悪魔と美女
車はエリカの住むマンションの前で止まった。
鉄筋コンクリートの八階建てで、白色の洒落なマンション。
エリカは強引に悪魔を連れて行く。
エリカと悪魔は、セキュリテーの利いたエントランスから中に入った。
「驚いた。こんな立派な館に住んでいるのか」
足を踏み入れた悪魔が、豪華な造りのマンションに驚く。
「違うわよ、この建物の中の一つの部屋に住んでいるのよ」
「それでも、お前一人で住んでいるのだろう。社会の底辺である身分の女が……」
「あのね、今の社会は男性も女性も、能力がある人間が上に立つのよ。政治に関わる大臣だって女性が居るんだから。男女平等の時代なのよ」
「歴史の表舞台に立てなかった女が、いつの間にか対等に渡り合っているなんて……」
長年、絵の中に閉じ込められていた悪魔にとって、女性の社会進出は天と地がひっくり返るような衝撃だった。
エレベーターに乗り、エリカの住む五階へ昇る。
「この小さな部屋も自力で動いているのよ。さっき乗った馬車のような車はエンジンだったけれど、これは電気。電気は建物を照らす明かりの元になっているの」
「火ではなく、デンキが照らすのか……」
電気といった人類の目覚しい発展に驚かされる悪魔。
何より驚いたのが、一般の女性が、こんな立派な建物の中に一人で住んでいるということで、女性が社会に反乱を起こした革命のように映った。
「まさに、女族の頭。いや、ジャンヌダルクと同等の女戦士だ」
とエリカを見詰めながら悪魔は呟く。
「私が女戦士? いつの時代の話を言っているのよ。今の社会は頭脳が一番なの。力が無くても考え方一つで出世出来るんだよ。女の私にだって社長にもなれる。そのためには、いつでも勉強しておかないとね」
エレベーターを降り、エリカの住む501号室の角部屋へと続く共有廊下を歩きながら、悪魔はそこから見える景色に興味を注がれた。
玄関を開けて中に入る。
一直線に伸びた廊下の横にはキッチンスペースがあり、向かい側に浴室やトイレがある。
その先の仕切られたドアを開けると八畳ほどの部屋があった。
部屋の天井が高く、ロフト付き(屋根裏部屋)の一人暮らし向き、ワンケイの賃貸物件。
「一人で住むにはもったいないぐらいの贅沢な部屋だ」
驚きを隠せない。
「あ、それ、嫌味で言っているの。ひと部屋しかない、こんな狭い部屋」
「いや、そんなわけでは……」
「都内の、駅に近い物件は家賃が高いから、必然的に狭くなるのよね」
「それにしても、変わった造りの部屋だ。まるで、隠し部屋だな」
珍しそうに悪魔は言った。
「ロフトのことを言っているのね。あそこを寝室代わりにしているのよ」
エリカは狭い部屋を有効に使うためにロフトを寝室代わりにしている。
「最初は秘密基地みたいで楽しんでいたけれど、夏は暑いし、第一、不安定なハシゴで上り下りするのが面倒なの。酔った時に、落ちそうになって大怪我しそうだったわ」
狭い部屋に不満を漏らす。
床の上には、『異性と上手に付き合える方法』『彼氏を喜ばせる定番のデートスポット』『結婚情報誌』などが散乱していた。
慌ててエリカは隠そうとしたが、
「やはり、女の幸せは男か」
何故かホッとする悪魔。
「もう、その話は済んだこと。蒸し返さないでよ!」
エリカがエアコンの暖房を利かせると、ミニコンポからお気に入りの音楽をかけた。
部屋中にBGMが流れる。
ツーウェイスピーカーから流れる高音質な音は、悪魔にとって耳障りだった。
「見たところ、大勢の人間がいないが……」
「大勢で演奏するオーケストラのことを言っているのね。これは演奏ではなく録音した音楽なのよ。こんな狭い部屋に美男美女が居るんだから、雰囲気を出さないとね」
「だから、予は人間には興味がないと言っているではないか。そんな物より、本の方に興味がある」
そう言いながら、そばに居るエリカを無視するように、悪魔は部屋の隅に並べられている様々な本を手に取り見入った。
