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「あの子は、まだ星が好きだろうか」

いち



 コンコン、コン。


 二回、一拍、一回。

 いつも通りのノックを響かせて扉が開く。


「よう、今日も生きてるか?」


 体育会系のような明るい声のトーンに似合わない内容を言葉にしながら、背広を肩にかけた刑事さんは勝手に入って来た。


「レディの部屋に返事も待たずに入ってくるなんて、刑事さんはモラルってものがないんですか?」

「学校の一部を私物化している奴にモラルを問われるとはな」

「おはようございます、刑事さん」

「残念だが、世間はもうこんにちはの時間だ」


 どうやら世界はとっくにおはようを済ませていたらしい。被っていたふわふわの毛布を無理やり引っぺがされて、広がった視界の先にある窓から見える太陽は真上に確認出来た。ついでに壁にかけてある学校指定のどこにでもある掛け時計を見れば、時間割で言えばもう昼休みに突入していた。だから廊下が騒がしいのか。


「えへへ」

「褒めてねえぞ」


 それは残念。

 わたしと刑事さんがいるこの部屋は、普通の高校の教室よりは少し狭い。応接室で使われなくなった大きくてふかふかのソファーと、数式の書き込みが沢山してある大きな机があるだけでそれなりに圧迫される程度の広さ。家庭科室から拝借してきた電子ケトルとマグカップが二つ。それとふかふかの枕にふわふわのピンク色の毛布。机の上にはわたしが大好きな『星の王子さま』と、パステルカラーがとても可愛らしい金平糖が沢山詰まった大きなガラス瓶。それだけが、わたしの世界。


 わたしは学校に来るとここにまっすぐやってきて、金平糖を食べながら『星の王子さま』を読む。そうすると、すっかり眠くなっていつの間にか寝てしまう。好きなだけ寝て、たまに目を覚まして、ぼうっと空を見る。星が沢山見える頃になると、もう家に帰りなさいと完全下校の放送が入る。それを聞いてわたしは仕方なくこの部屋を後にする。その繰り返し。この部屋の入り口には小さく『天文部』と書いてある。


「よく教師は何も言わないな」

「すごく便利な言葉がありまして、わたしは世間一般には保健室登校ってことになっているんですよ」

「随分と自堕落出来る保健室だなここは」

「面倒臭いものには蓋をして、無かったことにするのが一番なんですよ。わたしと正面から向き合って何が出てくるのか、先生たちにはきっと怖くて怖くて仕方がないんです」

「そういうもんかねえ」

「そういうもんです」


 食べますか?とわたしはガラス瓶の中に手を入れて一掴み、金平糖を刑事さんに差し出した。おう、と言ってボリボリと品のない音を立てながら沢山の星くずは刑事さんの口の中に押し込まれる。最初はいらねえよ、なんて拒否されていたのに、今ではすっかり丸くなってしまった。マグカップが二つあるのも、刑事さんがしょっちゅうこの部屋に訪れるからだ。しかしこれではどっちが丸くなったかわかったものではない。それが少し悔しくて、えいと黄色の金平糖を刑事さんに投げつけた。


「いてっ」

「それで、今日は何しに来たんですか?」


 刑事さんは大げさに頬を押さえながら、おおそうだったとわたしを見た。全く、折角の睡眠時間を削って相手をしているんだから、その辺りはしっかりしてほしい。わたしの希望が伝わったのか、刑事さんは秋になっても着ずに羽織ったままの背広の内ポケットから一枚の写真を出した。そのままわたしの目の前にある机に置く。


 覗き込むとそこに写っていたのは、全く知らない男子学生だった。

 いや、何もわからないわけではない。わたしの通っているこの学校の男子制服を着ていた。しかしわたしには見覚えがない。何故ならわたしは学校には通っているが、教室には一切顔を出していないからだ。しかもきっちりと学生服に身を包んだその男子にはこれといって特徴がなく、もし話したことがあったとしてもすぐに忘れてしまいそうな程平凡な容姿をしていた。


「都立有里高校二年五組、三井貴志。見覚えはあるか?」

「あると思いますか?」

「ないな」

「だったら何で聞くんですか、刑事さんは暇なんですか?」

「馬鹿野郎、殴るぞ」

「訴えたらわたしが勝っちゃいますけど、それでも良いならどうぞ」


 ぐう、と悔しそうに拳を握った左手を下す。刑事さんはわたしと同じ左利きだ。


「それで、この三井くんがどうしたんですか?」


 わたしは八割方わかっている質問を刑事さんにとばす。そう、わかりきっているのだ。どんなドラマでも刑事さんが一般人に見知らぬ人間の写真を見せて言うことなんて相場は決まっている。

 犯人か、被害者だ。


「今朝、遺体で発見された」

「わあ、そうなんですね」


 遺体と死体の呼び分けは、身元が分かっているか否かで決まると聞いたことがある。


「見つけたのは一限が終わってすぐ。所属していた将棋部の部室で首を吊っていたのを、同じ部活の奴が発見したそうだ」

「ふうん、それでよく授業が中止にならないですね」

「馬鹿、とっくに中止になってるよ。全校集会を終えて、生徒はついさっき下校した」


 なるほど。さっき廊下が騒がしかったのは、昼休みだからじゃなくて一斉下校だったからなのか。

 しかし教師にもいないものとされて、友達もいなく、部室登校のわたしには関係ない話だった。わたしが授業で唯一興味あるのは地学で行われる天体の時間だけなので、果たして毎日登校しているのも認知されているのかは不明である。


 刑事さんは合点がいったわたしを見てひとつ溜め息をついた後、ソファの背もたれに軽く腰掛けた。ふかふかなのがお気に入りのソファに座ったままのわたしは至近距離に来た刑事さんを必然的に見上げることになる。刑事さんは男らしい顔をしているくせに、きっとわたしよりもまつ毛が長い。ずるい。


「そこで、だ。形式的にだが聞きに来た。何しろ遺書も見つからなかったもんでな」

「どうぞ言ってみて下さい。形式的に返しますから」


 ぐっと刑事さんの顔がわたしに近付く。利き手である左手がにゅっと伸びてきて、わたしの首を確認するかのように撫でた。



「ほたる、お前自殺しようとしたか?」


 なんて形式的な質問なんだろう。


 刑事さんが今更そんな疑問を持つなんてことは、あり得ない。だってわたしは自分ではあまり認めたくはないが、もう随分丸くなって、言うならば『星の王子さま』のキツネのようにあわよくば彼に『飼いならされたい』と思っているのだ。それならば、勝手に死んじゃいたいなんて思わない。でももしもわたしが勝手に死んだとして、刑事さんは泣いてくれるだろうか。それは少し気になったので、機会があったら聞いてみることにしよう。



「いいえ。刑事さんがいないところで死にたくはありませんから」



 わたしの首は、ロープの痕なんてない綺麗なものだった。



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