Bawickuh
彼は手袋を外すと一切れ、最も歪な端のものを摘み、齧りつく。その挙動に一体なぜだろう、私は怒りを覚える。何か大切なことを忘れている気がする。何はともあれ、こいつを殺してやらねばならないことには違いないんだ。極悪非道の限りを尽くした憎き世のかたきだ。一々の挙動が鼻につく程に、こいつが悪であるだけだろう。
うんちくの隙間にできた静寂を、身で感じるような振動と爆発音が俄かに破り、その頃彼もまたでんぷんの塊を飲み込んで再度口を開く。
「君のお仲間は中々派手にやっているじゃないか。愉快なことだ。そうしてバーウィック君、高潔な精神を持った君がその極めて高機能に拡張された身体の性能を発揮して、今から無抵抗の私に残酷な行為を働こうとしているのだからこれこそ面白いじゃないか。ほら、折角一度席に座ったのだから死んでも悔いのないくらいには忌憚なく意見を交換しておこう。こうして食事も用意したのだし」
滑ってくる皿に乗った三切れのちくわぶ。靄に混じる小麦粉の微かな香り。それだけ、たったそれだけのものが私の心臓をきつく締め付けて、食臓の中身を逆流させて、眩暈を引き起こす。咄嗟にちくわぶを払いのける。皿は縁で絨毯を跳ねて反転し、ちくわぶがぺたりとそこらに張り付く。それがとても恐ろしく、悍ましく思えて。
「これ……なんかいれたでしょ」
「ああ、先ほども説明した通り、ちくわぶを出させてもらった」
手袋を嵌めなおした男、ダンが空間に反響するほど強く指を鳴らし、視界の果てまで細かく刻まれた唐草模様が基底の色相を変えながらうねうねと捻動する。終わりの無いように見える地平、放射方向から等間隔にコック帽を被ったロティスールが十人ほど、ワゴンを押してするすると円卓までやってきて、銀の皿に乗ったちくわぶを差し出し、ペラペラとフランス語で料理の説明を始める。ふにゃふにゃになるまで茹でたこと、極限まで薄くスライスしたこと、こんがり焼いたこと、切断面にソースがよく絡むこと……
私はその一つ一つの話、そこに横たわる実物達に大きなショックを受けて、体が震えるのを止められなかった。涙が溢れて、木目に流れ、一周向こうのダンの方まで滲んでいく。彼はにやにやとして立ち上がり、嬉しそうに歩き回ってはちくわぶをフォークとナイフで一口ずつ実食していく。
「ああ、悪くない……どうした、恐れで声も出ないかね?」
「一体なにをしたんだ」
「ふむ、ここまで大量の無惨なちくわぶを目の前にして発狂しないとは大したものだ。分かるか、人間はグロテスクに、丸で身を切り開くかのように内容をアウトソーシングしていく。しかしそれが一概に人間の進化といえないのは、人間が生物の個体である限り取り除けない要因によって存在の形式を固定されているからだ」
「そんなの関係ないでしょ……なんでこんな」
「まだ分からないか。上を見てみるがいい」
再び席に着いたダンの言葉に従えば、そう、そこには鏡があった。嵐のように大きく渦を巻いて荒ぶ濁った唐草も、その真ん中で不安定に輪郭を揺るがされ続ける年輪も、それが文明という結晶の縮図であるかもしれないことも問題ではなかった。銀の皿に乗った、十人の小さな私。猟奇的に調理され、火の通った、命を手放した私達。そうして真上、ダンの向かいの席には、図太い生煮えのちくわぶが据えてあった。
「私は、ちくわぶ……?」
ごとん、がしゃん。床から不穏な音が響いて、風が吹きつける。私の真後ろ、円卓のすぐそば、接線のように現れた薄青色の筋は幅を増し、ひゅるりひゅるりと鳴っている。
「ちくわぶは、煮えてなくてもいい。またいずれ、加速する大きな渦の中心で会おう」
あれは、海だ。ひとりでに倒れ込む椅子。私はギザギザ一つ動かせない。ダンのつまらなそうな顔を一瞬捉えた次にはもう、青い空の中へ落ち込んでいくごうんという音を聞いた。その大きく無機質な飛空艇の底面を眺めている内にあらゆることが曖昧になって、ちくわぶは仲間のことも忘れていく。そのちくわぶは結局もう何も感じることのないただの小麦粉になって、大気に穴を鳴らしながら海へ落ちていった。