「へぇ~、悪魔のくせに本に興味があるのね。まさか、趣味が読書? だとしたら、悪魔のイメージが変わっちゃうわ」
「ああ、今の世界がどんなのか、知っておきたいからな」
「そう。でも、本はかさばるから、あまり持っていないのよ。今の世界が知り合いのなら、ネットで調べれば? 今はあれ、あのノートパソコン一台あれば、なんでも分かるわよ。全てのことが百科事典を見るような感覚で分かるから」
エリカがローテーブルに置かれたノートパソコンを指差しながら言った。
悪魔とローソファーに並んで座り、テーブルに置かれたノートパソコンを起動させたエリカが、マウスの使い方やインターネットの検索方法を一通り教える。
「知りたいことをこの空欄にローマ字入力で書くと、なんでも知らせてくれるから。あっ、でも、エッチなサイトは見ないでね。ウイルスとか、あとあと面倒だから」
とエリカが茶化す。
「だ・か・ら、興味ないと言っているだろう」
「ふぅ~ん、そう。私はシャワーを浴びてくるから、ゆっくりしていて。さっきのお礼に、覗いても構わないわよ。私、もう一人身、自由になったからね」
笑いながらエリカが言った。
「この予が、人間如き下等動物に発情する訳がなかろう。全く興味は無い」
悪魔は言い切る。
「あっ、勝負下着だった。見られると、さすがに恥ずかしいわね」
とわざと興味をそそるように言うが、ピクリとも反応しない。
「なぁんだ~、つんないなぁ」
悪魔はパソコンに向き合い、検索ボックスに知りたいキーワードを入れサイトを開くと、まるでエリカのことなど無視するようにし、むさぼるように読み出した。
「まったくぅ、私が裸の猿にでも見えているのかしら」
すねながらエリカは浴室に向かった。
まず先に悪魔は、絵の中に閉じ込められてから現在までの時代の流れを、歴史を調べた。
そして、現在の世界情勢を……。
悪魔がいなくならないかと気に掛け、エリカは髪を乾かす間もなく、慌てて部屋に入った。
「あーー、さっぱりしたぁ。あなたも入ったら。スッキリするわよ」
女性らしさ、色気を感じさせるうなじを見せるように湿った髪をわざとかき上げる。
風呂上りの女の魅力を見せ付けたのだが、
「予は、汗はかかないし、身なりも気にならない」
無愛想な返事が返ってくる。
「そう、人間と違って便利に出来ているのね」
冷蔵庫から缶ビールを二本取り出すと、ローテーブルを挟んで悪魔と向き合うように腰を下ろし、テレビを点けた。
当然、悪魔の視線はテレビに釘付けになる。
「箱の中が劇場に……これは一体……」
驚く悪魔を、エリカは愉快そうに笑った。
下着姿のままタオルを肩に掛けて、エリカはあぐらをかいて座る。
一人で居る時のいつもの格好。まるでオヤジ状態。
何もかも悪魔に見透かされているような気がして、わざわざ意識する必要はないエリカはいつも通りの格好で悪魔と接する。
ビールを開けて、エリカは一気に飲んだ。
「ぷはーー、生き返るわね。至福のひと時。あなたも飲む? 嫌なこと、忘れるよ」
風呂上りの一杯。
「そんな泥水、誰が飲むか」
と悪魔は拒否。
「泥水? あなた、時々面白いこと言うわね。ま、時代がズレているからしかたがないのかも。それにしても、つまらないなぁ。こういうのは一人で飲んでも楽しくないのよ」
「酔って、楽しいとは。生き物が酔うということは、それだけ身に危険が迫るということなのに。ほとほと、人間とは愚かな生き物だな」
「そうお堅いこと言わないでよ、場がシラけるでしょう。なによ、悪魔のくせにタバコは吸わないし酒も飲まない。まるで好青年じゃない。だから健康で、長生きするのね」
小馬鹿にする。
悪魔にとって真面目だと言われるのが、自分を否定されているようで良い気はしない。それは不良少年に良い子だねと褒めるようなものだった。
パソコンの検索に夢中の悪魔。
話し相手がなく、ぶつぶつと独り言を言っていたエリカが、急にテーブルにもたれ掛る。
酔い潰れるエリカに、
「お、おい……」
悪魔が声を掛けるが、
