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#31 深夜の勉強会

「ディナ先輩……もしかしてなんですけれど、この呪詛の傷、ディナ先輩の腕から脇腹へ移動しませんでした?」


 傷のムカデは、まるでプロジェクションマッピングでディナ先輩の体に投射された映像のように、ディナ先輩の表面を這い回り続けている。

 そう、表面を。

 腕から腹へ、腹からまた別の腕へ、移動していたんだ。


「それは考えたことなかったな……だが、そう言われると、確かに」


 傷のムカデが胴から腕へと移った瞬間、ディナ先輩は肘を上げて自分の腕を覗き込む……と、弾かれたように傷のムカデは胴体へと戻る。


「あっ、移らずに戻りましたっ」


「半分くらい移った状態だとどうなる?」


 肘を体にぴったりとつけ、傷のムカデが移ろうとするのを待つ。

 そして傷のムカデが移り始め、今度は半身ぐらいが移ったタイミングで、肘をパッと持ち上げた……移った先の方へ一瞬にして移動する。


「捕まえられないもんですかね……ディナ先輩、今度は移り初めて、四分の一くらいのとこで肘上げお願いします」


「呪詛をか? 面白いことを考える」


「呪詛っていうより、だんだんムカデに見えてきちゃっ……あ、また!」


 ディナ先輩の胸から腕へ傷のムカデが移ろうとした瞬間、ディナ先輩がパッと肘を上げる。

 すると傷のムカデはその先頭部分をディナ先輩の胸側へ戻そうとする。


「またくっつけて!」


 ディナ先輩が再び脇を閉めると、傷のムカデは再び、腕の側へ移り始めた。


「ディナ先輩、試してみたいことができました。今のと同じくらいの長さでの肘上げ、お願いします。その後は肘を戻さずに上げたままにしてください」


「構わんが……呪詛の治療は、呪詛を構成する全魔法を把握しなければ解除できないものだぞ。ボクとカエルレウム様と二人がかりで二年かけても解析できなかったんだ」


「治療というか……き、来ました!」


 魔法代償を集中する。

 ディナ先輩はタイミングを見て肘を上げ、俺は魔法を口にしてから、左手でディナ先輩の右胸の脇をガッと押さえつけた。


 この世界では魔法を使うとき、呪文というものを唱えない。

 歩く時に「右足を出す」とか「左足を出す」とかいちいち口にしないのと一緒で。

 魔法の名前を唱えるというのは、似た魔法と間違えずに使うとき、イメージを自分の中だけで完結させず、口からも出すことで、よりはっきりと自分の意識に対して宣言するという感じ。

 たくさんの魔法を組み合わせて魔術を使用する場合は、組み合わせの順番や関係性を間違えないように、それらの魔法の名前や、それらの関係性を現す言葉を添える場合もある……要するに、年号とかルートとかの数字を覚えるときの語呂合わせと一緒らしい。


 その魔法が自分の中にまだ定着していないときも同様だ。

 カエルレウム師匠から、魔法に名前をつけなさいと教わったとき、できることならばその魔法を初めて使うときには名付けた魔法の名前を口に出したほうがいい、とも教わっていた。

 だから口にするけれど……ネーミング・センスなさすぎて、厨二病全開の名前よりも恥ずかしいかもしれない。

 いや、いいんだ。覚えやすさが優先だから。


「『同じ皮膚』!」


 俺の左手の親指が、ディナ先輩の特に柔らかい場所へ沈み込む感触を感じた直後、凄まじい激痛が左腕に走った。

 手の甲へ、たくさんの釘を打ち込まれたような鋭い痛み。

 思わず手が離れそうになるほどの……離れちゃ意味がない。

 俺は体重をかけ、自分の左手をディナ先輩の右胸へと押し付ける。

 痛みが昇ってくる。

 俺の手の甲から、手首、そして、肘の方へ、と。

 目でも、見える。

 傷のムカデが、俺の手を、這い登るのが。


「トシテルっ! お前っ!」


 ディナ先輩は、俺の手を、外そうと、する。

 けど、俺は、こめた力を、抜かない……ベッドに、押し倒す、感じに、なっ……痛い、なんて、もんじゃ、ねぇ。

 思考が、持ってかれる、くらいに。


「トシテル、もういい! お前には無理だ!」


 そのとき、傷のムカデ、尻尾の方、まで、全部が、俺の、左腕に……俺は、ディナ先輩、から、手を、離した。


 激痛。

 のこぎりで、引かれ、続けてる、みたい、芯まで響く、痛み。

 なに、これ。

 ディナ先輩、ずっと、これ、耐えて、たの?


