二話
ヒロインことセシルの爆弾発言の直後、家の中はとてつもなく微妙な空気に包まれた。俺が反応に困って硬直していると、ベル婆がセシルの方を真っ直ぐ見つめながらゆっくりと口を開いた。
「セシル、あたしゃ絶対に許さないからね」
「どうしてなの、おばあちゃん!?」
「セシルあんた……結婚するってのがどういうことかちゃんと分かってるのかい?」
「知ってるわ。結婚したらその人と一緒になるのでしょう?だから私、この人と結婚して旅人になるわ。そうしたら村を出ても許される筈だもの」
こりゃわかってないねぇ――ジル婆が口の中でそう呟くのを聞きながら、俺は心の中で多大なショックを受けていた。どうやらこの娘は俺を村を出る口実に使いたいだけだったようだ。まあそれもそうだろう。普通は初対面の人間に結婚を申し込まれてすぐに了承するなどありえない。
「とにかく、駄目なものは駄目さね」
「おばあちゃん、でもどうして?」
「あんたは子供がどうやってできるのかだって知らないだろう」
「そのくらい知ってるわ。男の人と一緒に眠ったら、コウノトリが赤ん坊の入った籠を運んできてくれるのでしょう?」
「だから許してやる訳にはいかないんだがね……」
ジル婆はふぅっと息を吐くとこちらをジロリと睨んできた。お前はこの娘に一体何を吹き込んだのだという顔をしている。いや俺も、彼女がコウノトリ云々の残念知識をすっかり信じ切っていることに、内心かなり驚いているのだが。おかげで完全に異性として見られていないことを改めて認識させられて残念に思いつつも、唐突に求婚を迫った事実に対しては非を感じるので、素直にジル婆に謝罪する。
「あの、おばあさん、実は俺が……」
「まあいいさね。セシルも最近は外に出たい出たいと煩くなってきたから、いい機会かもしれない。あんたも悪い男には見えないし……まあ婆の勘だがね。大方、この娘に告白でも抜かしたんだろうよ。この娘も綺麗だからねぇ。素直なこったが、悪かあない」
「えーと……」
なんだか怪しい予感がする。
「あの、お婆さん……?」
「つまりお前さんにこの娘を預けようってことだよ。勿論結婚はともかく、セシルには手を出すのは絶対に許さないがね。……この娘に外の世界を見せてやっておくれ。もしそうするなら……セシル、あんたが村から出るのを許してやろう」
「ほんとう!?おばあちゃんありがとう!」
どうしてそうなる。何故初対面の俺に大事な一人娘を預けようと思えるのか、この老婆の考えが今ひとつ分からない。まあセシルがすっかり乗り気であるし、俺としても願ってもないことなので承諾はする。
「責任をもって、娘さんを預からせていただきます」
これも結婚前の義息子の台詞っぽいなと思いつつも、とりあえず誠意のある返事を返す。ベル婆が何を思ってセシルを俺に預けようとしているのかは知らないが、こちらとしては願ったりだ。それに、思い当たることがない訳でもない。
そんなこんなで俺はセシルと旅に出る約束を受け、今晩はなし崩し的にベル婆の家に泊まることとなった。夕刻まで庭の草むしりやら薪割りやらを手伝わされ、へとへとになっていたところで、セシルから夕食の呼び出しがかかる。
「お疲れさまですゲイルさん。夕ご飯の支度ができていますよ。それと……さっきは旅の同行を受け入れてくれて、ありがとうございました。ほとんど私の我が儘に付き合わせてしまって、ごめんなさい」
そう言って頭を下げる彼女は、なんだかんだで昼間に暴走してしまったことを反省しているらしい。まあ可愛いから許されるのだが。
「謝る必要はない。元はといえばいきなり変なことを言ってしまったしまった俺にも非はある。むしろセシルこそこんな俺で良かったのか?それに旅には危険もある。覚悟はできているか?」
旅人経験約一時間の奴が偉そうに言うことではないが、このままセシルを旅に連れて行けば危ないことに巻き込む可能性だってある。なにせ俺だって本物の冒険は初心者だ。まあもう大分見栄を張ってしまっているし、今更そんなことは告白できないが。
「覚悟ならばとうに出来ています。それに、私だって人を見る目くらいあるんですから、見くびらないでください」
さっきは結婚って言葉に即食いついていたような……でもまあ、本人が嫌がっていないのならいいのだろう。あとその少し頬を膨らませた顔はつつきたい衝動に駆られるからやめてもらいたい。
「まあ、覚悟さえできているのならもうこっちから言うことはないさ。ただ、これは俺の予感だが……厳しい旅になるぞ」
なにせここはゲームの世界。俺達は主人公とヒロインの役割だ。どこまでがシナリオに左右されてしまうのかはわからない。現にヒロインを仲間にするイベントはこのように大きく方向性を違えてしまった。だが俺達の出会いが必然であったように、これからの旅に危険が伴うのもまた必然であろう。一体どこまでが運命なのやら……。
