*後編*
***
その後、俺は彼女を連れて商店街を二人で歩き出した。いくら太陽が沈んだ後とはいえ、すっぽんぽん……こほん。産まれたままの姿で彼女を歩かせる訳にはいかない。
俺の服で申し訳ないが、純白のブラウスと紺のジャケットに裾を大分捲ったズボンに着替えてもらった。
……健全な方には不必要な説明かもしれないが、一部の方及び、後で振り返った時に自分自身の欲を抑制する為にもこれは語らずにはいられない重要な話なので彼女には内緒でこっそりと伝えておこう。
……彼女は『ドロワーズ』を穿いている。
いつまでも恥ずかしがる彼女の為に俺が出掛ける前に極秘闇ルートで購入した。可愛らしいフリルのドロワーズを見るやいなや、彼女はあまり気に入らなかったようで『何このカボチャパンツ!!』と床に投げ捨てた。
だが、俺が気に入らないなら箪笥にしまっておくと言ったら、俺の手から目にも止まらぬ速さで奪い取り、別室に籠り穿いて来たようだった。
……ようだったというのはアレだ。何せズボンを穿きベルトを締めてしまったらもう俺にも確認出来ないからな。
そして俺はちとせと商店街で買い物をしている。
まずはドレスだ。小柄なちとせにあう綺麗な刺繍が施してある透き通るような真っ白いドレスを探した。
床に付くくらい長くても引きずってしまっても良い。豪華で綺麗なドレスを着ていたら、外の汚ならしい地面にドレスが着くことを恐れて迂闊に外出することはないだろう。もし、家に帰りたいと逃げようにも長いドレスが邪魔をして走ることは出来ない。
……彼女を束縛している? それは、誤解だ。
俺は彼女が躊躇している間にそっと耳元で囁くんだ。
「君の欲しい物なら何でも与えてあげる。資産、力、友人や家族だって、全て欲しいものは俺が与えてあげる。君が望めば血も。永遠の命だって。……だから、もう少しだけ我慢して側に居てくれないかな……?」
彼女の隣には常に俺が寄り添い、転ばないようにと小さな手を握り締めるんだ。
……そう口説き落とす作戦まで考えていたのに、ちとせは俺の思惑とは裏腹に膝下までの白いワンピースを指差した。
「……動きやすいから、これにするわ!」
……まぁ、ちとせが気に入ったら何も言えないよ。俺は次の作戦を考えるまでだ。
洋服や下着や靴下、靴や帽子に傘に小物。
彼女がお屋敷で過ごすには充分すぎるほど沢山の買い物をした。両手一杯の紙袋を持つのは俺の役目だ。吸血鬼は普通の人間よりも力持ちだからね。
……まぁ、俺の場合、長い間トマトジュースしか飲んでいないから例外なのだけど……。
「ちょ、ちょっと、どうしたの……!?」
……ああ、申し訳ない、ちとせ。
これは俗に云う……貧血だ。
ほとんど屋敷に籠っていたから体がついていけずに倒れてしまった。……そんなペットの犬が死んだような悲しい顔をしないでくれ。潤んだ瞳で見つめられると俺は困惑してしまうんだ。
……ああ、愛しい、愛しくて、苦しい。
こんなに純粋で可愛らしい人がこの世に存在していたとは思いもしなかった。
……今すぐ彼女の時間を止めて、ずっと一緒にいたい。永遠の時間をちとせと一緒に過ごしたい……。
……お願いだから俺の為に涙を流さないでくれ。その瞳に溜まる涙ごと舌で絡めとって、ちとせの体内に流れる甘い人の血と一緒に貪りたい……。
愛しい……愛しい……狂おしい。
俺の体内に眠る吸血鬼の血が目の前で弱々しく泣く乙女の首に咬みついたーー……。
***
「痛っ……!」
ジルに首筋を甘噛みされて思わず声を上げてしまう。
「やめなさい……! やめてって言ってるでショ……!!!!」
ジルは何度も何度も深く頭を下げた。本能的に思わずヤッテしまったと、地面に顔が付くくらい深く反省した。
顔を上げたジルの髪形は乱れていて、彼の高い鼻先には泥が付着していた。膝や手の甲に泥を付けて。これじゃあ、吸血鬼と言うよりも……。
ちとせは自分より遥かに年上の紳士が、自宅で飼っていた愛犬に見えてきて可笑しくて笑ってしまった。
ジルは目を丸くしてキョトンと大人しく座っている。咬まれた首筋を彼女は指でそっと触れてみたが、牙が触れただけで、吸血行為はされていなかった。
ちとせは可笑しくて笑いが止まらない。
