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秋風の園

作者: 海馬幸願

一章(1)


ゴトンと轍に車輪が捕られる音に新明は目を覚ました。物見の簾から上げ外を見ると心地よい秋風と共に月明かりが牛車に流れ、新明は格子越しに満天の星と満月を彼は見上げた。


「今宵はどちらに向かわれますか」と新明に気付いたのか先導の秀定が語りかけた。

秀定は新明が付けた名で身の回りの世話をするために使えていた。

丁度牛車は東十条通りを南へ上がり新明は小柄で細く一般的には目立たない男であったが短歌と琴に精通して宮の女官には魅了され、上位の位ではないが朝廷から牛車に乗る事を許され下人を数人抱えていた。

其れは、新明の人柄と溢れ出す短歌の優美から来るものだろうと皆に思わせる風格も持ち合わせていた。

新明は月夜を見ながら「月明かり何処を照らす星に聞けども、御前の園秋風に漂う」と呟くと、秀定は「また、花蘭女房の所ですか」と溜息交じりに呟き、二股の分かれる小道を右へと牛車を向かわせた。

女房とは貴族社会の使用人の女官を指し、特に花蘭は文筆に優れ男女問わず好かれて彼女が出す歌集は売れ筋となり夜な夜な徘徊をする人も現れた程で、女官としては珍しく武士が警備のため常に目を光らせていた。皆の評価通り確かに花蘭は才女で人々を魅了する何かを漂わせ、この時代には珍しく少し背が高くふくよか身と長い黒髪は妖艶な美しさがあった。

路地を曲がると一軒の屋敷の前で牛車を停め秀定は警備の武士に頭を下げ新明に声を掛けた。新明は何事か武士に話しかけ屋敷の中に消え、秀定は無表情な武士の前で「月夜は長い」と溜息を付き土塀に経たり込んだ。


(2)

新明は鴨川の畔に居を構えていた。 秀定と下人がもう1人そして料理の支度等を担当していたのが、13歳で新明に奉公している「きぬ」と言う娘で数え丁度17歳になっていた。

母親に連れられて来てから3日間泣き崩れて秀定が当惑していたが、ある時を境に兄の様に慕うようになり、今では秀定の至らぬ所を注意するまでに芯の有る女性に成長していた。女とは此処まで強く成れる物かと新明は時々注意される秀定を見て恐ろしもあり「交わると女は強くなり、さらに母になると怖い物が無くなる。悪女と魔性は一夜にして生まれる」ふと、そんな言葉が脳裏に浮かんでいた。 「秀定がきぬを変えたのでは」と囁き、其れは発展してきぬは子供を産んでいるから強くなったと妄想を膨らませる輩までいた。

川に張り出すように伸びる川床に新明は秋風に吹かれながら短歌事を考え幻想の世界に慕っていると張りのあるきぬの声に我に返り薄暗い部屋の奥へ眼を向けると

「新明様 御膳の支度が出来ました。もう、日がたこうございます。」

新明は急に「秀定はいかがした」ときぬに問いかけると「秀定様は水汲みに行っております」とちょっと躊躇いながら答える声が妙に女を感じ、薄笑いをした新明にきぬは「何かおかしゅうございますか」と声高の不機嫌そうなきぬの顔は途端に少女に戻っていた。

どうも最近のきぬは気難しく言葉の端端に棘がある言い方をし、周りが気を使くので非常に疲れるときがある。然し、きぬも女盛りと言うべきか男を惑わす魅力と優美が備わって来たのかと胸が問い其れが色恋の公卿にも噂となり苦笑する顔に「新明様」と艶のある声にきぬの顔を見上げ屈託のない顔に、不意に

「きぬの先々も考えねば」と父親のような心境が駆られ、「女神の艶花に集まる蜜は何時しか溢れだす」 と言うときぬの横を通り過ぎた。含み笑みをする新明の顔を訝しげに眺め「また殿は妄想の世界に慕っている。」と低く呟き、其れを見図るように鴉が嘶く声がした。女神とは女子だけに備わり徳と理を瞬時に判断することを得ている。女子の神は一つである、其れは理に従い徳は切り捨てたのがきぬの真で、その清らかな心は言葉では純粋と云う。きぬは自分の思うが儘にある人を愛した。心は見えぬがきぬの愛は別な形になり。其れは何時しか周囲の妄想した通り現実となる、きぬは既に身籠っていた。その形は独身貴族の新明にも解るほどで、きぬは時々辛い表情をしては川原で休んでいる時が多くなり声を掛けると「大丈夫でございます」と気丈な返答をするが、胸の張り具合と合わせるように腹は膨れ始めていた。


(3)