 思わず、のけぞる。

 ベッド、から、体、落ちた。

 腕の、痛さ、しか、感じねぇ。

 フォークとか、突き立て、られて、ぐちゃぐちゃ、混ぜられてる、みたいな。

 いってぇぇぇぇ、より、もっと、痛え。


 痛みで、呼吸が、浅く、なる。


「トシテル!」


「じゅ、呪詛を、騙して、やり、ました」


 笑顔を、浮かべた、つもり。


「おかしい。そんなに痛みは続かないはずだ……そうか、トシテル、お前、魔術特異症か。呪詛が変異したのか」


 マジ、か。

 痛み、全然、慣れ、ない。

 こーゆー、のって、慣れるって……ああ!

 魔法代償、集中。

 ほら、なん、だっけ、えっと。


「『脳内モルヒネ』」


 ……おお、効く。

 痛み、少し消えて、きた。

 さっきのが酷かったから、今もまだ痛いけど、随分と痛みが小さくなったのを感じる。

 洗濯バサミ付けられてるくらい。


「トシテル、お前なんだ今のは……」


「俺の手を、ディナ先輩の手だと思わせてやったんです。触れた皮膚と、同じ皮膚に偽装する魔法にしてみました」


「二つ目のは何だ。痛みを奪ったのか? それとも封印か?」


「いえ、呪詛に何かしたんじゃなく、自分の方の痛みをごまかしました」


「どうやって?」


「生物がもともと持っている能力で、痛みに襲われたとき、脳内の物質が出て」


「脳内の、物質?」


「あ、ええと」


 ドーパミンとかエンドルフィンとかいう単語は聞いたことがあるけれど、どれがどれだったっけかな。

 マンガとか小説とかだと、異世界転生の主人公はこういう知識ちゃんと覚えているよな。

 俺は全然そんなんじゃない。

 だいたい検索すれば簡単に調べられたからさ。


「俺が元いた世界では」


「その世界の名前は」


 名前? 地球? それとも日本って答えるべき?

 でも、国によって文化も違うし。

 ……世界自体に名前なんてないよな?


「……ニホン」


「長いから次からはニホンでいい」


「はい。ニホンでは、カガクや医療が進んでいて、人間の内側の構造や機能がかなり解析されているんです。目では見えないくらい小さな機能の研究も進んでいて」


「トシテルは、その研究者だったのか?」


「いえ、ニホンでは書物が流通していまして、イッパンの……庶民でも、興味があれば自分で学ぶことができたんです」


「ニホンでは、庶民の知識量がとても多いのだな」


「そうですね」


「では、その知識をもってして、他に何ができるか試しておこう」


 ディナ先輩は毛皮のコートを持ってくる。

 まず試したのは、毛皮の肌に『同じ皮膚』が通用するかどうか……これは、激痛のみで失敗に終わる。

 次にもう一度、ディナ先輩へ戻す実験をしてみるが、うまくいかない。

 俺が感じる激痛を、ディナ先輩も感じはするのだけれど、傷のムカデは俺の体から出ようとはしない。

 俺の腕から胴へ、ってのも移動しなくなっている。


「トシテル、今度はボクに試させろ」


「はい」


 ディナ先輩はナイフを取り出し、俺の腕へ突然、斬りつけた。


「えっ」


「見ろ、トシテル。お前へ移った『虫の牙』の傷は、途切れた皮膚を越えられなくなったようだぞ」


「え、あ……そ、そうみたいですね」


 そう返答し終わる前に、ディナ先輩はその傷を斬り伸ばす。

 俺の肘から下あたり、腕をぐるりと一周する傷がつけられた。


「見ろ。『虫の牙』の傷、これで左手の先へ閉じ込められたぞ」


 嬉しそうに笑顔を浮かべるディナ先輩。

 こんな無邪気な笑顔、初めて俺に見せてくれた……けど……いくら美少女でも、狂気過ぎる。


「ずるい! 私には見せないのに、ディナ先輩とは見せあっている!」


 部屋の入り口に、いつの間にかルブルムが立っていた。

 言われてみれば、俺もディナ先輩も、上半身裸のまま。


「い、いや、し、下は見せてないからっ」


「そうか。そちらの耐性もつけておく必要があるか」


 ディナ先輩?


「だ、大丈夫です。この痛みでそういう気持ち飛びますから!」


「私は、トシテルの見てみたい。私も脱げばいいのか?」


 ルブルム?

 慌ててルブルムの手を止める。


「そうだな。慣れておいた方がいい。ルブルムも脱ぐといい」


 ディ、ディナ先輩?


