五話
さて、そうと決めたら早速実行に移さねばならない。俺はウサギの首根っこを掴んで持ち上げると、もう一度抱きかかえた。腕の中ではウサギが目を白黒させている。
「え?いやオマエ何言ってるんだ?どう考えても無理だろそんなの。てかどこに行こうとしてるんだ?奴の棲む洞窟とか嫌だぞオイラは……いやだから嫌だったら!はーなーせー!」
なにやら喚いているようだが、俺はそんなウサギを無視してずんずんと森の中を進む。ウィルドゥーラを倒す方法が見つかったのだ。俺ははやる気持ちを抑えきれず、とにかく早く洞窟に向かおうと道を急ぐ。すると突然、左腕に鋭い痛みが走った。
「痛っ!」
「おい、待てって言ってるだろ!」
どうやらウサギに腕を噛まれたようだ。俺は足を止めてその場にうずくまる。抗議のつもりだったのだろう。こちらを見上げてくるウサギのつぶらな瞳は、説明しろと無言で俺に訴えていた。
「そ、その……悪い」
「まったく、びっくりしたぞ。オマエが急に変なことを言い出すから……なあ、ウィルドゥーラを倒しに行くってのは、本当か?」
「ああ」
それから俺はウサギに自分の考えを話した。自分の持つ武器は、さっき見せた通り相手を掠っただけでも即死させることができるということ、それから、この武器を用いてウィルドゥーラを討つ作戦のことを――
「――はあっ?」
俺が全てを話し終えると、ウサギは素っ頓狂な声を上げた。
「ちょっと待て。オマエの持つその不思議な剣が神器じみた力を持ってる――それは分かった。でもオイラがあいつにトドメを刺す役回りってのはどういうことだ!?オイラ嫌だぞあんなの相手にするのは」
実際には神器じゃなくて単なる+99なんだけどな――という俺の内心の呟きはさておき、どうやらこのウサギは俺の考えた作戦に反対のようだ。
「なんで反対なんだ。あの狭い洞窟の中で奴に気付かれず確実にトドメを刺すには、お前の協力が不可欠なんだ。それにお前だって、あいつをやっつけたいと思うだろ?」
「そ、そりゃあ……そうだけど」
「なら、つべこべ言わずにさっさと行くぞ。大丈夫だ、俺がしっかりサポートしてやるから」
するとウサギは渋々といった体で頷いた。チョロい。だがまだウサギは自分の役目に納得がいかないようで、ブツブツと何やら呟き続けている。
「とにかく行くぞ。急がないと、夕飯に間に合わないからな」
「っておいこら!オマエ結構軽い気持ちで行こうとしてるだろ!くそぅ……いくら神器があるからって……」
ウサギの言う通り、この時の俺はかなり軽い気持ちでウィルドゥーラに挑もうとしていた。強化されたこの剣があれば、万が一にも負けることはないと、そう思って……
ウィルドゥーラのいる洞窟は、村からそう遠い距離ではなかった。本当にこんな近くにあって大丈夫だったのかと、洞窟の入り口を見つけた時は驚いたものだ。
俺達は今、洞窟の入口から少し離れたところにいる。二人して、いざ洞窟に着いた途端、足が竦んでしまったからだ。
「や、やっぱり帰らないか?」
「俺も帰りたい……けど、行くって決めたからには、行かないと……やっぱ怖いな」
「オ、オイラ急に腹痛が……」
「やめろ。俺まで腹が痛くなる。あと心臓」
「なあ、本当に行くのか……?」
「……行こう」
やはり、一度決断したことは実行しなければ。俺は恐る恐る洞窟に近付くと、中へと足を踏み入れる。
洞窟の中は真っ暗かと思いきや、ファンタジーの世界らしく、所々に生えている草が発光して道をぼんやりと照らしていた。それを見て、俺の気持ちはまた少し軽くなる。そうだ、これはRPG。俺達は無事怪物を倒して生還するんだ――
しばらく洞窟の中を進むと、小さな小部屋のような場所に辿り着いた。セーブポイントだ――俺の身体に緊張が走った。だが当然と言うべきか、ここにはあの、ゲーム画面でよく見たセーブ用の丸水晶は置かれていない。俺は一旦しゃがみ込むと、懐から短剣を取り出しウサギにくわえさせる。
「いいか、絶対に刃の部分には触れるなよ。危険な毒が塗ってあると思え」
地面に降り立ったウサギが神妙に頷くのを確認して、俺もまたそれに応えるように頷く。とにかく、この短剣は危険なのだ。ウサギもそれが分かっているのだろう、耳をピンと立ててしっかりと短剣の柄の部分をくわえている。俺達は、お互いのコンディションが万全であることを確認し合うと、バッと地面を蹴って隣の広間へと飛び出した。
俺が足を踏み入れた途端、広間の地面はゴオオオオオと音を立てて揺れ動いた。侵入者に反応して、ウィルドゥーラが目覚めたのだ。頭上を見ると、ウサギが一直線に奴に向かって飛んでいるのが見えた。――待て、まだ早いっ!
