一話
「そして世界に平和が訪れたのだった……」
それから流れ出す長い長いスタッフロールを目にするのは、これで何度目だろうか。エンディングらしい壮大な、しかしそれでいてどこか安っぽい音楽をヘッドフォンで耳にしつつ、俺はそう心の中でひとりごちた。
明かりも無くカーテンさえ閉ざされた薄暗い俺の自室。ただテレビの画面だけがチカチカと目に優しくない光を放っている。
俺は今日という折角の休日を丸々利用して、今まで散々やり込んだゲームの再クリアに挑んでいた。今は画面を流れ落ちるスタッフロールを眼前に、クリア後特有の達成感を味わっている。
直にエンディングも終わって、スタート画面に戻るだろう。
ほら、開発チームと会社名の名前が大きな文字で流れてきた。これでこのゲームは終わり、スタート画面に戻る筈……だったのだが。
「なんだよこれ……」
スタート画面の代わりに表示されたのは、やけにリアルな青空とその下に広がる草原の風景。操作を間違えてどこかのテレビ番組でも映してしまったのだろうか?だが、オープニング音楽は普通に流れている。テレビの故障か、ゲームのバグかと俺はその場で困惑する。
呆然と画面を眺めていると、やがて映されていた草原の景色がふらっと揺れて、プログラミング画面のようなものに切り替わった。すると数秒後に今度はゲームのスクリーンショット画像らしきものが映し出され、間髪入れずに黒画面になったかと思うと次はまたリアルな、どこかの城の映った景色になる。
そうやって目まぐるしく変化する画面にただただ翻弄されていると、いよいよテレビがぼうっと巨大化しつつその姿を歪曲させながら迫ってきて、俺の意識はそこでフッと途絶えたのだった。
気が付くと辺りには草原が広がっていた。空は雲一つない快晴で、今日は絶好の洗濯日和――ではなく、俺は知らない場所に立っているようだった。今日は確かに休日だが、こんなだだっ広い草原に来て帰りに困る予定を立てた覚えはない。どうしたものか。
この状況は、帰りたくとも帰れそうにないようだ。こんな怪しいマントを身に着けて腰に剣までぶら下げた姿では、帰ったところで大家のおばちゃんに銃刀法違反で通報されてしまう。
そこで俺は、自分がいつもと違うコスプレらしき格好をしていることに気が付いた。そして更に気付く。もしやこれは「フィフス」主人公の姿ではないだろうかと。
「フィフス」は俺がさっきまでやり込んでいたロールプレイングゲームで、今の俺はその主人公の初期装備をそのまま身に着けている。まるで夢のような思いだ。
そう考えた次の瞬間、草原を駈ける冷たい風が俺の頬をサアッと撫でていった。それによって俺はここを現実だと認識する。疑問は沢山あるが、今は兎に角この草原を抜けることを考えなければ。
もし俺の想像通りなら、この草原にはイタチに似た雑魚モンスターが存在する筈だ。ここがフィフス序盤の「はじまりの草原」と過程しての話だが。
自分の身に起こった不思議な出来事に思うところはあれど、今はそれを無視することにして、俺は慎重に草原を太陽の方角へ向けて歩き出した。
最初の村「ノルド」。数時間かけて草原を脱出した俺は、イタチもどきにやられることもなく無事にこの村の入り口にたどり着いていた。
イタチもどきは、正直思った以上に雑魚だった。というか剣先を少しかすっただけで絶命していた。今思うとあれはどう考えてもおかしい。
あのイタチもどき、ゲームでは少なくとも二回は攻撃を当てないと死なない仕様だった。序盤なら。この一見普通の剣に見える武器、実はソード+99くらいに強化されているのではないだろうか。いやむしろさっきの戦闘からはそうとしか考えられない。これはいわゆるチートってやつなんじゃないか?そう思うも、答えをくれる字幕や神様が都合よく俺の周りには降りてくるようなことはなかったので、そう思い込んで置くだけに留めておいた。
ノルドではRPGのお約束、ヒロインとの出会いイベントが待ち受けている。村の入り口から五軒目の民間の裏手に入り、山へ続く細道を少し進んだ先に……いた。リンゴの木の下に女の子が一人うずくまっている。
確か彼女はリンゴを取ろうと登った木から落ちて足を挫いている筈だ。そこに主人公こと俺が偶々通りかかって彼女を家まで送り届ける。
