1.春、学園の始まり
勇者と呼ばれた少年は、魔王を討伐して姿を消した。
が、魔王が滅んでも、いつまた魔族の中から新たな魔王が生まれるかもしれない。
とはいえ勇者が消息を絶ったため、世界はもう、勇者に頼ることはできなくなってしまったのである。
そこで、人々は勇者が勝ち取った平和と秩序を、自分たちの力で守ることに決めたのだ。
勇者の後継者を育成するため、軍学校を基盤として王都の郊外に魔法学園「エステリオ」が設立されたのは、人間たちが魔族との戦争に勝利した翌年のことである。
以来、エステリオには王国中から、魔法の才能を持った少年少女たちが集められ、魔法や戦闘実技を学んでいる。
◆
俺は、そんな魔法学園で去年の後期から管理人の仕事に就いた。
まあ、管理人と言っても大層なものじゃなくて、平たく言えば雑用係だ。
名前はレオ・グランデ。魔法力を持たない平民である。
わざわざ管理人の募集要項に「平民であること」なんて書かなくても良いと思うんだけどな。いや、別に文句とかじゃないんだが。
そもそも、魔法が使えるなら、こんな雑多な仕事は誰もやらないか。
ここでの仕事に魔法はいらない。
備品の修理点検に、運動場の草刈りや、校舎内の魔力灯の取替えといった雑用が主な仕事内容だ。
他に、倉庫の整理や庭園作りに、清掃作業。
来客があればお茶の準備もするし、ちょっとした補修工事なんかは、お手の物だ。
時々学園内に紛れ込む害獣の駆除やら、ゴミの処理も請け負う。
この仕事を俺は気に入っている。
なにせ宿直室に住み込みOKなので、家賃が掛からないのがいい。
しばらく流浪の身だったから、帰る部屋があるってだけで嬉しかった。
そのうえ通勤時間も無いに等しく、夏休みや冬休みまである。
そんなわけで、今朝も正門前で掃き掃除に精を出す。
四月に咲く桜はどこで見ても綺麗なものだ。
ただ、散った花びらをそのままにはしておけない。
俺は愛用の箒を振るった。ピンクの絨毯をかき分けて道を作る。
そのうち、登校する生徒たちの姿がちらほらと見え始めた。
エステリオは全寮制だ。三学年合計で六百人が、毎朝この道を通う。
一クラスは二十五人。
一つの学年につき八クラス。
生徒たちはそれぞれ、担任の名前を冠したクラスに所属するのである。
一年生担当の○○先生なら「一年○○クラス」という風な感じだ。
もし俺が先生だったら「一年レオクラス」かな。
おお! なんかかっこいいかも。
まあ、そういうクラスが三学年分あって、教員二十四名で六百人の生徒を受け持っている。
生徒はみんなこの正門を通るのだが、俺のことなど気にも掛けない。
魔法力を持たない平民なんて、眼中に無いって感じだ。
実際、成績を左右する教員にはきちんと挨拶をするし。
働き始めて最初の頃は戸惑ったけど、一ヶ月もしないうちに慣れた。
平民の管理人と仲良くなろうって奴がいたら、そいつはよっぽどの変わり者だ。
それに今日は特別な日――「担任選択」の日だった。
今日の選択が、これからの一年間を決めるのだから、緊張しないわけがない。
神妙な面持ちで流れていく生徒を見送りながら、俺は掃き掃除を続けた。
エステリオでは、一年ごとに生徒が担任を選択する。
そこに「平等」はない。
試験の成績上位順に、選択の優先権が与えられた。
新入生なら入試の成績。
今年、二~三年生になる連中は、昨年度の学年末試験の成績で優先権が決まるのである。
人気のある教員に生徒は集まる。
各学年で最も優秀な教員が持つ二十五の席は、プラチナシートだ。
よっぽどの事が無い限り、順当に、試験成績上位者の二十五名で埋まる。
順位の二十五番目と二十六番目とでは、天国と地獄らしい。
エリートクラスが埋まると、あとは生徒の好みで、ほどほどにばらけるみたいだ。
ただ、ばらけ方によっては、希望していたクラスに自分よりも成績上位者が入ってしまい、弾き出される不運な生徒がいたりもする。
希望していたクラスに入れなかった連中は、最終的に成績下位の生徒と一緒に“寄せ集め”られてしまう。
あぶれた連中の集まる底辺クラス。
卒業を控えた三年の“寄せ集め”なんて、教室の前を通る度にお通夜か葬式みたいな空気で、気の毒なくらいだ。
大概“寄せ集め”クラスの担任はクビ寸前のダメ教員か、経験の無い新任教員なので“寄せ集め”が再起するなんてことは、そうそう起こりえないんだとか。
エステリオは「全てのクラスが平等だ」と言ってるけど、建前だ。
魔力灯の取り替え一つとったって、エリートクラスじゃ少しでも光量が落ちるようになったら、即交換。
で、そのお古がもったいないので“寄せ集め”クラスでほとんど点かなくなったようなものと、やっと交換する。
……なんて決定が、総務部では普通に横行している。
底辺を置くことで、たとえエリートクラスになれずとも“寄せ集め”クラスにだけはなるまいと、がんばらせるという裏の方針があるんだろう。
まあ、ちょっとカチンと来たんで、不調な魔力灯はこっちで調整して、きちんと使えるモノにしてから交換してやった。
“寄せ集め”クラスの生徒にも教員にも、感謝されなかったけど。
いいんだよ。俺の好きでやったことだし、感謝されたくてしてるんじゃないんだから……。
ええい、仕事だ仕事。清掃作業を続けよう。
◆
掃き集めた花びらを、大きなちりとりで掬うようにして、手押し車に積んだ。
落ちた花びらを山のように載せられるだけ載せて、運ぶ。
生徒用の昇降玄関前を素通りして、手押し車は校舎の建物脇にある、人気の無い資材置き場にさしかかった。
人の話し声が聞こえて、立ち止まる。
なにやら揉めているらしい。
見慣れない女生徒が、物陰で男に手首を掴まれていた。
真新しい制服で、女生徒が新入生だとわかった。
明るい栗色の髪に、エメラルドグリーンの大きな瞳が印象的だ。
魔法力を持っていると、容姿まで平民とは違ってくる。
とかく魔法力の影響で、魔法使いの髪や瞳の色はカラフルになりがちだが、その女生徒の髪色はえもいわれぬ自然な美しさだった。
それでも宝石みたいな瞳の色が、彼女が魔法使いであることを雄弁に語っている。
そんな瞳をさらに見開いて、少女は男に抗議する。
つい、見とれてしまうくらいの美少女だ。
怒っている顔さえ美しい。どことなく気品すら漂っていた。
「離してください。人を呼びますよ」
「好きにしたまえ。ただし、後悔するのは君の方だよ。クリス・フェアチャイルド君」
男の方は学園内で何度も見たことがあった。
銀髪に紅い瞳という風貌に、女性と見まごうほどの細身で肌も透き通るように白い。
女生徒たちの評価はミステリアスイケメンだが、俺は脱皮したての蛇みたいで苦手だった。
まあ、向こうは俺のことなんて眼中にもないだろうな。
エリートクラスの担任、ギリアム・スレイマン。
学園で五指に入る魔法使いだ。
確か本年度は一年生の担任だったか。
二人とも俺の存在にはまったく気付いてないらしい。
それにしても、生徒の手首を掴むなんて、ギリアムはいったいどういうつもりだ?
俺は手押し車をその場にゆっくり置いた。