形には形状がある膨れた形は秀定ときぬの子と云う結晶として実在し、秀定ときぬとは四つしか離れておらず、最初は兄の様に慕っていたが何時しか慕いは恋に変わりそして愛へと変化していった。真に自然な摂理ではあるが、若い二人には成るようにして成った事で、恋慕うとは自分の心を相手に解放する事でもある。たぶん、煮え切ららず新明に隠し通している秀定にきぬは業を煮やしているのだろう。形として見えるきぬの心境を思うと仲を取り持っても良いが、別な声が勝手な事だと自分に問わせた。まあ、若い二人が好意を持つのは当たり前で、考えるのは埒もない事。新明は思考を辞めた。

秀定は読み書きを新明から教わり、近頃では短歌を書くようにまで成長していた。ある時秀定の一文を見たことがあり、きぬへの思いだろうかと想像させる内容で

「川面に浮かぶ花弁の淡い薄紅に思い耽り、冬至と共に思ひ隔つ」と書き留めていた。

新明は秀定の切ない境地に「優しい男だ」と感銘を受け、ひょっとしたらきぬの身籠りを知らないのでは無いとかと不安に駆られると秀定は思いを殺し断っているのかも知れないと考えるようになり、人は思いが大きいほど内面は弱くなりやがて鬼へと変化する。邪鬼にならぬ前今しか無いと自身に問いかけた。

その夜、新明は夕餉を終えると早々に二人を呼び出し薄明りの中切り出した。


陽炎の様な光が二人を照らし新明の話にきぬは俯く陰翳が話の確信をものがたり、相対して秀定は目を見開き半ば放心状態で聞いていた。話し終えると秀定は薄らと目に涙を浮かべ、我に返るときぬの顔を見た。きぬは俯いたまま黙っる顔に

「きぬ、正直に答えなさい、相違ないと」と平生な声で問い

「間違いございません。 新明様に大変申し訳ない事をしました。今すぐ里に帰り、一人で育てます」気丈なきぬ声は何時しか咽び声へと変化していた。

新明は二人を交互に見ると落着き払った声で

「きぬ・秀定聞きなさい。私は歌で生計を立てている、歌とは思いが無いと書けないもので其れは秀定も解るだろう。」黙り頷く秀定に鋭い目を向け。

「人を愛するとは自然な事で、何を考える事があろうか。思いがあるからこそ、知りたいと思い、知りたいと思うからこそ会いたくなるなんと素晴らしい事ではないか。相手への思いが増大するたびに切ない気持ちが増幅し、やがて膨らみは自分勝手な方向へ向かう。つまり、思うが強ければ強いほど自己防衛力が生まれ自然と相手との間を隔ててしまう。秀定、受け要る事が出来るなら今すぐ自分に思いに答えなさい。そしてきぬ、許せるなら勝手な解釈を捨てなさい。」

俯き続け着物の袖に手を固く押さえつけているきぬの手にポタリ・ポタリと涙が落ち始め肩は震えだし、其れを見ていた秀定はきぬの肩を抱き「辛かっただろう、許せ」と言い、きぬは言葉にならない声で泣き崩れた。

新明はこの二人であれば大丈夫であろうと思うと目頭に熱いものを感じていた。

周りの勧めもあり、新明はきぬと秀定に華燭の宴を開き、お祝いの席で新明は二人の門出に

「君がため 惜しからざりし 命さへ長くもがなと 思ひけるかな」 と藤原義孝の歌を引用し恋の歌で、貴方に会えるなら命も惜しくない、会えた今は少しでも長く一緒に居たいと思うようになったと二人の出会いと一対になる事を望んだ。睦月の空は晴れ渡り透き通るような雲が長く伸びていた。


(4)

花蘭の屋敷に入ると下女の手に持つ蝋燭に伴われ新明は池に映る月夜に目を遣り廊下を進むと、秋風に香の匂いが優美な気持ちを動揺させた。進むにつれ何本かの蝋燭が灯る部屋へ案内され、下女は「少し間お待ちくださいと申しております。」と言うと席を外した。

香の匂いと爽やかな風が新明に纏わり、鈴虫が時折秋の風情を助長させた。 新明は全身にて秋を感じるため目を閉じ一呼吸すると花蘭の姿を思い描いた。


新明と花蘭との出会いは半年前になる、宮廷の雅の舞と称して宴が開かれたとき、目に留まったのが花蘭だった。女房装束を着て一際気高く見えるが、醸し出す雰囲気は何か健気な印象で、新明は既に花蘭の虜になっていた。


新明は同じ歌人である源水の隣に座り、花蘭を見ていると、源水が「花蘭は雅である」と呟いた。新明は「まったく」と言い返すと、「新明殿 惚れていけませぬ、花蘭には悪女が棲みついている。」と含み笑いを浮かべ手に持つ扇子で顔を隠し「でも、惚れてしまうのが男です」小声で新明の耳元で囁いた。新明は源水の言葉に耳を貸さずただ花蘭見詰めていると「蛇の毒を味わってみたい」と欲求に苛まれていた。

