2.主席の憂鬱、学園の不文律
「何してるんだお前ら?」
人気の無い校舎裏で、俺が声をかけた瞬間――エリートクラス担任のギリアムの肩が、不自然なくらい大きくびくついた。
そこまで驚くこともないだろうに。
「な、なんだね君は!」
「なんだもなにも、ただの管理人だけど」
「平民の雑用係風情が、いきなり話しかけるなど不作法ではないか」
「話しかける時は大概、いきなりだろ」
こっちは別に気配を消したりしてないぞ。
「黙れ平民。とっとと立ち去りたまえ」
「女生徒の手首を掴んで、どっちが不作法なんだ? つうか年齢なら俺の方が上だろ。もう少し年上を敬えよ」
「何を馬鹿なことを。どこの世界に平民を敬う魔法使いがいるというのだ」
ギリアムのやつ、ずいぶんと呼吸が荒いな。
「落ち着けって。まあ、ここは見なかったことにしてやるから、その手を離してやんなよ」
ギリアムの白い顔が、あっという間に真っ赤になった。色白だからわかりやすい。
両肩をプルプルさせて、怒りを隠そうともしない。
「君は自分が何を言っているのか、わからないのかな? 私は誰だ!? そう! 私こそが、この学園で五指に数えられるエリート教員のギリアム・スレイマンその人だ!! 理論魔法Aランクの天才魔法使いと会話できるだけでも、君はなんと幸運な男だろう。さあ、これ以上私の機嫌を損ねないうちに、今すぐ視界から消えたまえ。でなければ本当にこの世から、フッと消えることになるかもしれない」
まさかとは思うが、怒りにまかせていきなり魔法をぶっぱなしてくるなんてことは……まあ、ちょっとだけ注意を払っておこう。
と、思った矢先、少女――確かクリスって呼ばれてたっけ。クリスが掴まれていた腕を振り払った。
「いい加減にしてください。私だけならまだしも、平民を巻き込むなんて最低です」
ギリアムは血走った目でクリスを見据えた。
「君も口の利き方を知らないようだね。だいたい、入試で主席の君が、なぜ私のクラスに入ることを拒む? 君の才能を伸ばせる教員は、一流の私だけだ」
「学ぶ意思さえあれば、クラスは関係ありません」
「解ってない。解ってないなぁクリス君。平民が魔法使いを目指すようなものだよ? それは」
おい、なんでこっちに軽く目線くれてんだよギリアム。
普段は温厚な管理人さんの俺にも、聞き捨てならんことはあるんだ。
お前のクラスの魔力灯だけ全部消えかけのお古にしてやんぞコルァ!
クリスがさらに続けた。
「ともかく、私は貴方のクラスには入りません。それに担任はあくまでクラスをまとめるだけで、授業は各教員の方々が、それぞれ受け持つわけですし」
「いいかね? 教員は、そのクラスの平均に見合った内容の授業や訓練を行うのだよ。もちろんエステリオの生徒である限り、理論魔法はこの私が教えよう。たとえ君が“寄せ集め”クラスの生徒だったとしてもね。しかし、よぉく考えてみたまえ。落ちこぼれた連中の平均に合わせた理論魔法の授業が、果たして君に必要なのかね?」
「基礎をおろそかにして応用はあり得ません」
「そういうことを言っているのではないのだ! 他の生徒を切り捨てて、君のためだけの授業をしてあげようというのだよ。もちろん“寄せ集め”などではなく、エリートクラスでそうしようという提案だ。エリートクラスであっても、君のレベルについてこられる者が数人いれば十分だ。君はきっと、最高の作品に仕上がる。私が保証しよう」
なるほど。ギリアムにそこまで言わせるなんて、クリスは相当な才能の持ち主なんだな。
「お断りします」
意地っ張りというかなんというか。こういう奴、俺は嫌いじゃないぜ。
ま、本人も嫌がってるんだし、無理強いはまずいだろ。
ここはビシッと、人生の先輩としてギリアムには言っておこう。
「この学園じゃ生徒が教員を選ぶのがルールだろ? フラれた現実を受け入れろって。あんまりしつこいと本当に嫌われるぞ?」
「さ、ささささっきから君はなんだね? 立ち去れと言ったはずだが?」
クリスがうなずいた。
「安心してください。もうすでに嫌っていますから」
うわー。容赦も取り付く島もないな。
よし、いいぞクリスもっと言ってやれ!
