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04  怖い

 夢から目が覚めたら、眼前に女の顔があった。

「おわあっ!?」

 思わず変な声を出して飛び起きる。そんな間抜けな俺を見て、葵は笑った。

『お兄ちゃん、びっくりしすぎー』

「おまっ……なんで俺の部屋にいるんだよ!」

 昨夜、階段でひとしきり泣いた葵は自分の部屋に入っていった。それを見届けてから、俺は自分の部屋に入ったはずだ。一応、ドアに鍵をかけて。

 なのになぜか妹は、俺の部屋にいる。

『幽霊ってドアでも壁でもすり抜けられるんだよ! めちゃ便利だよね!』

 葵はけらけら――いや、げらげら笑いながら言った。

 飛べないくせに、すり抜けられるだと……?

『これで、お兄ちゃんの部屋はいつでも来れるね! あと、お兄ちゃんが寝てる間にエロ本見つけといたから』

「う、嘘つけ。お前なんかに見つけられるような場所には」

『押入れの奥にあるものなーんだ?』

「…………」

 あんな本やこんな本ですすみませんでした。



 リビングには誰もいなかった。とりあえず、食パンとオレンジジュースだけの簡単な朝食を用意する。テレビをつけるのが妙に面倒で、俺は静かなリビングで食事を摂り始めた。

『おいしい? 食パン美味しい? ねえねえお兄ちゃん』

 ……静かじゃなかった。

「ふつーだよ。いつも食ってる食パンだろ?」

『ふーん』

「お前もなんか食べるか?」

『んー。多分食べられない、かな』

 そう言われてみればそうだ。壁をすり抜けられるのに、食パンを掴めるというのもおかしい。

 葵は悔しそうに、わざとらしく机をバンバンと叩いた。……そんな感じの、ジェスチャーをした。

『あーあ。あたしはもう一生、ケーキとかアイスとかチョコとか食べられないのかなあ』

「お前の一生はもう終わってるからな」

『そうだけどー……』

 葵がふくれっ面をして、そっぽを向いた。

 こうしてると、本当に葵が死んだのかどうか分からなくなってくる。恐らく葵自身も、自分が死んだんだという自覚があまりないのだろう。俺にしか見えないし聞こえないわけだが、俺とは普通に話せるし、笑えるから。



 朝食を食べ終わると、俺は出かける支度をした。目的地は、葵が死んだビルだ。俺が玄関でバタバタしている音を聞きつけて、父がやってきた。

「どうした夏樹」

「ちょっと出かけてくる」

「……夕飯までには戻ってこいよ」

 戻ってこいよ、がいやに重く聞こえた。




 例のビルは、自宅の最寄り駅から少し離れた場所にあった。変な言い方になるが、さびれた場所にある寂れたビルで、9階建てのビルの半分以上のフロアが「空席状態」だった。テナント募集と書かれた紙は、黄ばんでボロボロになっている。人通りも少なく、淀んだ空気が辺りを覆っているように感じられた。大通りから1本入ると、こんなにも静かになるのか。

 恐らく、今はもう屋上には上がれなくなっているだろう。人が一人、死んでるんだから。

「葵、なにか思い出したことはあるか?」

 後ろにいる葵に問いかけてから振り向くと、

『どうしよう……』

 葵がすがるような目で、こちらを見ていた。

「なんだどうした!?」

『CD、レンタルしたまんまだったの思い出しちゃった……』

 葵の視線の先には、大通りにあるレンタルショップの看板。店名の横に、旧作100円! と書かれている。

「――他に何か思い出したことは?」

『ないけど?』

 おいこら。

「……そのCDは、死んだ日に借りたのか?」

『ううん、6日前。1週間レンタルだから、明日までに返さないと』

 俺の妹はなんでこう、変なところでこんなにも律儀なのだろうか。

「分かった。俺が明日、返しに行ってやるから」

『ありがとうお兄ちゃん!!』

 妹は嬉しそうに笑った。抱きついてきそうな勢いだが、恐らく抱きつけずにすり抜けるだろうと思う。


「葵。多分、屋上は封鎖されてるはずだ。けど、お前ならすり抜けられるだろ? 見てくるか?」

 俺が訊くと、葵は笑顔から真顔になった。それから、

『……ごめん、今はちょっと怖い』

 下を向いたまま、呟いた。

「――分かった。無理する必要はないしな。まあ、CDのことを思い出しただけでもマシだと思おう。延長料金とか勘弁してほしいし」

 俺が笑うと、葵もほっとしたように笑った。



 正直、俺は少しだけ後悔していた。ここに来たのは俺が連れてきただけであって、葵が行きたいと言ったわけではなかった。

 葵は怖いと言った。……当たり前かもしれない。自分が殺された、場所なんだから。


 俺は後悔してばっかりだな。


 ビルの屋上を見上げると、背の低い鉄柵が、必死になって空に手を伸ばしているように見えた。



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