91.突然の幕開け
エステリオの校内に予鈴が鳴り響く。
まもなく、短い休み時間が終わろうとしていた。
エミリアクラスのゴミを回収しに教室を訪れると、プリシラが俺の方に駆けてくる。
「レオっちいいとこに来たね!」
「よおプリシラ。クリスとフランベルはどうしたんだ?」
「二人は次の授業の準備のお手伝いだってさ。それよりこれこれ!」
プリシラは一冊の本を俺に見せつけるように突きつけた。
簡素な装丁で薄い絵物語――いわゆるマンガのようなものだ。
表紙には、仮面で顔を隠しマントを羽織った凛々しい少女の姿が描かれていた。
俺はタイトルを口に出す。
「仮面ジャスティス……って、なんだこりゃ?」
「なんだとは失礼なレオっちだね。仮面ジャスティスは、日夜王都にはびこる法では裁けぬ悪と戦う、仮面の美少女魔法使いなんだよ?」
「なんで仮面をつけてるのに、美少女ってわかるんだ?」
少女のほっぺたがぷくっと膨らんだ。
「そんなの絶対にかわいいに決まってるじゃん! それにすっっっごく強いし! 理論魔法で悪いやつをちぎっては投げなんだから!」
プリシラは興奮し始めた。俺はゴミ箱を抱えながら首を傾げる。
「暴力は苦手なんだろ?」
「いいの! お話は別だし」
「そりゃごもっとも」
ぐっと拳を握りしめてプリシラの熱弁は続いた。
「きっと仮面ジャスティスは勇者の妹とかなんだよ!」
勇者に妹がいたなんて初耳だな。
「プリシラは仮面ジャスティスに憧れてるのか?」
「そ、そんなわけないじゃん! かっこいいからって、憧れるとは限らないし」
絵物語の本を胸に抱き寄せてプリシラは身もだえた。
「けど、マジでおもしろいからさ。クリっちに貸してもらったんだけど、超おすすめなんでレオっちも読む?」
抱いていた本を俺に差し出すプリシラに、ため息混じりで返す。
「コラコラ。又貸しはよくないだろ。今度、正式な持ち主から借りるよ」
「もうーレオっちってば頭カタイなぁ」
残念そうにプリシラは眉尻を下げた。
が、すぐに何か思いついたようで、スッと顔を上げる。
「じゃあじゃあ、クリっちが戻ってくるまで待っててよ!」
俺は抱えたゴミ箱の中身を、校内用の手押し車の荷台に移し替えた。
「悪いんだけど、こいつを焼却炉に持っていったら、すぐに学園長室に行かなきゃならないんだ。どうやら急ぎの用件らしい」
プリシラが小悪魔っぽく笑った。
「あー! さてはまたなんか悪いことしたんでしょ? 仮面ジャスティスにお仕置きされちゃうよ?」
「してないって」
とりあえず心当たりは無い。
どこぞの施設の魔法式が壊れたから、その修理依頼ってとこだろうな。
「それじゃあなプリシラ! 授業で寝るなよ!」
「フラっちじゃないんだから、そんなことしないって!」
フランベルのやつ、まだ授業で寝てるのか。
俺はプリシラと別れると、手押し車を焼却炉方面に向けて発車させた。
交流戦が終わってしばらく、すっかり緊張の糸が緩んでしまったみたいだ。
いや、これでいいのかもしれない。
平和な日常ほど掛け替えのないものはないんだから。
手押し車でゴミを焼却炉に運び終えると、炉に火は入れず俺は学園長室に向かった。
仕事を途中までにしていくのは、なんだかスッキリしないんだが……仕方ないか。
◆
ノックをして学園長室に入ると、いつも通り白髭をゆったりした動作で撫でながら、リングウッドは射し込む日差しに目を細めていた。
ゆらりとしたローブを身に纏った老人は、糸のようにしていた目を開くと俺を見据える。
「本日午後二時より、王都の三番街の先にある行政区画の教育委員会館にて、試験じゃ」
「は? 二時から三番街の……え? なんだって?」
すらすらと淀みなく言われて、俺は耳を疑った。
「じゃから、お主の教員免許試験じゃと言うとるんじゃ。学科は理論魔法学でエントリーしておいたぞ」
「ずいぶんいきなりだな。そういうことは当日に言うものじゃないだろ。せめて三日前……いや、前日には教えてくれよ!」
最近は学園長相手に敬語を使うことも無くなりつつあった。
なによりこの老人が、俺の口振りをまったく気にしていないのが一番の原因だ。
まあ、学園長の他に第三者がいる時は、丁寧な口調を心がけてはいるんだが……。
眉間にしわを寄せて深く考えこむと、学園長は呟いた。
「では、行かぬのか?」
ここで首を縦に振れば、いつもの「クビ」だなんだになりかねない。
「もちろん行くに決まってるだろ」
学園長はふわりとしたローブの袖の下から、金色のチェーンのついた懐中時計を取りだした。
「ならば、ほれ。受けとれい」
チェーンを頭上で回して遠心加速させると、ジジイは俺に向けて時計を投げ放った。
鋭い矢のような投擲! 危なッ! しかも精密機器だよ! 投げるなって!
「ナイスキャッチじゃ」
「もうちょっと渡し方に手心とか加えてくれよ」
「取れると思ったんじゃ。実際キャッチしたじゃろ」
「結果論だろ。まったく……」
懐中時計は金属製のカバー付で、竜頭を押し込むと二枚貝のようにカバーが開いた。
時刻は十一時五分。移動の時間を考えても、まあ余裕で試験会場には着けるだろう。
「それにしても今日が試験日なんて、いきなりすぎやしないか?」
「そうかの? まあお主のことじゃから余裕じゃろ。試験内容は筆記と実技。サクッと受けて、サクッと受かってくるがよい」
「午後の庶務はどうするんだ? まだ焼却炉に燃やしてないゴミが溜まってるんだが」
学園長は物音一つさせずに椅子から立ち上がった。
腰が曲がって過剰なほどの前傾姿勢になり、老人の身体はいっそう小さく見える。
「残りの庶務はすべて、わしがやっておこう。前は管理人も兼任しておったからのぉ」
「やるって、大丈夫なのかその身体で?」
「安心せい。わしはまだ本気をだしておらんのじゃ」
ぐいっと学園長の身体が上向く。
すると……。
学園長が俺と同じくらいの身長になりやがった。
いや、なったというかもともとこれくらいの身長だったのだ。
ゆるいローブを着ているせいで、気付かなかった。
普段どれだけ腰を曲げてるんだよ。
「けどな学園長。いつも椅子に座りっぱなしで、急に力仕事をやってぶっ倒れられても困るぞ」
「見るが良い。この二の腕を」
ローブの袖をまくって学園長は笑ってみせた。
そこにあったのは枯れ木のような腕……ではなく、老境に入っているとは思えない、鍛え上げられた前腕や上腕だ。
「お、おう。じゃあ安心して任せられるな」
「お主の方こそぬかるでないぞ。落ちたら無職じゃしのう」
「サクッと合格してやるよ」
「ほっほっほ。その意気じゃ。ええな? 過ぎ去った時間は戻らぬのじゃから、何事も後悔無きようにの」
俺は懐中時計のカバーをパタンと閉めると、学園長に見送られて部屋を出る。
時間は戻らない……か。まあ、普通はそうだよな……普通は。




