②
イフリートとの死闘は終わり、静まり返った。が、
物音が、それは人の声。救いを求める悲痛な声だった。
民衆は呆然として、瓦礫の前で崩れるように座り込んでいる。
涙を流し、泣き叫ぶ者も居た。
「何? 何を言っているの」
現地の言葉が分からず、悪魔に聞いた。
「瓦礫の下に、人間共が居るそうだ。誰かに、神にでも救ってもらいたいと言っている」
多くの住人が崩壊した建物の下敷きになっていた。
瓦礫の下から子供の泣き声が。助けを求める声が聞こえる。
何人もの住人が生き埋めになっていた。
「イフリートは、この人達の魂を狙っていたのね」
「ああ、死に掛けの人間の魂をな」
「あなたなら、出来るんじゃないの?」
「何故予が、人間のために……」
「お願いだから、彼らを救ってあげて」
救いを求める目でエリカが見詰める。
「……分かったよ。やればいいんだな」
悪魔は渾身の力を両手に集め、目の前の倒壊した瓦礫を持ち上げた。
――うそっ! 動いた。
大きな柱が悪魔の怪力で持ち上がる。
「何をぐずぐずしている、早くしろ! 予とて限界がある」
悪魔の体から煙のようなのもが出てきた。
イフリートとの死闘を終え、すでに体力の限界だった。
民衆は、僅かに浮いた柱の隙間から住人を救い出した。
自ら這い出す者を含め、全ての人を救い出した直後、悪魔は力尽きる。
被災者の命を救ったが、その代償はあまりにも大きかった。
「これで、もう、お前を助けることが出来なくなったな」
悪魔は全ての力を出し切り、人間の姿を維持することが出来なくなった。
瀕死の状態。
体から煙が出てウロコが剥がれるように悪魔の姿が露わになる。
見る見る姿を変え悪魔の姿に代わっていく。
エリカにはどうすることも出来ない。
――レイの正体がばれる。
悪魔を、体全体を使って隠そうとする。が、
その時、
「デビル! 」
と民衆の中から声が上がる。
悪魔の魔力が尽きたのか、もとの、本来の姿に戻りつつあった。
皮膚が青色に、そして頭部に二本の角が生え出した。
「サターン!」「デビルだぁー!」
次々と恐怖の悲鳴が上がる。
神を信じる民衆にとって、最大の敵である悪魔が目の前に現れたのである。
最も恐れていたことが起こった。
追い打ちを掛けるように、逃げ出した武装集団が戻って来た。
イフリートを倒したのも束の間、今度は魔物ではなく人間が、民衆が二人に襲い掛かる。
万事休す――。
エリカは悪魔に寄り添った。
兵士らの攻撃を、体を張って守ろうとした。
「あなただけで逃げてよ。元はといえば私が言い出したことなんだから」
「そうしたいが、それすら出来ない」
悪魔の体からエネルギーが抜けて行くのが分かる。
「馬鹿ね、なんでそこまですんのよ。せっかく絵の中から出られたというのに……あんな力がありながら、自由になれたというのに……私のために全てを失うなんて」
「まあ、死後の世界とやらを見てみたいものだ」
「あいつが、イフリート言ってたじゃない、人間に関わると身を滅ぼすって。本当にそうなっちゃうじゃない。そんなの嫌、絶対に嫌よ!」
「動けるなら、早く逃げろ」
悪魔は言う。
「あなたをおいて行ける訳ないじゃない。今度は私があなたを守ってあげる。私が盾となって、あなたを守って見せるわ。何百もの銃弾も、私の体で受け止めるんだから」
「生きたくはないのか。お前にはまだ人生があるだろう」
「あなただって、私より遥かに長い人生があり、生きたいでしょう。それに野望があるじゃない。こんな所で死んじゃ……」
兵士達の足音が近付いた。
「皆の前で、予の首を絞めろ。今のお前なら、簡単に絞め殺せるはず。そうすれば、お前は助かる。予を倒せば全てが終わるんだ」
「何言ってるのよ! そんなこと出来る訳ないじゃない。レイが死ぬなら、私も一緒に死ぬわ!」
兵士は銃口を向けて構える。
「皮膚の色の違いや容姿の違いだけで悪者扱い。たった今、何人もの尊い命を救ったじゃない」
言葉の通じない日本語でエリカは必死に訴える。
「やめておけ、言っても分かり合えぬ相手だ」
それは、死を覚悟したエリカが、悪魔に伝えたい言葉でもあった。
「そんなの、間違っている。過去の彼は、酷い事を、悪いことをしてきたけれど、絵の中から出て生まれ変わってからは、一度も悪いことなんかしていないじゃない。いいえ、むしろ、多くの人の命を救ったわ。ずぅーっと一緒にいたんだから分かるの。もう、悪魔なんて呼ばせないわ。あなた達の教えでもあじゃない、回心すれば、悔い改めれば、全ての罪は許されるって。どんな酷いことをしても、長い時間を掛けて、償っていけばいいじゃないの!」
