閑話 吸血鬼とエルフ1
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黒い影が森を疾走する。
影の名前はフィール。
先程までの姿とは変わり、瞳は血のように赤く染まり、背中からは黒い翼が生えている。
いまは必死の形相で見えないが、もしも笑えば口の中に牙が生えているのが分かっただろう。
彼女は未熟ながらも夜の世界を生きる者。
魔族の中でも強者とされる吸血鬼の子供だ。
力をうまく使いこなせないため半ば理性を無くしつつも、腕に抱えた男の子はしっかりと抱え離そうとはしない。
途中にいるゴブリンや小動物は彼女の体から生み出される黒い刃により全て斬り伏せられる。
彼女は暴走し、我を失いながらも疾走していく。
すると突如森が開け、彼女は空へと踊りだした。
眼の前には空。
足元には森が広がっている。
無我夢中で疾走していたため、崖のように切り立った場所から飛び出していたのだ。
突然視界が大きく変化した事で、わずかながら理性を取り戻すフィール。
そこで彼女は加速をやめ、慌ててブレーキをかけた。
結果としてそれは悪手だった。
影の翼は光に当たると霧散してしまう。
ブレーキをかけていたため、慣性を生かした動きもできない。
結果、失速し崖から落下してしまう原因となった。
「フィーちゃん! 森のみんな、フィーちゃんを助けて!」
ほんの僅かに遅れてフィール達に追いついたアルマはその姿を目撃するとスキルを発動させた。
『森ノ共ダチ』と呼ばれる彼女のスキルにより、崖に生えていた木々が枝葉を伸ばす。
伸びた枝はクッションのようにフィール達を受け止めた。
崖の中腹で止まった二人を枝は更に絡みついていく。
「フィーちゃん、大丈夫!? 正気に戻って!」
「ァ……ル……?」
彼女はフィーという親友だけが呼ぶ愛称を聞くと理性を取り戻す。
友人が理性を取り戻した事を知ったアルマは絡みついていた枝を解除した。
「アル……。また暴走していたのですわね。ごめんなさい、私のせいで迷惑をかけてしまいましたわ」
「良いんだよ! それよりどうしよう。先生にフィーの姿、見られちゃったよ」
「人の領地に来てから頑張って隠せていたのですが……。申し訳ありませんわ」
「せっかくガロ君とも仲良くなれたけど……お別れ、かな」
二人は魔族だ。
魔族は人の領地では敵視される。
さらに彼女達にとって運が悪いことに、今回指導に当たっている冒険者は魔族を二人も葬っているらしい。
下手をすれば二人共抹殺される可能性があった。
「アルは耳以外は人間と姿が変わらないのです。もしよろしければ、私の代わりにガロさんと人の世界で生きて頂いても構いませんのよ」
「駄目だよ! ずっと一緒にいるって約束したじゃない! それにフィーだって翼さえ消せばそんなに変わらないよ!」
フィールの友人であるアルマもまた魔族だ。
種族名はエルフ。
彼女は耳が長く尖っており、見た目は普通の人間とそう変わらない。
彼女の種族は人との交わりも多少あり、地方のおとぎ話には彼女達と思われる魔族と人間の恋の物語があるほどだ。
「ええ……。そう、ですわね。そうなると良いですわ……」
「うん! 大丈夫だよ、ガロ君だって……。そうだ、ガロ君の解毒薬を作らないと」
アルマのスキルにより枝で足場を作り、崖下の森へと降りていく。
いくつかの草や葉から液体を抽出すると、即製の毒消しを作り、ガロの傷口へ塗り込んだ。
「アルマ、それに……フィー……ル?」
「ガロさん……。はい、私は貴方の……友人のフィールですわ」
「動かないでね。さっき蛇に噛まれたんだから。しばらくじっとしてて」
フィールの姿は少し変わっていたが、ガロには分かったようだ。
