閑話 ノルヘル
ドッペルゲンガーのノルヘルは男爵領内のダンジョンへと向かっていた。
街から出るとき門番や関所に咎められたが、この領地に入ってきた時と同様、容姿に対する認識を変えさせたのでしばらくは大丈夫だろうと考えている。
彼女のスキルは永続的ではない。
時間があれば徹底的に認識を書き変えられたのだが、付け焼き刃のように一言二言交わしただけでスキルを発動しても、書き換えられるのは一部だけだ。
さらには、攻撃を加えることで認識改変が解除されてしまう。
それ故、彼女は人に会うことをなるべく避けていた。
途中、彼女はサリーの腹を裂いたが、サリーの姿へ変身出来ない事に気がついた。
おそらく殺し損なったのだろう。
仕留め損なったのは心残りだったが、気がついたのは男爵領へついてからの事だった。
それに本来の目的は達成している。
今更戻る訳にもいかないため、放っておく事にした。
しょうがなく、彼女は再び殺した長女の姿を模してダンジョンの中へと入っている。
いま向かっているのは彼女の仲間、魔王軍の工作部隊として同時に潜入した仲間の一人。
召喚術師として、多数の悪魔を召喚させて内部から混乱をもたらす役割を持っていた者だった。
今回、彼女たちの任務は王国内部にて内乱を起こし内側から切り崩すこと。
そのためにバレッタ領への潜入、そしてその隣の領土であり、農地が多い土地で魔物たちを暴走させ、領地を荒らす事で打撃を与えることを目的としていた。
彼女はバレッタ領にて工作を行った後、追手の目を欺くため王都に向かうふりをしてドゥーケット子爵領で潜伏、味方の召喚魔法を強化するための準備を進めていた。
「イルス、戻ったぞ……。イルス?」
すぐに彼女は違和感に気づく。
ダンジョンに出てくるはずの敵が居ない。
「おい、イルス! どこにいる! 現状を報告しろ!」
ノルヘルはダンジョンの奥にて部下の名前を呼びかける。
だがその声だけが洞窟に反響し、どこにも姿が見えない。
まるでダンジョンではなくただの洞窟のようだ。
「まさか、既に攻略済み……? 馬鹿な……。何の情報も来ていないぞ」
「そりゃあ、情報を伝える前に叩き潰したからね。ギルドも王都から冒険者たちを呼び出して検査するまで箝口令が敷かれてるさ」
一人の女性が物陰から出てきて声をかけてくる。
このダンジョンについて実際には酒場で噂話程度には話をされている。
だが、人目を避けていたノルヘルには知る由もない事だった。
「貴様は何者だ? なぜここに……」
「まあ細かいことはいいだろ。とりあえず、燃えとくれ」
赤い目が光ると、ノルヘルの全身が炎で包まれる。
「私の名前はフーディー。スキルは『炎眼』って言うんだ。あんたのスキルと親戚同士みたいなもんだろ? よろしく頼むよ」
「なぜ私がここにいることを……? スキルまで……」
初めて会う他人にスキルまで知られており、ノルヘルは狼狽してしまう。
「質問するのはこっちさ。バレッタ領にいた二人の魔族を倒したんだけど、あれはあんたの部下かい?」
「なに!? 貴様よくもっ!」
二人の部下には伯爵家の破壊と長女の死を隠蔽する役割を担っていた。
それが知られていることは作戦が一部失敗したことに他ならない。
「わかりやすい回答ありがとさん。王都で洗いざらい秘密を吐き出すか、ここで死ぬか選びな」
さらに数人、逃げ道を塞ぐように人物が現れる。
「紹介するよ。私の仲間、コナツとロアさ」
「はじめまして。魔族の隊長さん」
「……会話なんていらないさね【幻氷は世界を覆い、白き闇へと誘わん】〈氷霧〉」
魔法使いらしき老婆が呪文を唱えると、ノルヘルの周囲を冷たい霧が覆い隠す。
「……魔眼の類は直視しないとスキルが使えないからね。相手を騙したり惑わすような魔眼の使い手には十分すぎる効果だろ?」
ノルヘルのスキルは対象と直接目を合わせること、さらに発動した相手に攻撃を仕掛けないことも条件の一つとなる。
それは霧に覆われ、わずかに視界がぼやける程度でも十分な効果があった。
ノルヘルが現状でスキルを使うのはほぼ不可能となる。
「くそっ、〈変し……〉」
「おっと、〈変身〉とやらは使わせねーぜ?」
変身してこの場を切り抜けようとした瞬間、背後から声がかけられる。
その人物の手は左肩に手が添えられ、熱く光っている。
「略式・鳳仙花」
彼女の手が光り輝き、爆発した。
ノルヘルの左肩が弾け腕が千切れ飛ぶ。
かろうじて死んではいない。
だが擬態した体は姿を保っていられず、不定形の魔物の姿へと戻っていく。
「おいマリー! やりすぎだよ! 捕らえて話を聞き出すんだろ?」
「こっちだってやられてるんだ。一発ぐらい仕返ししとかねえとな。それにこいつがスキルを使って来ると、アタシ達だってマズイ」
「何故……だ! 何故私のスキルを受けて記憶が改変されていない!!」
それは、ノルヘルにとってあり得ない事だった。
数年後に記憶が戻ってきたという話もあるが、即座に記憶を元に戻すなど、聞いた事がない。
「お、生きてたか。アンタのスキルは一種の精神汚染だ。治すスキルがあればなんとか戻せるさ」
「バカな……」
時間はわずかに遡る。
「辺境伯が犯人とか、胸糞悪い事件だったな。エリー……。あれ?」
「今はエリクですよ。どうしたんですか?」
「いや……」
マリーはエリーと行動をする。
エリクの姿で外に出ることはほぼない。
だが今回、なぜかエリクで外に出ていた。
これからギルドへ向かうが、先にエリクからエリーへと戻しておいた方がいいだろう。
そう考えたマリーは人がいない事を確認し、スキルを使う。
なぜかエリーの体型に合わせたブカブカの服を着ていたため、とくに苦労することなく普段のエリーへとすぐに変身する。
そこで、エリーは本来の記憶を取り戻した。
「……マリー! 自分にスキルを使ってください!」
「どうした? 急に血相をかえて? アタシは家にかえってからでも……」
「いいですから、早く!」
「しょうがねえなあ」
マリーはスキルを発動させる。
「……やられた!」
「追いかけましょう! サリーさんが危ない!」
「あの野郎! 絶対に殺す!」
本来の記憶を取り戻したマリー達は慌ててサリーの所に戻ると、下腹部から血を流して倒れていた。
だが、呼吸はしているようだ。
「これならまだ間に合います!」
「回復を頼んだ! アタシはギルドとリッちゃんに連絡をする!」
そうしてマリーがギルドに事情を説明し、『パンナコッタ』のメンバーと連携した結果、今へと至っていた。




