18 目つきが怖いよ
目が覚めると朝だった。俺はちゃんと自分の部屋で寝ていて、足元には葵が座っていた。
俺は記憶を探る。――憑依して手紙を書けと言ったのが、最後の記憶だった。あのあと、葵は手紙を書いたのだろうか。
「葵。……手紙、書いたのか?」
睡眠時間がいつもより短いせいか、妙に眠い。俺は生あくびをしながら、足元にいる葵に尋ねた。
『う、うん。机の上』
「どれ」
俺が立ち上がると、葵が早口で言った。
『中身は見ないでね!!』
「分かってるよ」
俺は苦笑しながら、自分の机の上にある封筒を手に取る。淡いピンク色の封筒。そこに書かれている文字はやっぱり、葵の筆跡になっていた。
「ふーん。……葵の好きな子の名前は岡田君、かあ」
『な、なによー……』
「別にー?」
封筒をひっくり返すと、丸っこい字で水野葵と書かれていた。緊張していたのか、少しだけ字が震えている。俺はほほ笑んだ。我が妹ながら、微笑ましいとか思ってしまう。
俺は手紙の中身が透けて見えないかと封筒を見つめながら、葵に言った。
「じゃ、今日はこれを渡しに行こうか。葵も来るだろ?」
『…………』
予想外の沈黙。俺は封筒から目を離して、葵の方を見た。葵は俯いたまま、肩を揺らしている。
「おい。お前、来ないの?」
『だ、だって恥ずかしいし……』
葵は肩を揺らしながら、ぼそぼそと言う。いつもの元気はどこに行った。
「……そりゃあ別に、俺一人で渡しに行ってもいいけど。それはそれで、相手の反応とかが気になるんじゃないのか?」
『うっ』
図星らしい。俺はにやりと笑った。
「別にいいけどね? 俺一人でもさー」
同じことをもう一度言うと、葵は顔をあげ、それから勢いよく右手を挙げた。
『行く! あたしも一緒に行く!!』
「よし」
俺は頷くと、くしゃくしゃにならないよう慎重に、葵の手紙を鞄の中に入れた。
「……で、どれが岡田だって?」
『だからあそこにいる人だって! ほらーあのー、左、左!!』
ホームランを予感させる、カキーンという爽快な音がグラウンドに響いた。
葵の好きな相手、岡田という野郎は、野球部に所属しているらしい。夏休みなのに、毎日真面目に部活に出ているそうだ。
ということで葵の通っていた中学校、でもって俺の出身校のグラウンドに来たわけだが、
『ほら! あそこのかっこいい人だってばあ!』
葵の説明が下手すぎて、どれが岡田という野郎なのかが分からない。ちなみに今は練習試合の最中らしく、先ほどホームランを打った選手が、ホームベースに向けて力を抜いて走っていた。
「どこを守ってる人とか、そういう言い方はできないのか?」
『外野とか? そーいうの、あたしは知らないもん! 覚えようとしたけど、覚えられなかったもん!』
自慢気に言うな。
「あんまり近づくわけにもいかないしなあ……」
観客席もないので、俺は野球部の練習場所からは少し離れた木陰の中に立っていた。人物の顔がなんとか分かるくらいの位置だ。
とにかく暑いし、一刻も早く岡田という野郎を探したいのだが、
『ほら! 今、汗を拭いた人だってば!!』
妹の説明が下手すぎて分からん。
やっとのことで岡田という野郎を確認できたのは、
『あ、今から打つ人だよ!!』
葵のこの、分かりやすい一言のおかげだった。ああよかった、岡田の打つ番が回ってきて。
俺は、バッターボックスにいる選手を上から下までじろじろと見た。まあ、身長も体型も平均くらいか。顔は……
『お兄ちゃん、目つきが怖いよ』
「うるさいな」
岡田の顔は、目が少し切れ長で、鼻が少し大きくて、……正直あまり特徴のない顔だが、なんていうか、
『わー! 打った打った!! がんばれ走れ岡田君!!』
「なあ。あいつちょっと、俺に似てない?」
『はあ!?』
葵、目つきが怖いよ。
岡田のゴロはあっさりと処理され、バッターアウトを宣告する声がこちらにまで聞こえてきた。それを聞いた葵が、恐ろしい剣幕で怒鳴る。
『お兄ちゃんが変なこと言うから、岡田君がアウトになっちゃったじゃん!』
「俺のせいかよ!」
俺たちがギャーギャー言い争っている間に、試合は終わった。
3-0で、岡田のいたチームの負けだった。
『お兄ちゃんが変なこと言うから、岡田君負けちゃったじゃん!』
「だからそれは、俺のせいかよ!」
俺の怒鳴り声と同時に、頭上で鳴いていたセミが慌てたように飛んでいった。
選手たちが、続々とグラウンドを出ていく。
今日の練習が終わったことを確認して、俺は木陰から一歩外に踏み出した。暑い。
後ろから葵が、おどおどしながらついてくる。
『お、お兄ちゃん、本当に行くの?』
「なんだ今更。はっはーん。フラれるのが怖いんだな?」
『…………』
図星か。俺は鞄の中に手紙が入っているかどうか確認しながら、
「別に渡したくなけりゃ、それでもいいけど。俺があとで朗読するだけだし」
『渡す! 渡す!!』
「分かったから、あんまり大声出すな。耳が痛い」
俺と葵は、岡田に少しずつ近づいていく。それに気付いた岡田が首を傾げた。その顔を見ながら俺は考える。やっぱり、
「俺に似てないか?」
『お兄ちゃんうるさい!』
葵に怒鳴られ、俺は黙って岡田のもとへと向かった。