「悔い改めれば、許される、か……」
悪魔は呟く。
「例え肌の色が違っていても、容姿がみんなと違っていても、いいじゃない! 悔い改めようとする者を排除するなんて」
そうエリカは叫び、悪魔の体を覆い隠すように涙を流しながらエリカが庇う。
一滴の涙が、尽き掛けた悪魔に僅かな力を与えた。
残ったエネルギーを指先に力を込め、エリカに注ぐ。
これまでか、とエリカは思い、目を閉じ力強く悪魔に抱き締めた。
シーーンとし、何も起こらない。
「……」
不思議に思うエリカに、
「どうやら、助かったみたいだな。その目で見てみろ」
エリカの膝の上、彼女を見上げながら悪魔は言う。
悪魔の言葉に、恐る恐る顔を上げてエリカは開け辺りを見た。
そこに見たものは、平伏した民衆の姿だった。
民衆に襲われるものと死を覚悟したエリカだったが、武装集団も銃を置いて地面に頭を付けている。
「あの者共は、お前が神だと思ったのだろう。全く、悪魔の予が神に救われるとはな」
そう悪魔に言われ、ふと、自身が輝いていることにエリカは気付く。
何故か、エリカの体から神々しい光が放たれ、背中に白い翼が生えていた。
まるで天使。
「……これが、私……」
信心深い彼らの目の前に、信じる神が出現した。
「人伝いに聞かされた話とは違い、実際に自身の信じる神を見たんだ、信じないはずはない」
「……本当に……」
エリカは涙を流した。
「やはり女なんだな、強がってはいるが……」
「当り前でしょう。私はともかく、あなたが死ぬんだから」
エリカの涙は、例えようもなく、まるで宝石のように綺麗に見えた。
「何故、逃げなかった。死んでいたんだぞ」
改まって悪魔が聞くと、
「死んでも構わないと思ったからよ」
平然とエリカは答えた。
「人はよく自殺を考えるが、死んでなんになる。死んでもあの世の世界があり、天国があると考えているようだが、果たしてどうかな」
「無いの?」
「それは予にだって分からぬ。何せ、一度も死んだことがないからな。だが、考えてもみろ。死後の世界が有るか無いか半々。その内、天国が有るか無いかも半々だ。四分の一の確率のために死ねるか」
「でもあの時、死んでいたかもしれないのよ。私のために」
「ああ、あの世とやらが見らなくて残念だったがな…」
「あの時、何が起こったの、私が輝いていたわ。ひょっとして、私にエネルギーを送っていたの?」
「ああ、お前だけでも生き残って欲しかったからな。無我夢中、必死だった」
「あの瀕死の状態で……呆れた」
「お前の涙で、僅かに強くなれた。分った気がする。今までの謎が。長年人間共に負けていたのは、人間に宿る、『底力』なのだと」
エリカの膝の上、悪魔がエリカを見詰める。
「じゃあ、私の涙で、強くなれたってことなのね」
「否定は、しないな」
素直に悪魔は認めた。
廃墟のビルで意識を失っていた二人の日本人が駆け寄って来て、エリカに言った。
「君達は、ユーチューバーだね。運が良かったからいいようなものの、命が無かったんだぞ。全く、お騒がせ者のユーチューバーだ」
「わ、私が、ユーチューバー……」
思いってもいなかった言葉を言われエリカは一瞬固まった。
「視聴回数を伸ばすためとはいえ、命懸けの撮影。あんあ着ぐるみまで持って来て、そこまでして再生回数を稼ぎたいとは、呆れるよ」
天使と悪魔の着ぐるみ。そう思い込んでいる二人。
「私は…」
「まあ、君達の勇気ある行動で救われたんだから」
「彼は大丈夫なのかい。遠目で見ていたが、あれは芝居じゃなく、瀕死の状態だった。動くこともままならないのでは……」
心配そうにもう一人の日本人が聞く。
「レイは平気、ちょっとやそっとじゃ死なないんだから」
彼らの『救われた』との一言で、今までの苦労が報われた気がした。
現地の人には『奇跡』が通用したが日本人には通じなかったようで、ユーチューバーだと信じて疑わなかった。それはそれでエリカには好都合であった。
担架で運ばれる悪魔の手を握り、
「このまま病院に連れていかれても、大丈夫かな? 色々と調べられたら悪魔ってバレるんじゃ」
「今は動くことさえままならぬが、心配はいらぬ。頃合いを見て抜け出す」
「そう。じゃあ、大人しくしていなさいよ」
瀕死の悪魔は担架に担がれ、病院に運ばれた。
しばらくしてエリカは病院に見舞いに行くが、悪魔は病院を逃げ出していた。
悪魔は、言葉通り病院を抜け出していたが、一向にエリカのもとに戻ってこない。
レイ、どこに行ったの? 私はここに居るというのに……。
エリカの目の前から、悪魔は姿を消した。
倒壊した家屋や残骸が瓦礫の山になる中、救急車と医療チームが現場に駆け付け捜索活動に当たった。