宴は何時しか花蘭の周りに人が集まり、ほかの女官は冷ややかな目を向けていた。其れは明らかに嫉妬と言う言葉が適切で、この空間に憎悪と嫉妬が渦を巻き蛇が蛙を飲み込もうと強かに狙っているように思えた。人は一瞬にして善にもなり悪にもなる、源水が言う悪女と言う意味が心に突き刺さった。


其れからの新明は花蘭の所に足しげく通い何時しかそれは激しさを増した。そんな新明を秀定は心配し、「二人を結び付けてくれた新明様が何故あんな女に心奪われるのだろ。」と思う日々が続き一度聞いたことがあるが、教えては貰えず代わりに新明は歌を口にした。

「川氷曇る水面に心乱れる」其れは叶わぬ思いでその言葉に秀定は余計に不安に駆られた。


(5)

秀定は新明の事を考えると居ても立っても居られず、原水の屋敷に相談に出掛けた。秀定の訪問を快く受け入れた原水は訪問の理由が分かっていたように切り出した。「秀定殿心配事は直接聞かれた方がよろしい」と何時もの扇子をパチンと鳴らし、源水は今日の訪問内容を理解している素振りに秀定は切り出した。

「新明様と花園の君の事です」と原水の様子を伺うと広げた扇子に目線を移し「新明様は歌人としては華麗で、特に恋歌は気品が有る切ない気持ちの表現が素晴らしい」と新明の歌を褒め称えたが「でも、新明殿には恋歌は作れるが真の恋は奥手であろう」何故でと訊き返えす秀定に

「花園殿には届かぬ思いでは」と扇子を口元に覆い「ふふふ」と不敵な笑いと視線を秀定に向けた。

秀定は笑う原水を見ながら不快な感情が湧上り、この男如何も好かぬ男だか女だか分からず自分も花園の事が好きなだけではないか」と想像を巡らせ、相談した自分が馬鹿であったと叱咤したが、原水の言葉にも一理あると気付いた。其れは新明様は自分の事に関して特に女性との恋ごとは傍から見ても奥手であると感じていたからだ。秀定は源水に思われる訳はと問い。

源水は誇らしげに「歌が雅な者は己の心を開かず、歌に夢入る者は現実を抓めず。」呟いた。

原水の的確な言葉に此れ以上聞く事が無くなり和歌の話に原水を上機嫌にさせ、夕餉前に屋敷を後にした。帰り際に秀定は花園との事は新明様にはいい薬になるのではと考え、擦ればこのまま思いを遂げさせようと最後まで見届ける覚悟を決めた。落胆した新明様は見たくないがその時お慰めしようと既に思っている自分に苦笑した。


(6)

強いお香の匂いに新明は目を開けると花園が前に座っていた、その透き通る目と艶と弾力のある肌が蝋燭の明りに映り幻想的な夜を予感させ、「花園今宵は一段と美しい」と新明は思いのまま口にしてしまった。


その言葉に花園は「新明様らしく有りませぬ、その様な事を言われるのは」と蝋燭の明りに目を移し「美しいとは表向きの表現で、内る美しさを新明様には見て頂きたく花園はそう願います。」艶の声は風の乗り華を咲かせ香りとして新明の肌に触れる、香りは心に染み入り血を躍動させ願いを歌にさせた。

新明は「君の心が読めぬゆえ、内に秘めたる真が解からず」真意を確かめると花園は賺さず

「想水を満たすほど、心器は大きくありません」と返し、また「新明様は恋歌人と詠われた方と聞いております。その様な方が私の様な者の心が読めぬとは珍しい。私は新明様が優しく、高貴な人とお慕いしております」と答えた。


新明には心の匂いも鈴虫の鳴き声も聞こえず「花園、何処を慕っておる」歌人ならぬ唐突に露わにする声に

花園は寂しく俯き蝋燭が風に揺れ顔をより曇らせた。

「歌人として新明様は女人の心を掴まれます、数多くの歌に誰しも陶酔と官能の世を感じ私もその一人です、尊敬しております。」花園の語尾の掠れる声に新明は心奥に秘めた唱を感じ

「歌人としてか、内なる声は届かぬか」臍を固めた声を上げた。

花園は当惑した様子で、「新明様の心を私くし一人で満たすのは悲しい事です。」と目頭に手を添える顔に新明は心の中で花園への思いが叶わない事を感じ

「傍らで鳴けど届かぬこの想い、秋の風情と君は恋う」と堪えると目を庭に移した。


秋風に鈴虫の声は新明に余計甲高く泣く様に聞こえた。


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