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「わたしとあなたはこうして出会った」


 わたしは、しにたがりだ。


 しにたがりの女子高生だ。楽しかったり、嬉しかったり、眠かったり、お腹が空いたり、日常のありふれたことでついうっかり死にたくなる。飛び降りたり、首を吊ったり、刃物でぐさっといったり。死にたくなる時は手取り早ければ手段は何でも良くなる。きっかけは何だったか思い出せないが、とにかくわたしは些細なことでひとつしかない命を平気で投げ出そうとする天才だった。




 よく晴れた春の日、わたしは乗り継ぎの快速電車に乗るために駅のホームに立っていた。目の前で前の電車が行ってしまった為、列の先頭にいる。いつものように好きな音楽をウォークマンで流しながら電車の到着を待っていると、後ろに立っていたサラリーマンらしきおじさんがわたしの踵を革靴で蹴飛ばした。それくらいは朝の通勤ラッシュではよくあることだ。気にせず手元の携帯の画面を見ているともう一度、今度はぐりぐりと踏みつけるようにわたしの踵を狙ってきた。


 これは、ワザとだ。理由はわからないが、おじさんは何かのストレスをわたしで解消しようとしているのかもしれない。振り返ろうかと考えたが、あいにくそんな面倒なことはしたくなかった。そう、わたしはしにたがりだから振り返るよりそのまままっすぐ前に歩いた方が楽なのだ。


 一歩、二歩。


 次の三歩目を踏み出せば空を切る。そのまま線路に落ちて、向こうから電車が来るビジョンが見える。減速しようとしてもきっと間に合わないだろう。この死に方は、親族にかなりの迷惑をかけることになるのであまりおすすめはしない。人身事故。電光掲示板に都会なら頻繁に流れている文字だが、実際目の当たりにする機会はそうはない。痛いんだろうな。どれくらい痛いんだろうか。でもきっとわたしの痛みなんか知らずに、車内とホームは舌打ちと悲鳴とシャッター音で埋め尽くされるんだろう。   

 おじさんがわたしの踵を踏みつけたからなんて、きっと誰も思いつかないはずだし、その中でおじさんは小さな罪悪感を一生抱えて過ごすんだ。


そんなの、考えただけでぞくぞくする。


「電車が到着します、黄色い線の内側までお下がりください」

 無機質な女性のアナウンスと共に、わたしは三歩目を踏み出した。


 踏み出した、はずだった。


「馬鹿野郎!」


 実際にぐらりと線路に投げ出される浮遊感を少しだけ味わった。だがそれだけだった。わたしの身体は隣にいた背広姿の男の人に左腕を掴まれ、強引にホームへ引き戻されたのだ。ふわっと煙草の香りがわたしを包む。一瞬何が起きたか分からず、しかし背中を男の人に預けたままなのは迷惑だろうと思い身動きをとろうとした。それでも、男の人はわたしの腕から手を離してくれない。


「あの、離してくれませんか?」

「嫌だね、離したらまた飛び込みそうだ」


 止められてしまった。

 これはいけない、よくない。


 仕方無しに見上げる。わたしを止めたのはお兄さんとおじさんの中間くらいの男性。身長はそこまで高くないが低くもない。面倒くさいことが嫌いそうな瞳をしているのに、真っ先にわたしをつかまえてくれた人。黒いぼさっとした髪の毛と着古されている焦げ茶色の背広姿は、贔屓目で見てもサラリーマンといった感じではなかった。


「どっちにしろ、お兄さんはこの電車に乗れませんよ」

「は?どういうことだ」


 お兄さんの疑問の声の直後、到着する予定だった電車がけたたましいブレーキ音をたてて止まった。その後幾度もの警笛が聞こえて、一瞬にしてホームは騒然となった。わたしはあまりの煩さに、右手だけで耳を塞ぐ。数回の短い警笛の後に長い長い警笛。ざわついたのはわたしがいた場所より少し先だったが、現場にいた男性の一声がはっきりと届いた。


「人が落ちたぞ!」


 少しの静寂、からの悲鳴とどよめきと駅員が何人も走ってくる足音。投げ出された鞄は有名な私立校の指定鞄に見えたし、近くに座り込んでいるのは同じ鞄を持ってシックにまとまったセーラー服を着た女子高生だ。落ちたのは恐らく、彼女の友達だろう。


「只今、当駅にて人身事故が発生致しました。電車復旧までしばらくお待ちください」


 人身事故を告げるアナウンスが響き渡ると、周囲の人達はざわりと一つの生き物のように波打った。どこかに電話をする人、驚愕と好奇心から携帯のカメラのシャッターを向ける人、『その瞬間』を目撃してしまいショックで泣いている人、それと沢山の舌打ちと溜息。反応は様々だったが、わたしは気にせずに歩き出した。掴まれていた左腕はいつの間にか解放されていたのだから、電車が動かない上に死に損ねた今ここにいる理由は一つもない。        

 振替輸送を使って学校に向かわなければいけないのだ。別の線を使うために歩き出すと後ろから声がかかる。


「ちょっ、おいおい待てよ!」


 さっきの背広のお兄さんだった。


「急がないと遅刻してしまうので待てません」

「じゃあ歩きながらでいい。お前、あいつが轢かれるって分かっていたのか?」

「いいえ」

「ならどうしてさっきあんなこと……!」


 この電車には乗れませんよ、と言ったのは確かに自分だ。仕方ないのでわたしはそのまま歩みを止めずに言葉を返した。


「わたしが死に損ねると、代わりに誰かが死ぬんです」


 自分でも何とも面倒な性質だと思う。

 でも本当なのだ。今まで何度もしにたがりの精神で生きてきて、飛び降りも首吊りも睡眠薬も、何度も色んな理由で死のうとして失敗する度に同じ死に方で近くにいる人が死んでしまっている。偶然で片付けられるような数でもない。


「何だ、そりゃ」

「信じてもらわなくて結構です。どうせなら、わたしを死なせてくれれば良かったのに」

「本当かどうかは知らないけどよ、目の前で自殺しようとしてるやつを見殺しに出来る人間なんていねーよ」


 好奇心に任せて人身事故の現場を写真におさめて笑っている周囲の人間に対してもこの人は同じことを言えるのだろうか。助けたら自分も巻き込まれてしまうかもしれない状況でも、見殺しにしないなんて断言出来るのだろうか。


「だって、わたしはしにたがりなんですよ。とばっちりで赤の他人が死んでしまうよりよっぽど理にかなっているし、悲しむ人もいない」

「それでも俺は見殺しにはできねえ」

「しつこい人ですね」


 暑苦しい、そう思った。

 まるでドラマに出てくる熱血漢の刑事みたいな人だ。

 迂回ルートに使う電車のホームまで着いてきたお兄さんは、そのまま一緒に乗り込んだ。同じような考えの人が沢山でそれなりにぎゅうぎゅうだったが、何とかつり革につかまる。


「俺もこの電車から仕事に向かうんでな」

「てっきり新手のストーカーなのかと思いました」

「自殺を止めて吊り橋効果、ってか?」

「警察呼びますよ」


 そこでお兄さんは初めて笑った。笑うと声が掠れるのが特徴的だった。


「残念だな、俺がその警察ってやつだ」



 お兄さんは高槻草太と名乗ったし、わたしは美作ほたると名乗った。確か、わたしが高校生になってすぐのことだった。




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