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32  怖かったの

 俺の方に向かって、駅員があわてて飛んできた。それは美鈴が自殺しようとしたのに気づいたからではなく、俺の無賃乗車が疑われたからだ。

『――ごめん。慌ててたから、切符も何も通さずに改札を抜けてきたの』

 申し訳なさそうにオドオドする葵を見て、俺は首を振る。

「いいよ」

 俺は駅員に謝って、ホームの入場料を支払った。駅員はホームに座り込む美鈴を見て、「大丈夫ですか?」と不安そうに訊いてきた。

「大丈夫です。少し休めば良くなると思いますから」

 俺がほほ笑むと、駅員は「何かあったらお声をかけてくださいね」と言い残して、ホームから消えた。



 泣きじゃくる美鈴を、とりあえず近くのベンチに座らせる。美鈴は両手で顔を覆ったままだ。俺は困って、葵の方を見た。葵は頷く。

『死のうとしてたんだよ、美鈴ちゃん』

 それを聞いて、俺は目を見開く。死のうとしてた。美鈴が?

『あの日、ビルの屋上から飛び降りようとしてたのは美鈴ちゃんだったんだ。それで、』

「私が葵ちゃんを殺したの」

 葵の声が聞こえているのかと思えるくらいのタイミングで、美鈴が声を出した。しかし、美鈴の言葉を聞いた葵が、ぶんぶんと首を振った。

『違う、あれは事故だよ。美鈴ちゃんは、あたしを突き落とす気はなかった。でしょ?』

「……事故だったんじゃないのか? 突き落とす気は、なかったんだろ」

 葵の言葉を、俺が美鈴に伝える。けれど美鈴は、小さく首を振った。

「だけど、私が落としたようなものだよ。私が、」

『違うって言ってるじゃん!』

 葵の否定は、美鈴には届いていない。美鈴はごめんと繰り返しながら、ひたすら泣きじゃくっている。

 俺は向かいのホームを見る。次の電車が来るまで間があるせいか、閑散としていた。この光景を、先ほどまで美鈴は一人で見ていたんだ。

「……ここから飛び込む気、だったのか?」

 俺が訊くと、美鈴は小さく頷いた。それを見て、続ける。

「葵が死んだあの日も、死のうとしていたのはお前だった?」

 美鈴が顔をあげて、こちらを見た。なんで知っているの、という顔をしている。俺はため息をついて、頭をぼりぼりと掻いた。イライラする。



 美鈴にではなく、自分に。



「どうして言ってくれなかったんだ」

 怒りの矛先を、少しだけ美鈴に向ける。美鈴はもう一度ごめんなさいと呟いてから、

「怖かったの。人殺しになるのが。だから、あの時も逃げ出して――」

「違う」

 確かに葵のことも言ってほしかったが、俺が言いたかったのは、

「死にたいくらい辛いんだって、どうして言ってくれなかったんだよ」

 気付けなかった自分に対する怒りを、伝えてくれなかった美鈴に向けた。






 綺麗な青空。白いワンピース。小さな、悲鳴。



「どうして、」



 届くはずのない言葉を、あたしは呟いた。



「どうして、言ってくれなかったの?」



 あたしの言葉は、夏の空気の中に溶けて消えた。




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