「トシテル、お前も脱げ」


 これ、どういう状況?


「そ、それよりももっと今しかできないことを、調査! 調査を先に!」


「何の調査だ?」


 ルブルムが食いついた!


「ほら、この、ムカデみたいな傷」


「トシテル、腕を怪我している」


 魔法代償を集中しようとするルブルムを慌てて制する。


「この傷は、当分は治さなくていいんだ」


「そうだな。ルブルムにも話しておいた方が良いかもしれない。ルブルムは人の悪意に触れてなさすぎる。ここから北へ向かうなら、危険に対するある程度の心構えが必要になるだろうからな」


 ディナ先輩は、さっきの話をもう一度、ルブルムへと話す。

 俺に話した時よりも多少、生々しく。


 その後、『虫の牙』の傷……というか俺が実験台になる研究は、三人で続けることになった……全裸で。

 うん。全裸で。

 股間に血液が集中しないから、なんとかなったようなものの……おかげで、自分の中の超紳士スイッチを入れる感覚がちょっとわかった。


 他にもわかったこと。

 様々な実験台になって判明したこと。

 この傷のムカデは、本来は魔法代償を消費した一瞬しか咬まなかったらしいが、俺の魔術特異症はその咬む痛みを、使用した魔法の効果期間中ずっと継続させるようにしてしまったっぽい。

 効果時間が一瞬である魔法や、効果時間があっても他の人にかけた場合は、咬まれる激痛も一瞬だが、俺自身にかけた場合、効果時間が切れるまでずっと痛み続ける。

 最初に『脳内モルヒネ』を使わないとしんどいことになる……けど、奇襲をかける場合なんかだと、相手に気付かれるのを避けるため、初手は我慢しなきゃ……という。


 ただ、良いこともあった。

 俺の魔法効果が増大しているのだ。

 もともと、寿命の渦が二つ近くあることによる増大分と合わせると、一ディエスで実質的には四倍近い効果になっているという。

 そしてこの良いことにも、悪いことがついてくる。

 咬まれる激痛に負けて魔法代償を消費する前に手放しちゃうと、その勢いに引っ張られて追加消費されてしまう魔法代償も、四倍近くなるという。

 魔法を失敗すれば、寿命が多めに持ってかれる。

 まさしく諸刃の剣。


「魔法効果が増大するのも魔術特異症のおかげですか?」


「いや、ひとつまみの祝福のおかげだろう」


「ひとつまみの祝福? それは、カエルレウム様が何かしてくれていたのでしょうか?」


「いや。呪詛に含まれている。たいていの呪詛、特に高度な呪詛には必ず含まれている。お前の呪詛にも入っているぞ」


「ええっ? この呪詛にも?」


● 主な登場者


利照(トシテル)/リテル

 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。ただ、この世界は十二進数なのでリテルの年齢は十七歳ということになる。

 リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。

 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。

 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。

 不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。猿種(マンッ)

 フォーリーの街に来てから嫌な思い出が多いが、修行として受け止めている。

 異世界から来たことをとうとう打ち明け、そして新たな呪詛をその身に宿した。


・カエルレウム師匠

 寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種(マンッ)

 肉体の成長を止めているため、見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。

 お出かけ用の服や装備は鮮やかな青で揃えている。

 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。

 リテルの魔法の師匠。


・ルブルム

 魔女の弟子。赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種(マンッ)のホムンクルス。

 かつて好奇心がゆえにアルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。

 カエルレウムの弟子を、リテルのことも含め「家族」だと考えている。質問好き。


・ディナ先輩

 フォーリーに住むカエルレウムの弟子にしてルブルムの先輩。

 男全般に対する嫌悪が凄まじいが、リテルのことは弟弟子と認めてくれた様子。

 アールヴと猿種(マンッ)のハーフ。壮絶な過去を持つ。


・ウェス

 ディナ先輩の部下。肌が浅黒い女性で、男嫌いっぽい。

 兎よりもちょっと短い耳をしている蝙蝠種(カマソッソッ)




● この世界の単位

・ディエス

 魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。

 魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。


・ホーラ

 一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。

 元の世界のほぼ一時間に相当する。


・ディヴ

 一時間(ホーラ)の十二分の一となる時間の単位(十二進数的には「十に区切って」いる)。

 元の世界のほぼ五分に相当する。


・アブス

 長さの単位。

 元の世界における三メートルくらいに相当する。


・プロクル

 長さの単位

 一プロクル=百アブス。

 この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。


・通貨

 銅貨(エクス)銀貨(スアー)

 十銅貨(エクス)(十二進数なので十二枚)=一銀貨(スアー)


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