜り込む。我がまま一つ言わず、よく言う事を聞く。自分にはもったいない妹とさえ、リオは思う。
一瞬で寝ついたアルムの寝顔を確認してから、リオはまた立てつけが悪いドアを開いた。
* * *
「ファイア!」
家の裏手でリオは何度も光と音を放っていた。炎のような何か、燃えるような音。何度やっても結果は同じだ。
学ぶ環境もないリオはすべてを独学でやるしかない。魔術師ギルドで何度か魔術を見た事があるが、自分との違いがわからなかった。
夜の闇に消える偽の炎を見るたびに、リオの中で少しずつ悲観的な感情が渦巻くようになる。確かに魔術師に対する憧れはあったが、叶わないなら叶わないでいい。ギルドの劣悪な魔術師達に失望もした。
しかしリオはそれでも魔術というものに魅せられたのだ。そう、リオは正確には魔術師に憧れたのではない。
「魔術……かっこよくて綺麗で……」
地面に大の字になって倒れるリオが夜空を見つめながら呟く。
片手をかざして今一度、自分というものを見つめ直した。光と音、色、見せかけの魔術。何故、ここまで出来てそこから先がないのか?
ギルドの魔術師達は模擬戦で派手な魔術の撃ち合いをしている。魔術をもって魔物も討伐する。リオの炎では何も燃えない。水で濡れない。
「やっぱり……僕には無理なのかな」
自分に失望するアルムの顔が思い浮かぶようだった。情けない姿を見せれば、もう兄と慕ってくれないかもしれない。
そんな絶望がリオに初めて涙を流させた。アルムが自分の元から離れていき、ギルド長のガーズが大笑い。そんな未来を想像したリオはすぐに涙を腕で拭いて、立ち上がる。
「この! このっ! なんで、なんで本物が出ないんだ!」
偽の炎が夜の闇にまた消える。紅い光と炎の音。これでは虫も殺せない。リオの白い吐息が闇に溶け込む。
――あいつはな。才能がないんだ。炎を出せても燃えない。水を出せても何も流れない。全部、偽物なんだよ
――お前みたいなのがこの魔術師ギルドにいられるのがおかしいんだよ
「僕は偽物……」
自分は何の為に生まれてきたのか。あのような仕打ちを受ける為か。働けど身銭は増えず、このまま一生を終えるのかとリオは力なく膝をついた。
アルムを連れて街を出ようと考えた事もあったが、ここは辺境の地。魔物だらけの中、幼い妹を連れて新天地を目指すのは現実的ではない事くらいリオにもわかっていた。
自分には魔術の才能がない。それなら何ができるか、リオは膝をついたまま考え込む。
――おにーちゃんの試合、見たいのです!
「僕の試合……」
自分に出来るのはせいぜい驚かせるだけだ。驚き、リオは一つだけ思いついた。
「ハハ……どうせこけ脅しなら……」
かっこいい兄の姿が無理ならせめて。リオは思考を巡らせた。ただし魔術の進化ではない。
自分は子どもでこけ脅ししか出来ないのだから、そうするしかないと思っていた。
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