31 時代を超えて
二足歩行の猿人が出現してからしばらく過ぎたが、環境要因による森林面積の減少は続いていた。
餌となる果物が減ったことで猿人達は草原への進出を余儀なくされ、樹上生活という大きなアドバンテージを手放さざるを得なかった。
群れで行動してはいたが、鋭い牙や爪を持たない彼らにとって草原の移動はかなりの危険を伴うものだ。
覗き窓に映るのは草原を行く猿人達の群れ。
何匹かは木の棍棒を握りしめている。
樹上生活で発達した指は、道具を扱うことを可能としていた。
道具を扱えるのは他の動物にはない利点であり、生存競争の上で大きな武器となるものだ。
しかしそれらをもってしても草原の過酷な環境で生き抜くのは容易いことではなかった。
そんな彼らに今まさに脅威が差し迫っていた。
群れの先頭集団が大きな草むらの横を通り過ぎようとした時、脅威は牙を剥いた。
草むらから飛び出してきた獰猛なネコ科の大型肉食獣、サーベルタイガーは最も近い猿人へと襲いかかる。
ベテランのハンターであるサーベルタイガーが身を隠して極限まで獲物を引きつけ、その脚力と反射神経を生かして奇襲を仕掛けたのだ。
その一撃は必殺と呼ぶにふさわしかった。
急所である喉元へ突き立てられた牙は皮膚だけでなく頸動脈と気道を切り裂きながら食い込んでいく。
飛びかかった勢いのまま地面に組み伏せられた猿人は致命傷ではあったが即死には至らなかったようだ。
猿人もしばらく抵抗していたが、サーベルタイガーは噛み付いた所を支点にしてブルリと大きく猿人を振り回すと、猿人の儚い抵抗も止んでしまった。
脊髄を損傷させて獲物をおとなしくさせるという野生の業だ。
怯えながらも仲間を助けようと威嚇していた猿人達も、ぐったりと動かなくなった仲間をみて早々に退散していく。
薄情ではあるが、群れの生存率を上げる的確な判断である。
弱い彼らは今までこうして種をつないできたし、これからもそうして生き続けなければならないほど、過酷な環境なのだ。
「……お猿さん……弱い……私の甲殻で作った鎧と武器をあげたい……」
「気持ちはわかりますけど、駄目ですよ。こういった過酷な環境が進化と適応をもたらすのですから」
「満たされてしまうとそこで停滞しちゃうからね」
「うん……わかった……ちゃんと見守る……」
最小限の犠牲で難を逃れた先程の群れはその進路上でようやく彼らの獲物を見つけたようだ。
にわかにざわめき立つ彼らの前方には、水牛の祖先であろう偶蹄目の死肉を貪るハイエナ達。
棍棒を持った猿人達は顔を見合わせ、一斉に威嚇を始める。
地面を叩くもの、勢いよく振り回すもの、高く振り上げた姿勢のものなど様々ではあるが、その威勢に押されてハイエナたちが後ずさる。
それを好機と見て、群れの後方にいた棍棒を持たない猿人たちが骨ごと肉を略奪していく。
ハイエナを追い払う役と獲物を確保する役との分業が成立しているのは、高いコミュニケーション能力のおかげだろう。
しかしハイエナも餌をとられてたまるかと激しく威嚇してきた。
態勢を立て直したハイエナたちには分が悪いと踏んだのか、もしくは必要以上の追撃を逃れるためか、半分以上の肉を残して猿人達は撤退した。
「戦略的撤退ね!」
「……おさる……弱いけど……頑張ってる……」
「それにしてもハイエナからハイエナするとは……やるわね!」
「死肉漁りというイメージの強いハイエナですが『腐肉も食べる』というだけで、集団で狩りをする優秀なハンターなんですよ」
「……シア様……さっきのワンワン可愛かったから……」
「はーい。ちょっとまっててね」
シアは胸の前で手の平を向かい合わせ『星の願いを』発動させる。
手の間が淡く水色に光り始めてしばらくすると、一際明るく輝きながら小さなハイエナが生成された。
デフォルメされて丸みを帯びた体とブチ模様が可愛らしいぬいぐるみだ。