「止まれ!」
俺は大声を上げてウサギをその場に留まらせるのと同時に、ウィルドゥーラの気を引こうとする。すると敵は、目を細めて俺の姿を確認した。やばい、標的にされる!俺が慌てて屈むと、直後、頭上を熱風が通り抜けた。今のはファイアブレスってやつじゃないだろうか……俺は心の内に、冷たい何かが去来するのを感じた。――死。その予感は俺の足を竦ませ、次の行動を遅らせる。
巨大な爪が俺の目の前に迫る。慌てて上体を仰け反らせるが、間に合わず、俺は胸に鋭い痛みを受けた。
「――っ!」
俺は背後によろめきながら、あまりの痛みに左手で胸元を抑える。チラリと確認すれば、胸からポタポタと血が流れ落ちるのが見えた。服も真っ赤に染まっている。どうやら防具には+99が振られていないらしいなどと益体もないことを考えながら、俺はフラフラと後ろに下がった。
俺が下がったのを見たためか、ウィルドゥーラが広間の奥からその巨体をのそりと動かし、俺の目の前でその姿を露わにする。巨大な体躯に、大きな角。先ほど俺の胸を裂いたであろう右爪はその先が赤黒く染まり、尾にはこれまた凶器となり得そうなほど尖った、鋭い先端が光っている。
俺は痛みに耐えながらも、震える右手で腰元の剣を抜き放つ。ウサギがうまくやるまで、俺が戦って持ちこたえなければ――
ガキンッと剣で二度目の爪の攻撃を防ぐ。よしっ、いける――草原の時から思っていたが、どうやらこの体、腕力と身体能力はそこそこにあるようだ――万能とまではいかないが、この防戦くらいはなんとかなるだろう。
それは油断だったのか、はたまた慢心か――幾度目かの奴の攻撃を凌ぎきった直後に、危機は訪れた。
巨大な腕による攻撃の直後、奴は大きな咆哮を上げた。空気がビリビリと震え、地面が揺れ動き、俺はたたらを踏んで前につんのめってしまう。
「おっととっ……っ!」
そこに、奴の尾が黒光りしながら迫ってきた。それは正確に俺の頭を狙ってきており、俺は思わず目を瞑ってしまう。駄目だ、もう――
ズドンッ
しかし、俺の頭には何の衝撃も訪れなかった。恐る恐る目を開けると、先程まで戦っていた筈の怪物の巨体が、横になって倒れている。今の音は、奴が倒れる音だったのか。ってことは……
「羽ウサギ……やったのか?」
するとウィルドゥーラの近くから小さな影が飛び出してきて、ピョコンピョコンと跳ね回りながら俺の側へやってきた。
「やった!やったぞ!みたかオイラの勇姿!あのウィルドゥーラを倒したぞ!」
どうやら本当に倒せたようだ。ウサギは、無事に短剣の刃をウィルドゥーラに当てることに成功したのだろう。
「そうか……」
「ってオマエ、その胸の傷どうしたんだ!?まさかアイツにやられたのか!」
今更俺の怪我に気付いたらしい。俺も安心の為か今更ながらに胸の傷が痛み出して、思わず呻いてしまう。
「ちょっと待ってろ、今治してやる」
いきなり、ウサギは訳の分からないことを言い出すと、突如その小さな手を白く発光させた。それから、その光る両手を俺の怪我に近づける。すると、胸の痛みがすっと引いていくような感覚が訪れた。まさか、魔法か――?流石はゲームの世界と感心していると、両手を発光させたままウサギが俺に話し掛ける。
「そういや、さ。今更なんだけどさ、オイラ、オマエの名前、知らないなーなんて……訊いても、いいか?」
「……ゲイルだ。お前の名前は?」
「オイラはリカ……いや、リックだ。ウサギの天霊リック」
「リック……か。なんか、お前らしい名前だな」
「おい、それどういう意味だ!?」
ウサギ――いやリックが騒ぎ立てるのを聞いて、俺はハハ……と笑う。なんだか、変な感じだ。これが勝利の高揚感かと俺が暖かな安堵に身を委ねていると、段々と視界が暗くなり――
「お、おいゲイル!大丈夫か?」
大丈夫と答えようとしたその言葉は声にならず、俺は意識を手放した。