と、思ったら、クリスは俺まで睨みつけてきた。
「貴方は私を助けたつもりでしょうが、助けて欲しいと頼んだ覚えはありません。ここはもう大丈夫ですから、早々に立ち去ってください」
うーん、手厳しさがこっちにも向けられたな。
全方位に噛みついていくスタイルか。
上等だ。そんなこと言われちゃ、引き下がれない。
クリスの瞳は……怯えていた。
怯える視線にだけは敏感なんだ。俺。
たぶん、クリスは良い子だ。
平民の俺を巻き込まないために、この場から俺だけ遠ざけようとしている。
昔の自分を見ているみたいで痛ましいぜ。
クリスが首を傾げた。
「どうしたんですか? さあ、早く」
「そういう意地ってのは、もっと自分が強くなってから張っても遅くないぞ。まだ子供なんだから、素直に大人を頼ってくれ」
「な、何を言ってるんですか?」
「自分じゃわかんないかもしれないけど、震えてるぜ」
「そんなことありません。それに……平民の貴方に頼ることなんて……」
俺はすうっと、息を吸い込み、言葉とともに一気にはき出した。
「平民舐めんな! 例えば死体ごと消えるような『消滅』系の理論魔法でもな、使われた痕跡が残ることくらい知ってんだぞ。まあ、そもそもそのレベルの魔法が使える魔法使いなんて、学園の教員には五人もいないわけだが。もし、俺が消えたら容疑者は絞られるぜ。クリスは理論魔法が得意なんだろ? 犯罪が行われても、お前になら立証できるはずだ」
クリスが目をまん丸くさせた。
うん、可愛い。ツンっとしてるけど、こういう表情は年相応だな。
「立証なんて……」
「最近の研究結果だと、理論魔法の構築式には個人差っつうか、書き方に微妙なクセってものが残るんだってな。なあギリアム先生? 仮に俺が消された現場が見つかったとして、その痕跡を調査、照合した結果、誰かさんの構築式の書き方のクセが、ひょっこり浮かび上がるんじゃないか?」
魔法の才能が無い平民だからといって、魔法の知識が無いわけじゃない。
ギリアムの顔は真っ赤を通り越して、鬱血したような暗青色に変わっていた。
もう一押しだな。
「それとも火の精霊魔法を使って焼死体でもこしらえるか? たしか自然精霊が起こす現象ってのは、理論魔法よりも痕跡が残りにくいんだろ」
「ふ、ふん! 馬鹿馬鹿しい。エリート教員の私に、底辺平民を魔法で殺す理由などありませんよ」
「そうだよな? 高給取りのエリート教員様が、一介の平民相手にブチ切れて、そんなことするわけないよな。あー、よかったよかった」
ギリアムがならず者なら、迷うこと無く俺を消しているだろう。
けど、こいつは自分の地位も名誉も大切な人間だ。
ギリアムは鼻を鳴らすと、忌々しげな表情を浮かべた。
「クリス君……これ以上、私を失望させないでくれたまえ」
捨て台詞を吐いて、ギリアムは去っていった。
「んじゃあ、俺は仕事の続きがあるんで」
手押し車を持ち上げると、クリスは俺の前に立ちふさがった。
「待って! 貴方いったい何者なの? 理論魔法に詳しい平民なんて、聞いたことないわ」
「エステリオの管理をやってると、いろんなクラスの授業が耳に入ってくるんだ。雑学程度の聞きかじりってやつだな。そもそも、さっきの魔法式の癖の話をしてたのは、当のギリアムだし」
「そ、そう……なの」
なんだかがっかりさせちゃったみたいだ。
俺が最新の理論魔法に精通していると、期待させたのかもしれない。
「どうしたんだ?」
「え、ええと……あの、あ、ありが……とぅ」
蚊の鳴くような小声の感謝を口にしながら、クリスは顔を真っ赤にさせてうつむいた。
「そういや自己紹介が遅れたな。俺はレオ・グランデ。エステリオの管理人だ」
「クリス・フェアチャイルド。専攻は理論魔法よ」
予鈴が鳴った。あと十五分ほどで朝のホームルームだ。
確か生徒は仮決めされた教室で待機だったな。
「まだ仮の教室だろうけど、案内しようか?」
「いいわよ別に! 独りで行けるわ」
「まあそう言うなって」
にっこり笑う俺を見るクリスの顔には「断る方が余計に面倒」と描いてあった。
■クリス・フェアチャイルド エステリオ一年 入試主席
召喚魔法言語学=C
理論魔法学=A
感情魔法学=D
精霊魔法学=B
魔法史学=C
回復魔法学=E
戦闘実技学=D
魔法芸術学=E
魔法工学=E
魔法薬学=E