05 ひょーい
『ひょーいって、できないのかなあ?』
ハンバーガーにぱくついてる俺を見ながら、真剣な顔で葵は言った。
朝から「例のビル」に行ったはいいが、やることは特になかった。しかし、空気の重たい家にそのまま帰るのも少し抵抗がある。ちょうど小腹も空いてきたし、ファーストフード店で時間をつぶしてから帰ることにした。
ハンバーガーを食べながら葵の方に目をやると、なにも食べていないはずの葵が口をもぐもぐと動かしていた。
「……何やってんだ?」
『ハンバーガーを食べてるふりしてるの。そしたら、そのハンバーガーのおいしさが分かるかなあと思って』
「なんじゃそりゃ」
『あたし流、「分かりたい時は真似をする」の術!!』
「なんじゃそりゃ」
俺は笑った。それから「お前はもう食べられないからなあ、残念」と言ったら、葵の口からひょーいという言葉が飛び出てきたわけである。
「ひょーいって……あの憑依のことか?」
『お兄ちゃんが言ってるのが、どのひょーいか分かんないけど、多分そのひょーいだよ』
葵は真剣に俺の顔を、ではなく、ハンバーガーを見つめている。
「……もしかして、俺に乗り移って、ハンバーガーを食べようと思ってるとか?」
『うん!』
そんなに嬉しそうな顔をするな。
「お前、簡単に言うけどさあ。俺は別に霊能力者でも何でもないんだぞ?」
『そんなの知ってるよ。お兄ちゃんはただの変態だよ』
「人聞きの悪いことを言うんじゃねえよ」
『私の声は誰にも聞こえてないよ』
俺の妹はいつの間に、こんなに口が達者になったんだ?
夏休み中のファーストフード店は、小さな子どもを連れた家族がやたらと多く、騒がしかった。騒がしい店は落ち着かないし嫌いだが、葵と話すときはむしろ騒がしい店の方がいい。一応、他の人間にはあまり聞こえないように、俺は小声で葵と話した。
「お前、憑依の仕方とか分かるのか?」
『分かんない! だから、やってみていい?』
「だから、の意味が分からん」
『いいじゃんかちょっとくらい。ちょっと試してみるだけ! ね?』
俺はため息をついた。食べかけのハンバーガーを包み紙でくるんで、トレーの上に置く。
「じゃ、やってみろ」
『やったあ!』
どうせできないんだろ。そう思ってた。
葵は俺に近づくと、
『んー、こんな感じかなー』
とブツブツ言いながら、俺の頭にそっと手を置いた。らしい。
次の瞬間。頭に岩が降ってきたような衝撃に、俺の意識は押しつぶされた。
真っ暗な世界から目が覚めると、そこはやっぱりファーストフード店だった。
「――あれ?」
食べかけだったはずのハンバーガーがない。それからなぜか、腹いっぱいになっている。
『お兄ちゃん、大丈夫?』
俺は、向かいに座っている葵の方を見た。葵は満足そうに、俺に向かって笑顔を振りまいている。
「え、あ、あれ?」
『できたできた、ひょーい! 結構簡単なんだねー』
「え? あれ?」
『ハンバーガーおいしかった! ありがとう! あと、お兄ちゃんの手ってやっぱりゴツイね。お兄ちゃんも一応、男なんだねえ。高校生だしさ、』
「お、おい……?」
『え?』
葵が目をぱちくりさせる。多分俺も、ぱちくりしている。
『お兄ちゃん、もしかして覚えてないの?』
「えーっと?」
『あたしはお兄ちゃんの中に入って、お兄ちゃんの身体を使って、ハンバーガー食べたんだけど』
俺は少ない脳みそをフル回転させて、前後の記憶を探った。葵が憑依してみたい、と言ったところまでは覚えている。が、そのあとは……
「まったく覚えがないんだが」
『え? じゃあお兄ちゃん、今までどこに行ってたの?』
「分かんねえ」
つまり、葵が憑依している間は、俺の意識はなくなるということらしい。そこまで考えて、俺は愕然とした。
葵が憑依して、そのまま俺の身体を乗っ取ることも可能だということだ。
「お、おい。葵……」
俺が言いたいことを、葵も察したらしい。
『ご、ごめんね。勝手にハンバーガー食べちゃって……』
察してなかったらしい。
「それはもういいから、えっと、憑依するのは控えようか」
『え、なんで!?』
「もしもお前が、俺の身体から出られなくなったらどうすんだよ!」
『大丈夫! そしたらあたし、除霊師さんのところにちゃんと行くから!』
どこら辺が大丈夫なのか、小1時間ほど問い詰めてやりたい。
結局その日の収穫は、CDの返却日が迫っているということと、葵が俺に憑依できるということだけだった。
しかしいくら妹とはいえ、幽霊に憑依されて大丈夫なんだろうか、俺……。




