5.水と油の摩擦係数
俺の杞憂は現実の物となった。
学園内は騒然だ。入試トップのクリスが“寄せ集め”担当と目される、エミリアクラスを指名したのである。
余談だが、おかげでギリアムクラスに空席が出来て、ミゲル・ノクターンとアイリス・スチューダー両名は、揃って希望していたエリートクラス入りができたらしい。
ま、それはともかく。
天才の考えることは訳がわからない。最高成績が最底辺へ。
学園内はそんな話題で、どこもかしこも持ちきりだった。
エミリアクラスを選んだのはクリスだ。
けど、選ぶための判断材料を与えたのは俺である。
クリスに選ばれたエミリアには、出来る範囲内で協力したいと思うんだが……。
まいったな。トラブルの予感しかしない。
クリスは“寄せ集め”にとって、明らかにカテゴリーエラーな異物になるだろう。
そして憎らしいほどに嫌味な存在だ。
誰もが望むプラチナチケットを破り捨てたわけだからな。
俺が昨年見かけた“寄せ集め”の光景といえば、お互いの傷を舐め合うような、停滞した空気だった。
一度はまり込めば二度と立ち上がれない。そういう場所だ。
一年浸かれば、低いレベルに合わせた授業によって、他のクラスとの差は歴然になる。
エリートクラスの背中なんて、手を伸ばしても届かない、遙か遠くの星のような存在だ。
一番下にいて何が苦しいかといえば、それは「上を見て目指すこと」だと思う。
手が届かないことに絶望し、現実に打ちのめされる。
下を向いてさえいれば、そんな苦しみからは解放される。
弱い自分を受け入れて、諦めれば楽になる。
クリスとは出会ったばかりだけど、ギリアムの誘いを突っぱねる気位の高い彼女が“寄せ集め”になじめるとは思えなかった。
それでも最悪、クリスがクラス内で孤立すれば済む話だが、そうなると今度はエミリアが耐えられない。
なんとかしようと躍起になって、エミリア自身が潰れちまうかもしれない。
以前のように“ぼっち”なら、人間関係で悩まないんだけどな。
って、何を弱気になってるんだ俺は。
ともかく、放っておけない。この学園の管理人さんはお節介焼きなのだ。
教員室のゴミを回収して焼却炉に運ぶついでに、俺は一年エミリアクラスの様子を見に行くことにした。
一端ゴミを外の焼却炉において校舎に戻ると、エミリアクラスの前で俺は立ち止まった。
教室の扉は半開きだ。中の様子が垣間見える。
「ふ、二人とも落ち着いてください」
エミリアが震えた声で、二人の女生徒の間に割って入った。片方はクリス。もう片方は……。
「つーかさー。先生どっちの味方なわけ?」
ふわっとしたボリューミーな金髪に、小麦色に焼けた肌の少女がクリスを睨みつける。
しゃべり方のイントネーションも独特だ。それに派手というか、ちょっとケバめのメイクをしていた。
エミリアは「ど、どっちの味方とかありません。せ、先生はみんなの味方です」と、怯えた声で言う。
それで金髪褐色少女は余計に目尻を吊り上げた。
「はああッ!? みんなの味方なら、こいつの肩持つのおかしーじゃん! みんなメーワクしてるし」
教室内は、そうだそうだと言わんばかりの生徒が半分。残り半分は「どーでもいい」という感じだった。
高望みして希望クラスから弾かれた連中と、入試成績ワースト連中の“寄せ集め”らしいっちゃ、らしい。
エミリアもどうしていいのかわからないようだし……。
俺は堂々と教室に踏み込んだ。
「うーっす! エミリア先生。何かあったのか?」
「レオさん!? あ、あの……これはその……」
まずいところを見られた。みたいな顔をエミリアにされてしまった。
「あー、ケンカか? ケンカは良くないぞ。おっと、エミリアクラスの諸君。自己紹介しておこう。俺はレオ。学園の管理人だ。よろしくな!」
明るく元気に自己紹介した俺を、生徒たちはことごとくスルーした。
まあ、想定内だ。
俺はクリスに視線を向け直した。
「で、ケンカの原因はなんだ?」
「私は別に……。彼女が語っていた召喚魔法言語の構文に、間違いがあったから指摘しただけよ」
金髪褐色少女がクリスに吠え掛かる。
「別に構文とかちょっと違ってても伝わるしー! っつうかさぁ……誰もあんたとなんて絡みたくないって、空気でわかんないわけ?」
二人の口論を収拾できず、眼鏡の新任教員は目尻に涙をため込んだ。
エミリア先生。泣くな。
これくらいの事は教員をやってりゃ日常茶飯事だぞ。
俺は金髪に聞いた。
「お前、名前は?」
「はぁっ!?」
甲高い声とアッシュグレーの瞳で威嚇されたが、小動物がいくら牙を剥いても恐くない。
よく見れば、顔立ちも可愛いじゃないか。
アイシャドーもつけまつげも、無くても全然いいと思うぜ。
「名前だよ。教えないってんなら、変なあだ名つけるぞ。そうだな……ライオン風ポメラニアンとかどうだ?」
わりと特徴を捉えてると思うんだが、彼女は全身をわななかせた。怒ったのか? 虎の尾ならぬ、ライオンの尻尾を踏んじまったのかもしれない。
「ぽ、ポメラニアンとか……かわい……って、違うし。あたしはプリシラ・ホーリーナイト……って、ばっかみたい。何、名乗っちゃってんのあたしってば」
「プリシラか。よろしくな」
「つうか管理人がなんなの? 意味わかんない」
「そう邪険にすんなって。俺はエミリア先生と約束したんだ。何か困った事があったら、なんでも相談してほしいって。で、通りかかったら困ってそうだったんで、こうして相談に乗りに来た」
「はああああっ!? あんた平民でしょ? マジむかつくんだけど」
「おう、むかつけむかつけ! お前のような小娘にいくらむかつかれようと、俺は一向に構わないぞ」
さてと、どうしたもんか。
仲裁に入った以上、どうにかするのが大人の責任の取り方だ。