「はい、どうぞ」
「かわいい……シア様ありがとう……」
そんなやり取りをしている間に猿人達は安全なところまで逃げてこられたようだ。
ハイエナ達から三百メートルほど離れたところで猿人達の食事は始まった。
奪った肉は偶蹄目の下半身部分だが、すでにハイエナに半分以上食い散らかされた後だ。
決して多くはないが、各々で自分のわけまえを確保して一様に肉にかじりつく。
骨の表面についた肉をあらかた食べ終えた猿人は、骨を使って地面や木を殴りつけている。
これらの行動は決して不平不満を当たり散らしているわけではない。
骨を割ってその中の骨髄を取り出しているのだ。
長年の経験で貴重な食料をまさしく骨の髄まで味わう方法を熟知していたのだ。
そんな中で骨髄を取り出すのに苦労している猿人がいた。
力が強いわけでもないのに、太い大腿骨の部分を確保してしまったからである。
他の仲間達は固くて大きな石を使って割るものもいたが、彼の近場には手頃な石がなかったようだ。
「シア様迷える子猿に救いの手を差し伸べてはいかがでしょうか?」
「ん……? あーそういうことね!」
「……どういうこと……?」
「見ててね、ラヴィー」
シアは『星の願いを』を発動して、骨が割れなかった猿人の近くに灰色の石を転がしていく。
急に転がってきた石を不審に思いながらも、骨を割るために石を拾う猿人。
そして高く振り上げて骨へと叩きつける。
太くて頑丈な大腿骨は一度叩きつけたぐらいではびくともせず、猿人は繰り返し石を叩きつけていく。
一際強く叩きつけた時に石が欠けてしまったが、そのまま骨へと叩きつけたその時だった。
ギッと短い悲鳴を上げて猿人は反射的に石から手を離す。
どうやら割れた石の欠片で手を切ってしまったようだ。
忌々しげに石の欠片を見つめる猿人だったが、その鋭さに気づいた猿人は割れた石の観察を始めた。
指で鋭い部分に触れてみればうっすらと血が滲み、割ろうとしていた骨に擦り付ければ鋭利な跡が残った。
新しい発見に空腹も忘れて没頭していた猿人だったが、興味深げに見ていた隣の猿人に石の欠片を取られてしまう。
隣の原人も同じようにいろいろ試してみては新しい発見に夢中になっていった。
まだまだ石の欠片を使いたかった猿人は、自分がどうやってアレを手に入れたのか思い出していた。
再び骨へと打ち付けて石を割る。
今度はとられても大丈夫なようにと多くの破片を作り出す。
すると今度は食事もせずに奇行に走る猿人のもとに、群れの仲間が大勢寄ってきた。
彼が石の欠片を自由に使えるのは、まだまだ先になりそうだった。
「ちゃんと石器が作成されたようですね」
「……シア様、ナイスアシスト……」
「ルナがアドバイスをくれたし、前々から下準備はしていたからね」
「『星の願いを』の補正でいつかは石器が生まれたとは思いますが、やはり偶然に頼る部分は直接手助けしたほうが時間がかかりませんね」
「自主性を損なわない程度に、程よく手助けしなきゃいけないけど、そのへんはルナがうまく調整してくれるでしょ」
「えぇ、お任せください。シア様」
先程の灰色の石は『チャート』や『角岩』という堆積岩の一種でその主成分は石英である。
その由来は放散虫や海綿動物といった太古の海洋生物の死骸が海底に堆積してできたものだ。
いずれ必要になるとの助言で、少しずつ地殻変動を行って海底だった部分が地表へ露出するようにしておいたのだ。
海底の水圧で押し固められた沈殿堆積物ゆえに、非常に固い層状の構造であることが多くその破片は鋭利な物になりやすく石器に適した石なのだ。
地球でも石器として数多く出土している実績のある石なのだ。
太古の昔に死んだ生き物が時代を超えて石器となり人の発展を助ける……なにがどう繋がるかわからないものである。




