30 嫌だよ。
あの日、あたしは。
数日前に借りたCDをレンタルショップに返しに行くついでに、駅前のショッピングモールで新しい時計を買おうと思った。壁に掛けてある時計を確認する。友達が誕生日にくれたハート形の壁時計は、可愛いけれどやっぱり文字盤が見にくいなあと苦笑した。
「ちょっと出かけてくるー」
「はいはい、行ってらっしゃい」
お母さんに軽く声をかけて、あたしは外に出た。新しい時計はどんなのを買おうかなあと考えながら、レンタルショップへと歩いた。
ところが、レンタルショップに到着してから、返却するつもりだったCDを忘れてきたことに気付いた。返却するついでに時計を見に行こうと思っていたのに、気付けば時計のことばかり考えていた。我ながら、馬鹿だ。
「……いいや。別に今日が返却日ってわけじゃないし」
自分で自分を納得させて、ショッピングモールへ向かおうとした。その時、視界の端に、白いカーテンみたいなものが映った。
「ん?」
眼を凝らして見ると、ビルの屋上に白いワンピース姿の女の人が立っているのが見えた。
――美鈴ちゃんだ。何故か直感的にそう思った。この距離では顔は確認できないし、白いワンピースを着ている女の子なんていっぱいいる。だけど何故かあたしは、あれが美鈴ちゃんだと確信していた。
そこで何してるの? と電話したかったけど、あたしは携帯を持っていない。
白いワンピースの人が、低い鉄柵に腰掛けるのが見えた。危ない。あのまま落ちたらどうするんだろう。
落ちたらどうするんだろうじゃなくて、落ちる気、なの?
あたしはその人がいるビルに向かって走り出した。あの人が美鈴ちゃんかどうかは、もうどうでもよかった。もしも自殺なら、止めなきゃ。それだけを考えていた。
エレベーターを待つのがもどかしくて、階段を駆け上がった。けれど4階のあたりでたちまち後悔する。やっぱりエレベーターを使っておけばよかったと思いながら、あたしは9階のその上に向かって全力で走った。
やっとの思いで屋上にたどりつき、あたしは鉄製の重たいドアを開けた。錆ついていたのか、ギギギ……と音が鳴り、それに気付いたワンピース姿の人が、こちらに振り返った。
それはやっぱり、
「美鈴ちゃん」
やっぱり、美鈴ちゃんだった。
「暑くない? ここで何してるの?」
あたしは笑いながら、美鈴ちゃんに話しかけた。足元を見ると、美鈴ちゃんは裸足だった。
「アスファルト、熱いでしょ」
あたしはゆっくりと、美鈴ちゃんに近づいた。あたしが走ったりしたら、美鈴ちゃんはそのまま飛び降りてしまうんじゃないか。そんな気がした。
「……葵ちゃん」
あたしの名前を呼んだ美鈴ちゃんは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。それにつられて、あたしまで泣きそうになる。
だめだ。あたしが泣いてどうする。
あたしは美鈴ちゃんの隣で、自分のスニーカーを脱いだ。
「……なんで葵ちゃんも脱ぐの」
苦笑する美鈴ちゃんに、あたしは笑いかける。
「あたし流、人の気持ちを分かりたいときのやり方。その人の真似をしたら、ちょっとでもその人の気持ちに近づけるかなって」
あたしは自分のスニーカーを、美鈴ちゃんのミュールの横に並べた。ついでに、ショルダーバッグも靴の横に放置する。
靴下を履いているとはいえ、やっぱりアスファルトは熱かった。
「あっつ!! やっぱりここ、暑いねー」
あたしは笑いながら、美鈴ちゃんの隣に腰掛けた。町を見下ろすような格好。このまま上体を前に傾けたら、簡単に落ちてしまうだろう。
「……嫌だよ。美鈴ちゃんが死んじゃったら」
レンタルショップの看板を見ながら、あたしはぽつりと呟いた。
美鈴ちゃんが両手で顔を覆って、あたしは両目で空を仰いだ。




