正直になる薬
正直になる薬
K博士は自分が嘘つきだと自覚していた。しかし、それは自分に厳しいからそう自覚するのであって彼の嘘の大半は人への思いやりから生じるのであるから世間一般の質の悪い嘘をつく人間に比べれば、誠実だった。それなのにいつも奥歯に物が挟まったようなものの言い方をするはっきりしない人だわと妻に思われ、正直になってと四六時中、言われていたK博士は、自分が正直になる薬の発明に日夜、取り組んでいた。
研究所でK博士は今、色々試薬を扱っていてビーカーで攪拌した液体をピペッドで少量吸い取った後、試験管に入れ、化学反応させている。そしてメスシリンダーで体積を量ったり、滴定する為、三角フラスコで内容物を混合したりしている。
真剣な表情だ。そんな博士の姿を知らず、自分の方が嘘つきのくせに博士を陰で嘘つき呼ばわりする妻を忘れてK博士は正直になる薬の研究に没頭した。
それは気が遠くなるほどの努力の連続であるのに違いなく続けること3年目にしてK博士は要約、正直になる薬を完成させた。
孜々として努力する中で試行錯誤し彫心鏤骨した結果が齎した赤心が現れたような紅色の液体だ。匂いも味も悪くない。
K博士は迷わず出来上がった分、そっくり飲み干してしまった。
効き目はどうだろうとまずは妻のところへ行ってみると、自分でも驚く位、饒舌になって立て板に水の如く話し出した。
「いつも思ってたことだが、そのファンデーション、厚く塗りすぎじゃないのか、それじゃあ、その内、ひび割れするぞ!それにアイシャドウの色が下品だな、それじゃあ、水商売の女と思われても仕方がないな、おまけに口紅の色が派手過ぎる、それじゃあ、たらこ唇が強調されていけねえよ、第一、顔の作りが悪いし、既に皺皺で縮緬唐笠梅干し提灯婆だからどんなに化粧を施しても無駄だ。況して整形手術を受けようなんて団子鼻が良くなったところで盗人に追い銭って奴で滑稽になる上に金の浪費になるだけだから止めた方がいいぜ!どうしても顔を良くしたいならコラーゲンかヒアルロン酸を注射するしかないかな、それも画餅に帰すだろうが」
この言葉の羅列に面食らって頭に来た妻は叫んだ。
「何よ!あなた!酷いじゃないの!よくもそんなことを長々と面と向かって言えるわねえ!」
「全部正直に言ったんだ。俺って誠実だろ!」
「何言ってんのよ!あなた!仕事のし過ぎで頭が可笑しくなったんじゃないの!」
「おかしかないよ、俺は正直になったんだから」
「そうやって言うあなた自体が可笑しいの!」
「お前、俺に正直になって欲しいって言ってたじゃないか!」
「言ってたけど、私が求めてるものとは全然違うわ」
「どう違うんだ?嘘でもいいから女が感動した時とかによく使う素敵に感じる言葉とか、そういう飾り立てた綺麗事の言葉で煽てて欲しいのか?」
「そんなんじゃないわ・・・」
「じゃあ、どう言えばいいんだよ」
「別に言わなくても良いわよ」
「そういう訳には行かないよ、俺は何でも正直に言いたくて堪らなくなったんだ!」
「やだー!何か怖~い!」
「何だよ、それ、女子高生の積もりか?年甲斐もなく恥ずかしくないのか!第一、全然似合わないし、全然可愛くないし、寧ろ気持ち悪いぞ!」
「もう!たくさん!ほっといてよ!」
「はっはっは!いやあ、何だか、すっきりした!こんな良い心持ちは初めてだ!やっぱり正直っていいなあ!」
全然よかないわよ・・・この馬鹿正直と妻は軽蔑し、嫌悪感と憎悪感と反感を強く抱い
た。
続いてK博士は同僚のところへ行ってみた。
「よお!御同輩!今日も今日とて下らん研究に熱中してるのか!」
「な、何、言ってんだよ、お前?」
「どうせ、作るなら俺みたいに正直になる薬を作れよ!」
「正直になる薬?」
「そうだ、まあ、お前には無理だろうがな」
「な、なんだよ、その言い草・・・」
「気に入らないのか?」
「気に入らないどころの騒ぎじゃないよ!お前、喧嘩打ってるのか!」
「売る訳ないよ、仲間だろ!」
「だったら何で態々頭にくるようなケチばっかり付けるんだよ!」
「ケチじゃないよ、お前のことを思って正直に言ってるんだ!」
「おう、そうかい、分かったよ!」
「分かってくれたかい」
「ふん!分からねえよ」
「分からねえか、それじゃ、もっと言うけどさ、お前、いつも思ってたんだが、口くせえぞ!歯磨き、ちゃんとしてんのか?」
「うるせえ!ほっとけ!」
「それと、体臭ひでえぞ!お前、前々から思ってたんだけど腋臭だろ!処方は知ってるのか!」
「うるせえ!もう、あっち行け!」
「行かないよ、まだまだ今までに言えなかったことが沢山あるからな、お前、前々から思ってたんだけど、いっつも鼻毛出てるぞ!みっともねえなあ、手入れしなきゃ駄目だぞ、
それにお前の親父ギャグには前々から飽き飽きしてたんだ。お前が女にもてないのは尤もな事だよ」
「うるせえ!もう、お前とは絶交だ!」
「な、なんだよ!俺は直すべき所は言ってやろうと、お前のことを思って言ってやったんだぞ!分からないのか?」
「分からねえよ!」
「ああ、そうかい、それじゃあ、しょうがない、じゃあ、失敬するよ」
ほんとに失敬な奴だ・・・と同僚は思い、腹の中で断固としてK博士と絶交することに決めた。
その後、K博士は次々に同僚に絶交され、遂には妻に離婚を要求されたが、あっさり承諾した。彼は正直者になってみて自分みたいな人間が皆無であることを知り、世の中、嘘つきばかりだと諦観して係累を即刻、断ちたかったのだ。
子供を妻に渡して誰もいなくなった住まいは森閑として流石に寂しい雰囲気に満ち満ちていた。
その晩、妻がいなくなった寝室でK博士は思った。
「これでぐっすり眠れる」
お陰で仕事も捗り、次から次に偉大な発明をした。
しかし、生憎、誰にも分かってもらえず、生前、報われることは無かった。