「あの、ゲイルさん。スープが冷めてしまいます」
「ああ、そうだな。すぐ行こう」
まあ今は、空いた腹を満たすのが先決だ。
セシルやベル婆と一緒に夕食を済ませた後、俺は宛われたベッドに寝転がって一人考え事に耽っていた。
この世界は本当にゲーム「フィフス」の世界なのか。いや、それは合っているのだろう。はじまりの草原やこのノルド村の存在がいい証拠だ。ただ、それにしてはセシルの行動が不可解すぎる。途中まではイベントの通りだったのに、俺の失言からあそこまで暴走してしまった。確かにフィフスのセシルも村の外に出たがってはいたが、ああも自己主張をして、ましてやジル婆から村の外へ出る許可までもぎ取るなんて……ゲームのシナリオからはあまりにも逸脱している。もしあそこで俺が「ゲイル」の台詞をそのまま喋っていたら、今頃はゲームストーリーをなぞっていたのだろうか。
他にも懸念はある。ジル婆が俺にセシルを預けたことだ。まさか婆さんはこの段階で知っているのか?セシルの出生はともかくとして、この村に訪れるはずの「悲劇」を……。
不吉な考えに至った俺は、仰向けになりながらそっと目を閉じる。この世界は、決して平和と幸福に恵まれている訳ではない。ゲーム世界の癖に、いやゲームの世界だからこそ、演出という名の運命に人々は翻弄される。俺もその一人になってしまったのかもしれないな――そう考えると、心が少し重たくなった。何故俺はここにいるのだろう。俺にとっての現実が今ここである以上、やはり考えても仕方のないことなのかもしれない。不思議と、帰りたいとも思えなくなっていた。セシルのお陰か、ここがフィフスの世界だからか。考えている内に、俺は段々と睡魔に蝕まれていった。
翌朝、俺は旅先では恒例の知らない天井というやつを体験しながら目を覚ます。昨日の事を思い返すことで頭を覚醒させながらベッドから降りると、見計らったかのようにセシルが現れた。
「ゲイルさんおはようございます!よく眠れましたか?」
「ああ、おはようセシル。よく眠れたよ。今はまだ朝か?」
「もう、朝に決まってるじゃないですか。寝坊じゃありませんよ。朝食にしましょう」
そう言うとセシルは先に食卓へ向かっていった。俺も身なりを軽く整えて、その後に続く。そういえば、早めにベル婆に問いたださねばならないことがあった。
食卓に着くと、昨晩と同じ黒みがかったパンとスープに、とれたての野菜が俺を待っていた。スープに浸したパンをゆっくり咀嚼しながら、俺は単刀直入にベル婆へと尋ねる。
「お婆さんは、もしかしてウィルドゥーラのことを知っているのですか」
「!?」
途端にスープを飲みかけていたジル婆が盛大にむせ込んだ。やはり知っていたようだ。一方セシルは何も知らないようでこちらを見ながら可愛らしく小首を傾げている。
「あ、あんた……どうしてそれを」
「詳しい話は後で。ただ一つ言えるのは、呪いなんて信じない方がいいってことです」
やはりジル婆は知っていた。この村の一部に伝わる呪い、いや正確には厄災のことを。これでセシルを俺に預けた理由にも得心がいった。ジル婆は何よりも義娘をこの村から逃す伝手が欲しかったのだ。だから俺なんかに、縋らざるを得なかった。タイムリミットまでに、またいつこのような機会があるとも知れないから。
「約束の時は約半年後……で合ってますかね?早急に対処すべきだと思います。なぜ騎士や傭兵に討伐を依頼しないのですか?」
「そんな……そんなことできるわけないよ。そもそも、外の人間は誰も信じてくれやしない」
「では、村のことはこのままでいいのですか?」
「あんたが何故あれを知っているのかはしらんがね……だからといって、長老共の言いなりになってこのまま村に残しとくのも嫌なんだ。あたしゃ、結構手前勝手な人間なのさ……」
吹っ切ったようにそう零すベル婆の顔はしかし、深い後悔の影に彩られていた。ウィルドゥーラというのは、この村に密かに伝わる呪い……正確には怪物のことだ。村の近くにある小さな洞窟に何百年と住み着いており、五十年に一度村の若い娘を一人生贄として要求する。要求を断れば村を襲うと言って、実際に村を襲って村人を惨殺したことも過去に何度かあったらしい。
というのが奴の設定で、実際はゲーム中盤以降、村に戻ってきた時に起こるイベントボスとして用意されたキャラである。今現在この村にはセシル以外に年頃の娘がおらず、主人公がセシルを村から連れ去って半年後(ゲーム内時間)、生贄を差し出せなかった村は壊滅状態に陥る。そこへ久々に里帰りをしたセシルが生き残った長老から事情を聞き出し、主人公パーティーは洞窟へ魔物討伐へ向かう。
そうしたイベントが用意されているのだが、ジル婆はこの未来に起こる悲劇を知っていたようだ。知っていて、それでも尚たった一人の義娘を守るために、俺を利用しようと考えたに違いない。俺は複雑な心境ながら、この問題を解決する為の策を考えることにした。