今更ながら本当にシナリオ通りで拍子抜けの展開だ。とにかく彼女に話し掛けてみようと近づく。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
ゲームの台詞そのままに声を掛けると、驚いたように彼女が顔をこちらへ向ける。――思わず、見惚れてしまうほど美しかった。それはそうだろう。彼女はゲーム屈指の美少女として描かれている。それこそ、ゲーム内ではどれだけその美貌に関するトラブルエピソードに恵まれていると思ったことか。彼女とは今まで何度も一緒に旅をしてきたが、それはあくまで画面の向こう側の存在。それが現実に目の前にいるのだ。その感動が彼女の想像以上の美しさと相まって、思考のすべてを支配すると同時に、俺の時を数瞬奪った。
「あ、あの、実は足が動かなくて……よろしければ、助けていただけませんか?」
鈴の鳴るような音で声を掛けられて、俺の意識はハッと現実に戻される。少し惚けてしまったが、シナリオに沿って彼女を助けなければ。確かここの台詞は「助ける」「知り合いを呼んでくる」の選択制だった筈。どちらの返答にしようか……考えていると、彼女は黙り込む俺を不審に思ったのか小首をクイと傾げる。その仕草もまた可愛らしかった。
「け、結婚して下さい!」
「え……?」
俺は何を口走っているのだろうか。シナリオどころかもう俺の人生が崩壊である。穴があったら今ならマントル層まで潜り込めるの自信がある。至急誰かに掘って貰いたい。
赤くなった顔を隠す為に俺が逃亡を図ろうと踵を返すと、マントの裾が小さな手によって掴まれてることに気が付いた。
「あの、助けて下さい……」
それはもう魅力的な上目遣いであった。この時の俺に助けずに逃げ出すという選択肢はなかったと言っていいだろう。彼女が先程の失言を忘れてくれることを願いつつ、俺は無言でそっと手を差し伸べる。
「ありがとうございます……その、さっきの話はおばあちゃんに相談しないといけないので、今はお答えできません」
この娘は今なんと言ったのか。おばあちゃんに相談する?それって彼女の心中ではどういう……いやそんなことよりも
「いや、さっきの言葉は忘れてくれ。つい君が美しかったものだから口走ってしまっただけだ。失礼なことを言って、すまない」
この言い訳も結構恥ずかしい自覚はあったのだが、そんなことよりもまずは先程の失言を訂正しなければならなかった。俺はきっちり謝罪の言葉を言い切ると、ストーリーに沿うように彼女を負ぶさって彼女の祖母の家へと急いだ。
彼女の言うおばあちゃんことベル婆は、実は彼女の本当の祖母ではない。幼少時に隣街の孤児院の前に捨てられていたヒロインを、真っ先に見つけたベル婆が拾って連れ帰ったという過去があり、養子と養い親の関係にあたる。
そんなベル婆の家へ向かう途中、俺達は終始無言だった。彼女の口からは何故俺が道を知っているのかといった問いかけすら出ることはなく、ただ俺の背中でずっと黙り込んでいた。一方の俺も先程の気恥ずかしさからか言葉を掛ける勇気が出ずに、長らく気まずい道中を過ごした。
十五分程歩いてなんとかたどり着いたベル婆の家は、やはりゲームで見たままのボロい木造家屋であった。俺は軽くノックをしてそのままドアを開ける。すると窓際の椅子に腰掛けていた老婆がゆるゆるとこちらへ振り向いた。
「ん、客人かい?お前さん……おや、その背中に負ぶっさってるのはセシルじゃないか。どうしたんだい、見知らぬ男になんぞ背負われて」
そう声を掛けられて、ここまで黙り込んでいた彼女――セシルはベル婆を前にしたためかようやく口を開いた。
「おばあちゃん、この方は足を挫いた私をここまで運んできてくださったのよ。お名前は……あの、失礼ながらお名前を伺っても?」
「ゲイルだ」
ゲイルというのはフィフスで俺が使用していた主人公名だ。もっとも最初に提示された幾つかの名前の中からランダムに選んだに過ぎないものだが。俺は部屋の隅にベッドがあるのを横目で確認すると、彼女をそこへ運んで静かに下ろした。
「ありがとうございますゲイルさん。ゲイルさんは旅人の方ですか?」
礼とともに問い掛けられた質問にそうだと答えれば、セシルは一つ頷いてからとんでもない発言をした。
「おばあちゃん、私この人と結婚したいの!」
本当に、穴掘り職の人材を募りたい。切実に。