表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/35

06  ただいま

 帰宅すると、家の空気が少しだけ弛緩した。母は玄関まで俺を迎えに来て、

「よかった。夏樹が戻ってきて」

 そう言って、泣いた。


 あの日、葵は「ちょっと出かけてくるー」と言い残して、そのまま帰ってこなかったのだ。


――いや。本当は今、葵は俺の隣にいる。そして、

『ただいま! ただいま! た、だ、い、まー!!』

 と甲高い声で叫んでいる。しかし、母には届いていない。

 母は涙を拭いながら、

「晩御飯、食べるでしょ?」

「うん。荷物を置いたらすぐ行く」

 ほっとした顔の母を残して、俺は2階に上がった。自分の部屋に入り、ショルダーバッグを床に放り投げる。それを後ろから見ていた葵が、

『お兄ちゃん。憑依して、お母さんにただいまって言いたい』

 深刻そうな顔で、そう言ってきた。……気持ちは分かる。しかし、

「だめだ」

『なんで!? あたし、ちゃんと憑依できるし、その後はちゃんとお兄ちゃんの身体から出ていくよ?』

「そういうことを心配してるんじゃない。今の状態の母さんにお前が憑依して会いに行ったって、タチの悪い冗談……俺の芝居だと思われるだけだ。お前だと証明する方法がない。だろ?」

 俺が諭すと、葵は黙り込んだ。葵をいじめるつもりはないが、母にこれ以上負担をかけたくなかった。

「……分かるな? 葵」

 俺が確認すると、葵は目を伏せたまま、無言で頷いた。




 その日の夕食はカレーだった。……葵が嫌っていたにんじんは、相変わらず入っていない。

「おいしい?」

 やつれた笑顔で、母は言った。父は無言で、スプーンを動かしている。

「美味いよ」

 俺が答えると、母は微笑んだまま、俺の隣を見た。

 なにもないその空間は、かつて妹が座っていた場所だった。

 葵は今でもそこに座っている。けれど、母にはやっぱり見えていない。



「明日は何が食べたい?」

 カレーを食べ終える頃、母が俺に訊いてきた。相変わらず、張り付けたみたいな薄い笑顔で。

 何が食べたいか。これはいつも訊いてくることなのだが、俺は悩んだ。

 というのも、その質問に俺が答えたことはあまりなかったからだ。いつもなら、葵が答えていた。

「うーん……」

 唸る俺に、ぼそっと

『チンジャオロース』

 葵が呟いた。

「……チンジャオロースがいいかな」

 俺がそう言うと、葵は目を丸くし、母は首をかしげた。

「夏樹は、ピーマンが苦手じゃなかった?」

「最近ちょっと好きになりだしたんだよ。だから、チンジャオロースにしてくれ」

 俺は笑いながら、食卓を離れた。葵が不思議そうな顔をして、ついてくる。

『お兄ちゃん?』

「明日の晩飯、お前が食えよ。許してやる」

『憑依してもいいの?』

「ああ。だけど、ちゃんと俺のフリするんだぞ」

『やったあ!!』

 葵は嬉しそうに、その場でとび跳ねた。……音は、しないけど。



 例えば俺はいつでもハンバーガーを食べられる。

 だけど葵は?


 葵が成仏する前に、いなくなる前に、俺が葵にできるのはそれくらいしか思いつかなかった。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