「なんだ、寝ているのか……予を前にして、なんて無防備なんだ」
エリカはスヤスヤと眠っていた。
「やれやれ、本当に寝たんだな。静かになって集中出来そうだ。鬼の居ぬ間に、とやら」
呆れる悪魔。
悪魔は再びパソコンと向き合う。
『ピンポーン』
突然、インターホンが鳴り、
『ピザのお届けにまいりました』
と伝えられると、目覚めたエリカが、
「何も食べていないから、酔いが回るの早いわね」
呟くように言いながら起き上る。
「お腹が空いていたから、車の中でピザを頼んでおいたのよ」
と立ち上がって取りに行こうとするが、
「あっ、下着姿のままだった。今から着替えるの面倒だし、スッピンで会うのも嫌。ちょっと、レイ、代わりに取りに行ってくれる。玄関先まで持って来てくれるから」
と悪魔に頼んだ。
「まるで王様のような身分だな。召し使いが居るとは」
腰の低い配達員を召し使いと勘違いした悪魔に、
「召し使いじやないわよ、宅配ピザの配達員。配達の仕事をしているの。ちゃんとお金を払っているんだから。今は現金だけじゃなく電子マネーも流通しているのよ」
説明するも、実在しない電子マネーに首を傾げた。
テーブルに置いた焼きたてのSサイズのピザを箱の中から取り出す。
六等分に切り分けられたピザを手づかみで取り口に運びながら、
「何も食べていないんでしょう、レイも食べなさいよ」
悪魔にピザをすす勧めるも、
「予は食べない」
こっちを見ないでパソコンに向き合っている。
「もう、さっきから何見ているのよ」
立ち上がったエリカが悪魔の後ろに回ってパソコンの画面を見る。
「こうすることで、今まで見ていたものが分かるのよ」
勝手にマウスをクリックして履歴を見た。
「真面目な顔をして、いかがわしいサイトでも見ていたんでしょう…」
そう思い込んでいるエリカだったが、『世界史』、『軍事』、『科学』、『時事問題』と、難しい項目ばかりが出てきて、開いた口が塞がらない。
「長い間、狭い絵の中に閉じ込められていたから、その狭い範囲の世界しか知らなかった。だが、時代は変わったな。世界史を読んで世の中の大体の流れが分かった。かつて、世界の中心はローマでありヨーロッパだったが、東へと中心は移ってきたんだな。今、もっとも力のある国がアメリカとかいう二百年足らずの国か。予のために繁栄していたのだな。そして、全てを予に与えるために」
自己中心的に都合良く解釈する悪魔。
「世界を相手に、そううまくいくのかしら?」
信じられないという顔をしてエリカが聞くが、
「予と違って人間は絶滅危惧種。周りの道具がなければ生きてはいけない弱い生き物だ。まずはライフラインを遮断し、人間どもを個々に包囲し息の根を絶つ。そうすれば、いずれ救いを求めて、予を神のようにすがり、崇める時がくるだろう」
悪魔が警告する。
「人間が絶滅危惧種? そうよね。夏はクーラー、冬は暖房と、身の回りに電気製品がなければ生活出来ないし、生きていけない。そう思うと、現代の便利な生活がありがたいわ」
「あと、その最たる物、インターネットとか呼んでいるな、そのネットは世界中に繋がっている。まずは情報操作で味方を増やすのが一番の近道だ」
「あっ、それ、フェイクニュースってやつよね。都合のいいように情報操作する。よく考えたわね」
「世界征服をするなら、まず、アメリカとやらを叩いておかないとな」
「そ、そうよね」
僅かな時間で学習した悪魔の頭の良さにエリカは驚きを隠せない。
「……」
沈黙を破るように、ニュースの声が聞こえた。
ニュースは、親が子を殺す。妻が夫の保険金目的のために殺す。通り魔殺人。集団リンチ。といった悲惨な事件ばかりが流れた。
「醜いわね」
とエリカが言うと、悪魔も同調するように言った。
「むごい話だ、予のやることより酷いな。争いが無くなったとはいえ、お互いが信じ合えなくなっている。誰もが疑心暗鬼に陥っているのではないのか。人間とは、なんと進歩の無い生き物なんだ」
