神の御名
部屋に入るなり、彼は訊ねてきた。
「君は確か、家鳴りがすると言っていたね」
ええ、と曖昧に頷きながら、そういう話もしたかなと記憶を探る。いつか、酒の席で今住んでいるアパートについて話した気がする。
「時々、ミシッと鳴るのかい?」
「ええ、そうですね」
「ミリッではないのかい?」
「ミシッて感じですね」
「ギシッでもないのかい?」
「はい、違いますね」
「君はその原因に心当たりはあるかい?」
彼の目は真剣だった。社内でも変わり者として知られる彼だが、その評価に違わず、いまだに僕は彼のことがよくわからない。
「さあ。神様の悪戯かもしれませんね」
テキトウに答えたのだが、彼は神妙な顔で黙りこくった。
「あ、いや。そんなに古くないのに、鳴るのはちょっとおかしいかなって思っただけで。でもそれも頻繁ってわけでもなくて」
「じゃあ、君は佐藤のせいだと?」
「は?」
素っ頓狂な声が出る。
「家がミリッて鳴るのは、佐藤のせいなのかと聞いている?」
「いや、ミシッて鳴るんですけど…… 佐藤って?」
何人か、社内でかかわりのある佐藤さんを頭の中で順繰りに思い浮かべる。二年後輩の女子社員、課長、他の課まで辿っていくとまだ居るだろうか。
「佐藤は佐藤だ。個々の佐藤には意味がない。佐藤は全にして一」
「何を言っているんですか?」
「佐藤は神であるかもしれない、と言っている」
「本当に何を言っているんですか?」
「神の定義の一つに、遍在があるかと思う」
「遍在……」
「ああ、どこにでも居るということだ」
重々しく頷く。
「佐藤は、どこにでも居るという一点にあっては、神と等しい」
「ちょ、ちょっと待ってください。どこにでも居るってだけで神様扱いってのは乱暴でしょう」
僕の当然のツッコミにも、さもありなんという顔をするだけだった。
「だから、わたしは可能性としての話をしている。だが日本じゅうを見渡したとき、佐藤が一番神に近いのも真実だ。何故なら、他の人間は遍在していない」
「じゃあ鈴木は」
「鈴木もまた神だ」
当然という感じで肯定する。
「じゃあ田中は?」
「田中は天使だ。神と呼ぶほどには遍く居ない」
「その理論だと、僕のような苗字だと?」
僕は三原という。
「残念ながら、無知蒙昧な取るに足らないものということになる。チンカスと言ってもいいかもしれない」
「……そんな」
無茶苦茶だ、と抗議しかけた時。
ギシッ
「家鳴りか。第十一代将軍、徳川家斉か」
「シッ。黙って下さい」
ギシ、ギシッ
「ミシッとは言っていない?」
おかしい。今まではミシッという音がしていた。だが今はどうだ。ギシッと鳴っている気がする。
「今までのが佐藤の仕業だとすると、もしかすると今のは鈴木のせいかもしれない」
「じゃあ、アナタが?」
僕は彼、鈴木大梧を見つめる。彼は目を細め、緩く首を振った。
「わたしであって、わたしでない。鈴木もまた全にして一。わたし個人としての鈴木を責めることに何らの意味もない」
「何か煙に巻こうとされている気もしますけど」
まあ、鈴木が神であるなどと信じているわけでも勿論ないので、責めようというわけでもないから構わないか。
「強いて言うのなら、わたしの妹である」
「え?」
「おとといまで居た佐藤さんが転居し、今はわたしの妹が住んでいる」
「え? どこに?」
「この上の階」
人差し指を上に向ける。一階の僕の部屋の上、二階に彼の妹さんが住み始めたということらしい。
「彼女が新居を探しているということで、わたしが紹介した」
「えっと、つまり家鳴りは貴方のせいということで良いんですか?」
「鈴木は全にして」
「いやいや。お前だよね?」
「……君も神にしてやろうか?」
「いやいや。そんなんいいから、妹さんにあまりドタバタしないように言って下さいよ」
「あれはいじらしいのだ!」
突然大声を出した彼に、僕は吃驚して尚も言い募ろうとした言葉を飲み込んでしまった。
「以前、君をわたしの家に招いただろう?」
「……ええ。それが?」
確かに以前いちどお邪魔した。断りきれなかったと言った方がより語弊がないかもしれないが。
「あの時、君にひとめぼれしたそうだ」
「……」
「神になりたいと思わないか? 家鳴りもやむぞ?」
一週間後、僕は引越しをした。
なにやら色んな人を敵に回しそうな。今更か。