公共施設や教会、学校などに一時、被災者は避難。敷地内に設営された、急造で作った野外病院に負傷者が運ばれて治療が行われた。
複数の建物が倒壊。瓦礫が散乱し、重機を使った救助活動が続いている。
この光景を見ていたエリカはジッとしてはいられず、微力ながら手伝いをする。
毛布やテントなどの救援物資の配布、瓦礫の撤去など一緒になって手伝った。
そして、悪魔の帰りを待った。
エリカは悪魔が返って来ると信じて、何日も待った。
数日後、約束通り悪魔は戻って来た。
「もう、今までどこに行っていたのよ」
エリカは悪魔の帰りを喜んだが、強い口調で言い放った。
「私がどんなに心配したか、分かっているの!」
「やれやれ、この予が人間に心配されるとは、今までになかったことだ」
「当り前でしょう! あんなに弱々しくなったあなたを見たのは初めて。死んで、消えてしまったんじゃないかって心配していたんだから」
今にも泣き出しそうなエリカに、
「……悪かったな」
小さな声で悪魔はエリカに詫びた。
今までどこにいたのかエリカが聞くと、悪魔は武装集団と共に行動していたのだと言った。
「奴らに、金になる仕事はないかと聞いて。皮肉になものだな、一方で人殺しは罪になるが、もう一方では英雄扱いになる。それも多く殺せば多いほどだ。同じ人間の考えることなのに、こうも待遇が違うとはな」
「――まさか、人殺しの手伝いをしたんじゃ……」
「そうしたいのは、やまやまなだが、お前との約束があるしな。約束は守った。奴らは捕らわれている仲間を救いたがっていただけだ。奴らもまた、お前との約束を守って人殺しはしない。何せ『神』の言葉だからな。この先も永久に守っていくだろうよ。ただ仲間を救いたかっただけだ。お礼に、こんなに金を貰った。」
そう言って手に持った紙幣の札束を見せた。
「……そんなことのために、私のために……」
呟くように言ったエリカが、
「誰がそんなことしてと頼んだのよ!」
怒り露わにして怒鳴った。
エリカが何故怒っているのか悪魔には分からない。だが、自身を心配していることだけは伝わってくる。
「金が欲しくないのか? この件で、大事な金を使ったのだろう。せっかくお前が喜ぶと思っていたのに、全くもって分からない奴だ。人は、予と同じ欲の塊だと思っていたが、お前のように欲の無い者もいるんだな」
「もう、買い被らないでよ。私だって、たぁ~くさん欲があるんだから」
「どうかな、予には純粋な欲にしか見えないがな」
「今の私の望みは……」
言い掛けて赤い顔になる。
「そんなの、言える訳ないじゃない。欲望? あなたは野望でしょ。考え方が違う。一緒にしないでよ。そもそも、あなたは世界征服でしょう、人間とあなたとはスケールが違い過ぎるのよ」
そう思った瞬間、エリカは気付いた。
「……そうよね。ずっと一緒には居られないんですものね……」
「居られるだろう、一緒に?」
二人の言葉が噛み合わない。
すれ違いのまま、重苦しい時間が流れた。
エリカにとって悪魔の存在は、最初はありふれた日常を刺激する新鮮な存在でしかなかったが、居なくてはならない存在となっていた。
そのことに気付いたエリカは、あえてその気持ちを押し殺した。それは自分のためではなく、悪魔のことを思って発した偽りの言葉だった。
「ねえ、この先もむやみに人を殺さないって約束して」
「さあ、予を止められるのはお前だけだからな……」
悪魔は、エリカに気持ちを投げ掛けた。
「私には出来ない。これも、定めなのよね。あなたの自由を奪うことなんか…」
「強情な奴だな、素直になれないのか」
「私は、いたって素直だよ」
エリカは言って自分に言い聞かせた。
日本からの支援物資も到着。
国際救助チームや国際医療チームも続々と現地に到着した。
「もう、大丈夫みたいね」
復興が進み、見届けたエリカはこの地を離れることにした。
ドバイ国際空港に戻ると、エリカは日本行きの便ではなく、何故かヨーロッパ行きの便に向かった。
「日本に帰るのではなかったのか?」
「だって、あなたはヨーロッパに住んでいたんでしょう。帰らなくっちゃね」
「帰るって、予がか?」
「そうよ。一緒に付いて行ってあげるって言っているの。一度、行きたかったの。一生に一度のヨーロッパへ」
「……」
悪魔は何も答えなかった。
「もしかして、怖いんでしょう。また絵の中に閉じ込められるのが」
沈黙を破るように、あえてふざけて言う。
「バカな、今度そこ返り討ちにしてやる」
「そうよ、その意気よ」
とエリカは強がって言った。
ある決意を胸に、エリカは悪魔の故郷であるイタリアに向かった。