アルマは傷口に薬を塗りながら、手当てをしていく。
「ごめんなさい、ガロさん。私達とは今回でお別れですわ」
「何を、言ってるんだ?」
「ごめんね、私達のこの姿、ガロ君でも見られちゃいけなかったの」
二人はこっそりと魔族領を抜け出し旅をしていた。
その途中でガロと出会ったのだ。
魔族だと知られたら二人どころか領地を巻き込んだ争いになるのは目に見えている。
「私達はこれから、人目につかないところへ旅立ちます」
「うん、だから私達の事は忘れて――」
「そうはいかねえな? まだ教える事は山ほどあるぜ?」
そこで、洞窟に影が差す。
一人の少女が出口を塞ぐように立っていた。
先程まで指導に当たっていたマリー先生だ。
「さあ指導の、いやお仕置きの時間だ」
一歩踏み出し、フィール達へと向かってくる。
唯一の出口を塞がれ絶望的な状況となった三人。
「さていくつか聞きたいことがあるが……。フィール、お前はヴァンパイアだな? アルマも魔族か?」
「……ええ、そうですわ」
「まったく、こんなトコでも出会うのか。魔族なんて本当はどこにでも隠れてんじゃねえのか?」
フィールは全力で頭を回転させ、判断する。
マリー先生はこう言っているのだ。
お前たちは魔王派閥の仲間ではないか、隠れている仲間を教えろ、と。
先日どこかの領地で魔族が潜り込んで大騒ぎだったというのは知っている。
それを倒したのが目の前にいるマリー先生だという事も。
そんな状況で関係ないと言ったところで信じて貰えるだろうか。説得できるだろうか?
いや、無理だ。
理性を失ったフィールはガロから血を吸おうとしているようにしか見えなかっただろう。
そして魔族を殺した冒険者が耳を傾けるとは到底思えない。
「先生……。今回は見逃してはいただけませんこと?」
「好き勝手してマズくなったら見逃せだ? 流石に甘すぎやしねえか?」
「そう、ですわね」
やはり逃がしてくれそうには無いようだ。
どうやらここでB級冒険者であるマリー先生と戦わなくてはならないらしい。
「……っ! ガロ君はっ! ガロ君は関係ないんだから!」
「ガロは人間だな? だが仲間なのに関係ないってのは可愛そうだろ?」
このままではガロも一緒に処分されてしまう。
間違っても、殺されるのは私達二人だけでいい、ガロだけでも逃さなければ。
そう考えた二人はガロを庇うように前へ出る。
「私達とガロさんは、……ガロは関係ありません!」
「フィール……」
「おいおい……。いい加減にしろ。これはアタシが請け負った仕事だからな。最後までお前らの面倒を見てやるから安心しろ」
最後まで。
つまり、ここで殺す気という事か。
二人は顔を一瞬絶望に染めるが、ここで諦めるわけにはいかない。
「負けませんわ!」
「そもそも私達は魔王と関係ないんだから! 絶対に、絶対に生き延びてみせる!」
一瞬の沈黙。
マリーは怪訝な顔をしており、正面の二人とは対象的だ。
「お前ら何を……。あー、そういうことか。そうだな、うん、ちょうどいいしそれで良いか」
マリーは一人で何やら納得してしまったようだ。
何度か頷くと、とてもいい笑顔でフィール達を見つめてくる。
「さて魔族であるお前たちはアタシを倒さなければ冒険が終わってしまうな。どうせなら賭けをしよう」
「賭け、ですの?」
一体何を、という顔をした二人にマリーは説明を続けていく。
「ああそうだ。もう少しでアタシの仲間が来る。そうなればお前たちに勝ちの目は無くなるな。だが、それじゃあまりにも可愛そうだ」
マリーは二人に背を向け、洞窟の外へと歩き出す。
「アタシの仲間が来るまでにアタシを倒す事。倒せばお前たちは逃げられる。倒せなければお前たちは従者になる。どうだ?」




