*中編*
***
突如、俺の目の前に現れた少女。
お世辞にも発育がずば抜けて良いという訳ではない体に、ぷにぷにとした柔らかそうな二の腕。
胸元まで伸びた少し猫っ毛の髪は自分と同じ色をしていた。余計なお世話かもしれないがその毛質を活かして、毛先だけパーマをかけたら自分好みなのにと思った。
しかし、化粧をせずとも産まれたままの姿でこれ程美しい女性は見たことない。
人の心の闇に触れてしまったらすぐに濁ってしまいそうな程澄んでいて純粋で清らかな眼。
俺が君のような純潔の乙女を狙う吸血鬼だと知ったら、逃げてしまうだろうか。
その柔らかそうな唇に。
男性など抱いたこともないであろう少女の肌にプツリと牙を刺したら、健康で美味しそうな血がドクドクと溢れ出すであろうーー……。
……ああ、彼女の血を貪りたい……。
骨の髄まで味わいたい……。
俺に吸血されて彼女はどんな悲鳴をあげてくれるのだろうか……。考えただけでゾクゾクして、試してみたくなる……。
……しかし、今あったばかりの少女に逃げられても困る。大切に大切に様子を窺うことにしよう……。
***
「はぁ……はぁ……はぁ……」
この屋敷の主であるジルは、太陽の光を浴びてしまい、ちとせの上に倒れかかった。
彼は息を切らしながらも、自我を抑え呼吸を整えようとする。
「ヴァンパイア……?」
先程、彼は自身のことをそう言った。
ヴァンパイアと聞いて、ちとせは中学生当時の記憶を思い出した。中学生の頃にハマって自分のお小遣いでコツコツ集めていた漫画がある。吸血鬼の女の子が人間の男の子に惚れて恋をするラブコメディだ。たしか、女の子の弱点は『にんにく』『十字架』そしてーー……。
「まさか太陽の光を浴びると灰になっちゃうのーー……?」
ジルは心配そうに見つめるちとせに優しく微笑みかける。
「俺は……灰にはならない……」
その答えを聞いて良かったとホッと胸を撫で下ろす。それもつかの間、ジルはちとせに攻め寄った。
「灰にはならない代わりに、日焼け程度の軽い火傷は負うんだ。今ここで吸血が出来れば傷も早く回復するのだがなーー……」
「吸血ーー……」
ジルは私の右腕を手に取ると、自分の頬にあてる。暗くて傷はよく見えなかったが彼の綺麗な頬は軽く熱を持っていた。
「私がカーテンを開けたせい……? 貴方が吸血鬼だなんて知らなくて、ご、ごめんなさい……」
ちとせは人に傷を付けてしまったのでどうしょうと慌てふためいた。
「そう……全部、君のせいだよ。俺の顔に傷が付いたのも、こうやって責められているのも、全部全部知らずに化け物の棲む屋敷にやって来た君が悪い。だから君は今から選ぶんだ。大人しく俺の餌になりここで殺されるか、俺と婚約して俺の妻になるかだ」
(……ええ? 吸血鬼の旦那。今なんとおっしゃいました? 私が以前ハマった漫画では無様な雑魚キャラは確かに主人公が生きる為の餌になりましたが、血を吸われて貧血になる程度で死ぬことなんてなかったはず……。
後者はどういうことですの? 吸血行為と婚約なんて辻褄が合わないんですけど……。
……ああ! 理解しました。これは『嫌がらせ』ですね。婚約して妻……ではなかった『召し使い』として、美男子の顔に傷を付けた慰謝料の代わりに、死ぬまでお屋敷でこき使われるってことですか……?)
ちとせは頭の中で必死に必死に考え、答えを出した。
「それならここで貴方の餌になります。どうせ一度は死を選んだ命。輪廻転生しても報われない、誰にも愛されないのなら何度でも死にます」
その言葉を聞いてジルは腹の底から声をあげて笑った。
「今のは冗談だ、ちとせ。それにしても自ら死を選ぶとは、長年生きてきた中でも上位100位にランクインするくらい中々面白い答えだったぞ……!!!!」
(吸血鬼の旦那。
長年生きているのが今の台詞で分かりましたけど、上位100位って言うのは寿命が短い私共には理解し難い冗談です)
「決めた、答えは後者だ。
君を俺が嫁に貰うことに決めた」
(……話を聞いちゃいねえ……)
ジルは目をキラキラと輝かせて、ちとせをぎゅっと抱き締める。愛猫を愛でるかのように頬と頬をすり合わせた。
先程まで熱を持っていた彼の頬はすっかりと冷めて元の体温に戻っていた。
「あの……話に水を差すようで恐縮なのですが、日本の法律では結婚するには女性が十六歳の誕生日を迎えなければなりません。私の誕生日は十二月十四日。後、六か月も先なのです。……それに、正式には身元保証人二人の承諾が必要でそれを市役所に提出して受理されなければ婚約は出来ないかとーー……。」
「……? 市役所? 日本の法律? 日本とはどこの国の事だ……??」
お互いがどんなに意見を交換しても話が噛み合わない。そして、突然現れた書斎。漫画でしか見たことがない吸血鬼。妙に納得していたがやはり何かが可笑しいーー……。
「ジル……少しだけカーテンを開けて、外を見せてもらってもいいかしら……? もちろん、ジルは太陽の光が当たらぬよう陰に隠れていて欲しいの……!」
自分自身に起きていることにもっと早く気づくべきだった。ちとせはそっとカーテンを開けて窓から外を見る。
オレンジや灰色の煉瓦の石畳に鉄の骨組みで支えられた三階建てのお屋敷。町を歩く男性はシルクハットや燕尾服を着て、女性は色味を抑えたドレスを着ている。馬の蹄の足音が徐々に近づいて来る。左の通路からやって来たのは黒い馬車だ。先頭で馬を操る馭者が手馴れたように人を掻き分け馬を走らせる。
「夜になったら、俺も外を出歩ける。
一緒に買い物に行こう、ちとせ……」
ジルが書いていた本に視線を移す。
見たこともない暗号みたいな文字、しかし読もうと思えばなぜか読むことが出来る。
この状況と非常に良く似た話を漫画で読んだことがある。そしてお決まりの台詞として、物語の主人公はこう呟くのだーー……。
「ジル……もう一度聞くわ……
ここはどこ……? 私は、誰の婚約者になるの……?」
「ここは、スピネル・ノクターナの夜が好きな者が多く集まった街だよ。
君はここで吸血鬼の婚約者になるんだーー……。」
ジルは私の薬指にそっと口づけをする。
少し開いた唇の隙間から鋭い牙が見える。
彼は何度か角度を変え優しくキスをしてくれた。
私は逃げれば咬まれてしまう気がしてなされるがままになる。犬は主と認めた主人には咬むことはない。
しかし、こちらが相手を傷つけることをしたらその鋭い牙で人間の皮膚など簡単に引き裂かれてしまうだろうーー……。
吸血鬼の婚約者。
それが全てを失ったちとせに与えられた宿命だったーー……。
嘆くことはない。
だってこれは、彼女が死ぬ間際神様に願ったことなのだからーー……。
『たった一人に好かれたい』
あの時はまさか、こんな形で自分の身に返ってくるなんて思いもしなかったけれどーー……。




