03 ごめん
母は何も言わない。父も、なにも言わない。つけっぱなしのテレビだけが、言葉を吐き出し続けていた。
母は箸を持ったまま、テレビをぼんやりと眺めている。父は黙々と食べ続けているが、それは「食べる」という動作をしているだけだ。無表情で、食べ物を口に入れるだけの動作。
当たり前と言えば当たり前だ。娘が、死んだんだから。しかも自殺。……だと、両親は思っている。実際はそうじゃないらしいが。
昨日の通夜の時には親戚がいたからよかったが、家族3人だけになると、これか。ここまで静かな夕食は、初めてかもしれない。いつもは騒がしい妹が、色んな話をして場を盛り上げていたのに。一人いなくなっただけで、ここまで違うのか。
『…………』
両親の様子を見ている妹も、さすがに無言だ。これは、本人にとっても辛い光景だろう。
「……葵さ、自殺じゃないかも」
俺がぽつりとつぶやくと、父が顔をあげた。母は無表情のまま、味噌汁から立つ湯気を見ている。
「何言ってるんだ? 夏樹」
「自殺じゃないかもしれないって言ってんだよ。遺書も何もなかったし、自殺するほど悩んでるようには」
「うあああぁぁぁ……」
母が、机に突っ伏して泣きだした。肘に味噌汁の入ったお椀が当たり、中身を派手にぶちまけながらお椀が床を転がった。
妹は、……葵は、母と俺と父の顔を見比べている。不安そうに。だけどその姿は、父にも母にも見えない。それが、もどかしい。
「夏樹お前、何か知ってるのか?」
「…………」
自殺じゃないらしい。けれど、犯人は分からない。――なんて、俺が今言ったところで説得力も何もないじゃないか。
「ごめん、軽率だった」
母が泣きわめいているのを見ていられなくなった俺は、リビングから離れた。おろおろと母の周りをうろついていた葵だが、俺の後ろをついてくる。今にも泣き出しそうな、歪んだ顔を張り付けたまま。
一足先に階段を上る俺のあとを、葵は必死になってついてきた。
『お兄ちゃん』
「明日、お前が落ちたあのビルに行ってみよう。お前も何か思い出せるかもしれない。夏休み中だから、俺はしばらく自由に動けるしな。……今日はもう寝ろ」
葵の顔は見ずに、吐き捨てるように言う。
『お兄ちゃん』
「お前が自殺じゃなかったって父さんたちに伝えるのは、証拠を掴んでからの方がいいだろ。分かったな? 今日はもう、自分の部屋に戻れよ」
『おにいちゃ……』
「なんだよ!!」
思わず怒鳴ってから、はっとする。後ろを振り返ると、耐えきれなくなった葵が肩を震わせて泣いていた。叫ぶのをこらえるように、口元を両手で覆って。
途端に後悔した。自分はなんでこんなに浅はかなんだろう。
自殺じゃないと俺が言っても、両親にとっては何の慰めにもならない。
リビングのあの風景を見て、葵が不安がるのは当然だし、葵の姿は俺にしか見えないのだから、俺に向かって必死に話しかけてくるのも当たり前だ。
なのに俺は勝手にいらいらして、怒鳴りつけて、……葵を泣かせてしまった。
「……ごめん」
俺が低い声で謝ると、葵は泣きながらも、首をぶんぶんと振った。
「母さんなら大丈夫だ。だから葵は、気にしなくていいんだよ」
こんなこと言われても、葵は嬉しくもなんともないだろう。なのに葵は小さな声で「ありがとう」と言った。
そう言うべきなのは、俺の方なのに。