人の視線を避けることなくお互いの目と目を見つめ合って会話が出来る。当たり前のことだけれど、自然の空気を吸って肺から思う存分吐き出すことが出来る。ここには『自分のことを好きになってくれる人』がいるーー……。それだけで、彼女は嬉しかった。
「ジル、私はまだ立派な大人には成りきれない未熟な少女だけれども……貴方が望むなら喜んで貴方の妻になりましょう……」
彼女が好きになった旦那様は吸血鬼でしたーー……。
そして……。
*来る日、十二月十四日*
二人は教会で大勢の黒い影に見守られ誓いの言葉を交わしたー……。
吸血鬼ジルは漆黒の闇のようなマントに身を包み、純白のドレスを着た、ちとせを愛おしそうに見つめる。
遠くから見つめる影の中にはやはり吸血鬼も紛れていて、久しぶりに見る美味しそうな彼女を狙うように見ていた。
……誰もがちとせが吸血鬼の手によって吸血鬼になる瞬間を、真っ白な肌に牙を立てて溢れ出る人の血の匂いを今か今かと期待していたのだーー……。
ジルはちとせの柔らかな頬に頬ずりする。彼はそのまま視線をずらし、彼女の首筋を舌で舐めると自慢の牙をさらけ出したーー……。
「……っ……!!!!」
ジルの唇から溢れた血は唇を伝って彼の首筋へと流れ出す。
ちとせは血で汚れた彼の唇を拭うように自分の唇をあわせたーーーー……。
(ジル……私の愛しい旦那様)
二人の誓いに教会は盛大な拍手で盛り上がる。
中には数人、霧の中に姿をくらました者もいるとかいないとか。
二人は結婚式の後、寝室で休憩を取っていた。
ジルの唇には大きな絆創膏が妻の手により貼られていた。
「いててて……この傷では暫く、ちとせにキスすることは出来ないなぁ……ああ……残念だ。本当に残念だ……」
吸血鬼の旦那。台詞が明らかに棒読みです。
わざと、そう言っているのバレバレです。
「みんなに認めてもらう為とはいえ、自分の唇を咬んで血を出すなんて無茶苦茶よ」
「……ちとせを吸血鬼にしたくなかったから……」
吸血鬼はごく稀に人間と結婚することがある。結婚式で人間の血を吸い、血の交換をすることで、主従関係を結ぶのだ。人は吸血鬼として生まれ変わり、永遠の命を与えられ、主の下で永遠に血を貪られ続けるーー……。
しかし、ジルはちとせが望まないなら敢えて吸血鬼にはしないと言った。『トマトジュースばっかり飲んでまた倒れても知らないからね』と、彼女が聞いても、彼は知らんぷりをして目を合わせようとしない。『薄暗い部屋の中でばかりいちゃついでいないで、たまには傘をさして散歩でもどう?』と言うと、喜んで彼女の後ろについて行く。そう言うところが、彼女の飼っていた犬にそっくりだ。
『キスはたくさんしてくれるのに、絶対にそれ以上のことはしない』そんなことが、ちとせには全然理解できない。
***
……これは俺の傲慢な我儘だけれど、ちとせには人の姿のままでいて欲しいんだ。雪のように真っ白で、か細い指先は贄の為だとしても、他の餌の血液で汚して欲しくはないし、まっすぐに俺だけを見つめていて欲しい。
ちとせから渡されたレースの真っ白なハンカチで口元を抑える。
ーー誰かを殺めることもなく、少女のような純粋な心のままでいて欲しいんだ。
そして、そんな彼女……いや、俺の妻の首筋に。
ちとせの首には蜘蛛の糸のように細いチェーンの真珠のネックレスが結ばれた。
真っ白な肌を突き刺すのは自慢の牙ではなく……貴方に触れる瞬間は短い時間でも、吸血鬼ではなく、一人の男として……貴方の側で永遠の愛を囁きたい。
***
あれから何十年か経った後、出会った時と変わらぬ無邪気な犬っころみたいな仕草でジルはベッドでうとうとと眠るちとせの側に来た。
彼女は相変わらず、真っ白なワンピースを着ていて、彼の手を握り返す。
ジルは吸血鬼とは思えぬ程の弱々しい声で、彼女の耳元で愛を囁く。それを聞いて、目元にシワが沢山寄るくらい笑みが溢れて笑いが止まらなかった。
ちとせがこの地に降り立った時『一人だけに好きになって欲しい』と願い、願いを叶えたのは本当に『神様』だったのか。
古びた書斎に、産まれたままの姿で呼ばれた彼女。
実は『悪魔』の手によって召喚されたのかもしれない。
「もし、輪廻転生があるのなら私は何回だって死んであげる。そして……何度でも……貴方の……元へ……」
その後の記憶はない。
……ただ、確かなのは……
彼女は生涯、一人の吸血鬼に愛されたということーー……。