「そんなことはないわ。私達人間だって、随分進歩したんだから。あなたも見たでしょう、ここに来るまでの光景を。あなたの生きていた時代とは違って、華やかというか、夜の街並みは明るく、素敵な時代になったでしょう」
「いいや、滅びる匂いがプンプンする。魔性の感というやつだ。そもそも人間どものお思い上がりははなはだしい。どうも、人間どもは繁栄を見間違えているようだな。今の繁栄は、百年前に見付けた石油がもたらした繁栄であろう。その五十年足らずの貴重な石油の半分は、電気とかいう何にも残らないものに費やしている。今見える夜を照らす輝きは一瞬でしかなく、跡形も残らないんだろう。化石燃料を使い果たした後に残るものは、人間同士の争いが待っているだけだ。なんと弱く、なんとはかないものか。お前達人間は、実に生き方の下手な生き物だな」
「さっきから征服、征服って言っているけど、本当に世界征服が実現可能なの?」
「人間共は予のために卵を産んでくれた」
「卵って、何よ」
「核兵器と呼ぶ卵を何万個も生んだのだ。使用すれば、どんな悲惨な結果が待っているのか分かっているのに、それを知りながら持ち続けている。悪魔の兵器と呼ばれているそうだな。予の心を持った指導者共が、この世界に居る。世界征服も容易いではないか」
「それはそうだけれど……そもそも、悪魔自身、どんな力があるのよ?」
「予にはどんな力もはね返す力がある。最も硬い鉄をも砕く握力。そして、この頭脳」
と頭を差しながら自慢する。
「なら、地上最強の生物じゃない」
「だが、人間どもに屈した。そしてこんな極東の島国へと流されたんだ。何故だか分かるか」
「何故? そんな力があるのに」
「かつての人間共には団結力があったからだ。だが今は違う。各々のことだけを考える弱い生き物に成り下がってしまったようだな。今なら世界支配も夢ではない」
人類に忍び寄る危機を忠告し、悪魔はまたエリカを見やった。
「お前が頼むのなら、世界征服を思い留まってもいいんだがな」
頭を垂れてお願いする困った顔のエリカを見るのは、さぞ愉快であろうと悪魔は思っていたのだが、
「……これも、定めなのね。私達人間は一度、地に落ちなければならない運命かもしれないね」
素直に受け入れた。
「なんだ、てっきり救って欲しいと頼むのかと思ったが、やはりお前は変っているな」
人類の運命を左右するであろう悪魔の誘いを、エリカは断った。
「だって、そうでしょう、豊かになったお陰で、人は大事なものを無くしてしまったんですもの。自分さえ良ければそれでいい。人をけ落として上を目指してきた。それは私も同じことなの。それがあなたの言っていた団結力が無いってことなのね。神はそのために、あなたを蘇らせたのかもしれないって、ふと、そう思ったわけ」
「随分、人事のような言い方だな」
「だって、あなたはあなた。人とは違う道を行けばいいんじゃない。ライオンもそう。小鹿とかを襲って食べるの可哀想だと思うけれど、生きていくためには仕方ないことなの。悪魔として生まれてきたレイも、世界征服とやらが必要なんでしょう」
「ウッ……」
悪魔はエリカの言葉に唖然とした。
世界征服が何かちっぽけなように思えてくる。
敵である人間なのに、悪魔側に立って、まるで応援するような口ぶりに、悪魔は戸惑う。
自分を唯一認めてくれた人間、エリカを悪魔が見詰める。
「何? さては、私に興味が出てきたんでしょう。いやらしい目で見てたわね」
エリカが疑いの眼差しで悪魔を見るが、
「なんでもない、あるはずがない」
自分に言い聞かせるように悪魔は言った。
「一人でピザを全部食べたから、お腹が一杯になって、また眠たくなったわ。もう私、寝るから。勉強もほどほどにして、あなたも眠たくなったら、ソファをベッド代わりにして寝てね。じゃあ、お休み、レイ」
ハシゴを上ってロフト(屋根裏)の寝室に。
そのまま這うようにしてエリカは布団の中にもぐり込んだ。
次週から物語が進んでいきます。現実世界物ですから、あまり派手なアクションはありませんが。